投稿元:
レビューを見る
いくつも、あった。
何かは言葉にしにくいけれど。
灯りや共同体や子どもやおじいさんや、私の好きな事柄は随所に紹介されて(そして再発見させて)いたが、権狐とごん狐の違いが一番、知れて良かった。
"「権狐」(または新美南吉が描き出したものたち)は、何故(時代の中で)撃ち殺されたのか?"
他の方のレビューを読んではっとしました。
そもそもはタイトルに煽られて半ば怒りの中で手に取ったのに、童話の世界に夢中になりすぎて全然考えられていなかった。反省。
投稿元:
レビューを見る
以前記事で畑中氏のインタビューとこの本が紹介されていたので読みたくなった。理由は私が絵本や童話に興味が出ていることと、以前読んだ『新耳袋』(編/木原浩勝、中山市朗)という実話シリーズで狐に騙される話がいくつも出ていたので興味を持ったからというのもある。
この本のタイトルは、ごん狐だけでなく、新美南吉さんの作品全般に示されることであると思う。
“なにかをなくしてしまうことでしか、他人とつながれない人びとや動物が出てくる。”
新しいものの前には、失われたものがあるのだ。
この本を読むにあたり、『ごん狐』『手袋を買いに』以外の読んだことのない新美南吉さんの作品をいくつか読んだ。
古い風習、失われていく文化と文明開化、孤独、残酷さなどファンタジックではなくリアルな描写で魅力があり、とても引き込まれる。また、読後に胸がギュッと締め付けられるような何とも言えない気持ちを残す。まだ読んでない作品も多いので読みたい。
権狐、鈴木三重吉による改変で、ごん狐となり、この部分は全く印象や言いたいことが異なるようになっていると思う。
“ぐったりなったまま、うれしくなりました。”→“ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。”
私は元のうれしくなりましたの方がいいなと思う。権狐の気持ちがあらわれているから。
ー目次ー
狐のフォークロア
文明開化とノスタルジア
共同体の記憶
不確かな世界
最も弱いもの
投稿元:
レビューを見る
「北の賢治、南の南吉」として、宮沢賢治と並び称された童話作家の新美南吉。
これまでは児童文学の範疇でしか語られることのなかった南吉だが、本書では、「ごん狐」や「手袋を買いに」など南吉の作品に描かれたコミュニティの役割、自然との共生、進歩や発達への懐疑、自己犠牲の意味など、日本人が歴史のなかで培ってきた叡智を、民俗学的な視点から解き明かしている。
新美南吉が創作活動を行った1930~40年代、ちょうど日本は戦時下にあり、南吉の作品もその影響を少なからず受けている。
その作品群は、南吉の素朴な戦争観を表すものとして批判されるが、「大きくて立派なものではなく、小さくてささやかなもの」を愛した南吉の作品を読み進めていくと、それこそが等身大の現実を表現しているように思えてくる。
当時の世間の雰囲気や、様々な制約の中で物語を描かなくてはならない現実が、見えてくる。
児童向けの童話であっても、むしろそうであるからこそ、理想に逃げずに、現実を描いている。
「ごん狐」は、鈴木三重吉の改変により現代にまで受け継がれる物語となった。しかし、それによって失われてしまったものもある。
「最も弱いもの」ならではの感情、「なしになってしまう」ことによる儚くも強くあるものが、そこにはあった。
南吉は結核のため、29歳の若さで亡くなったという。
ちょうど今の自分と同い年である。
違う時代に生きた同世代の人間が、何を思い、何を考えていたのか、興味深く読めた。
狐のフォークロアについての話しも面白い。
東日本大震災以降、日本の民俗知が見直されてきている。
新美南吉という、民俗の現場で物語を紡いできた人物が何を見て、何を思い、何を書いてきたか知ることで、日本人が受け継ぐべき叡智を改めて考えることができる。
柳田国男の民俗学をとおして見ることで、新しい日本社会の在り方が見えてくる気がする。
「ごん狐」という多くの日本人が小学生の頃に読んだ物語をとおして、日本の民俗知を見直し、新しい日本を創っていくための一冊。
投稿元:
レビューを見る
新美南吉の作品について民俗学的な視点から考察した一冊。
なかなか面白かった。
『ごん狐』と『おじいさんのランプ』ぐらいしか読んだことがないので、他の新美南吉作品も読んでみたくなった。
投稿元:
レビューを見る
ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか、その答えをこの本(著者)に期待した私が無理な注文でした(^-^) 答えは新美南吉さんしかわからないですね。新美南吉氏が子狐は自らをモデルにしたという説もあるそうですね。言葉が通じ合えなかったからか、時代や状況、共同体の規範に由来したのか、他の理由があったのか・・・。でも、私は、子供の狐が淋しくてちょっといたずらをし、それが悪いことだと気がついて反省し、山の幸を届けていて、銃で撃たれる。可哀想でなりません。私は、狐の物語では「手袋を買いに」が好きです!(^-^)
投稿元:
レビューを見る
「権狐」が鈴木三重吉が手を入れることで「ごん狐」となった。
p.214 なにかを失くしてしまうことでしか、他人とつながれない人びとや動物が出てくる。現実の持つ残虐さや惨さを受けとめつつ、新美南吉は「最も弱いもの」が持つ力を描きだそうとしたのである。
p.215 柳田国男の「狐猿随筆」を読みなおした。
(著作)柳田国男と今和次郎-災害に向き合う民俗学、災害と妖怪-柳田国男と歩く日本の天変地異