投稿元:
レビューを見る
この本を読んで「やはり!」「なるほど~」と言ってしまう人がかなり居るだろう。流石な「いっぱしの女」なのである。
投稿元:
レビューを見る
文庫化された時に、初めて本書の存在を知り懐かしさのあまり手に取った。
多感な学生時代に、氷室冴子さんの本を読み漁った記憶が蘇る。マンガと児童文学しか読んだことのなかった当時の私には、氷室さんの作品は衝撃的な面白さだった。
エッセイを読みながら、彼女の作品に出てきたきっぷの良い女性キャラクターが思い出される。氷室さんだなぁ…。30年も前に彼女のように生きるのは、今よりずっと覚悟と勇気が必要だったのではないだろうか。
知識不足により、いくつかわからない話題があり、知らないとついて行けない感があったので★3つに。
投稿元:
レビューを見る
なんだか「女である」ということに疲れていた、そんな時に出会った一冊。
20代の頃は結婚しなきゃと焦りを感じていた。
そして結婚して5年経つ今、私は出産に対して焦りを感じている。
周りからの「子どもはまだ?」という言葉にひっそりと傷つき、プレッシャーを感じ、勝手に後ろめたさと劣等感を感じている。
子どもはほしい。でもその私自身の気持ちの他に、他者からの重圧から逃れたい、という気持ちがあることがはっきり否定できない。それが悲しい。
周りも私自身も、「この年頃の女はかくあるべき」という過去の価値観の呪いから脱し切れていないのだ。
こんなこともあった。
職場でわたしはある役員の書いた原稿の校正作業をした。特に命じられたわけではないが、私がやらなければ誰もやらず、そのまま世間に出版されてしまう。原稿を書いた役員の意図を損なわないよう、連絡を取りながら、通常業務の合間を縫ってやった。役員の方はその仕事を評価してとても感謝してくれた。
でもその後、私の直属の上司と私とで2人で話していた時に言われたことが忘れられない。
「あの人は女性に優しいからな。女性は得だね」
あの言葉にどんな意味が込められていたのかはわからない。もしかしたら嫉妬があったのかもしれない(ちなみにその役員の方は性別の差で態度を変えるよな人ではなかった)。
あの上司の言葉は、私のした仕事や私個人の存在を否定し、この本の言葉を借りるなら、逃れようのない私の〝女(性別)〟の部分だけを切り取って、かつ女性というものを見下したニュアンスを含ませて放たれた言葉だった。
奇しくも、そんな33歳(このエッセイを書いていた氷室さんと同じ歳)の今、エッセイを読み、私は幾分か救われた想いがした。著者は私が普段違和感を感じる〝女〟を取り巻く状況を冷静に言語化し、不条理なものを断じてくれていたから。
この本がリアルタイムで出版されてから数十年が経ち、女性(に限らず性別に関する意識や固定概念)を取り巻く環境は少しずつ変わっていると思う。
(特に若い世代は。上の世代はまだまだ変わっていない部分がたくさんあると思う。)
女性(に限らずすべての人)が、押し付けられるジェンダー観に傷ついたり違和感を感じることなく、〝いっぱしの女〟と意気込まず〝いっぱしの大人〟と言えるような、そんな世の中になってほしいし、私自身も変えていきたいな。
投稿元:
レビューを見る
読了。氷室さんの文章を数十年ぶりに読んだけど、心にズーン!とくる感覚は変わらず。この本を書いた氷室さんが今の私と同年代ということもあるのかも。これはまた読み返す。「やっぱり」って私も書きがちなんだけど氷室さんも同じと書かれていて嬉しかった笑 また著作も読み返したい
投稿元:
レビューを見る
202109/新版で再読。1992年の刊行、なのに今もこの時とあまり変わっていないことにショックを感じつつ。まだまだ氷室冴子たくさん読んでいたかったなあ…。
投稿元:
レビューを見る
私にとって氷室冴子さんといえば、『海がきこえる』。2冊を一晩で一気に読んだことを思い出す。あぁ、そうか。あの瑞々しい描写の背後には、こんな淋しさや、怒りや、そしてそれでも手放さなかったユーモアがあったのだな。
投稿元:
レビューを見る
さようならアルルカン、白い少女たち、クララ白書、アグネス白書、シンデレラ迷宮、シンデレラミステリー、恋する女たち、雑居時代、少女小説家は死なない!、ざ・ちぇんじ、なんて素敵にジャパネスク、なぎさボーイ、多恵子ガール……
ちょいとマセた小学生が児童文学に飽き足らず、大人の階段のぼる読書にハマるにうってつけのコバルト文庫。
そういえば、シンデレラ迷宮のあとがきに登場人物ジェーンの由来があって『ジェーン・エア』を手に取ったのだった。11歳だった。
復刊エッセイ。
いっぱしの女として。独立して生きていく上で、断絶する社会と、友人たちとの違和感。少女小説家は世間とどう抗っていたのか。その怒りと行動に、思わず(わかる……)と苦笑していると、ピシャリと叩かれる。
「私たちはふだん、友人だから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で、相手の何かをわかった気になっているけれど、それ自体は、なんの根拠にもならない」
投稿元:
レビューを見る
30年前の作品とは思えないほど現代に通じるフェミニズム&シスターフッド。そのような言葉はまだないのでレズと表現されているのに時代を感じる…
ただ、「男は奢って当たり前」という価値観はこの頃には最新だったというのが驚きなんだけど、本当か?!
