北京から来た男
凍てつくような寒さの未明、スウェーデンの小さな谷間の村に足を踏み入れた写真家は、信じられない光景を目にする。ほぼすべての村人が惨殺されていたのだ。ほとんどが老人ばかりの過疎の村が、なぜ。休暇中のヘルシングボリの女性裁判官ビルギッタは、亡くなった母親が事件の村の出身であったことを知り、一人現場に向かう。事件現場に落ちていた赤いリボン、防犯ビデオに映っていた謎の人影……。事件はビルギッタを世界の反対側、そして過去へ導く。刑事ヴァランダー・シリーズで人気の北欧ミステリの帝王ヘニング・マンケルの集大成的大作。
北京から来た男 下
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2024/11/30 17:23
非常に重厚な作品だった
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投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終わって、ただため息をつくしかできなかった。
これはミステリの態をよそおった現代中国レポートといっていいと思う。さらに中国の百年の歴史を、サン兄弟をコロンブスのように世界を一巡りさせることで俯瞰的に見せてくれた構成も興味深い。一般にミステリーや犯罪小説は、ある人間や時代を深堀してゆくのに適したジャンルだと思うが、本作はまさしくこの目的のために敢えて選ばれた形態だと思う。
裁判官ビルギッタは、大量殺人事件を一定の距離を保ちながら観察しつつ、友人とともに北京に旅立つことを決意する。かつて社会的不平等を解決する唯一無二の思想だと思われたものを現実の国造りの基礎とした中国を、ぜひこの目で見なければならないという衝動に突き動かされて。
社会主義の理想郷と思われていた現代中国は、西欧諸国の資本主義と何ら変わらず、闇雲な再開発と地上げ、その陰で行き場を失う庶民たちの困窮という様相を呈していた。通りすがりの青年に不用意に容疑者と思しい写真を見せたことから、路上強盗とその後の事情聴取という予期せぬ渦に巻き込まれてゆく。
そのことが後に、共産党内部の権力闘争へと発展し、かつての植民地政策さながらの強引な経済取引をアフリカ諸国に持ち掛けるヤ・ルーを代表とする勢力と、建国当時の思想に忠実な国家運営を目指すホンクィの勢力との対立を引き起こす。
特にアフリカでのシーンが、実際にモザンビークに住んでいるマンケルの目を通した非常に現実感のある迫力に満ちている。中国では経済発展の恩恵を受けられない庶民たちを大量にアフリカに移住させようという計画は、先日そういった若者たちを描いたドキュメンタリーを見たばかりだっただけに、いっそう生々しいものを感じてしまう。
そしてビルギッタにも凶刃が迫り、舞台は突如ロンドンに移る。ここまでくると、ロシアの工作員が裏切り者をロンドンのレストランのテーブルに神経毒を仕込み、死に至らしめた事件さながらで、読者は実際のニュースレポートを小説化したものを見ているような錯覚に陥ってしまう。まさにマンケルはそういう効果を狙って、現実の事件の要素を盛り込んだのだろう。
衝撃的な幕切れの後、ビルギッタは自分が知りえた情報を手紙にして捜査当局に伝え、自分自身の人生へと戻ってゆく。あくまでも時代の傍観者、一人の観察者という立場を彼女に与えたことが、一市民の目線こそがグローバル化などよりも重要だというマンケルのメッセージだと受け取った。ビルギッタの職業を裁判官としたことは、淡々と地道に仕事をこなす父の姿を常に目にしていたマンケルの思いが反映されているに違いない。 ヴァランダーシリーズ以外のこのような読み応えのある作品もぜひ続けて翻訳してほしいものだ。
2024/11/11 18:33
マンケルはノンシリーズものも凄い
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴァランダーシリーズの最後にすすむまえに、ノンシリーズの本作があったことにいまさらながら気付き、ぜひ読まねばと手に取ったが、やはりマンケル作品だ。
世界の片すみといってもいいようなスウェーデン北部の寒村での事件が、時間も空間も越えて遥かな世界に繋がっている。世界経済のグローバル化と言われて久しいが、物だけではなく人間そのものが商品として海を越えて取引されていた時代(現代にいたってもこの闇のグローバル取引は続いているが)が確かに存在したという重い事実は、上巻を読むだけでも痛いほど伝わてくる。人が人を家畜のように売買する。現在民主主義を掲げている欧米諸国のほぼすべてが、この商取引に手を染め、自国の経済発展に利用してきた。この事実に目をつぶることは決して出来ず、自国の繁栄の礎の最も最下層に埋もれた彼ら彼女らのことを忘れてはいけないと思う。
やがて虐げられた人々も、いつしかそのグローバル経済の波の中から浮き上がり、その波がしらに立って進むようになる。そうなった時、彼らは祖先の受けた仕打ちをどう感じるのか?そういう過去をなかったこととするものもあるだろうし、遅ればせながら世界経済を牽引する立場にたった今こそ、失われた富と成功を取り戻すときだと新たな人々を売買することに邁進するものもあるだろう。
この難しい問題を、凄惨な大量殺人事件をとおしてマンケルは我々に問いかけている。
物語は、大量殺人の犠牲者の関係者であり、かつてはマルキシズムが世界の不平等を解決する絶対的な思想だと信じた女性ビルギッタの目を通して語られる。
60年代に世界の若者たちを虜にしたマルキシズムと、その考えが実現された国家中国に過大な期待と憧れを抱いたビルギッタたちを世間知らずと笑うことはできないだろう。かつてのエネルギーに溢れた自分と、いつしかそこから遠ざかり、恵まれてはいるが共に暮らす人間の心もつかみきれなくなっている現在の自分。二つの視点から事件の根を掘り出すべく、百年前の日記を読み、地球の裏側の中国へと旅立つ。
スケールの大きさが、そもそもこの作品のテーマが、人間の歴史と、その中で繰り返し行われてきた蛮行だということを否応もなく突き付けてくる。下巻の展開が待ちきれない。
北京から来た男 上
2016/08/30 21:21
北欧から見た中国の姿?
