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「宿命」と「努力」という言葉をキーワードに、習熟期へと移行した日本社会をポジティブな側面とネガティブな側面から見ることで、この時代精神の変化とその背景にあるものを学びました。
P30 増加する高齢者犯罪
→万引き犯と一般の高齢者とで規範意識に差はないが、
人間関係の貧困により、自分を心配してくれる
家族や友人が不在となり、万引きと言う非日常的な
行為に伴う精神的な高揚感や達成感が、
日々の寂しさや虚しさを一時的にでも忘れさせてくれる。
孤立感の余り声を掛けられることを期待して
犯行に走ってしまう人も。
P49 未来に期待できない、と、未来に期待していない
未来に期待できない
-は、自分が生きる意味を未来に求めながら、
しかしその現実が叶わない状態であり、
そこに欲求不満を抱えていたとしても、
今生きている意味について思いあぐねることは無い。
未来に期待していない
-は、生きる意味を未来に求めていないから
それは現在に求めるしかない。
目線は自分自身に。
P91 自己主張
1992-2002
自己主張をする中高生が増えてきた
以降は、経口が反転し、他人の意見に合わせる中高生が増えてきた。
周囲の人間関係から自分だけが浮いて、居場所がなくなってしまうことを過度に恐れるようになったのでは?
P95 宇宙戦艦ヤマトの主題歌の歌詞に見る、自らが救済者になることで、満たされない承認欲求を補填しようとするメサイア・コンプレックス。
P120 ★★★ 西日本豪雨災害における、高校生のボランティア。
P128 ★★★GDPに代わる豊かさの指標
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非大卒男性で非正規でありながらも、努力は裏切らないと思うし(自己責任)、生活満足度は高いという不思議現象。努力する、ということも生れながらの才能のようなものであり、自分には縁がない。だから自分がこの地位にいるのは変えようのない宿命のようなもの。そういう諦観もあるのかと思った。
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大学で教員をしている友人と「いまなぜ若者は本を読まないのか?」という議論になりました。本当にそうなのかわからない漠然とした印象の話だからほどほどにしないと本を読んでいる若者から怒られてしまうようなテーマですが、コミック以外の出版不況は確実に起こっているので、まあ許してもらうとして。その流れの中で、たぶん中間層の崩壊が階層移動の願いを込めた読書、みたいな市場の喪失につながっているのでは?という根も葉もない仮説にたどり着いた訳です。(これ講談社の成長を描いた「出版と権力」の感想を語った時の出来事です…)おっさんたちの根も葉もない話に、なんとなくちっちゃな根になるのではないか、というブックレットが本書です。我々の世代で「宿命」とは花形満が星飛雄馬に「宿命のライバル」と呼びかけるドラマチックな意味を持った言葉ですが、現代の若者にとっては格差を納得するためのキーワードになっている、ということを様々のデータと駆使し証明していきます。「未来の自分」より「過去の自分」に拠り所を求めるまっ平な高原社会を歩む若者たち。それこそ「巨人の星」に代表されるよな「苦難の神義論」世代が「幸福の神義論」世代の気持ちを理解しないまま語り掛けるのはやめようと、読了後、すぐ友人に読め!と勧めました。著者もナウシカのメーヴェを引用したりしていて、なだらか世代かと思いきや、自分たちとほぼ同年齢でビックリ。だいぶ前に古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」で取り上げている「幸福のジレンマ」の最新版でもあります。これもちょっと古いけど少年ジャンプのヒットマンガが「ドラゴンボール」の強さのインフレーションから「ワンピース」の仲間のネットワーキングに移行している、という指摘にも通ずると思いました。若い人と接するおっさん必読の書です。
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疎外と疎外の認識のなさと。風通しの悪さが韓国とどう似ていてどう違うか。ベトナムとどう似ていてどう違うか。見ていきたい。
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30代を境に「努力」「宿命」のとらえ方が変化しているという。その背景には、高度成長という激変期を終えた後に訪れる変化の少ない平坦な社会(高原社会)がある。
高原社会は近似性の高い集団を組織しやすく、社会的分断や格差社会の種にもなる。社会は社会構造を変えることによって改変できる。そのことを次世代に伝える必要がある。
刺激的な一冊だった。
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未来が不確実なものだからではなく、逆に動かしがたく確定されたものだと感じているからこそ、にもかかわらずそれを先まで見通すことはできないからこそ、現在思考になっているのだと気づきます。いくらあがいたところで、それは変えようのないものだと感じられているために、そんな無駄なことはせずに現在の生活を楽しもうとするようになっているのです。(p.46)
現在では自己評価を行なう際の準拠集団が同質化しているのです。先ほど、今日の地元つながりの母体は地元ではなくジモトだと述べた所以です。人間関係の隔絶によって、生活環境の異なった人びとの交わりが激減しているため、ものごとを判断するときの視点や視野もそれぞれの生活圏の内部で閉じられてしまい、自らと生活スタイルや生活レベルを同じくする人々だけが比較の対象となっているのです。(p.110)
今日のように流動性の真下社会で、一つのものごとに対してあまりにも強くこだわりすぎると、せっかく新しいチャンスが到来しているかもしれないときに、その兆しを見逃してしまうこともありえます。インターネットを活用し、全世界から絶えず新しい情報を摂取している若者たちは、そのリスクをよく心得ています。そのため、なにか特定のことに没頭することは、むしろ積極的に回避しようとします。だとすれば、ひたすら一つのことに集中することではなく、もっと臨機応変に人間関係を構築していけるように工夫を重ねることこそ、今日の努力の在り方なのだと考えを改めねばならないのかもしれません。それが、こう元気の社会に見合った努力のかたちなのかもしれません。(p.123)
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日本経済の停滞は社会の高原化と表現され、そこに適応してきた若者の心性や人間関係を読み解く。
社会が経済発展という共通の目標を失い、個人はそれぞれ価値観を多様化させてきた。価値観がばらばらになり「みんな」とは「抽象的な他者」でなく「具体的な他者」になった。とても納得できる。いち若者としても実感してきたことが体系的に言語化されている。
フォロワーが何人とか具体的な数字で表されていることもこのような心性が背景にあると説明できうると考える。
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若年層の生活満足度が上昇しているのは何故かを、様々なデータを駆使して解き明かすことを試みた好著だ."一般に私たちは、自分の生きる目標について考えをめぐらすときも、身の回りの人間関係のなかでそれを確認し、自己の存在意義を得ようとする"、また"私たちの期待水準は、一般に自分を誰と比較するかによって変わってくる"(p104)のだが、人間関係の内閉化が進んだことで、他者と定義される範囲が非常に限定されてきて、生活満足度が高くなっていると結論付けている.納得できる議論だ.このような社会制度を作ってきた現代の高齢層の責任論も議論すべきだが、状況打破のアプローチも大事だ.未来の世界に住んでいる自分をイメージし、その視点から時間を遡って現代の社会制度のあり方を検討するというFuture Designという手法を紹介している(p129).