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【感想】
経済って、よくわからない。私は経済学部に入ったけれどもよくわからないまま卒業した。
それは、経済というものが結局、実態のない物質である「お金」によってコントロールされているからだろう。お金は人のはたらきに数字という形でラベルを貼ったものにすぎない。それがいつの間にか「お金こそが絶対」という思い込みが広がって、お金を中心に経済を捉えてしまい、どんどん分からなくなっていってしまった。
では、もっとわかりやすくできないのか。仮想物質ではなく、実体の伴う「モノ」として経済を再定義しなおせば、よりクリアに社会の流れが見えてくるのではないか。
そうした考えから生み出されたのが本書だ。筆者の田内氏が「純粋に経済を突き詰めて考えたときに見えてきたのは、お金ではなく『人』だった」と述べているとおり、本書のテーマは「人」、つまり経済を担うのは金ではなく人のはたらき(労働)である、という理論だ。
「労働が経済の中心」というのは、直感的に理解できると思う。
穀物、家畜、鉱物といった原材料から、サービスといった無形物まで、全てのものは労働によって生産加工されている。しかし、生産物をいちいち物々交換していたのでは非効率だし、もたらす効用は物によってまちまちだ。そこで、「金」が導入された。結局モノが先立って存在していなければ、金そのものが生まれないことは一目瞭然だろう。
では、金に意味はないのかといえば、決してそんなことはない。金は「行動」と「分配」を促し、社会を発展させるための大切なツールであるからだ。
例えば、両親とその子どもで暮らす6人家族がいたとする。この家はいわば6人だけの国だ。子どもたちはスマホばかりいじって家事を手伝おうとせず、家は散らかり放題だ。
そこで両親は、家庭内で流通させる紙幣を作って税金を徴収することにした。中央銀行の役割を担うお父さんは、「1マルク」とだけ紙に書いて自分の印鑑を押した紙幣を100枚用意した。政府であるお母さんは「100マルク借ります。1年後に返します」とだけ書いた使用書をお父さんに渡して、お父さんから1マルク紙幣を100枚受け取る。使用書は、まさに国債(政府の借金の借用書)だ。
お母さんは子どもたちにこう言った。「家事を手伝ってくれた人、例えば食器洗い担当者には毎日5マルク、洗濯は1回につき10マルク支払います」「そして今日から税金を払ってもらいます。税額は一人につき毎日5マルク。税金を払わないとスマートフォンを取り上げます」。スマートフォンが生活必需品の四兄弟にしてみれば、強制力のある徴税だ。この瞬間、4人の手元にあるただの紙切れが価値を持った。紙幣が誕生した瞬間だ。
ここで注目してもらいたいのは、紙幣の導入だけで家族全体の効用が増えたわけではないということだ。子どもたちの視点ではマルクは価値ある存在になったが、一家全体の視点では、紙幣だけで生活が豊かになったわけではない。お父さんが勝手に100マルクを作り、それを家庭内に循環させているだけだ。しかし、金という存在は子供たちの自��的な行動を促した。また、自分の紙幣を兄弟間でやりとりすることで、各々自分が得意なお手伝いに時間を割くようになった。これにより、みんなのためにみんなが働く社会が作り出され、家はグッと住みよい場所になったと言えるだろう。
以上のように、お金自体は決して価値を生むものではない。その裏にいる「人」が動くことによって、初めて価値が生まれるのだ。
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以上は一例だが、このようにお金の向こう側にいる「人」に注目して「経済学をとらえなおそう」というのが本書のやりかただ。経済用語や数式を一切使わないよう組み立てられているため、とってもわかりやすいし、経済を身近に感じさせてくれる、非常にいい本だと思う。
ひとつ注意点としては、鵜呑みにしすぎると少々誤解を招く表現がある。
例えば、国の借金について。本書では一国の借金が増えるという現象は、単に金が移動しただけのことだと述べている。
上記の6人家族を例にとると、紙幣が家庭内だけで流通している限りでは、借金は存在しない。お父さん手作りの紙幣=お母さんの借金=子どもたちの預金であり、100マルクをどの視点で見ているかにすぎないからだ。当然、お父さんがお金をもっと刷っても変わらない。しかし、ここに隣の家の人がやってきて、「うちが作ったテレビを50マルクで買ってほしい」という話が出てくると、とたんに事情が変わる。お隣さんとの間で、労働のやりとりが発生するからだ。
借金が問題になるのは、他の国の財布が登場したときのみ、ということだ。
