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マルクスのコミュニズムの構想を、集合的身体、受苦的身体など、初期疎外論、フォイエルバッハの人間学の影響などから資本論まで射程にいれながら論じている。
初期マルクスは、例えばアルチュセールによって認識論的切断をしたとされる。これは『ドイツイデオロギー』のテキストクリティック、後期マルクスから物象化論を展開していた広松渉によっても同様に認識されていた。
それを身体から、マルクスの思想を断絶を強調せずにトータルに読解している。
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経済学者ではなく、哲学者マルクスとしての
思想を詳しく知りたかったので購入。
mixiのレビューが一件もない上、そもそも
著者が何者なのかよくわからないので不安だったが、
まあそれなりに読みやすかった(あくまで哲学書レベルで…)
「私的所有の止揚」に対する
哲学的な思想は数あるが、『人間』という言葉をとって、
「人と人の間に『あいだ』があるのではなく、
あいだとあいだの間に『人』がいるとは考えられないか」
という示唆はなかなか興味深かった。
夜中にマルクス読んでると死にたくなります。
とりあえず本棚の肥しにしときますかね。
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このシリーズは著者の思いがダイレクトに伝わってきて好き。
とは言え本書は、少々文学的・感傷的に過ぎるところがあって、やや「やりすぎ」感がある。
マルクスの平易な解説というよりは、マルクスの思想のエッセンスは現代にどのような問題提起をするか、という文脈がメイン。
その解決策のようなものとして提示されたものの実効性について僕はかなり懐疑的ではあるけれども、「労働のための能力という一つのものさしで測られたものが、人間性や生活水準などなどすべてを決定づけてしまうことの不公平」などなどといった問題提起そのものは魅力的だと思う。
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ロックへの批判、マルクスのテクストを通して,私的所有への違和感、問題点を指摘した点は常識が覆された。初めて、少しだけだが、マルクスに触れられて、すでに共産主義の否定的な結果しか刷り込まれていない私には新鮮だった。
うすうす感じてはいたが、資本主義の人間疎外は事実なのだ。
ただその解決はどれほど難しいのか。
・各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!P99
・私的所有の感覚、自らの身体/生命にたいする「占有」感覚、「保有」感覚だけで生きているというのは、どこか一面的で薄っぺらな自己了解だ。それ以前に、というより生の基層には、世界を享受するという経験感覚がある。P101
・横に集まる。5人の都市。社会の自衛
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著者はまず、『経済学・哲学草稿』などの議論を紹介しながら、現代のわれわれにとって当たり前になってしまっている「私的所有」という概念に揺さぶりをかけます。そして、自分の身体と労働の対象を、主体としての自己が所有するという枠組みではとらえることのできないような、人びとのつながりがありうるということに、読者の注意を向けようとしています。そのうえで著者は、やはりマルクスの『資本論』を引用しつつ、資本主義のもとで人びとのつながりがどのようなかたちをとるのかということを論じるとともに、そのような状態から脱却する可能性を見つけだそうとしています。
なお著者は、『資本論』においても「初期マルクスの根本的な意想のいくつかのモメントがただちに失われていったわけではない」と述べて、いわゆる疎外論においてあつかわれていたテーマが受け継がれているという立場に立っています。この点について、著者の考えがくわしく語られているわけではないのですが、マルクスが「本源的蓄積が経済学で演じる役割は、現在が神学で演じる役割とほぼ同じである」と述べていることに触れながら、「原罪」としての「前史」はいまもなお「反復」されているという、ポスト・モダン的な発想の枠組みを採用していることが注意を引きました。初期マルクスの疎外論も、『資本論』において放棄されたのではなく、「前史」とみなすことができるのかもしれない、という気もします。
100ページをすこし超える分量の小さな本なので、マルクスの思想をていねいに紹介しているわけではありませんが、著者自身が関心のある問題に限定して、マルクスの思想のうちに深く入っていこうとする意図で書かれているように感じました。
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うーーん、マルクス思想の解説としては内容は良かった。他方、筆者の語り口が「〜ではないか」「〜ではないのか」と異常なほどの問いかけ構文になっており、結局その問いかけに対する答えが明確に示されないことも多々あり、その答えは何なんだよ!と、読んでいてイライラしてしまった。