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「長くつしたのピッピ」で知られる児童文学作家、リンドグレーンの第二次大戦中の日記。
リンドグレーンの住むスウェーデンはスイスと並ぶ永世中立国として有名。とはいえ、隣国のデンマークやフィンランド・ノルウェーは、ナチス・ドイツとロシア(ソ連軍)の進行におびえ、故郷を追われる人もたくさんいたようだ。そして、いやでも聞こえてくるユダヤ人迫害。
遠い北欧の地で、リンドグレーンは世界を心配し嘆いていた。新聞とラジオくらいしか情報を得られない時代に、ヨーロッパだけでなくアフリカやアジアの情勢を嘆き、ヒトラーの敗北を願っている。日本の参戦や、ヨーロッパ戦の連合軍勝利以降の日本の敗戦・第二次世界大戦の終了をきちんと認識し、世界平和を願っている。
あの「長くつしたのピッピ」ほ、この時期に娘のカーリンにプレゼントしたものだそうだ。
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『何より恐ろしいことに、いまやもう、みんなドイツの敗北を願っていないのだ。理由は、いよいよロシアが再び動き始めたからだ』―『六月一八日(1940年)』
自身の性格として物事に白黒つけたがると自覚しているが故に、なるべく自分自身の判断ではなく他人の主張を総合して結論付けるように心がけている。それは様々な人々が出入りしながら一つの目的を達成するという仕事のやり方、環境の下で働いてきたことによる癖でもあると思う。その癖を多様性という言葉に託して必要以上に肯定的に捉える傾向も、ついでに言えば、ある。しかし多様性の重要性が声高に叫ばれるようなご時世とはいえ、多様性を功利に結び付ける話ばかりが目立つ現実を考えると、逆に余り多様性だのダイバーシティだのと言いたくはない。本当の意味で多様性の意義が問われる話には滅多に出会わないし、単にビジネスモデルが、強いリーダーシップという考え方から、イノベーションにシフトし、その流れで既成概念に囚われないことの効用が取り上げられているだけに過ぎないようにも思える。ついでのついでに言えば、強いリーダーシップというのも全体主義の影がちらつくので好きではないけれど。
ホームズが読書の世界への入り口だった者にとって、長靴下のピッピの著者というよりは、名探偵カッレくんの著者と言われた方がピンとくるリンドグレーンの日記。これは作家が作家となっていく時期に書かれていた日記としても興味深いのだろうけれど、第二次大戦が始まった日から終わるまでの六年間に当事国としては戦争に関与しなかったスウェーデンの一人の主婦によって綴られた日記という側面から読み取ることの多い日記であると思う。もちろんこの一主婦は非凡な才能を持ち、戦時下における政府の特殊な任務を熟すような主婦ではあるけれど、多くの隣国との関係性を基盤としたモノの捉え方が、政治家でもジャーナリストでもない主婦によって綴られている事実に接する時、本当の意味での多様性という考え方に触れたような思いがする。
その端的な例が、ロシアの脅威に対する過剰な警戒心と、それに対抗する為になら忌むべきヒトラー率いるドイツ軍への協力も容認するようにも読める発言。もちろん戦争初期のこの発言は後々明らかとなるナチズムの非道さによって徐々に変わっては行くものの、北欧人として心情的には親独(少なくとも一人ひとりのドイツ人に対しては)であり続け、その挾間で思い悩む。そこに北欧の地政学的地位の複雑さが市井の人々にも浸透している様子がうかがい知れ、ヨーロッパ的な多面性を見る思いがする。第二次大戦といえばヨーロッパの全ての国が取ったり取られたりの白黒模様の世界地図を思い浮かべがちな自身の不勉強を棚に上げて言うのだが、翻って我々の隣国、他国への感情は、余りにも単純化され過ぎてはいないかと反省するより他ない。
少し前に内田樹が尖閣諸島問題について書いていたことだけれど、今すぐ解決出来ない事を焦って解決しようとしてはならない、現状を維持する事も解決策の一つである、という言葉に思わず肯首してのを思い出す。それはどちらかと言えば東洋的知であると思うが、どこかで西洋的知にも繋がるよ��に思う。平面上を複雑に埋め尽くす図柄に正解はないとも言え、歴史上のある断面で正解を定義することは無意味であるだろう。やはり一番良くないのは近視眼的で単視眼的になることなんだろうね。