筆者は「日本政府の借金については、そのお金で働いてくれた人が国の中の人である限り、働いて返さなくてもいい。国の中にある財布から財布へ移動しているだけだからだ」と論じている。これは確かに「理論的には」正しいのだが、現実問題として、借金を返せという要請を無視し続けるのは――預金を引き出したいという顧客の要望を無視し続けるのが無理なように――物理的に不可能だ。借金を返すのが無理でも、「借金を返すというアクション」は必ず行わなければならない(でないと国の信用問題に関わる)。税金の徴収がそのアクションの一例だが、すると、金が本当に持っている性質のうちの一つである「分配」に、借金が影響を及ぼしてくる。税金の徴収額が増えると、本当に金を必要としている人たちの間で歪みが出るからだ。
「お金の向こうに人がいる」のであれば、本来、人が生み出した労働と等価の金が出回っていないとおかしいはずだ。6人家族で言えば、4人で100マルクしか生み出せないのに、家庭内に100万マルクが出回っていれば、混乱を生み出す。しかし、人が創造する価値を何千倍も増幅して社会を加速させるのが、お金の力だ。借金というのは人(労働)を無視して金だけで金を回す行為なので、当然、実体経済と仮想経済がどんどん乖離していく。銀行の取り付け騒ぎのように、実体が返済を迫るタイミングが来れば当然吹き飛ぶことになる。「お金の向こうに人がいる」からこそ、借金を膨らませすぎてはいけないのではないか、と私は思う。
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���まとめ】
0 経済の羅針盤
・誰かが働いて、モノが作られる
・モノの効用が、誰かを幸せにする
(誰が働いて、誰が幸せになるのかを考えることが重要)
・お金の価値は、将来、誰かに働いてもらえること
・お金は増減せずに、移動する
1 お金の向こうには「ヒト」がいる
お金は2つの力を持っている。
・お金の交渉力
→絶対的な権力がなくても、相手が提示した金額さえ払えば他の人に働いてもらうことができる。
・お金の伝達力
→モノを作る際、どんなに複雑なものでも、お金を流せば、自然に労働が集積され作り上げられる。
家の外では、見知らぬ人に働いてもらわないといけない。だからお金を使う。
お金を使うとき、あなたは誰かの労働を購入していることになる。穀物だろうが家畜だろうか鉱物だろうが、全てのものは労働によって生産加工されている。お金の向こうには必ず「ヒト」がいるのだ。
技術革新などの生産の効率化によって僕たちが受けている恩恵は、材料費や原価が安くなることではなく、「労働が節約できること」だ。少人数で多くのものを生産できれば、多くの人に行き渡らせることができる。節約できた労働を、他のモノの生産に使うことが可能になる。200年前まで米を生産することで精一杯だった僕たちが、今ではさまざまなものを生産して利用しているのは、効率化のおかげだ。そして、「労働がもったいない」と思わないと、自分たちを苦しめることになる。僕たちは自分の労働を提供してお金をもらい、そのお金を使って誰かの労働を消費しているからだ。
2 価格は価値ではない
モノに対して僕たちが感じる価値のうちの一つは、「効用」と呼ばれる「使うときの価値」だ。効用は人によって違い、自分がどれだけ満足したかで、価値が決まる。
もう一つのモノの価値は、「モノを売るときの価値」。つまり「価格」だ。
生活を豊かにするのは効用のはずだが、効用を測定することはできないから、価格というモノサシでとりあえず代用しているのだ。しかし、この客観的で便利なモノサシに慣れると、自分が感じる効用を見失ってしまう。1万円の価格のモノには、1万円に相当する効用があるような気がしてくる。ここから、生産者と消費者のクビの締め合いが始まる。
消費者である僕たちが「定価が価値だ」と信じていると、生産者である僕たちがどんなに効用の高いモノを作っても「お買い得」だと思ってもらえない。一人ひとりの消費者が、価格のモノサシを捨てて、自分にとっての効用を増やそうとしないと、生産者も消費者も幸せになれないのだ。
3 社会の財布の中身は一定である
社会の中にあるお金は増えることはない。「預金」は、僕たちのお金を預かっているのと同時に銀行が借りている「借金」でもあり、銀行が誰かにお金を貸している「貸付金」としても使われている。預金通帳の数字によってお金が増えているように見えるが、お金が別の場所に移動しているだけだ。
では、日本の預金残高が増えているのはなぜか?それは、銀行が誰かにお金を貸し付けて借金を創造しているからだ。預金=借金であり、預金が増えているのは単に貸し借りを大きく膨らませているだけなのだ。
4 割に合わない労働
労働がモノに変換されることに注目すると、何が見えてくるか?
