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同じ編者の手になる「クリスマス」にも同じようなことを書いたけれど、怖い話を読みたいという向きには勧めがたい。エリザベス朝英国の雰囲気も込みで、古風な怪談を愉しみたい読者向け。単に幽霊が出たで終っている話が多く、登場人物に危害が加えられる場合でも、今の読者の目から見ると手ぬるい感じだ。この頃の怪談は、節度ある、そこそこの恐怖を与えることがそもそもに目的だったのだろう。そんな中、例外的に、今読んでも怖い「事実を、事実のすべてを、なによりも事実を」や、ミステリ風の「降霊会の部屋にて」あたりがお気に入り。
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ヴィクトリア朝英国の魔都、ロンドンを舞台とした、
幽霊譚のアンソロジー。本邦初訳の作品を中心に13篇を収録。
・ロンドンの地図
ザント夫人と幽霊 ウィルキー・コリンズ
・・・父娘が出会った未亡人の不可解な行動と、
邪な者への不可視な者の怒り。
C―ストリートの旅籠 ダイナ・マリア・クレイク
・・・旅籠の窓を叩いた音。それは鳥か?それとも?
そして不幸が。
ウェラム・スクエア十一番地 エドワード・メイジー
・・・代々の当主たちが去らざるをえなかった邸に、蠢く者。
シャーロット・クレイの幽霊 フローレンス・マリヤット
・・・生前も死してからも繰り返される愛人の訪問の恐怖。
ハートフォード・オドンネルの凶兆 シャーロット・リデル
・・・アイルランド出身の外科医が聞いた<あれ>は死の予告。
ファージング館の出来事 トマス・ウイルキンソン・スペイド
・・・毎月同じ日に現れる不可視の者。明らかになる過去の悲劇。
降霊会の部屋にて レティス・ガルブレイス
・・・霊媒師への質問に対する回答は、暴かれる男の罪。
黒檀の額縁 イーディス・ネズビット
・・・肖像画の中から出てきた女性に魅了された、
わたしの、人生こそが夢。この現実が夢。
事実を、事実のすべてを、なによりも事実を ローダ・ブロートン
・・・往復書簡に綴られる忌まわしき邸での狂気と死。
女優の最後の舞台 メアリ・エリザベス・ブラッドン
・・・ 現実と芝居の愛憎劇が交錯する。その吐息は今生の別れ。
揺らめく裳裾 メアリ・ルイーザ・モールズワース
・・・かつて好意を抱いた女性の霊は横顔しか見せなかった。
隣牀の患者 ルイーザ・ボールドウィン
・・・病室の隣の患者の告白は数奇な人生。そして、
彼の今わの際に訪れたのは、亡き恋人の姿だった。
令嬢キテイー ウォルター・ベサント、ジェイムズ・ライス
・・・新居に住まうのは元気な娘の霊。なんて陽気な幽霊譚。
・編者あとがき―魔の都、霊の市/夏来健次
ヴィクトリア朝の魔都ロンドンが舞台の、幽霊譚13篇。
語られるのはジェントル・ゴースト・ストーリー主体。
シチュエーション重視でストレートに怖い話は少ないし、
真相はよく分からぬ話多し。そんな、この時代の幽霊怪談と、
当時のロンドンの雰囲気を味わうのも、また良いかも。
「ウェラム・スクエア十一番地」は結構怖い。
オブライエンの「あれは何だったのか?」と近しい内容。
「令嬢キテイー」は楽しくて、なかなかの佳作でした。
「事実を~」の舞台はロンドンで最も有名な幽霊屋敷で、
ブルワー・リットンの「幽霊屋敷」のモデルでもあります。
双方を読み比べると、書き手によっての違いが判るのも
面白かったです。
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・またである。何匹目の泥鰌になるのか。夏来健次編 「ロンドン幽霊譚傑作集」(創元推理文庫)、この手の物語の愛好家が多いのであらう。私もそれに当たるのか、何匹目かにもかかはらず私は買つた。この古風な物語にはこのまま捨て おき難いものがある。しかし、最後は忘れてしまふ。そんな物語ばかりである。本書には13編収録、 巻頭のウィルキー・コリンズ「ザント夫人と幽霊」のみ既訳あり、他の12編は初訳である。コリンズ 以外で知つてゐる人はイーディス・ネズビットぐらゐであらうか。「砂の妖精」の作者である。これ以 外の人は知らないのだが、ネズビットを含めて9人が女流作家である。意識して選んだのかどうか。たぶん意識せずにかうなつたのであらう。この19世紀末のヴィクトリア朝にはかくも女流作家多かつた のであらうか。「当時じつはその分野で最も大勢を占めていた現今知られざる怪奇系作家たち」(「編 者あとがきー魔の都、霊の市」388頁)とはあるが、女流には触れてゐない。19世紀末英国の、いかにも幽霊譚ばかりであつた。
・とは書いたものの、実は一番面白かつたのは巻末のウォルター・ベサント、ジェイムズ・ライス「令嬢キティー」であつた。共作だが、これは2人とも男性であらう。最初の解説には、本作は「ユーモア怪談で、小生意気な少女幽霊の憎めない魅力が微笑ましく、皮肉味のある落ちも利いた作品。」 (360頁)とある。珍しくユーモアに満ちた怪談である。しかもこの幽霊、昼間も出てくる。この手の怪談集でかういふ作品を読むのは初めてのやうな気がする。あつたかもしれないけれど、たとへさう だとしても、ごく少数でしかないであらう。何しろ、怪談を読むのは怖さを求めてである。ユーモアだ つたら最初からユーモアと謳つた作品を読めば良い。ところがこれはユーモア怪談であつた。先の引用の通りの作品で、「小生意気な少女幽霊の憎めない魅力が微笑ましく」といふのは正にその通りであつ た。幽霊に対する主人公(?)の男性も、簡単に少女の話に乗つてしまふ。このあたり、およそ怪談の雰囲気はない。最後もハッピーエンドである。世の中、かういふ怪談ばかりでは飽きられようが、かういふ怪談が少ないからこそ、この作品の存在価値がある。他の作品は普通の怪談である。例へばネズビット「黒檀の額縁」、これもよくある語り出しである。遺産として家を相続したところから物語は始まる。その居間に版画があつた。「暖炉の上の壁にかかる版画(中略)で、黒い額縁に収められていた。」(238頁)その額縁は「上質な黒檀製で、精妙で美麗な飾り彫りがほどこされてい」(同前) た。その版画をもとの油絵にもどすと、召使ひが「ほんとに素敵な肖像画ですこと!」(241頁)と 言つた。その絵は……といふことで、「以上がどのようにして愛する人を手に入れそして失ったのかの経緯だ。」(256頁)と終はる。額縁に関はる幽霊譚である。よくある絵から抜け出した人物であ る。絵にまつはる因縁も含めて、よくできた幽霊譚であつた。しかし、ネズビットは児童文学作家であ り、ファンタジー作家であつたといふ。私は「砂の妖精」しか知らない。こんな作品もあつたのである。アンソロジーといふもの、時にかういふ作者の別の面を見せてくれることもある。これもそんな作品であつた。本書はまともな幽霊譚ばかりだが、その中で「令嬢キティー」はいささか例外であつた。 これを良しとするかどうか。個人的にはかういふのもおもしろいと思つた。とまれ、何匹目かの泥鰌であつても、私は本書を楽しんだ。しかし、これがまだ続くとなるといつまでつきあへるかである。さて如何。