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テーア、チャヤーノフ、横井時敬、橋本傳左衛門、クルチモウスキー、杉野忠夫、小野武夫、川島武宜、吉岡金市、本書で取り上げられた主な人物である。かろうじて知っているのは、著作を読んだこともある川島武宜一人である。
本書冒頭、近未来の「農」が、必須栄養素の簡易摂取化、植物工場による栽培といった工学技術により根本的に変貌する可能性を指摘しつつ、著者は、“農学栄えて農業亡ぶ"を原理的に考察しようとする。農学とは、農業発展のために進展すればするほど農業を滅却させていくという逆説的な宿命を帯びているのではないか。
本書では、次の問いが示される。
1 「近代化の前進」と「農の原理の探究」というパラドックスのはざまでどのような思想が紡がれ、どのような実践がなされたのか。
2 これらの特質から見える資本主義の特質は何か。
3 1、2を踏まえて、それでも残りうる農の原理があるとすれば、それはどのようなものか。
こうした問題関心のもと、ロシアの小農論者チャヤーノフ、日本「農学の祖」横井、満洲移民の理論的指導者橋本、満洲移民運動を実務的に支えた杉野、日本農業の機械化にかけた横井等研究者の事績が、功罪共に論じられていく。
日本の農学の歴史的実践が、ナチズムやスターリン治世下の集団化に、こんなにも影響されていることに驚いたし、満州が壮大な実験場であったことを改めて実感した。
戦前の行為を無自覚・無反省のまま戦後の活動につなげていく研究者たちに対する著者の筆は厳しいが、これも決して高みからの、事後的な立場からの批判ではなく、農学と実践をどのように結び付けていくべきなのか真剣に考えている著者だからこそと思われる。
資本主義の関連については、利潤最大化のためのコスト削減という経営論理が、小規模農業を駆逐していくこと、家族経営という経済外的要素が多く入り込んでくる経営を、農業労働者と大土地所有経営者の二極分解するものであったことがあげられる。
それへの対処的反応が「農本主義」なのだということが、本書を読んで良く分かった。
個人的には、農学とは別の観点から考察される「第5章 「血と土」の法学」が興味深かった。一農家当たりの適正規模を定め、自作農を創設し、経営を安定させ、国家にとっても食糧基盤を確保するという道を、ナチス・ドイツと日本はとろうとした。つまり、所有権原理を制限するというもので、具体的には、ナチスの世襲農場法、満洲国の開拓農場法として法制化された。
負の遺産として、今日顧みられることはほとんどないので全く知らなかったが、少し勉強してみたくなった。
これからの食と農を考える上で直接参考になるものではないかもしれないが、農学とは何だったのか、農業とどう関係を切り結ぶべきなのか、そうしたことに関心を持つ人にとっては、豊かな鉱脈に満ち満ちた書物だと思う。