それは「注がれた労働に対して生み出された効用が割に合っているか?」ということだ。膨大な労働の負担に比べて、効用が小さければ、社会の負担が大きすぎることになる。これが自然に発生した生産活動であれば、いちいち負担と効用を比較しなくても問題ない。労働の負担よりも効用のほうが必然的に大きくなるからだ。ところが、新紙幣の発行のように、政府の政策などによって半ば強制された生産活動ならば、「労働の負担>効用」になってしまうことも十分あり得る。
大事なのは、「どれだけの労働が、どれだけの幸せをもたらすか」を考えることだ。「GDPを増やす」「雇用を創出する」という目的のために経済効果に目がくらむと、割りの合わない労働を生み出してしまう。経済効果は、お金の移動量を表す数字でしかない。だから、「経済効果」という言葉を聞いたときは、まず「効用のよくわからない生産活動なのではないか?」と疑ったほうがいい。
お金の増加が僕たちに効用を及ぼすとは限らないのであれば、生活を真に豊かにしているものはなにか?それは「効率」と「蓄積」だ。生産技術の向上によって、安くても効用の高いものを買えるようになる。高速道路や新幹線の建設といった過去の労働の蓄積が、現在に効用をもたらす。
5 社会全体の問題はお金で解決できない
社会が抱える問題の中で、お金で解決できるのは、それが「分配」の問題のときだけだ。貧困によって必要な物資が買えない人がいれば、生活保護という名前のお金を配ればいい。そのお金を使えば、モノの分配が変わる。社会の一部で労働やモノが足りないときは、お金によってその分配を変えて、解決を図ることができる。
しかし、社会全体で労働やモノが不足しているときは、お金ではどうすることもできない。年金問題や政府の借金の問題などは、社会全体の問題だ。分配で解決する問題ではない。社会全体の問題はお金では解決できないのだ。
政府ができるのは「困る人を変えること」でしかないのだ。たとえば、現役世代に重い税負担を課して、高齢者に十分な年金を支払う。高齢者は生活できるが、現役世代が生活できなくなる。困る人が現役世代に変わるだけだ。国債の発行などで、現役世代も高齢者も十分なお金を手にすることができたらどうか。やはり、国全体のモノ不足は解消されない。お金が増えてもモノが生産されるわけではないからだ。物の価格が上がり、みんなに十分な物が行き渡らなくなり、全員が少しずつ我慢することになる。
6 借金は返さなくてもよいのか?
本当に、借金を押し付けられた将来世代は、それを働いて返さないといけないのだろうか。
まず、政府の予算を考えてみる。
政府の予算の配分とは、僕たちの労働の配分を表している。多くの予算がつけられることで、多くの労働が投入される。戦時下の国の政府が軍事関連の予算を大幅に増やすとき、生活が苦しくなるのは、軍事関係に多くの労働力を奪われるからだ。政府がお金を使うとき、そのお金を受け取って働く人が必ずいる。
僕たちの生���が豊かになるのは、彼らが働くことによって効用が生み出されるからだ。国債発行という打ち出の小槌を使って「楽」しているということはありえない。未来の人に働いてもらっているのではないにしても、政府の借金は積み上がっていて、いつかは返済を迫られる。
でも心配はいらない。将来の世代は、働かずに借金を返すことができる。
ポイントは、「誰が働いて、誰が幸せになるのか」だ。
国立競技場を作るとき、政府が借金をして使う1,500億円はただ移動するだけだ。工事に関係するあらゆる会社や働く人々が受け取っている。この国立競技場を作ったのは、お金ではなく工事に関わった人々の労働だ。そして国立競技場の価値は、1,500億円ではなく、国立競技場から得られる効用だ。
さて、将来の世界はどうなっているか。もちろん政府の1,500億円の借金は将来の国民に受け継がれる。それと同時に1,500億円の預金も受け継いでいる。工事関係者に配られた1,500億円のお金は、使われるたびに誰かの財布から誰かの財布へ移動はするが、消えはしない。財布の所有者が亡くなっても、誰かが相続している。政府の借金と同様、政府が使ったお金も未来の国民が受け継いでいる。国立競技場が建設されて20年経っても、まだまだ使うことができる。そこには効用が存在している。将来の国民は、働かずして競技場を利用できる。その効用の分だけ得をしている。
日本政府の借金については、そのお金で働いてくれた人が国の中の人である限り、働いて返さなくてもいい。国の中にある財布から財布へ移動しているだけだからだ。
世代が変わっても、政府、個人、企業の3つの財布に入っているお金の合計は変わらない。借金が増えていても同じ額の預金が増えている。だから、世代間の格差は存在していないのだ。
では、ギリシャや第一次世界大戦後のドイツのように、何故借金まみれで潰れる国が出てくるのか。
それは、国の外にもう一つの財布、つまり他の国の財布があるからだ。
自国と他国の財布の中身は、主に「貿易」によってやりとりされる。
貿易黒字とは外国のために働き、外国に効用を与える一方で、外貨という形で将来のために「労働の貸し」を作る行為だ。ここで、国立競技場の労働を全て他国に任せると、自国の通貨がどんどん外国に流れ出て、「労働の借り」が大量にできる。大量の自国通貨を外国に保有されると、いつかは外国のために働かないといけなくなり、「一国として」破綻する危険がある。(社会全体が破綻するわけではない)
