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★感想/考察
・私が思うに本書には「神は死んだ」の深掘りというか、その言葉の意味が集約されているように思える。そして、界隈でオススメされた鋭いニーチェ本ということもあり、やはり適菜氏の訳は読んでいて爽快だ。まるでニーチェと対話しているような感じであっという間に読破した。ニーチェの話しかけるような訳の仕方は読んでいて、楽しかった。
そもそも、「神が死んだ」はこうじゃないか
・物事に絶対的な価値観はない
・常に自分の頭で考えろ
・キリスト教は弱者を演じ、人々を先導するフリをしてあらゆる決め事で人類をがんじがらめにする。だから邪教なのであり、アンチクリストでいるべきだ。
私の弱い頭で少し考えた。世の中の法律や習慣、同調圧力なんかもそうだろう。あまり話すとルサンチマンや奴隷道徳に派生してしまうのでこの辺りで。
ともかく読んでいてハッとした点が多かった。
そして本書最後のニーチェの言葉「すべての価値を転換せよ!」この本を読み終えた方ならきっと何が最適解か分かるだろう。
★まとめ★
【第一章】
⚫︎間違いだらけのカントの哲学
→ニーチェがカントに言いたい事は簡単なこと。「道徳」とは、私たちの人生において私たちが作り出したものであると言うこと。そして私たちを守るものであり、私たちにとって必要なものでなければならないということ。決してそれ以外のものではない。
⚫︎真理とは「思い込み」に過ぎない。
→世界中どこの哲学者もそうだが、彼らの原型は僧侶である。
⚫︎本物の神様と偽物の神様
→キリスト教信者は、現実が辛いから逃げているに過ぎない。
→自信を持っている民族は自分たちの神を持っている、彼らが神を祀るのは自分たちの誇りのため。つまり自分たちの繁栄の条件や美徳を神に投影するということ。誇りを持っている民族は、犠牲を捧げるために神を必要とする。そして感謝する相手は実は自分自身なのだ。
→一言で「神」と言っても二通りあるわけである。一つは「権力への意思」があるもの、つまり民族の神々。そしてもう一つは「権力への無力」の神。そういう神は必ず一面的な善の神になる。これこそがキリスト教なのである。
→キリスト教の神に対する考え方は、この地球上にあるすべての神に対する考え方の中で最もくだらないものである。
【第二章】
⚫︎仏教の素晴らしいところ
→仏教の良いところは「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っていること。これは仏教が何百年と続いた哲学運動の後に現れたものだからだろう。インドで仏教が誕生したときには「神」と言う考えは、既に教えの中から取り除かれていた。
だから仏教はキリスト教に比べれば、100倍位現実的。
⚫︎「聖書」が変えたイスラエルの歴史
→僧侶たちが「罪」を利用して暮らすためには「罪が犯される」ことが必要。僧侶たちは「神は悔い改めるものを許す」などと言っているが、それは要するに「自分たちに服従すれば許してやるよ」ということなのだろう。
(※ニーチェはエピクロスが嫌いなのかな)
【第三章】
⚫︎イエスの死を利用したパウロ
→「神はイエスを罪の許しのために犠牲として与えた」というとんでもないものだった。イエス本人がこれを聞いたらぶっ飛ぶだろう。
→パウロはイエスとは正反対のタイプで「憎しみの論理」の天才。パウロはイエスを含めてすべてを憎しみの犠牲にしていた。
【第四章】
⚫︎「新約聖書」を読むとき、私はいつも手袋をはめている。汚らしくて触りたくないから。
⚫︎科学はキリスト教の最大の敵
【第五章】
⚫︎信仰とは自分自身を見失うこと
⚫︎キリスト教は女を馬鹿にしている
→キリスト教では処女が妊娠するらしい。人類の誕生がキリスト教化されている。
【おわりに】
⚫︎すべての価値を転換せよ!