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NHKで『アンという名の少女』が放送されると知り「そういえば昔アニメで観た『赤毛のアン』ってどんな話だったっけ??」と気になり、ドラマはひとまず録画することにして、先に本を読むことに。
本の感想は「素晴らしい!」の一言につきます。
自然豊かな風景の描写が実に詳細で美しく、景色が目に浮かびました。花の香り、草木がそよぐ音、水の煌めき、時間と共に変化する空の色までもがしっかりと伝わりました。
アンの言葉もいくつも心にぐっと来るものがあり、忘れていた大切な何かを思い出させてくれるものばかりでした。
小説は敢えて少しずつに区切って時間をかけて読むようにしてますが、本を閉じる度にいつも見ている景色が違って見え、この世の中は素晴らしいと感じさせてくれた本でした。
巻末の松本さんによるあとがきもとても良かったです。
少し時間を開けて続きも読みたいと思います。
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子供の頃の愛読書。NHKで映像のアンを見て、えっ、こんな内容だったっけ。子供の頃に読んだ赤毛のアンは子ども用にアレンジされたものだったのだろう。そもそもAnneのeのことなど出てこないし。
で、この歳になって読み直し。実は、最初英文で読もうとして(英語の仕事をしているので)、意外に(失礼!)難しい単語が並んでいるのを見て挫折。この文春文庫のにしました。訳は丁寧で読みやすい。ただ、巻末の注の多さに圧倒されました。正直なところ、訳注は興味を持った部分しか見てません。古典の文献的に読みたくはないからです。でも、これだけの注のつくような深い含みのある文章ということなんでしょうね。
読んでみて、改めて名作だと思いました。必ずしも児童文学ではないですね。アンは聡明な女性へと育っていくのですが、マシューとマリラに引き取られた頃のとんでもない少女の話の方がやはり魅力的であるのはやむを得ません。
NHKのアンも続編が放映されることを望みます。TVドラマでは必ずしも原作通りでない脚色もあり、先が読めない楽しさもありますね。
アンの原作続編も読もうと思っています。
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読了。子供の頃に繰り返しアニメでも見たし、本も何度も読み返した赤毛のアン。Netflixでドラマを見て懐かしくなって読み返そうと思い立った。
せっかくだから昔読んだ訳者とは違う人で読んでみようと思い、完訳で註釈の多い松本侑子さんの本を選んだ。
大人になって読み返すと子供の頃に気がつかなかったことが沢山あったことに気づく。自分が歳を重ねたせいもあり、マリラの感情の動きに目がいってしまう。アンに出会った頃のマリラと、アンがクイーンズ学院に行く時のマリラ、そしてマシューが亡くなった時のマリラ。アンにかける言葉が変化していく。どれも胸にささる。アンの成長とともにマリラもまた変わっていく。
この完訳本は註釈も多く、多くの文学や聖書からの引用が多いことにも驚かされた。アンの何気ない一言にも意味があった。
大人になって読み返すのに最も適した訳本だと思う。
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心ときめく文章が続き、頭の中で、アンと一緒にグリーンゲイブルズで過ごすように読めた。香りたつ花々や素敵な詩、果物の砂糖煮などおいしそうな食べ物にうっとりしたり、プディングのソースにねずみが入った話などアンのドジもとてもかわいい。ギルバートブライスがかっこよくて切なくかったり、ラストは涙が止まらない。早く読み終わらないよう、一言一言味わいながら読んだ作品だった。
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めっちゃ良かった。アンのキャラクターもそうだけど、周りの人たちも素晴らしい。文章もオチがついてて、読んでて「あ、マリラはツッコミ担当なのか」と思いながら読んでいた。
マシューのアンへの愛が無限大で怖い(が、死因…)
アンが成長して、あまりしゃべらなくなった時は、マリラと同様に寂しい気分を味わった。
続編もあるようなので、この際全部読破したい。
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30年ほど前まで文通していた親友が大好きだったシリーズ。お家で映画も見せてもらったっけ。訳者のTwitterによる当時の文化の紹介で改めて興味を持ち、40代になって初めて読んでみた。とても面白くてケタケタ笑いながら読んでしまった。勿論、ただ笑ってしまうだけではなくて、もっと深いものがあるのだけれど。女性の夢とユーモアと教養が詰まったこの作品を、10代の時には理解し大好きだった友人と違い、私は随分と道を誤ったなぁ。人物の繊細な描写、目に浮かぶような風景、引用される古典・・・何もかも素晴らしい!