財政的に破綻した国に共通するのは、他の国に働いてもらいすぎたことだ。国民が怠けていたわけではない。多くの場合、国内に抱えている政治的、軍事的な問題や、ギリシャのようにユーロ経済圏の構造的な問題などによって、国内の労働力を有効活用できないことに原因がある。
金は自国内を循環する限りは借金にならないが、自国から出るときに「労働の貸し」という形で借金になるのだ。
7 未来のためには、「金」ではなく「ヒト」を増やす必要がある
経済は社会全体の話だと思いながらも、実際には自分の財布の中だけを見てしまいがちになる。
空間的な分断の原因になっていたのは、「財布の中��お金が自分の生活を支えている」という誤解だった。現実は、財布の外の空間で人々が支え合って生きている。そして、時間的な分断、つまり世代間の分断を引き起こしている原因の1つが、日本政府の借金だろう。「現在の豊かな生活は、過去の人たちの蓄積のおかげだ」と言われても素直に喜べないのは、それと引き換えに大量の政府の借金が残っていると思うからだ。だけど、これも誤解だった。政府の借金は、個人や会社の預金の裏返しだからだ。日本はむしろ外貨を貯めて、外国に対しての「労働の貸し」を増やしてきたのだ。
あらためて、経済は何かを考えてみる。例えば日本の年金問題。年金のための社会保障費負担が年々増えているが、これも同様に借金が増えているわけではなく、お金が循環しているだけだ。
「お金を支払うこと」が社会に対しての負担になるのではなく、「支払うお金を稼ぐために働くこと」が、社会に対しての負担になるのだ。ところが、専門家たちは、経済の話はお金の話だと考える。先ほどの政府の借金の話でも、誰からお金を借りるかは気にしても、国の中の人が働くかどうかは気にしない。
ここでも、大切なのは働く人の存在だ。働く人が減れば、社会全体として効用が減り、一人ひとりの負担が高まっていく。将来の負担を増やさないためには、子どもを育てる負担を全世代で分担し、人口バランスを回復させる必要がある。
僕たちの生きている社会はさまざまな問題を抱えている。それがモノや労働などの分配が偏っている問題なら、お金を配ることで解決できるかもしれない。だけど、社会全体の問題は、お金では解決できない。お金で解決できる気がするのは「僕たち」の範囲が狭いからだ。「僕たち」の外側に問題のしわ寄せがいっている。「僕たち」の範囲が社会全体にまで広がると、お金は無力になる。お金の存在が消え、労働の存在が浮かび上がる。自然の中の資源を利用して、協力して働くことで問題を解決していることに気づく。
お金の向こうにある「人」の存在に気づくことで、僕たちの範囲は広がっていき、未来を作ることができるのだ。
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一般的にはお金を使うお客様が偉そうで、お金をもらう店員は感謝する。その構図が当たり前すぎて、大切なことを忘れていた気がする。
自分のために働いてもらう代わりとして、お金を支払う。感謝しなければいけないのは、どちらかといえば客の方だったのだと気付かせてもらった。
お金を使うと損をした気分がするけど、それは、自分だけの財布だけを考えたらの話。もっと広い世界を見れば、別の財布に移るだけなんだ。
投資はギャンブルやお金儲けと考えがちだけど、本来はそうではない。
確かにそうだ。自己投資といえば、自分をより良くするために一定の事柄にお金をかけること。
そう考えれば、株式投資だって、会社がより良くなるために、もっと大きくいえば、社会がより暮らしやすくなるために、株とお金を交換すること。
結局は、世の中をもっとよくするために、人々が助け合って補って生きていくために、お金あるんだイメージがついた。
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今日本人全員がこの本を読めば、日本の未来は変わるかもしれないと思うほど納得する部分が多かった。
確かにお金に囚われていることばかりだったので、今までの自分を見直す良いきっかけにもなったし、結婚などする気もなかったが、少しだけ考えを改めようと思った。
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考えるべきはお金そのものではなくて、「誰が働いて、誰が幸せになるのか」
経済や社会全体をこんな見方をしたことがありませんでした。
死ぬほどおもしろかったです。
あと内容にタイトルがドンピシャなところも好きです。
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元ゴールドマンサックスで金利トレーディングをしていたお金のプロ田内学氏によるお金の考え方について。
YouTube『トマホークTomahawk』を見て、その後もYouTubeの様々な番組でよく拝見していて気になったので読了。
世間の捉え方は、本当にこのままで良いのか?を問題提起しているといえる。
その切り口として、経済に関する謎として以下を挙げていた。
1.政府の借金の謎 日本政府は1000兆円の借金があるが破綻するか?
