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他者ではなく自分のモードを選ぶこと、
自身の視座を客観視して、モードを選ぶ、自己との向き合い方の鍛錬こそがリスキリング
能力ではなく状態
今の職場での働きやすさの根源に近い考え方
ひとつの軸で誰かの能力を推し量るのではなくて
その人の持ち味がどうすれば生かされるかを考えること
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個人の能力から「関係性」へ焦点をずらしていく取り組みや事例が豊富。具体的なダイアログが載っていて現場の空気感が伝わってくる。コミュニケーション能力は個人的な能力だと思えなかったため購入。
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能力主義への反発は内心唱えてきたけれど、そもそもなんらかの基準によってもらいに偏りが生じることへの疑いはもてていなかった、と気づいた。働くことは人間どうしのかかわりである点がより前作よりいっそう強調されて、われわれのかかえる生きづらさは、本来組み合わさっている人間たちを個人に分断して序列をつけて競争させる仕組みによるものだ、という説得が胸を打つ。既にいま在ることを認める、励ましを得た。
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面白かった。口語調なので読みやすかった。
タイトルは『働くということ』だけど、仕事に限らず人が人を「選ぶ」ことが本当に可能なのか?という問い、人が集まって関わり合うこと(互いをケアすること)について語られていた。
振り返れば、これまで「強くなること」を無意識に自分に言い聞かせてきたところがあって、確かに仕事が出来るようになった部分もあるけど、それで生きづらくもなってしまったよなぁと。
今ここで誰かと仕事をすること、その関係性(組み合わせ)に目を向けようというのは肩の荷が下りる気がした。
脱・能力主義がすべてではない(筆者も認めているように)けど、「能力」にまつわる思い込みや「設定」から少し距離を置いて判断を留保する(ネガティブケイパビリティ)、そして今あなたとここで一緒に働いているという現象を見つめてみるのが大事なのかなと思った。
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人が人を能力によって選び、選ばれるという社会の構造に疑問を投げかけ、そのような能力主義を脱するために個人ができること、経済界や教育が変わらなければならない点が述べられていました。
人からの期待に応えることに生きづらさを感じている人は多いと思います。今思えばそういう教育を受けてきたんだなと思います。
少なくとも私は、家族や友人が「ただ居てくれる」ことに感謝して持ちつ持たれつで生きていきたいなと思いました。
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感想
人間関係。仕事と人の関係。それを無視して働くことは不可能。多様性が重視される時代。どうやって会社の理念と折り合いをつけてもらうか。
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なかなか意識を変えていくのは難しいけど、自分が何を「選ぶ」かは変えられそうだし、自分の身の回りからとかはできなくもない?
みんな同じような考えを持って働けたらなとは思う。
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星が5つでは足りません。
付箋が受験生の単語帳並みに貼られて
どのページも覚えておきたい、というか言語化したかった,して欲しかったフレーズで溢れていました。
なぜか人間関係に疲れてしまうのは、受験や就活や結婚を乗り越えても、「選ぶ選ばれる」という人間関係から逃れられていないからだと気づけました。
この本を読んだ今、選ばれない恐怖を少しずつでも手放すことで身軽になれる気がしています。
もしこの本を数年前に読んでいたら、きっと受け取り方は違いました。「選ぶ選ばれる」ではなく出会った人とどう生きるかが大切、と言われてもそれは受験・就職・結婚などで選ばれ続けてある地位までたどり着いた人だから言えるんでしょ、と東大卒でお子さんもいらっしゃる筆者に意地悪にも思ってしまいそうです。
同じことでも誰が言うかによって受ける印象は変わりそうだなという気づきをいただけました。
でも今の私は少なくともそのステージからはちょっとは進めているようで、ようやく、ようやく人生に余裕が出てきたかなと思えました。
選ばれるために、選べる立場に着くためにレベルを上げなきゃ、という焦燥感はどこまで行っても消えませんが、レベルアップに夢中になって削ぎ落としてしまった大切なものを少しずつ拾いたいです。
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小学生の頃から中学受験に向けて「選ばれる」ための教育を受けてきた私は恥ずかしながら、20代半ばになるまで「自分が下駄を履いている」意識があるようでないままに、疑いもせず能力主義のレールに乗って生きてきてしまいました。
でも、働くことでさまざまな他者と出会いを重ねるうちに、どうやら自分のこれまでは、決して自分の手柄ではないということが徐々に分かってきます。そもそも食べることに困らない家庭環境の影響を多大に受けていること、アダム•スミス同様に夕食は専業主婦の母に作ってもらっていたこと、それらが当たり前のことではないこと…。要するに運が良かっただけなのだと。
また、「ゴールを明確にし、逆算して効率よく物事を進めることが正しい」などという一元的な価値観を疑うことなく仕事をしてきてしまったがために、職場で直面する誰かの「怒り」(つまり「困り」)などの“非効率な”感情をどこか無意識に忌避してしまい、そこに眠る宝物のような「自分のあり方やモードを変える機会」を何度逸してきてしまったか分かりません。私は弱いんです。
本書は、そうした自分のこれまでのモードを改めて深く内省し、見直すきっかけをくれました。他者に対し慎み深く関わること、それを今後の人生の指針として心の中に持ちたいと思います。
加えて、かつて私の数学の恩師が「わからない問いにぶつかったら実験しろ」と言ったように、レゴ(led godt)社が社名から「あーでもこーでもないとよく(godt)実験し(lege)続けているか?」問いかけてきているように、「完成」を目的としない実験的な仕事•プロジェクト•組織•人への関わり方を探究したくなりました。
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他者に「選ばれる」とか他者を「選ぶ」と言うことが「正しい」世の中、つまり「能力主義」に洗脳されている世の中は、新自由主義が闊歩する現在、さらに強まってる。選ばれなけれが自己責任、また選んだつもりがそうでもないとか、最高の人材を集めたら会社の業績が上がるかといったら違うもので、スポーツでもスーパースターを集めると城主軍団になるかと言ったら違うものである。最後に「ケアの倫理」に触れているが、「正しさ」を疑ってみる思考、「周縁」とされる存在は作られた存在でないかと疑ってみることが大事という、改めてリフレーミングさせてくれる書であった。
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個人の能力が分配と直結している社会への違和感に著者なりの答えが提示されている。能力に応じて分配が決まるのはおかしい、との意見は一見社会主義的な発想につながるのではないかと思ったが、著者は組織論の立場から個人の組み合わせが重要なのだと語る。個人の能力に課されている役割が大きすぎる気はするものの、だからこそ自分の能力が評価された時の喜びも実際に存在するため、一概に能力の重要性を否定するのも難しいと感じた。ともあれ、本書終盤の変えるべきは他人ではなく個人のモードという主張は多くの人に届くべきだと思う
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今年のマイベスト!