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヘニング・マンケル=ヴァランダー警部シリーズ、のイメージがどうしても強いので(『タンゴステップ』も当時ノンシリーズ扱いだったが世界観は共有していた)、ヴァランダーが出てこないのは寂しい。 しかし彼の著作数から考えればヴァランダー警部シリーズはその一部でしかなく、シリーズの邦訳も残りが少なくなっている現在、今後邦訳が待たれるヘニング・マンケル作品はほぼ単独作になるだろうし、そのことに自分自身も慣れなければいけないんだな、というのがこの本を開き始めたときの覚悟だった。 10月に、多分遺作なのであろうエッセイ集『流砂』が出るそうなので、それを読んだらまた気持ちが変わるかもしれないけれど。
スウェーデンの谷間のある小さな村は、ほぼ住人が老人ばかりという過疎の村。 が、ある寒い日の早朝、ほぼ全員の村人たちが惨殺されているのが発見される。 被害者の中に、自分の母親の養父母の名前を見つけたヘルシングボリの女性裁判官ビルギッタは、現場に向かうことに。 何故彼らは殺されなければならなかったのか。 遺品の日記を手掛かりに、ビルギッタは警察に情報提供しながらもいつしか事件を追いかける・・・という話。
冒頭のエピソードだけならほとんど『八つ墓村』のようですが、似ているのはそこだけ。
ビルギッタは裁判官だけど刑事ではないので(個性強そうな警察官も出てきますが)、ジャンルとしては警察小説ではないし、犯人を捕まえる使命感も弱い。 なので広義のミステリではあるものの、これを“推理小説”とは呼びにくい。 むしろ、これは歴史上で移民が果たした役割と、ビルギッタという主人公に託した「かつて共産主義にかぶれた若者だった人々のその後の人生」とをオーバーラップさせて描いた一種の大河物語だから。
でも私は「へー、スウェーデンでも毛沢東主義に傾倒して革命を夢見た人たちがいたんだ」と驚き、日本の学園紛争時にいた「世界同時革命を実現させようとしていた人たち」の考えがまったくの絵空事ではなかったのだ、ということに(実現可能だったか、というのは別にして)、ぞっとする思いがした。 私はそのあとに生まれた世代なので、革命運動にのめり込んだ人たちの気持ちが理解できなくて。
ビルギッタやかつての仲間はまだちょっと毛沢東を美化している感があるけど、距離があるからこんなものなのかな。 日本のほうが中国との距離が近いから、いろんな話題が入ってきてしまう。 しかし彼女たちがかつて夢見た“中華人民共和国幻想”は、日本人も騙された“北朝鮮幻想”とどこが違うのだろうか。 いつの時代も結局、情報をコントロールしたものが優位に事を運ぶことになるのだ。
タイムラグがあるものの(作中での現在は北京オリンピック開催の2年前)、リアル中国の結構近い姿を書いてあるような気がして・・・さすが取材を怠らないヘニング・マンケル。
むしろ、あまり中国に興味のない北欧の人々に向けて現状を知ってもらおうと書いたのではないだろうか、という気がする。 あくまでテーマはそこなので、事件や犯人の重要性は途中でどこかにいってしまってもかまわない、と思ったのでは。
それでも上下巻一気読みですから、彼の情熱はすさまじい。