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全国の美術館巡りが趣味の自分にとって、思い立ったときに出掛けられない「コロナ禍」は息苦しく寂しい日々でした。この本を読みながら展示を追体験させてもらえたような気がします。楽しい読書になりました。
「見えない人」が美術館に足を運び鑑賞する理由、そして何を「見ている」のかは、おそらく「人はなぜ人と会うのか」「体験に心揺さぶられるのか」という普遍的な話にも繋がると思います。
他人の言葉、好きな場所、時間、芸術や音楽、文化的なものがなかだちをしてくれるから、我々は何かを考えたり、自分のことを理解したり慈しむことができるのではないでしょうか。同様に、創作する側の「なぜ創るのか」という理由にも繋がっていくように思えます。
本書に登場する作品は現代アートが多いですが、肩の力が抜けたフランクな鑑賞スタイルもよかったです。仲間と感想戦をするのも好きです。美術館へ行きたくなりました。
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目の見えない人(白鳥さん)はどうやってアートを「見る」のか?
読む前から大きなハテナマークが頭に浮かぶ。
ところが、この「わからなさ」こそがおもしろい。
ほかの人とは取り替えることができない自分の身体。過ごしてきた“時間”も、その人独自のもの。
白鳥さんとアーリオさん(著者)達が今回、見て、体験して言葉にしてくれなかったら知らなかったことの数々に圧倒されつつ、そう言えば私の初美術館はモナリザ初来日時のダ・ヴィンチ展だったこと、長蛇の列に並んで入ったのに少ししか見えなくて、帰りに立ち食い寿司を食べたんだっけ…なんてことを思い出し涙。
掲載作品クレジットも充実。
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○素敵な本屋さんで何か買いたくなって購入。タイトルから気になって読んでたけど美術館とかアートに触れてない人にもぜひってくらい生きることとか奥が深くて。美術館に行きたくもなったけど、もっと身近なひとといろんなこと語り合ういい関係を築きたい気がしてきた。映画も気になる。
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ドラマの白杖ガールつながりで読んでみた。芸術とは縁がないけれど、見えない人と美術館で一緒に観て説明することで、見えていてもみえていなかったことに気づく。楽しいなと思った。そして、障害、差別、社会について考えさせられた。
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体の不自由な人=守るべき存在
とは限らない。
見える人、見えない人がそれぞれできる事を補い合って生きていけばいいんじゃないか。
白鳥さんのタフな姿にちっぽけな「常識」が砕かれる。
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昨年、最後の読了した本。
数日経ってしまったけれど、大事なことなのでメモ、メモ!
目の見えない人とアートを見にいくって、どういうこと?
素朴な疑問に、ちょっとワクワクしながら読み始める。
ぎこちなかった初期の頃から回数を重ね、2年に及ぶアート鑑賞。
「一緒に作品を見る行為の先にあるものは、作品がよく見えるとか、
発見があるとか、目が見えないひとの感覚や頭の中を想像したいからではなかった。
ただ一緒にいて、笑っていられればそれで良かった。
ものすごく突き詰めれば、それだけに集約された」320頁
最後に、こんな風に言えるまでに、いろいろなことを考える著者。
当然、読み手の私も考える、考えさせられる、我が身が恥ずかしく落ち込む。
平易な文章でクスクス笑いながら読めるのに、集中しないと
考えられない。だから、一人の部屋でじっくり読んだ。
でも、ときどき笑っていたはず・・・不気味か!w
あとで、記になったことを引用しておこう・・・
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ノンフィクション作家の川内有緒さんが、全盲の「白鳥さん」という方と一緒に美術館などに行き、アートを鑑賞する様子を書かれた作品です。
まずもって、全盲(全く目が見えない)の方がどうアートを見るの?という興味から読み進めるのですが、なんと中身の濃いこと。
自分の”当たり前”や”普通”の概念をいい意味でぶち壊してくれます。
全盲の白鳥さんが、どうアートを鑑賞するのかと言うと、当たり前ですが目が見えないので、いわゆる”視覚”でアートを鑑賞することは出来ません。
同行者の方に絵の説明をしてもらうことで、絵の様子や魅力を”感じて”いくわけです。
白鳥さんは、絵の説明をこと細かに聞くわけですが、白鳥さん自身はその絵の”美術的解説”は求めていません。
同行者の方がその絵をどう見て、どう感じて、どう伝えてくれているか。その人なりの”見え方”を大事にします。
複数人で鑑賞している時も、それぞれでアートから感じるものは違うでしょうから、その”感じ方の多様性”を大事にしています。
また、同行している方も、白鳥さんにアートの説明をしなければならない都合上、1つアートの鑑賞に掛ける時間も長くなります。
だから、より1つのアートと向き合う時間が増え、アートから感じることも多くなるそうです。
これは、全盲の白鳥さんと一緒に行くからこそ感じれることです。
作中で障がいに対する考えもありました。
(もちろん、人によってとらえ方は様々という前提を置いた上で)
目が見えないのって、大変じゃない?