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本書は『長くつ下のピッピ』の作者であるリンドグレーンがデビュー以前、第二次世界大戦が勃発した日から書き始めた「戦争日記」です。彼女は、6年間で17冊の日記を書き記しました。日記には、新聞や雑誌の切り抜きが貼られ、戦争中立国のスウェーデン在住女性が感じた戦争と、家族の日常の様子が綴られています。また、彼女は政府管轄の戦時手紙検閲局で働いていたこともあり、日記からヨーロッパにおける第二次世界大戦の推移と全体像を知ることができます。
リンドグレーンは、戦争時に引き起こされた残虐な行為が、ヒトラーやムッソリーニなど一部の独裁者によって成し得るのかと疑問を持っています。独裁を許した個々の人間、みんなの責任ではないかと彼女は気づいた、と訳者はあとがきにて記しています。
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自国は戦争に参加していないにも関わらず、近隣諸国に胸を痛めるリンドグレーン。
国々の連盟はオセロのように次々に裏返り、戦時中に信用できるものなんて何もないんだなと痛感した。
今のアメリカと日本の関係なんて簡単に覆る。安倍はそのときにどうするつもりなんだろう。
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あれっと思ったけど、あのリンドグレーンだった。“ピッピ”や“カッレくん”を書く前の家庭の主婦だった頃の第二次大戦記録。手紙の検閲という臨時業務で得られる情報の他は、新聞とラジオだけで戦争全体を客観的に論評できるリンドグレーンの慧眼はすばらしい。中立国としてのスウェーデンのしたたかさと、冷酷にも感じる立ち回り方を客観的に捉えながらも、戦火に巻き込まれる他の北欧国、特に独ソ及び連合国に蹂躙されたフィンランドに対する深い同情と戦争に対する憎しみが切実に記録されている。
人はだれもが、酢漬けニシンのサラダやバターがたっぷり乗ったパン、記念日のお菓子、家族で映画やサイクリングに行くことで十分な幸せを得ることができる。その幸せは、他人から略奪したり殺しあったりしなくても世界中でわけあう余裕がこの地上にある。先の大戦でなぜそれができなかったのかを再度真剣に考えるべきだろう。
ナチスは合法的に権力を掴んでいる。選出したドイツ国民に罪はなかったのだろうか?国民として、限られた情報であっても国民として何をなすべきかの的確な判断はできるはずである。リンドグレーンはそれができている。どうすれば戦争が起きなかったのか、何をなすべきであったか過ちを繰り返さない為にも現代の日本国民こそ常に考えていかなければならない。
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貴重な太平洋戦争の資料が書き記されているスウェーデンのベストセラー作家が遺した戦争日記
ナチスドイツとその周辺国の関係性が驚くほど良く解る
衝撃を受けたのは、
著者の国スウェーデンの立ち位置である
表面的には中立国を形作っていたのだけれど
100%中立ではなかったということである
では、どちらに傾いていたのでしょうか?
この日記をぜひ読んで
中立とは何なのか考えておいてほしい
高福祉国家へと向かう国の一つの側面を
感じておくことが重要だと思っている
善と悪、その判断の境界線を引くのは
かなり難しいということである
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「児童文学」と「戦争」つながり。
内容:作家デビュー以前のリンドグレーンが書いた6年に及ぶ「戦争日記」。戦争中立国スウェーデンに暮らす30代の2児の母親が見つめ続けたリアルタイムの第二次世界大戦と、家族の日常が綴られている。