2.ざるそばの謎 お金がえらいか?働く人は偉くないのか?
お金と人の関係から見た経済の考え方、特にお金の本質の話になる。どちらかというと道徳・社会に近い経済の話。
お金と人から考える経済の根本の考え方が、かなりわかりやすく解説されている。
本書を読むと、お金・人・経済に関する考えの対象が変わり、感謝や物事の流れの考え方は変わるのは必至だ。
本書はその理解に当たりとにかくわかりやすい。中高生にも断然わかりやすく書かれている。経済や社会の勉強に組み込んで、まず経済とは?という学習として本書を使うのが良いのではないだろうか。
本の展開の仕方も面白い。まずQuestionを起き、そこから内容の深掘りをしていくので読みやすかった。
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本書ももっと若い時期に読めれば良かったと思う本のひとつ。お金についてかなり本質的なことを語っている。まだまだ理解には程遠いが、少し理屈がわかったようにも思う。
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専門的な用語は一切なく、とてもわかりやすかった。貿易赤字は労働を売っている、という考え方は学生時代に知っておきたかった。
モノの価値は値段で決まらない、という考えは日常でも大事にしていきたいと思う。
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お金の価値はなんだろうか?を教えてくれた本。
ついついお金持ちが偉いとかと言ったマインドになるがそうではない。
実はお金にむこうには必ず
「働いてくれいる人がいる」
私たちはこの働いてくれる人がいることを決して忘れてはいけない。
だからこそ、お金を使い時には
働いてくれている人への感謝
価値があるものに使う
そんなことを教えてくれた本。
※因みにお金を発行したところで、お金全体が増えているわけではにないらしいよ!
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とても面白かったです。
いろいろな投資をし、投資本も数多く読みましたが、お金のむこうに人がいることに気づいていませんでした。
気づかせてくれた著者に感謝します。
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シンプルで図解も多く、分かりやすかった。
タイトルにある通りのことを、イメージしやすいように、経済学に関心のない人でも理解できる道筋をゆっくり示してくれる本。
優しく、読みやすいです。
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お金、経済の動きの概念が変わった。
自分がいかに視野が狭く、理解したつもりになっていたと思い知らされた。
タイトルのお金の向こうに人がいるの通りで、人々の労働とそれにより生み出される効用がなにより重要なことがわかった。
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良書。
まさに、お金の向こうに人がいる、と言うことがわかった。シンプルに経済を説明してくれる。経済用語で煙に巻く人を信用しない。人が働く対価でお金が発生する。お金ではなく、人の労働が大事なんだとわかった。
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・問題を出されるとつい答えたくなってしまうのに、経済の問題となると不意に人任せになっている。
・経済にとって1番申告ば問題は経済に興味を持たないこと
・なんで貨幣を使うようになったのか?税金徴収の為
・お金の過去
(働いたらお金を貰う)
・お金の過去
(食料を買う))
・お金の未来
(レストランに行く?洋服を買う?)
今だけを考えて暮らす生活から未来を考えて暮らす生活になった。
・もし1時間後に死ぬことがわかっていたら、お金を貯めることはしない。自分の将来が消えるとお金の価値は消える。
お金を使うことで得られる将来の効用を想像して、お金に価値を考えている。
投資とは将来のために使う労力
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経済や社会について考えるとき、私たちはつい、お金に注目するけれど、
本質はそこにはなくて、「人」にある。
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誰のために働くのか、何のために働くのかを再考するきっかけになる。長い間、違和感を覚えていた世代間格差についての新たな視点も取得できる。
通読難度は低いため、定期的に読み返したい。
文章の視点や語り口がよいため、著者の続編が楽しみ。