という質問に対し、白鳥さんは
『僕にとっては見えないことが普通だから、何が大変なのかわからない。』と。
おおおおお!なるほど!そりゃそうだ。
もちろん社会そのものが、いわゆる”健常者”をベースに設計されていることが多いので、そういう意味での不便さを感じることがあることはあるけれども、そもそも視覚障害があると”大変”だろうという考えそのものが、相手のことを考えていないかもしれないと感じた。
白鳥さんは続けます。
『小さい頃から、”障がい者だから真面目に努力して、欠如部分を補い、健常者に少しでも近付けなきゃいけないと言われた。なぜ全盲の自分が見える人に近づけなければいけないのか。なぜ、健常者が強者で障がい者が弱者なのか。なぜ障がい者は”かわいそう”なのか』と。
うぉぉぉぉぉ!!!!確かに!
もちろん、困っている人がいたら助ける。とか、お手伝いすることはありますか?と声を掛けることは絶対必要だと思います。
しかし、「あの人かわいそうだから助けてあげよう」は完全に間違ってるなと気付きました。
私は食べ物の中で唯一”とろろ”が食べられない(好きじゃない)んです。
2年に一度くらい、挑戦してみるんですが、やっぱりいつもおいしくないんですよね。
それを他人に言うと、
「えーー!あんなにおいしいのに!もったいない!人生損してるよ!」
なんていわれることも���まにあります。
私からしたら、まずいもんはまずいので、別に人生1ミリも損してないし、まぁ、余計なお世話だな。と思うわけです。
「目が見えないの!?かわいそう!」って
なんか、こういう感情に近いのかなと思いました。
(違うかな?)
「かわいそう」と思うだけで、無意識の内に上下関係を構築してしまうことになっているかもしれないと思います。
長くなるので、この辺でやめますが、
「盲人への美化」
「過去と現在の捉え方」
「”死”への向き合い方」
「”目が見えない”という状況自体の多様性」
などなど、そんな新たな気付きを白鳥さんがたくさんくれます。
白鳥さんはアートを通じて「対話」をしていました。
これこそ、もしかしたらアート(表現)の本質かもしれません。
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著者がはじめて白鳥さんと美術展に行ったときのやりとりが印象的。
その絵を通して感じたことを正直に話しているうちに、思い出話になったり、同じ絵を見ているのにマイティと違う印象を受けていることに気づいたり。
作品を通して制作背景や意図を読み解いたり、技術について学んだりするのが鑑賞のあり方とばかり感じていたから、美術鑑賞ってこんなに自由なんだ!と嬉しくなった。
読み進めると、美術の話だけでなくて、人とのつながりや、障害への価値観などの話も。
表紙は、さわって楽しい印刷加工が施されている。
厚めの本だけど、一章あたり30ページくらい。時々手にとって、パラパラと読み返したくなる。
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この本を読んだ後、ドライブ・マイ・カーを観たら、二つに通じるものがあったように思います。旅する、美術館・舞台・車中など同じ空間に身を置く、過去に見てこなかったことに気付く、正しく傷つく、life goes on…見えないアート鑑賞、手話による芝居、自然に受け止めてしまえた二つの作品でした。
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行きたい美術館が増えたし、現代アートの面白さって価値観のズレや分からないことを愉しむことなのか?って気になった。それでもわたしは印象派の方が好きなのだけれど。
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ほかの人の誰にもなれない、ほかの人の気持ちになんかなれない ただ一緒にいて この世界で笑いたい
すごく不思議な縁を感じた本
先日他の本で読んだ白鳥さんが、これまた最近ハマった本の作者川内さんと美術館を巡ったんだ!
