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第1章 社会学って、どんな学問?―「社会を考える学問」がわかる10冊
『自殺論』エミール・デュルケーム
『“子供”の誕生』フィリップ・アリエス
第2章 ネット社会で人間は幸せになれるか?―「メディア・情報」を理解する10冊
『メディア論』マーシャル・マクルーハン
『シンギュラリティは近い』レイ・カーツワイル
第3章 保守とリベラルの対立は続く?―「政治・権力」と「社会」の関係を紐解く10冊
『第三の道』アンソニー・ギデンズ
『監獄の誕生』ミシェル・フーコー
第4章 「民主主義」はいちばん正しい制度か?―「大衆社会」について読み解く10冊
『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリヤール
『世論』ウォルター・リップマン
第5章 最先端の社会学者たちは今、何を考えているのか?―「現代の世界と日本」が見えてくる10冊
『脱学校の社会』イヴァン・イリイチ
『危険社会』ウルリッヒ・ベック
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各著の革新的な議論に触れていないor触れていてもあまりにもさらっとしていて、ほとんど意味がなかった。
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良い。
今まで見聞きしたことのあるセオリーを、ああこういうのあったな、とかなるほどこういうことだったんだ、というように再度理解するための本として非常に有能。
だけど、説明があっさりしすぎていて、初見の知識を入れる目的としては、あまり活用できない印象。
なので、ぜひとも復習として何度も読み返したいし、この後自分の中で評価が上がっていく一冊になるだろうな、と思った。
P.44
アメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケルの『エスノメソドロジー』
秩序がすでにできあがったものであることを前提とせず、秩序がいかに生成されるかをあきらかにしようとした。
社会のメンバーたちが、日常生活のなかで何かを行うとき、どのような方法を使うのかを解明するもの。
ガーフィンケルがよく使った手法「違背実験」
=通常、期待されていることとまったく違う言動をすることで、その空間で日常的に何が行われているのか、あきらかにしようとする
P.56
アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステイン『入門・世界システム分析』
ミニ・システム、世界=帝国、世界=経済
世界システムの中核となる国の中で、とりわけ一国が圧倒的な経済力をもち、他の国々に対して優位に立つとき、「ヘゲモニー=覇権」を獲得する。(17世紀オランダ、19世紀イギリス、20世紀アメリカ)現在のヘゲモニーはアメリカだが、終わりが近い。
P.118
フランスの哲学者ミシェル・フーコーの『監獄誕生』
近代以前には残酷な身体刑が行われていたが、近代になると独房を中心とした監獄が確立した。そうした監獄を設計したのがイギリスの功利主義者ベンサムであり、それは「パノプティコン(一望監視施設)」と命名された。
近代社会はこうした閉鎖空間に人々を閉じ込め、そこでたえず監視することによって、規律=訓練を施している。それまで「権力」とは、特定の人物や組織が持つ強制的な力とイメージされ、上から下に暴力的に働くと考えられてきたのに対して、フーコーによれば、権力という言葉で理解すべきは、「無数の力関係」であり、権力は人間関係のいたるところで発生する。そのため「人間関係のあるところには、常に権力がある」と言われる。(親と子、教師と生徒など)
P.127
ドイツの社会学者カール・マンハイムの『保守主義的思考』
「保守主義」という言葉は、今日でもよく使われている。ところが、その意味を尋ねるとはっきりと答えられる人はあまり多くない。「新しい変化を好まない」「頭の固い考え方」といったぼんやりとしたイメージの理解は間違いである。
伝統主義=ほとんどの人間に備わっている「過去を愛着する態度」で、新たな変化を嫌う心的素質。「昔はよかった…」という言葉はまさにこれ。
保守主義=特定の時代や状況のなかで成立するため、具体的な状況を無視しては理解できないもの。政治的な保守主義的行為はそれぞれの時期における行為を意味するのであって、その特性をあらかじめ確定することはまったくできない。