ここ数年モヤモヤしていたことの輪郭がつかめてきた気がする。能力主義という実態のない曖昧なものに振り回されて、他人からの「評価」「選ばれる」かどうかに一喜一憂してきた。効率・タイパなどがもてはやされることで、見落とされしまうことがある。
問題はあっても、今現在進行形で私たちは日々を送っている。そのことの価値と、では、他者と少しでも心地よくやっていくために、自分のモードをどう選んでいくか。「あ、そういうモードもあったのか!」と気づけることの豊かさを再確認した。
何でも数値化すること、○〇力の育成、向上に振り回されているのは教育現場も一緒。評価するのではなく、それぞれの持ち味を見つけ、認め合うことの大切さが広がっていくような何かを見つけたい。
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なるほど、苅谷剛彦先生に師事していたと言うことで、共感して、グッと胸についたり、世の中に怒りを覚えたり、そう、それを言いたかったのよ、と思うことあり。(前半の教育社会学のくだり)
本田由紀先生や苅谷剛彦先生の本を改めて読みたいね、と思う。
一方、本書はなかなか難しい。と言うのも、私がガッチリガチガチに能力主義の中で生きていて、より良く、より成長を、もっともっと、と生きているから。
じゃぁ、褒め合うだけで、どうより良くなったら良いの、より成長するには?が、頭を擡げる。
高度成長期じゃあるまいし、という一節もあるが、それでも、頭を支配して離れない、成長志向。
これが生きづらさの根源と言われても。
そもそも論としての、能力とは、その人が勝ち取ったものじゃなくて、そう言う状況がもたらしているものである。
『どのような社会においても、人間は親から受け継いだ遺伝子や生まれた環境に大きく作用され、それらは多く偶然と言わざるを得ない。「市場競争」の結果もまた多く「偶然」に影響されるものであるとすれば、その結果は常に各人の自己責任に帰すべきであるということも成り立たないはずである。』
には、賛成なのだが、でも、その、実装に頭が追いつかないのである。
ありたい姿は、そこなのに。
新自由主義に、資本主義に、絡め取られているのです。
組み合わせの探究、と思って、余裕を持って、柔らかく、苦しまない、思考を「選択」したい。のだが。
競争から、包摂へ。。。
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多分、勅使河原さんと話したら面倒くさい人だなぁ、って思っちゃうだろうな。
自分が話す意見に対して、いちいち、「本当にそうかな?そんなにすぐ決めつけちゃっていいの?」ってツッコミが入りそう。
やっぱり、自分の言うことに「おっしゃる通り」と同意されたり、「それでいこう」と結論づけるほうが楽だもんな。
わからないものをわからないままでい続けることってしんどい。
でも、職場で認められようとしゃにむに働いている今の自分にとってはいい薬になる本だった。
自分が職場の同僚をみて、「こいつは仕事ができる、できない」と思ったときに、
「いや、ちょっと待って」と立ち止まる、
そのきっかけができたと思う。
今自分が決めつけようとしている相手の能力は、
刻々と揺らいでいる、状態の一瞬を切り取っただけかもしれない。
ただ置かれている環境の組み合わせの良し悪しかもしれない。
自分が見落としてるところをその人がカバーしてくれてることに自分が気づいてないだけかもしれない、
自分が人を決めつけて選ぶのでなく、
自分のモードを変えてみる、言うは易しですが、
心がけたいと思います。
存在するかも怪しい、理想の社員を必死に探すことと、今いる社員がうまく噛み合う関係性を作って出来るだけよりよいものにしていく、
どっちが理想論ですか?
まるで婚活みたいだな。
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で、結論は?という部分については微妙な読後感。とはいえ問題提起としては本当に共感だし、著者が「我が子や次世代のためにもっと生きやすい世の中を遺していきたい」という姿勢で書いているという背景も胸に響く。
これから人口減と生き方の多様化がますます進めば、選ぶとか選ばれるとか言ってる場合でなくなるのは明白。「たまたま隣にいた人とお互いうまくやっていく」「置かれた場所で咲く」という覚悟が必要になるということなのかなと、自分の中で結論づけてみたり。