そして読み進めると、千波湖、越後妻有、黒部、、。自分が過去に訪れて印象に残っているところばかり。そして知り合いも登場している!
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川内有緒さんには
いつもびっくりさせられる
単なる体験談などではなく
また予定調和などからは
ずっとぶっ飛んだところに
連れて行ってもらえる
川内有緒さんが出逢っていく
モノであれ、人であれ
なんと魅力あふれるものとして
描かれることでしょう
「目の見えない」白鳥さんの
なんとチャーミングなお人であることでしょう
20年来のご友人マイティさんの
なんとベスト・フレンドぶりであることでしょう
美術鑑賞が単なる鑑賞にとどまることなく
その観るという行為を通して
それぞれの言葉をやりとりすることが
「鑑賞」を飛び越えてしまって
人と人がより深く知り合っていく行為になってしまう
それって究極のコミュニケーションですよね
そのキーパーソンが「見えない」白鳥さんであること
美術鑑賞は好きなので
よく「一人」で行くのですが
なんだか自分の中で もう一つの見方が
発生してしまっている気がしてしまう
そんな一冊でありました
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目の見えない白鳥さんが、机をコツコツと叩いて「自分が存在してることを確認する」と話す場面が何か揺さぶられる。
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これは面白かった。
白鳥さんにとって美術館を楽しめたのは
美術館では一人の人間として過ごせるからなのかと思った。
今までの生活から自分は白鳥健二なのに
視覚障害者として接されてきた経験が多かったのだと思う。
居心地の良さは人間が人間としていられることなのだと思う。
切り分けされたジャンルや、くくりはなく
どんな人も、人間。
読みながらこの見方ができていない自分に気づかされた。
自分だって本のタイトルを見て
「え?目が見えないのに美術鑑賞?」と思って興味が湧いた。
でもそれは「視覚障害者はきっと○○だ。」という
思いっきりの偏見でしかなかった。
そして「視覚障害の方は他の感覚が敏感」という思いもあった。
中学校のときに授業の中で話を聞く機会があって
猛烈なスピードで再生された本の文章を聴いていたからだ。
でもそれは当時話を聞いていたその人だからできたことなのだ。
自分のものの見方の狭さに驚いた。
日本人は全員が相撲が好きと言われれば、
それは違うとすぐに考えられるのに
なぜだか、視覚障害は〜と言われたらそりゃそうだろうと思う自分が以前はいた。
世の中に視覚障害者という人は誰一人としていないのだ。
それは視覚障害者に限らず、すべてのことに言えること。
この世の中はやっぱりいのちだと思う。
誰一人として同じ人はいない。
だからカテゴライズされた眼鏡で物事を見ることは
結局はその人に接していない。
そういう人は「いまここ」に生きることもできない。
もっと自分もたくさんの人に出会いたいという思いと
もっとたくさんの人が小さいときからずっと
一緒にいるという空気を作りたいと思った。
なにかが「できる」という「能力」ばかりに価値を置いてきたことが、いまさらながら様々な形のひずみを日本社会に噴出させている。
このフレーズにもドキッとさせられた。
できる、できないすべてを受け止められる
環境だからこそ、やろう、挑戦しようと思えるのだよね。
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目から鱗のアート体験記。
川内さんの懐の深さに驚かされます。そして勉強になりました。
人との関わりあいかた,自分の存在,わかり合いたいという気持ち,「この世界でー笑いたいんですよ」しみじみ共感しました.
パンチの効いた表紙の絵も良かったです。