P.132
アメリカの社会学者A.R.ホックシールドの『管理される心』
感情���会学という分野を切り開いたパイオニア。
現代社会では、対人サービス労働に従事する労働者が増大し、感情を商品化することを余儀なくされている。感情労働によって生まれるリスク⇓
①労働者が一心不乱に仕事に貢献し、燃え尽きてしまう危険性
②労働者が仕事から距離をとり、「演技をしているので不正直だ」と自分を非難する可能性
③自分の演技から自分を完全に切り離し、「自分はただ夢を売っている」と皮肉な考えを持つ可能性
感情労働は、人間に演技を強要し、自分の偽りの感情を装わなくてはならない。たとえイヤな客でも、笑顔で対応する必要がある。言ってみれば「詐欺師」として、他人を欺くわけである。こうして、現代社会では真実が失われ、偽りが浸透するようになる。
P.141
アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』
「国家」はとても不思議なものだ。そもそも手でつかめるような実態ではなく、どこにもないともいえるが、オリンピックになると普段は消費や恋愛に勤しんでいる人でも「ニッポン頑張れ!」などと叫んでいる。
アンダーソンの問い⇓
①ネーションの歴史的な経緯の問題:ナショナリティ、ナショナリズムといった文化的人造物が、いかにして歴史的な存在となったか。その意味がどのように変化してきたのか。
②ネーションへの愛着の問題:ナショナリティ、ナショナリズムといった文化的人造物がなぜ人々に深い愛着を引き起こし、そのために死ぬことさえ厭わないほど感情を揺さぶるのか。
これらの問いを解明するため、アンダーソンはヨーロッパにおいてナショナリズムが形成される時期に着目し、言語や印刷・出版というメディア、資本主義といった側面からアプローチした。人々はラテン語ではなく、ナショナルな言葉(ドイツ語・フランス語・英語など)で印刷された出版物によって国民意識を形成し、想像の共同体を形成するのである。
P.151
イギリスの社会学者ジョック・ヤングの『排除型社会』
フォーディズムからポストフォーディズムに移行し、経済活動がダウンサイジング化し、多品種少量生産を効率的に行うようになった。これにより労働しようも再編し、非正規雇用や失業が増大するようになった。最近では、「終身雇用:非正規雇用:失業状態」の比率から、「4:3:3の社会」と呼ばれるようになった。
ポストフォーディズムへの移行によって、非正規雇用者や失業者が経済的に貧困化し、「相対的な剥奪感」を抱くようになり、犯罪が増加するに至る。こうして、予防措置として、セキュリティ産業が重要性を持つようになった。犯罪が起こった後で処罰するより先に、犯罪が起こらないようにするのである。こうして厳しい排除型社会が出現することになったとヤングは考えた。
しかしヤングは、21世紀になって「包摂か排除か」という二項対立に陥っていた排除型社会は根本的に誤っていると認めた。
過剰包摂により、被公用車のようなアンダークラスの人々は単に排除されているのではなく、むしろ強力すぎるほどに文化的に包摂されているにもかかわらず、そうした文化がふりまくイメージを実現することから系統的に排除されている。
P.172
アメリカの社会学者デイ���ィット・リースマンの『孤独な群衆』
①人口の潜在的高度成長期などに形成される伝統志向型:人々が伝統にしたがうことにより組織が形成
②人口の過渡的高度成長期などに形成される内部指向型:社会的・権威的な価値観を内面化して行動する
③人口の初期的減衰期:まわりの人々の動向に目を向けながら、自分の行動や考えを形成する⇐現代アメリカ国民の社会的性格
P.184
アメリカの政治学者ロバートDパットナムの『孤独なボウリング』
ソーシャル・キャピタル=社会的資本とは、個人間間のつながり、すなわち社会的ネットワーク、およびそこから生じる相互性と信頼性の規範
リーグボウリング:地域のボウリング場に、たとえば毎週集まって相手を変えながら一定期間チーム戦を行うこと。地域の人々とあいさつしたり、親睦を深めたりする機会となる。「薄い信頼」にもとづく人々のつながり。
ボウリング人口は減少するどころか、かえって増加しているにもかかわらず、リーグボウリングへの参加者が減少している。アメリカ人はリーグボウリングではなく、一人ぼっちのボウリングをしている。
P.194
フランスの社会学者ガブリエル・タルドの『模倣の法則』
外面的な模倣よりも、内面的な模倣がタルドの模倣論の原理。
模倣がどう進むのか、についてのタルドの見解⇓