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『赤毛のアン』は私の愛読書です。
村岡花子さんの訳しか読んだことがありませんでしたので、訳者が違うとどうなのだろう?という興味で読んでみました。
当然ですが、大きな違いはなかったです。
注釈が多くあり、今までとは違う見方も出来て勉強になりました。
大好きな作品ですが久々に読んだので、アンよりマリラに感情移入してしまいました。アンの成長した姿に幼かったアンがもういない寂しさに泣いてしまうマリラに泣けました。
アンは本当に次から次へと問題を起こします。でも子どもは皆、大小の違いはあっても何かしら騒動をおこして成長していきますよね。マリラとマシューが遅い子育てにあたふたしながら、アンに愛情を注いでいく過程が本当に大好きです。
アンの想像力豊かなおしゃべりはとても楽しいです。
シリーズ再読したくなりました。
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作品全体が愛にあふれていて、作者の人としての温かみを感じる
プリンスエドワード島の自然や家族愛、友情など…美しくて心が洗われる…
アンが真っ直ぐで明るくて、力強く生きているところがすてきで憧れる
おっちょこちょいなところには共感できて親しみが湧く
社会に疲れてしまったり人の優しさを忘れてしまったときに読むとなお癒される
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NHKでやっているドラマの「アンという名の少女」がとても面白かったので原作を読みたくなった。
小さい村社会の中での人間関係、孤児としての生きづらさ、家族のために結婚を諦めた過去など重たいテーマを描きながらも、アンのどこまでも飛んでいく想像力とじっとしていられない行動力によって物語に明るさと躍動感が生まれている。
そんな鉄砲玉みたいなアンに対して、マニラが(おそらく真顔で)ちょいちょいユーモアのある返しをしているところも良い。
マシューの話し言葉は小説でもドラマでも「そうさな」「わしは〜だと思うがな」って感じで訳されているけど、英語では一体どんな表現だったのか気になる笑
ドラマだけでは分からなかったセリフや小道具の意味などが巻末の解説でよく分かって面白い。こんなにぶ厚い解説をあまり見たことがない。
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アンの一人語りが長くて辛い。
感情の振れ幅が大きい彼女はとても魅力的でした。
続きが知りたい!と思わせる物語。
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退職後のことをちらほら考えるような年齢になり、一念発起して読み始めた赤毛のアンシリーズ。
驚いたのはマリラさんへの自分の共感が半端なかったこと。でもアンの瑞々しい感性に触れるのも心地よくて、この年で読んでも良いことはあるものだと思いました
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かれこれウン十年前に、村岡花子さん訳の赤毛のアンを、夏休みの課題図書として読みました。
当時は、夏休みの約1ヶ月半のあいだに、このシリーズ10冊全て読んでからの感想文を書く、という、本嫌いの生徒であればなかなかに厳しい宿題でした。
かくいう私も3冊しか読めず、、、今回は別訳ですが再チャレンジ!
