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2025年まで後半月ほど。
この本は2022年の出版なので、既に状況は変わっているが、違和感なく読む。不確実性の時代、と言いながら、いまだかつて確実な時代などあったのかという気もするし、これだけ複雑に作用し合う社会だとしても、可視化された範囲での合理性は、さほど不確実とも言えないと、違和感の無さは、その証左かもしれない。あるいは、冨山和彦氏の先見の明がなす業か。単に政治的な膠着か。
ー これは何を意味するのか。日本は主に内需、つまり個人消費で食っているということだ。
実際、日本のGDPに占める個人消費の割合は50%強に上る。これを「日本が成熟した国になった証し」と説明する向きもあるが、違う。中小企業のうち、個人消費でしか食えない企業が7割もいることが問題なのだ。こうなったのは、日本政府が中小企業や地方自治体に莫大なカネを長年にわたってばらまいてきたからだ。日本の内需は「官製内需」なのである。要するに政府からもらったカネで消費をしている。
ー どれほどの優良企業でも、投資家が企業情報や決算を読めなければ投資はしない。だから、インターネットが普及する前は、日本人は日本語で情報を出している日本企業、フランス人はフランス語で情報を出しているフランス企業、ドイツ人はドイツ語で情報を出しているドイツ企業だけに投資していた。投資マネーは国境を越えづらかったのだ。それが今は様変わりしている。前々からアメリカは世界経済のセンターだったが、アメリカから得られる情報が乏しかったために海外からは投資しづらかった。そのハードルがインターネットによって取り払われた。世界中のお金がアメリカに集まるようになったのである。
既得権のような人の欲望は徐々に最適化され、やがて慣性力をもつ。従い、何かの変化はその延長線か、別の欲動による外圧で起こる。今年も色々あった。年末はゆっくり、来年以降の事を考えてみたい。