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1930年代から最晩年までの作品から選び出された8編。
改稿を繰り返し、彫琢を重ねたという名品揃い。
物語が面白いだけでなく、文章そのものが美しくて、
鳥肌や眩暈を催した。
故・中井英夫が終生、師と仰ぎ続けたという話にも頷ける。
以下、特に感銘を受けた作品について。
■「雲の小径」
飛行機での移動中、
奇妙に感傷的な気分に陥った男の心の揺らぎ、
その長くて短い旅。
泉鏡花と内田百閒を掛け合わせて
戦後風の味付けを施したかのような逸品。
■「湖畔」
不貞を働いた妻を手打ちにした華族の男が、
経緯を綴った手記を幼子に宛ててしたため、家を去る。
そこで明かされる真実とは。
リアリティの薄さなぞ、どうでもよくなる、
無茶苦茶だが愛おしい物語。
人は誰かを心底愛したら、
他の人間にはいかようにも冷酷になり、
それ以外の物事には徹底して無頓着になり得るのかもしれない。
■「虹の橋」
どこでどんな風に誕生したか、という、
本人には何の責任もないことから自由を制限されながら、
懸命に生きようとしたものの、
身に覚えのない罪を背負わされた女が、
たった一つのささやかな希望に縋る――。
胸が痛む悲惨な話で、読むのが辛かった……が、
きっといつか読み返す気がする。
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作者の持つ世界が、広がっているようにも、一定の規則の下に従ってとんとんと置かれているようにも感じられる。短篇選では多種多様な語りぶりに心服したものだけれど、こちらは、あくまで個人の感想であるが、宙空に置かれた作者の視座のようなものが見えてしまう気がする。まあ、作者は表現に表現を重ね、読者を煙に巻くのが得意だったということなので、おそらくはこれも一種の錯覚のようなものなのだろう。数年後読み返して評価を一変させることになるのを期待するとともに、購入は無理でも、どうにかして全集を拝みたいような気持ちがある。
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日影丈吉とともに引っかかった作家。
凄い好き。
冒頭から、どんなふうに展開して落ちが付くのだろうと様々な想像を膨らませて読むのだが、そうくるか、と仰天するばかり。
『墓地展望亭』は、ものすごいファンタジーめいたラブ・ストーリーで、読み始めると止まらない面白さがある。
『ハムレット』に出てくる女性たちの邪悪さといったらない。
美しさは、邪悪さと共存するんじゃないかと言えるほどにあつかましく、恐ろしい。
とにかくどの話も最後まで飽きずに読み通せる。
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どれも面白い小説である。久生十蘭の作品は余韻にひたっていたいものだなと思う。「虹の橋」なんてドラマで翻案しているのかもしれないと思う。
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図書館で。
面白くない訳じゃないんだけれどもなんか尻切れトンボという印象の作品が結構あったかも。もっとこう、盛り上がるオチとかを期待してしまった。
骨仏
短編。でもこれが一番作品としての完成度が高く感じた。短いけれども台詞や描写で登場人物の因果関係がはっきりそうとしれる感じが良いな、と。
生霊
これは狐に騙されたんだろうか。お盆に生霊が帰ってくる。自分の記憶では無い記憶がよみがえる。よく考えるとちょっと怖いけれどもなんか明るい感じのお話。
雲の小径
夢のような、でも本当のような。雲の小径から落ちたら彼は助からなかったのかな。
墓地展望亭
ゼンダ城の虜とか巌窟王みたいな中世感あふれる舞台背景。でも王女様との恋のロマンスがえらいお手軽な感じ。男性なら一夜の恋もアリかもだけど未婚の女性(しかも高貴な身の上)がソレっていいのかしらん。どちらかと言うと逃げ出す方が盛り上がりそうなんだけど男性側だけ盛り上がって再開後はお手盛りチャンチャンってのもな~ なんか勿体ない感じ。
湖畔
なんかしみじみ怖い。こういう男がモラハラって言うのかなぁ?何が良くて奥さんこんなのと結婚したんだろ、というレベルの身勝手で精神的に幼稚で見栄張りな中々にサイテー男。まあ、本人たちが幸せなら良いんだろうけどこんな女居ないだろうな、ウン。
ハムレット
狂気なのか正気なのか。墓から起こされたハムレットが幸福かどうかは確かに疑問。これもろくでもない女性ばかりだな。
虹の橋
名前を取り違えられてしまう女性のお話だったハズ。う~ん、彼女が何をしたわけでもないのに中々ツライ話。これでいいのかな、となんとなく歯がゆいラスト。
妖婦アリス芸談
なんかこういう人居るよなぁ。どこそこの何さん?知ってるよ、俺があった時にはまだヒヨっ子で箸にも棒にも掛からなかった、とかプープー言う人。そんな感じ。それにしてもこの作者は無実の女性が刑務所に入るってシチュエーションに何か思い入れでもあったのだろうか?