①「内側から外側へ」:思想や目的の模倣が先、表現や手段は後
②「上層から下層へ」:威信のある人を人々が模倣する
P.204
フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』
個人が多数集合すれ群衆になるのではなく、「群衆心理」という集団の精神が生まれて初めて群衆となる。そのとき、意識的な個性が消え、個々人の感情や観念が「同一の方向」に向かう。こうして現れるのが、「群衆の精神的統一の心理法則」。
群集心理の基本として注目すべきは、意識ではなく「無意識現象」が有力な役割を演じることだ。この点で、「人々の知能や個性は消え失せる」とル・ボンは考えている。無意識のレベルでは、すべての人が凡庸な性質を持ち、同じようなものになってしまう。
群衆の性質が現れる三つの原因⇓
①不可抗力的な力を感じること。個人を抑制する責任観念が完全に消え失せ、本能に任せてしまうとされる。1人だったらしないことでも、群衆になると平気で行動する。
②精神的感染。精神的な感染がおこると、個人が集団の利益のために自分の利益を無造作に犠牲にしてしまうのである。あたかも催眠術にかかったかのように感染してしまう。
③被暗示性。群衆の一因になれば、催眠術にかけられた人のように「意のままに操られる」
P.210
オーストリアの哲学者イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』
学校への就学をすべての人に義務付けることは価値のあること、逆に学校に行かなければ、学ぶ機会は奪われ、社会生活をスムーズに営むことができなくなる、という常識を覆した。
イリイチは、「就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえってせいやくしていることを認識するに至った」と語っている。ハッキリ言えば、学校は子供の学ぶ権利を奪っているというわけだ。
こうした発想の根底には、制度化され���学校教育と個々人の学ぶ意欲とが対立するとう確信が潜んでいる。
イリイチの学校の定義⇓
①特定の年齢層を対象とし、②履修を義務付けられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、③教師に関連のある過程である。これに、④長い年月にわたって神聖な特別の場所に、若者を物理的に幽閉すること を加えることができる。
学校教育は、人間が本来備えている学ぶ意欲を疎外し、教師による管理へと組み込むのである。
「脱学校化」に必要な環境
①学習する人が、人生のいかなるときも、学習素材にいつでもアクセスできる環境
②知識を持つ人と学習者とを結びつけるネットワーク
③学習する人同士のネットワーク
④知識を持つ教育者に、教えることを可能にするような機会を与えるネットワーク
特に最後二つのセオリーが興味深いな~と思いました。
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50冊分の名著を一言で表しみる、という感じで紹介していくので、すいすいページが進むが、頭に残らない。逆に考えれば、このように端的に表現できて理解可能ならば、一冊の本とは何なのか、という事だ。主張があり、推論があり、論拠を上げながらページを費し読者と語り合う。それとは異なるダイジェスト本、CMみたいな仕立てだ。
例えば、デュルケームの自殺論。社会規範の崩壊が自殺率の増加につながっていた。アノミーと言う言葉が有名になった。
ユルゲン・ハーバーマスは、公共性の構造転換という論文が有名。フランスにおけるサロンやイギリスのコーヒーハウスのようなコミュニティスペース、市民的公共圏がメディアやラジオ、テレビなどの大衆操作にとって変わられる。公共性の構造転換が起こったとする。
などなど。社会学が社会における構造的課題に気付き、分析し、時に影響を与えて変革をもたらす。フィリップ・アリエスが、「子供」を特別な存在として論じ、家族構造や教育制度における子供観に影響を与えた事で、子供が特別な保護や教育を必要とする存在として、社会が児童労働の規制や教育制度の発展に関する理解を深めた。
哲学と社会学の境界に少し迷ったが、明確な線引きは不要な気もするし、相互に作用し合うものだと思い開き直る。
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高校生レベル
初心者向け
良く言えば簡潔、読みやすい
悪く言えば、大学生〜社会人が読むと物足りなく感じると思う