感想としてまず、おもしろかった!あれ、こんな内容だったっけ? です。
文体も読みやすくなっているせいか、私が歳を重ねたせいか、内容がすんなりと入ってきました。
やっぱり、大人目線で読んでしまいますね。アンの言動、行動にやきもきしたり、リンドのおばさんやマリラの気持ちに共感したり。
マシューの、アンがかわいくてしょうがない、といった描写が微笑ましいです。
何をやらかすかわからない、子供のアンから、ステキな女性へと成長していくアンに、マリラと同じく、嬉しいような寂しいような気持ちになりました。
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素晴らしい、の一言です。
赤毛のアンは、まだ小学生の頃、金の星社から出ていた映画の風景を物語にした本を祖母に買ってもらって、何度も何度も読んでいましたが、すべてを読んだことはありませんでした。
それが、アンという名の少女を見て、すっかりアンにはまり、こちらの本を手に取りました。
アンのようにお喋りでない私は、アンのように思うことを言葉にできたら、、、と憧れます。
一方で、性格も年齢も近い気がするマリラの心もよく分かり、涙が滲みます。
プリンスエドワード島の風景、すべてを人の手で行っていた時代の生活の知恵や工夫の数々、そうした描写が素晴らしく、人として生きる喜びが詰まっていると思いました。
続編を読むのが楽しみです。
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『赤毛のアン』シリーズは村岡花子訳で育ったので、基本的には花子マンセーな私ですが、20代の子が松本侑子訳でシリーズを読んでいたので理由を聞いたところ、「村岡訳ではディテールが削られている」からとのことでした。
村岡花子訳は完訳ではなく抄訳だったというのは今ではよく知られた話らしく、訳した時代もあって花の名前など誤訳もあるそうです。
特にマシューが亡くなったあとのマリラの告白部分が村岡訳ではバッサリ省略されており、児童文学として読ませたかった村岡花子の意図なのか、オイルショックなどで紙がなく、ページを切り詰めなければいけない編集側の意向があったのではなどと言われています。
(今では孫の村岡美枝・村岡恵梨によって完訳版が出ています。)
というわけで松本侑子訳を読んでみました。
松本さんは村岡花子訳を尊重しているようで『輝く湖水』や『腹心の友』などの言い回しやマシューの話し方なども踏襲されていて、違和感なく読めました。
風景描写が特に美しく感じられたので村岡訳とも比較してみましたが、村岡訳は省略されているというより、短い文章におさまるように意訳されているといった感じでしょうか。(映画の字幕みたいな感じ?)
グリーン・ゲイブルズの十月は美しかった。秋の陽ざしをあびて二番刈りの牧草地がひなたぼっこをしている間に、窪地の白樺は日光のような金色に、果樹園の裏手のかえではみごとな深紅に変わり、そして小径の山桜は、濃い赤と青銅色のあやなす美しい色あいを帯びていった。
(松本侑子訳)
グリン・ゲイブルズの十月はじつに美しかった。窪地の樺は日光のような黄金色に変わり、果樹園の裏手の楓はふかい真紅の色に、小径の桜は言いようもなく美しい濃い赤と青銅色の緑に染って、その下にひろがる畑をも照りはえさせていた。
(村岡花子訳)
うーん、でもこうやって並べてみると長さに大差ないですね。そうすると、マリラの告白は物語の中でも重要なシーンなので、これをカットしたのは紙面の都合というよりかなり意図的なものではないかと思います。
年をとってマリラの気持ちも理解できるようになったということもありますが、あらためて読むとアンの成長物語であると同時に、マリラの物語でもあるんだよなと。
そのほか、
「さしこのふとん」(村岡訳)→「ベットカバー」(松本訳)
原文は「キルト」なんですが、この場合リンド夫人が編んでいるのはベットカバー用のキルト。
「つぎもの」→「パッチワーク」
「りんごあおい」→「アップルセンテッドゼラニウム」
有名なところでは
「ふくらんだ袖」→「パフスリーブ」
ここらへんは村岡花子訳の時代(1952年出版)ではまだ日本で知られていなかった言葉だからというのがありそうです。
アンが「メイフラワーのない土地に暮らす人は、かわいそうね」と言っている「メイフラワー」は、村岡訳では「さんざし」ですが、松本訳の解説によると「イギリスでは、落葉木のセイヨウサンザシをさすが、カナダも含めた北米では、トレイリング・アルバタスを意味する」そうで、写真を見る限りけっこう別の花。ちなみに、日本には咲いてません。
個人的にはルビー・ギリスの「崇拝者」という言い回しが好きだったんですが、松本訳だと普通に「愛人」、「恋人」になってました。
