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孤独な短編集でした。文庫で再読しました。
世界の端にひっそりといるような人々。
「かわいそうなこと」のシロナガスクジラの描写がとても好きでした。「亡き王女のための刺繍」も好き。
優しいまなざしで寂しいお話たちだな…と思っていたら「仮名の作家」のようなお話があるので今作も油断がなりません。
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小川洋子さんの作品を読むと不思議な気持ちになる。
柔らかな言葉の中にある小さな悪意のような棘であったり、心の中にしまい込んだ秘密。
それは優しいけれども、残酷で、切ない。
だからこそ、彼女の作品は密やかなひかりを放ち、傷ついた心を照らし出すのだろう。
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小川洋子さんの短編集を読むときは、いつどこで話が終わっても大丈夫なように、心の中で常に覚悟しながら読むようにしている。油断していると、ローマに通じているはずの道が突然崖になっているのを落ちてから気がついた、みたいなそんな奇妙な気持ちになるからだ。
この短編集には子どもが主人公の話がいくつか出てくるが、同年代の子たちと仲良くしているような子どもは出てこない。
わたしも小さい頃からいつもひとりだった。
自分の中だけで世界は完結していて、ほかの人は必要ないのかもしれないと考えていた。誰もわたしの存在に気がつかず、すべて黙って通り過ぎてくれればいいのにと考えていた。
大人になってから、ふと誰かにそばにいて欲しいと思ったときにはもう既に手遅れだった。
幼いときは自らそれを選び、成長してからのわたしにはもうそれしか残っていなかった。
小川洋子さんは、小説を書く理由についてこのように語っている。
「自分はここに居ると、声高に叫ぶ人のことは放っておいてもいい。けれど、小さい声しか出せない人、自分は決して物語の主人公になどなれないと思っている人物を掬い取るために小説はあるのではないか。」
小川洋子さん、あなたの文章はわたしにとって闇を照らす光です。
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たとえおかしいと思ってもどうすることもできず、小母さんの両腕に身を任せるしかない彼らの、素直すぎる無力さがいとおしかった。
ガラス戸一枚の境目さえ、彼らは一人では超えれられなかった、
庇護する腕がなければ、ただそこに転がっているだけだった。
にもかかわらず、欠けたものは何一つとしてない、十分な命なのだった。
赤ちゃんの描写がすき
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8つの短編小説。
どれも出てくるひとが愛らしい。
悪い人はいないし、一生懸命に"こだわり"をもって生きている。
その"こだわり"をなんとなく理解できるから、不思議だ。
きっと、真の人間心理を理解している作者の手腕だと思う。
個人的には『仮名の作家』と『口笛上手な白雪姫』が好き。
どちらも、うまく生きれないでも懸命に心満たそうとしている姿が、共感できる。
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ちょっとライト?
ここ最近の小川洋子作品、登場人物が登場人物たる気がしてる。
よく喋る、そしてわかりやすい。おとぎ話のような雰囲気がある。
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多彩な口笛で赤ん坊にだけ愛されたおばさん…、表題作をはじめ、偏愛と孤独を友とし生きる人々に訪れるささやかな奇跡を描く全8編。
偏愛は純粋なのか狂気なのか。周囲の環境や存在する時代でその評価は変わってくるように思う。己を突き通すのか他人に合わすのか、偏屈とお調子者の根本的な差は僅かでしかない。
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”110番”と言えば警察、”119番”と言えば消防、そして”177番”と言えば天気予報。『電話』の三つの数字を押せば、日本全国どこからでも同じ目的を果たすことのできる3桁番号サービス。では、”117番”を押すとどんなサービスが受けられるでしょうか?
はい、そんなに難しくない質問ですね。それは『時報』です。でも、スマホを見れば時間なんていくらでもわかる現代にあって、”117番”のサービス自体は知っていたとしても、実際にその番号にかけたことのある方っているのでしょうか?