30歳過ぎて(私はまだ過ぎてないけれど)女友達が昔とちょっと変わってしまった淋しさ、男は男でオトナぶっていて、それを冷ややかに見たい一方で自分だけオトナになれていないようなやはり淋しさ、でも自分はプライド持って生きてるしどこかに仲間だっているんだから、という意地に大いに共感、元気が出た。
なんなら最後の対談の貧乏暮らしエピソードにもめちゃくちゃ元気もらった。マジ生きるぞと思った
投稿元:
レビューを見る
好意を持つ男性とドライブ中、
暖炉の火を消し忘れたかもしれない
と帰宅を告げると、
うまい断り文句だねと言われ、
それっきりになってしまった。
かつて読んだ覚えがあったエピソードだけど、
どうやらこの本じゃなかった。
違うエッセイ本だったのかもしれない。
まだおぼこかった僕は、
大人の女性だなと感じた記憶がある。
氷室冴子さんは幾つになっても
仰ぎ見る存在だった。
いつだって先を走る人生の先輩だった。
リアルタイムで読んでいた頃、
彼女は10歳以上年上だった。
今、この本を書いていた頃の彼女より、
僕は10歳以上年上となった。
高校球児が見せる心の揺らぎに、
彼らがはるか年下の10代の若者ということを
改めて思い知るような、
不思議な感覚がこの本にもある。
彼女は世の中とその身一つで戦う。
女性であるだけで経験する違和感と
必死に折り合いをつけようとする。
その勇敢な姿は微笑ましくも感じられる。
応援したいと感じさせられる。
その時、僕の立ち位置は明らかに年上のものだ。
氷室さんには、もっとずっと
僕らの先を歩いていて欲しかったと改めて思う。
投稿元:
レビューを見る
セクハラもマンスプレイニングもトーンポリシングも、ぴたりと当てはまる単語が生まれる前からずっとあった。
それを既存の言葉でするすると言語化し、怒ってみせる著者。
キレっぷりがかっこよくて憧れる。
とくに好きな章は、
「詠嘆なんか大嫌い」「とてもすばらしかった旅行について」「一番とおい他人について」「それは決して『ミザリー』ではない」
連帯しながらもそれぞれに孤独を抱えている女性たちの描かれ方、尊重のされ方が印象的だった。
投稿元:
レビューを見る
2022年1月
氷室冴子さんの本は『なんで素敵にジャパネスク』といろいろエッセイとを小学生の時に読んでいて、この本もおそらく12歳の時に読んでいた。
約30年後のいま読み直すと新鮮…というか昔読んだ時が本当に子どもの頃だったので、ぜんぜんわかっていなかったところも。いま読むと、わかる!なるほど!ということ多数。(やっぱり使ってしまう、わかる、なるほど)
でも子どもながらにこれを読んで共感し影響を受けたことがたくさんあることに今回読んだことによって気づいた。
あとがきで町田その子さんも12歳で読んだと書いていらっしゃって、この本は思春期の女の子にとてもとてもオススメの本なのではないかと思った。
投稿元:
レビューを見る
1992年に単行本として出版されたエッセイ集の新版。
女性に対する世の中の見方も良い方に変わってきたといえば、そうではあるが根底にあるものは変わってはいないのではないかと、この本を読むと感じる。
エッセイといっても年月が経つと、時流にあわず、古さを感じてしまうものもある。しかしこの作品は、30年も前に書かれたものなのかと驚かされる。
30年を経ても、古さを感じさせない、普遍性のある作品である。
投稿元:
レビューを見る
30年前に、30半ばで書かれたエッセイ集
友人関係に思うこと、自分の生き方に思うこと、親との関係に思うこと、核になる氷室さんの考え方は色褪せず共感するところも多い
女だから、もう30過ぎなんだから、と好き勝手言われてる様も赤裸々に描かれる
疑問に思い、反発し、書き記し、小説に昇華し、、、先人たちの生き方が反映されて、まだましな今があるのかな
昭和32年生まれとのことで、両親と同世代
両親の刷り込まれた価値観の片鱗に触れられたようにも思う
投稿元:
レビューを見る
2022.07
"いっぱしの女"?と思って
なんとなく本屋で開いて面白そうだったので
会計へ向かうと本屋の店主さんに
「それ、面白かったですよ」と言われた本。
ベルサイユのバラ、関白宣言、ノルウェイの森など
出てくるワードに時代を感じつつ
でも書かれるエピソード自体には
時代を感じないというか"わかる"だった
そしてその"わかる"のエピソードにちくっとして
それすらもまた"わかる"なのだ…なった
(自分でも何言ってるんだろうと思うけど本当にそう)
何度も読み返したくなる気がするし
このところ分厚い本ばかり読んでいたので
この軽さが心も軽くしてくれる気がして
とてもよかった。
***
P46 女性はどうして簡単に、この小説がわかる、というるのだろう。"わかる"という言葉を、かるがるしく使うのがどんなに傲慢なことか、わかってない。かりにも文学を研究するのなら、"わかる"という共感を落としどころにしてはいけない。せめて、私はほんとうに"わかっている"のか、私がわかる(共感する)のはなぜなのか、と自分自身への問いかけを含んでいてほしい。わかる、だけで書いたものは論文とはいわない。それは夜中に書いた片思いのラブレターみたいなものだ、と。
P49 ただ、もうこれ以上、彼女のいう"あなたは〇〇なタイプだから""あなたのことはわかってるわ"ふうな押しつけがましい物言いを聞くのは絶えられない気がしたのだ。
P50 私たちはふだん、友だちだから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で相手のなにかをわかった気になっているけど、それ自体はなんの根拠にもならないのだということ。いつも、自分はほんとうにわかっているのかを自問した方がいいこと。共感によりかかった態度は、決して誠実とはいえないこと。
投稿元:
レビューを見る
30年前に刊行された本とは思えない。
いつの時代も同じように生きづらい。
氷室さんのカラッとした語り口が痛快でクセになる1冊。