松本訳は訳注とあとがきだけで100ページあり、シェイクスピアや英詩などの引用についても詳しく解説されています。
特に今回勉強になったのはカナダの歴史。
カナダの建国が1867年、『赤毛のアン』の時代背景が1890年頃で建国から20年くらい。マリラやマシューが生まれたころはまだカナダという国はないんですね。
(「演奏会を開いて学校に国旗を買うのは愛国心を育てるでしょう」というアンのセリフがありますが、ここらへんからもカナダがまだ若い国だというのがわかります。)
プリンス・エドワード島は、フランスが最初に入植開拓し、英仏戦争でイギリス領となり、イギリスからの移民が開拓。レイチェル・リンド夫妻は名前や諺などからおそらくアイルランド系、マシュー、マリラのカスバート家はスコットランド系ケルト族。どちらもイギリスからの移民です。
(マシューのお墓に供えられているのは、マシューのお母さんがスコットランドから持ってきたバラ。)
こうした歴史的背景もあり、『赤毛のアン』に登場する使用人はおもにフランス人で一段低く見られています。アンが失敗したケーキを使用人のジェリーも食べないというセリフがありますが、ここでは人間→使用人→豚ですよね〜。
「とにかく、あのケーキは豚にやっておいで」マリラは言った。「あれは人間が食べるもんじゃないよ。ジェリー・ブートだって無理だよ」
私たちが『赤毛のアン』を通して知ったキルトのベットカバーやハーブの花、バスケットにお弁当を詰めて出かけるピクニックなどはイギリス文化なんですね。アンが小舟に乗って演じるエレーンの話も『アーサー王伝説』なのでケルトの物語。
訳注のおかげでこうしたことがだいぶ理解できました。ただ訳注がちょっとネタバレ気味なので初読で松本訳はどうなんだろう。私は副読本というか解説本的に読みました。
それにしても何度も読んでいて筋もセリフも覚えているのに今でも楽しく読めるなんて『赤毛のアン』てやっぱりすごいし、村岡花子先生には感謝したいです。
以下、引用。
赤毛はスコットランド、アイルランドのケルト族に多いとされてきた。アンもスコットランド系。
それにゼラニウムも、ゼラニウムとしか呼ばなければ、傷ついているかもしれないわ。おばさんも、女、としか呼ばれなかったら、いやでしょう。
薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るだろうって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。もし薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)と呼ばれたら、あんないい香りはしないはずよ。
どうしてお祈りの時にはひざまずくの? 私なら、心からお祈りしたくなったら、たった一人で、広い原っぱか、深い森に出かけて、空を仰ぎ見るわ……どこまでも……高く……高く……その青い色に果てがないくらい美しい青空を見上げるの。そうすれば、心にお祈りを感じるでしょうよ。
十月というものがある世界に生きていて、ほんとに嬉しいわ。もし九月から、いきなり十一月になったら、とんでもないことだわ。
討論(デイベーテイング)クラブ
「マリラ、明日は、まだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、すばらしいわ」
「あんたのことだ、どうせまた、たんと失敗するよ」
ダイアナは、殺人事件ばかりなの。たいていの場合、登場人物の扱いに困って、殺して消してしまうんですって。
大人になると、悪いこともあるのね。ようやくわかりかけてきたわ。子どもの頃、ほしくてたまらなかったものでも、いざ手に入れてみると、半分もときめきが薄れているのね」
夜の十一時にまぶしいくらい明るいレストランでアイスクリームを食べるのも、たまにはいいけれど、ふだんは、十一時には東の切妻の部屋でぐっすり眠っているほうがいいわ。
アンにとって、一日一日は、一年という首飾りにつないだ金のビーズが糸をすべるように、いつしか過ぎていった。
努力して勝つことがいちばんだけど、二番めにいいのは、努力した上で敗れることなんだわ。
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某ドラマの夢見る主人公に対し「赤毛のアン」とうやと揶揄した場面を見て実際にはどんな内容の本なのか気になって手に取った本。
読んでみるととても面白くて続きがどんどん読みたくなった。
本作も面白いが巻末の解説も面白い。
たくさんの文学作品から引用されている文も多く
さとても読み応えがあった。