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オデッサという、元ナチスの親衛隊で組織されお互い助け合う秘密組織があることを初めて知った。
「オデッサ・ファイル」は、主人公のルポライターであるミラーが一冊の日記を読みナチスの収容所で殺人鬼を呼ばれた男を探しだす話である。
中身はフィクションとノンフィクションが混ざり合っているらしいのだが、ナチスのことが詳しく書かれている。
残虐な大量虐殺などを行った人間が何食わぬ顔で社会生活をおくっている殺人鬼を許せない主人公の執念が伝わる。
結末でその執念の理由が明らかになる。
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まあまあ面白かったけど、期待していたほどではなかった。
ミラーはせっかく手間かけて化けたのに、自分の目立つ車に乗って
あっさりバレてしまったり、不用意すぎる。
それにオデッサの処刑人" マック・ザ・ナイフ "、マヌケすぎだろ。
あとロシュマンの用心棒も。爆弾仕掛けられた車の処分は
近い将来どうなるんだろうとか思っていたら、そう来たか(笑)
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一人の青年ルポライターが戦後のナチスドイツの親衛隊の救済組織に鋭く迫っていく。モサドやユダヤ人側の訴追組織の思惑が複雑に絡む中、中核へと一歩一歩近づく程に高まるスリルは本書の醍醐味である。
後年のフォーサイスの作品と比較するとプロットの緻密さにおいてはやや欠けるが補って余りあるテーマの深みがある。
1972年当時、本書に記載・言及されている内容は、後日、事実として報道されたことが多い。この小説が当時の事実を超える真実を多く語っていると当時の読者が感じたことは想像に難くなく、このジャンルでの卓越した作者の才には感服する。
主題となるナチスドイツの親衛隊は、血の団結力を誇り、優秀な人材を取り揃えただけに、ユダヤ人収容所など第二次世界大戦後の大きな傷となった。
もしかするとドイツ人の戦後感が、わが国の戦後感と違うとするなら、敗戦と同時に逃げたナチス親衛隊のもたらした影の影響があるのかも知れない。
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面白かったんだけど、お父ちゃんの敵討ち的な設定が不自然に思えて、横溝正史かよ!と。マスターピースなんだろうけど、ちょっと残念。
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”オデッサ”とは、ナチス親衛隊(SS)のメンバーの救済を目的とする秘密組織のことである。
ルポライター、ペーター・ミラーをオデッサと結びつけたのは、老ユダヤ人が遺した一冊の日記だった。それによればリガの殺人鬼と異名をとったナチ収容所長、ロシュマンは、今もドイツに生きているという。
日記のある箇所がミラーの注意を惹いた。彼は憑かれたようにロシュマンの追跡を始めた。だが、それはタブーへの挑戦であり、組織の手はしだいにミラーの身辺に及び始めた…。
奥が深くて、必ずしもラストに読者をスッキリさせる類の本ではないのですが、ペーター・ミラーを通して、SSのメンバーを追い詰めていくストーリーです。
ヒトラー率いるナチス親衛隊がどれだけ残酷非道なことをしたのか、漠然と理解していましたが、戦後の混乱にまぎれて自らの保身のために国防軍をも時間稼ぎの駒として使ったことや、"オデッサ"を通じて行った行為は絶対に許せません。
ペーターは父親の復讐のためにロシュマンを追い続け、陰でモサドからの支援を受けていましたが、そこまで危険を冒してまでも復讐をやり遂げたかったのでしょうね。
ペーターを傀儡あるいは媒介者として、"オデッサ壊滅"への過程には十分すぎるほどの臨場感があり、冒頭で筆者が元SS隊員からの情報協力があったと述べていました。
こういう潜在的な危険というのは、今現在も世界のどこかの地下でうごめいているはずです。
戦争はいつになっても終わることがない…それが私の実感です。
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1972年の世界である・・フォーサイスの視点、執筆は何処までが事実でどこからがフィクションか混然となっていることは重要なキーポイント。
当時、アルツハイマーになって行った亡き父が「こんな面白い小説はない」と絶賛しており、20歳台で読んだ記憶がある・・がちんぷんかんぷんで私の孫綱頭では分析、玩味不可だった痛い記憶がある。
今、読み返し「今年最高の読んだ本」になかにランク☆
ページターナーと化した。
21Cに入り、化学的分析も加わり、ナチス追及の手は再び鋭くなっているとか・・出版も相次いでいる。
作品内の文に在るように「SSという特定の存在は独国民全体有罪論の陰に身を隠している。RSHA内の2つの部門が悍ましき世紀最大の責任を有している」とある。
初読当時掴めていなかった「実は、エジプトがナチスに同情的であった」がメインテーマという事は明確な驚き!!
南米がナチの主だった受け入れ先なようにエジプトもそうだったとは。
それから半世紀以上過ぎ、世界は根底から覆りが連続している・・いや し続けている~南米はもとより、アラブ諸国はロシアと手を結んで行っているし、イスラエルとも交渉のテーブルに在る。
そしてサブテーマであるロシュマンの存在。かくしてミラーは狂言回しだったという事、してラストがこういった形で読み手にとっては不消化感有るのは当然の成り行きだったという事も納得。 リガに収容所が有ったという事は知らなかった・・自ずとマンデルの「リガから来た女」の内容が思い出されたが。。。
何かにつけて言われるWW2の敗戦側の戦争責任、裁いた側の裁判内容の詮議が言われて久しい。
我が国の戦争責任もさることながら、独逸の在り様を見習うべきだという声も聞こえている‥そういうドイツの在り様は20C後半で「素早い保身と名誉ある地位への返り咲き」をした多くのSS幹部と彼らへの追及内容に温度差が混在してあったことは今後も解明が続いて行くに違いない。
今度は同じく、今一つ不明な読後に終わった「ジャッカルの日」を読まないと。
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ストーリー展開に無理はないので小説としてはいいと思うが、今思うとフォーサイスはジーモン・ヴィーゼンタールに取材した割にはゲットーと強制収容所の区別がついていないので化粧をして若く見せようとして生き延びようとしてドイツ出身の老女が出て来る。そんなものがどこにあるのか?アウシュヴィッツで言うところの「カナダ」か?日記の書き手となったハンブルグ出身のユダヤ人がカポーになった設定が一体どういう意味を持っているのかも。カポーはユダヤ人にとってゲットーのユダヤ人評議会やユダヤ人警察と並んで「ドイツ人の手先」と忌み嫌われる存在なのに。
ヒムラーが内務大臣でドイツ警察長官でもありハイドリヒがインターポール長官だったように第三帝国時代の警察はSSと一体化しているので主人公が見せられた「警察官の中のSS将校の経歴」は空々しい。それこそゲスターポ(秘密国家警察)長官だったハインリヒ・ミュラーは元々警察官だ。それに元武装SS将校が「零時」の後で警察官になった例もあるだろうし。
何よりも主人公の年齢ではギリギリ小国民隊に入隊して英軍相手にパンツァーファウストを向けていた事になってしまうのに再軍備後に始めて徴兵で連邦軍に入隊して軍隊生活をした設定になっている矛盾に気がつかなかったようだ。
「「ドイツ人全体」と個々の関係者は別」というのはヴィーゼンタールの個人的な経験に導かれた結論だが、フォーサイスにしてみればドイツ語圏で本を売る為には必要な設定だろう。
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偶然の積み重なりやすれ違いはスリリングだけど、ちょっと私とはテンポが合わない感じ。車爆弾の成否にも疑問があるし、シモンらがミラーを簡単に見失ったのも拍子抜けな感じ。