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Timerを装着すると89歳までは健康で生活できる。その代わりに期限が来ると必ず死ぬ。人の寿命を操作する事で一見平穏な世界が生まれる。実は永遠の命を得る事が出来るのでは?人間の死とは何をもって死となるのか?期限を迎える妻と装着をせず老いていく夫がその謎に近づいていく。
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小説を借りたはず・・・
エッセイだった??
と思って読み進めると・・・
SFっぽいお話になっていって
なんとまあ〜〜な展開に
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人間の健康寿命を期限付きで確約するTIMERが存在する世界の話。
ん〜いまひとつ読みきれなかった。
白石一文作品は「道」「道心」「かさなりあう人へ」など心温まる作品を好んでいたが、本作の評価はあまり高くはならなかった。
健康と余命には関心はあるのだが…。
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デカルトの「我思う、ゆえに我在り」という大命題に始まり、量子力学からの多世界理論に至る作品世界。
(内容紹介)
89歳までの健康長寿を保証する世紀の発明"Timer"
"その日"が来たら、私の心と身体はいったいどこへ行くのか?
体内に装着したTimerの声に導かれ、余命わずかの老夫婦は、
人生究極の問いの答えを求め、禁断の地へ向かう――。
【あらすじ】
「どんなにかなしいことがあっても、本当にかなしむ必要はない。この世界に悲劇なんてものは存在しないんだから。」
89歳までの健康長寿を約束する夢の装置Timerを開発し、失踪したサカモト博士が残したメッセージにはどんな意味があったのか?
装着したTimerの消滅日=死を目前に、カヤコは突然、「博士を捜し出し、Timerの秘密が知りたい」と言い出した。その時限設定を解除した者は不老不死になるという噂もある。彼女の真意は不明だが僕は同行を決めた。
年老いて夫婦二人きりになった今、カヤコの死は、僕の死だった。
【もくじ】
記憶のベンチ
ふたりの自分
進化の怪物
ほどけていく夢
ほんとうに親しい者の死
幻視
孤立型年金生活世帯
「外し屋」と「死なせ屋」
不老不死の噂
同化
〝外し屋捜し〟
新しい領域のエネルギー
カヤコの存念
永遠のいのち
マレ、ミレ、ニレ、アレ
ミラクル・ベイブ
怒りと絶望の光
体内時空連続体変異
> 白壁五丁目
言葉の綾
ヒロコの死
奇妙な紙袋
不買運動
揺れるゴンドラ
マゴメトシミツの独白
求めよ、さらば与えられん
「この僕」
ヘンな流れ
「爆心地ゼロ」へ
焚き火
デルス・ウザーラ
パリは、パリになる
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命、死、概念について考えさせられる物語だった。
読むたびに感想が変わる本だと思った。
3年後位にまた読みたい。
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人生とは我とは何なのか。
まずは胡蝶の夢を思い出した。
器が蝶であってもカヤコさんであっても見た夢(人生)は我のものなのか。起きた出来事に意味をつけたら、夢枕漠の晴明の言うところの呪、またはラベリングしたら、思考として形になったらそれがその人の生きた、その人の視点の人生なのだろう。
幻想と言ってしまえばそれまで。他者からみたら全く違うように見えるのだから。
冒頭の記憶のベンチは新しいエネルギーが存在する場所でカズマサさんの胡蝶の夢が見られる場所なのかな?
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“70歳死亡法案”並の突拍子もないSF。人間の残虐行為が閾値を超え「怒りと絶望の光」が豚たちの体から発せられた。爆発した巨大な豚「ミラクル・ベイブ」タイマー自分なら着けるかどうか…生と死考えさせられたけど、最後は哲学すぎて理解できず。
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え?????なんか唐突に終わったんだが????
急にサカモト博士出てきて、「カヤコよ、あの光を見るがいい」とか言い始めて、そしたらカヤコはなんか太陽みて悟ってて、それがカヤコの最期の言葉だったとか言って、え???カヤコまだ余命残ってなかった?????ちょっとちょっと置いていかないで????
とまぁ、衝撃的な終わり方でした。
自分が理解不足なだけだと信じてる。
最期の方で出てきた「この世界は自分が認識したように存在する」的な話は、なんかどこかで聞いたことあるような…?と思って調べたら、哲学の唯識論という考え方でした。
このお話、仏教の考え方もめっちゃ盛り込まれてた…よね…?
世界の捉え方という観点ではすごく興味深い話だなと思いました。が、終わり方はつっこまざるを得ませんでした。おいおいおーーーーい!!!!
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人はどこから生まれてきて、死んだらどこへ行くのだろうか?
これが宗教が生まれた大きな理由である、葬儀のときには時々この話をしていることを思い出しながら読み終えた。
自分の命は、永遠の中の一瞬であり、広大な宇宙の中の1粒の塵にも相当しないかすかなものである。
と考えるのか、この世界は全てが自分を中心に動いている、自分が見て、聞いて、考える、これが人にとっての世界の全てである。と考えるのか?
死後の世界を考えることも、同じことなのかもしれない。