さて、時代は遡りますが、ここにそんな”117番”の『時報』サービスに頻繁に電話をかけ続ける少年がいます。『たとえ僕がクシャミをしても、お姉さんは迷惑そうな様子さえ見せず、ひたすら時刻を知らせ続ける』と『時報を聞くのが僕は好きだった』というその少年。『いくら僕が長い時間黙っていても、自分の名前を名乗らなくても変に思ったりしない』と『安心して好きなだけ、時報の海を漂っていられる』という『僕』が主人公となるその物語は、『僕』が抱えるある症状がキーワードとなって展開していきます。そんな物語を含むこの作品。小川洋子さんが描く、”小川ワールド”全開な短編集です。
八つの短編からなるこの作品。〈盲腸線の秘密〉、〈一つの歌を分け合う〉、そして表題作の〈口笛の上手な白雪姫〉など、一風変わった章題が印象に残ります。短編それぞれに関連はありませんが、どの作品も小川さんらしいモノへの愛着、これでもか!と執拗に描写していく雰囲気感は一貫しています。そんな雰囲気の中にすっかりはまる魅力的な作品ばかりですが、私的には次の二つの作品に特に魅かれました。
まずは一編目の〈先回りローバ〉です。『初めて家に電話が引かれたのは、僕が七つの時だった』というその電話。『北向きの玄関から二階へと続く、狭くて急な階段の裏にそれは設置された』という電話に魅かれる『僕』。『両親はしばしば僕一人を置いて〈集会〉に出掛けた』という時には『すぐさま階段裏に身を潜め、受話器を持ち上げてダイヤルを回した』という番号は『1、1、7』。『ピッピッピッピー…午後2時52分30秒をお知らせします…ピッピッピッピー…午後…』という『時報を聞くのが』好きだった『僕』。『お姉さんは迷惑そうな様子さえ見せず、ひたすら時刻を知らせ続ける』というその『時報』。そんな『時報のお姉さんは決して質問を投げ掛けない。答えを求めない』という点に魅力を感じる『僕』。それは『受話器を耳に当てていれば、電話が鳴らない』からというその理由。『僕は吃音』であり『電話が掛かってきても、僕は話をすることができなかった』というその理由。そんな『僕』の『吃音の本当の原因はもっと別のところにある』というその理由は『両親がズルをして、息子の生まれた日を正しく届け出なかったから』。『〈集会〉の主宰者の誕生日』と同じにするために『両親は本当に僕が生まれた日より六日先の日付を書類に記入した』という出生の秘密。『六日分の、自分のいない世界が、僕の前に取り残された』ということを意識し『目の前にはいつでも空白が横たわっていた』、『だから僕の言葉は何もかも、その空白に飲み込まれてしまう』と考える『僕』。『幼稚園の正門で、中に入れず立ちすくんでいた』という幼少期の『僕』。正門に立つ園長先生に挨拶が出来ず『ご挨拶のできない人は、中へ入れません』と言われた苦い記憶。そんな幼稚園時代の『僕』の前に『例のお婆さんが現れたのはちょうどそんな頃だった』という一つのきっかけが訪れます。『あなたは誰?』と聞く『僕』に『あえてご説明しようとすると、案外難しいものでございます』と答えるのは『先回りローバ』。そして『彼女と話す時、一度も言葉がつっかえない』という変化が『僕』に訪れます。そんな『僕』がローバと関わりながら成長していく様子が描かれていきます。
…というこの短編で印象的に登場するのが『僕が七つの時』に設置されたという『電話』でした。そもそもこの表現だけで、それまで『僕』の家には『電話』がなかったことになり、一体これはいつの時代の話なの?という数十年前の世界の話が語られ、その『電話』の描写が読者に大きなインパクトを与えていきます。『形容しがたい丸み、暗号めいたダイヤル、耳にフィットするよう計算された受話器のカーブ、可愛らしげにクルクルとカールするコード』というその外観。恐らくは今や『電話』の歴史の一つとして残る”黒電話”をイメージしているのだと思いますが、こんな風に表現されるとなんだかもっと凄いもののようにも感じてしまいます。『その黒色は特別だった』、『一点の濁りもなく、濃密で、圧倒的で、気高くさえあった』というその『電話』。そして『何を企んでいるのか分からないふてぶてしさと思慮を併せ持っていた』ともうここまで表現されると、これはただの『電話』を超えて一人の人物を描写していると言っても過言ではないほどです。そして、ここで面白いのはここまでの圧倒的な存在感を示した『電話』が物語から急速に退場し、『そこはどこまでも果てしのない、何ものにも乱される恐れのない、安定した世界』という『時報』の話へと一気に焦点が移ってしまうところです。