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1937(昭和12)年-1956(昭和31)年に発表された作品を収めた短編小説集。
初めて読む久生十蘭作品で、私はこの作家を探偵小説の作者と思い込んでいてのだが、本書を読み始めてびっくりした。最初の3つの短編「骨仏」(1948)「生霊」(1941)「雲の小径」(1956)は、驚くべき純粋芸術としての結晶だったのだ。この作家、かなり推敲を重ね改稿するらしく、ごく短い簡潔な言葉の中に、実に芳醇な意味とニュアンスが込められており、その簡素な豊かさはたとえばシャルル・ケクランの音楽を思わせる。こんな見事な芸術小説を書く人だったのか!と愕然とした。なんだこの作家は!?
が、久生十蘭の作風は全ジャンルを横断するような多岐にわたるものらしく、明らかに娯楽小説と思われるような作品も入っている。相変わらず推敲しまくっているのかもしれないが、文体が芸術の域にまで達しているとは思えないものもある。芸術性の高いものと比べると、アイディアとストーリーの作品はやや美しさに欠け、玉石混淆の短編集のように感じた。
本巻の中でエンタメ系に属するものにおいては、「ハムレット」(1946)が優れている。あるいはミステリに属する作品で、文体はそんなに素晴らしくはないが、構成等よく出来ていて、この時代にしてはずいぶんと秀でた小説と思った。
作風が雑多にも感じられるが力量は傑出している。多彩すぎて正体が掴めない感じが、この作家を文学史上、一部の熱狂的な愛好者を除いてさほど重要な作家と目されなかった原因かもしれない。
この得体の知れない作家の作品を、これからいろいろ読んでみようと思う。
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「骨仏」
ぞぞ~ という気配。
太平洋戦争中、陶芸家は機銃掃射された細君を自分の窯で焼いた。大勢がやられたので火葬の順番が回ってこなかったからだ。陶芸家は磁器で白色を出したい。その白は人間の骨を混ぜるのがいいという。その彼がこの疎開先で寝たきりの俺を見舞いにきている。俺は先手を打って言ってやった・・
「虹の橋」
なんだか悲しい話。
刑務所内で生まれた子は、何割かが母の苦役の場所である刑務所に戻ってくる伝説があり旧刑法時代には「実家帰り」と言われていた。真山あさひも25年前、栃木刑務所で生まれ、母はあさひを産むとすぐ死んだが、昭和28年7月の今、その栃木刑務所で女児を分娩した・・ あさひ自身は犯罪など犯さなかったのだが、その訳は・・
映画にしてもいいかも。
「骨仏」:「小説と讀物」1948(昭和23)年2月号
「虹の橋」:「オール読物」1956(昭和31)年8月号
2016.1.15第1刷 図書館
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久生十蘭の短篇を沢山収録した本。
どの作品にもなんとなく、生と死、虚実、といったニュアンスか漂っていて面白い。
作者の久生十蘭は、なんと文学座に所属していた事もあるようで、舞台の演出などもやっていたそう。
独白体の妙にリアルな台詞の書き方はそのせいなのかもしれない。
著作権が切れている作家ながら、今読んでも新鮮味を感じる文章で面白い。
この本のタイトルにもなっている『墓地展望亭』は、映画やドラマで観たいような、展開に富んだラブストーリーだった。
引き続き色々と読んでみたい作家。