『電話』の存在感がまさしく蒸発するが如く消えてしまうその展開。そしてそんな『時報』も結局は『僕』の『吃音』、そして自らの出生に関わる『六日分の空白』と『ローバ』の話へと展開する物語の一過程の中で、単なる小道具の一つとして消え去ります。しかし、読後に強く残るのは『電話』の印象であり、『時報』の印象です。温かみのある人間との関わりではなく、冷たく硬質なモノの印象が強く残るこの作品。思えば私たちの記憶はいつも何かのモノを起点に、もしくはモノに結びついて残っていることが多いように思います。そんなモノの存在を強烈に感じさせるこの作品。ノスタルジックなその世界がどこか目に浮かぶような逸品だと思いました。
そしてもう一点は〈亡き王女のための刺繍〉です。このレビューを読んでくださっている方でクラシック音楽がお好きな方は〈亡き王女のための〉という言葉だけでピン!と来る作品があるはずです。そう、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。どこか”古き良き時代”を懐かしむような感傷的な雰囲気満点なこの作品のイメージを重ねるように物語の内容もかつての時代に飛びつつ展開します。そんな物語で登場するモノが『よだれかけ』でした。そもそも『よだれかけ』���どというものが小説本文中に登場するような作品があるのだろうか?とさえ思うくらいに、脇役中の脇役である『よだれかけ』。そんな『よだれかけ』を『赤ん坊が産まれたと聞けば必ずお祝いを贈る』という『私』は『贈る相手が誰であれ、品物は最初からよだれかけと決めている』という形で登場させます。そして物語は、『そもそも汚れるための衣類』に過ぎない『よだれかけ』に徹底的に光を当て、存在感を際立たせていきます。『赤ん坊だけに許された特権』という『よだれかけ』。それは『一番目立つ場所に掲げられるべき勲章である』とまで言い切る小川さん。『彼らは遠慮なく、実に堂々とあらゆるものをそこにまき散らす』と、今度はその役割に焦点を当てていきますが、ここで例示されるモノが、小川さんの真骨頂です。まずは『名前に冠された名誉あるよだれ』と、ズバリそのものを挙げる小川さん。こんな風に表現されると『よだれ』自体が凄いものにさえ感じます。そして『ミルク、重湯、すり潰した青菜、果汁』、というあたりはごく普通ですが、この先が小川さんならではです。『ふやけたパン、裏ごしした黄身、胃液、鼻血』と、いや確かにそういうものもあるのかもしれませんが、普通には到底あげないようなものばかり。まさしく小川ワールド!という感じです。そして、『唇からあふれるもの、内臓から逆流するもの、容赦なく入り混じり、勲章に独自の模様を付け加える』と『よだれかけ』が芸術作品か何かのようにさえ感じるこの描写。『よだれかけ』が読者の中に強く印象付いていきます。しかし、またしても小川さんは、物語を進める中で『よだれかけ』を退場させて、『よだれかけ』に装飾される『刺繍』へと焦点を移していきます。そして『よだれかけ』は一気に光の当たらない舞台裏へと追いやられてしまいます。しかし、読後に『よだれかけ』の印象は残ったままです。このあたり、モノの登場のさせ方、引かせ方などの巧みさが物語に不思議な余韻を上手く残す起点になっているように感じました。
八つの短編からなるこの作品では小川さんのモノへのこだわりが不思議な世界観を作り上げていました。そんなモノたちは、今を生きる登場人物の過去の一時代に存在し、過去の一時代の記憶を呼び起こす起点となるものでもありました。これらを『一人一人の長い人生の、ほんの一日、ほんの一時期の話』と語る小川さん。『それが記憶に埋もれてしまうのはもったいないと私が思って、取り出して、本という四角い形の宝石箱の中にしまっておきました』とおっしゃる八つの物語。ひっそりと、静かに佇むように穏やかな物語は、秋の夜長に読むのに相応わしい独特な味わいを持つ物語。“小川ワールド”を存分に堪能できる不思議な空気感に包まれた作品でした。
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図書館本
短編集。
静謐が伝わる小川ワールド。
先回りローバ カタカナでローバ。
口笛の上手な白雪姫 公衆浴場の脱衣場の定位置にいる小母さん。
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静かで不思議、そしてなんとなく寂しさが伴う短編集。主人公たちは自分だけの秘密の世界を孤独に、でも毎日しっかりと生きている。そんな感じがしました。
特に好きな作品は、「かわいそうなこと」と「仮名の作家」。思わず泣いてしまったのは「一つの歌を分け合う」。
「かわいそうなこと」は「かわいそう」と思ったことをノートに書き溜める男の子が主人公。彼の「かわいそう」の基準が純粋で、少し変わっていて、なんだか可笑しく、可愛らしいというのと、物語の最後に彼が「かわいそう」と思う野球少年から広がっていく思いがとても繊細で、主人公の感受性に共感しつつも、なんだか切ない気持ちになりました。
「仮名の作家」は設定がすごく面白くて、私好みでした。とある小説家のファンの女性で、すごく狂信的な人で、彼女のちょっと普通ではない応援の仕方も怖くて面白い。その小説家に直接感想を言ったり、質問できるイベントに彼女が参加してから、(2人の間には質疑応答しかないのですが)2人の間に生まれる秘密のコミュニケーションがなんだかキュンとします。
「一つの歌を分け合う」はとても美しい物語でした。息子を亡くした伯母さんと劇場で「レ・ミゼラブル」を鑑賞した主人公。ジャン・バルジャンを演じる俳優を「あの子」と呼び、哀しみのあまり亡くなった息子と混同していると心配した主人公の母は監視役として一緒に観劇するように勧めたことがきっかけでした。
本当に伯母さんは息子とバルジャンの俳優を混同していたかどうかは分かりません。混同していたし、そうでないのかもしれません。でも、バルジャンの歌う「私を死なせて、彼を帰して 家へ」という歌詞と伯母さんの流す静かな涙があまりにも美しく溶け合って、一つの劇場のシーンを作り出していて、わたしも泣いてしまいました。
他にも片隅で、自分だけの秘密の世界を一生懸命生きる人のちょっと不思議で素敵な物語があります。リラックスして読書したいときにおすすめです。
また小川洋子さんの作品にはよく赤ちゃんが(なんだか尊く完全で神聖な存在として)登場します。今初めての赤ちゃんを待っているわたしも不思議な縁を感じました。
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小川洋子さんの短篇集。
「先回りローバ」
「亡き王女のための刺繍」
「かわいそうなこと」
「一つの歌を分け合う」
「乳歯」
「仮名の作家」
「盲腸線の秘密」
「口笛の上手な白雪姫」
「先回りローバ」
「亡き王女のための刺繍」
「盲腸線の秘密」
個人的には、この短篇が好きだった。
なにか静かな空気感というか、はかなげな悲しみというか、独特な世界観。
やはり小川洋子さんの短篇だと感じる。
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小川洋子さんの短編集。私個人的には、ずっとちょっとだけエロチシズムを感じていた作家さんだったのだが、ここ数年の作品には、より閉塞と孤独とが感じられる。嫌ミスの作品でも感じることもあるが、小川作品のそれらは静謐さの中にある。確か日常に比べると少しいびつだったり、独特ではあるのだが。けれども、己の孤独や閉塞を自分のなかの豊かさとして描かれているので、主人公達は孤立せずに社会の中にいるのだ。この姿勢がとても良かった。
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読んでない、と思ってたけど読んでた。
この方のお話は、同じことが続く日常の大切さとか、突然終わるコトの恐怖とか悲しさとか、そんなのを淡々と静かに書くので地味にくる。
でもまた読みたくなる。そして同じトコロで重くなる。
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彫刻や博物館の展示品や声など、普段あまり注目されなそうなモチーフへの深い洞察や想像力に圧倒される。赤ちゃんや子供の描写が特に好き。
人とあまり関わらずにひっそり暮らしていても、生き物やモチーフに対する敬意で瑞々しく生きている。
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私たちは制限のある空間を生きている。
でも、一人ひとり心の中にこだわりがあり、それに夢中になれることを幸せだと感じる。
その幸せが膨らみ外に飛び出そうとしているのに飛び出せない、いや、あえて封じ込めてしまう自分がいる。
誰もが持っているであろう感情を起こしてくれる短編集でした。