経済の革命者、兼戦国の覇王
2021/12/26 22:16
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投稿者:司馬青史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
経済を理解する者こそが、国家を制す。
織田信長は、まさしく経済の革命者だった。
古来からの既得権益を切り崩し、日本の経済の仕組みを一変させた。
その姿勢はまさしく破壊者、革命者そのもの。
しかし、信長の破壊なくして、その後の日本はありえなかった。
戦国の覇王による経済システムの破壊と創造。
それこそが、戦国から江戸、ひいては明治に至る経済成長へと日本を誘った。
この本が見せる経済の革命者・織田信長の姿は、閉塞した時代には実に新鮮だ。
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戦国時代は群雄割拠の時代で多くの名将が自国の領土を広げるために日夜努力をしていたようですが、各戦国大名は戦術を上げることに努力したようです。
一方、織田信長は短期間でほぼ日本の主要部(当時の日本は近畿地方がメイン)を支配したのですが、その差は何にあったかと考えると、鉄砲(火薬の原材料の調達ルートを独占する等)や年中戦える兵役制度があると思います。
それは当時としては独特でほかの大名が真似することができなかったのですが、それを可能にしたのが、この本の主要テーマである「信長の経済力」だったようです。
信長の本は多くありますが、彼の経済力に着目して分かり易く解説した本に初めて出会うことができ嬉しく思っています。
以下は気になったポイントです。
・当時の日本で大砲を造れるのは、豊後の大友宗麟のみ、彼は西洋からの武器を輸入するため、国を挙げてキリスト教の受け入れをした、そのためイエズス会は大砲の鋳造方法を教えた(p13)
・信長は絶対に他の武将とは異なることをしていたキーワードは、1)寺:仏教寺院を迫害、2)城:居城を何度も替え新しく巨大な城を造り続けた、3)港:領地よりも重要視した、である(p16)
・当時はアンタッチャブルであった寺院に、信長だけは聖域とされていた寺社に手を出した、抵抗は大きかったが、その分、実入りも大きかった(p19)
・商人は、座に属さないと商売ができなかった、鎌倉時代中期からあらゆる職業に「座」が作られていた、布・酒・油等の販売業者だけでなく、建設・運輸・芸能関係まで(p29)
・信長は別の市をつくって、地子銭を廃止した、ただし冥加金はとっていた、街が発展すれば冥加金の収入も増える(p32)
・上杉謙信は、柏崎と直江津の2つの港の関税収入のみで、年間4万貫(10万石の年貢収入)に及んだ(p35)
・今川義元との知多半島をめぐる抗争の最終章が「桶狭間の戦い」である、その直前には知多半島の根元にある大高城をめぐって攻防戦を繰り広げていた(p39)
・「防御御札」がある場所では、軍は陣を構えたり狼藉は禁止されていた、信長は「防御御札」による「判銭」や「制札銭」と呼ばれる税金を収入源とした(p41)
・1494年に、ローマ教皇にも承認されたトルデシリヤス条約は、キリスト教を布教することを条件として、ポルトガルとスペインで世界を二分してよいというもの(p44)
・イエズス教会の宣教師は、布教活動と交易をセットで行っていた、ポルトガル貿易の取引額は、1570~1630年までに、290万から440万クルサド(100万石の年貢収入)であった(p45)
・南宋が滅んで(1279滅亡)からは、元王朝が紙幣使用を強制したため、中国で使い道のなくなった銅銭が大量に日本に流れ、これが紙幣として流通するようになった(p53)
・金貨銀貨の流通は、金や銀の生産とは関係がない、信用できる政権が貨幣の使用を働きかけることが、貨幣の流通を促すいちばんの近���、武田信玄が甲斐で金貨を造っても流通しなかった(p59、67)
・信長が楽市楽座を行ったのは、加納・安土・金森等の領地の一部のみで京都では未実施、この政策の意味は、日本の商業に価格破壊をもたらしたこと(p77)
・一般には鉄砲は種子島からもたらされたと思われているが、1510年には中国、朝鮮経由で、1510年に銅製の火縄銃がもたらされている(p82)
・信長が目を付けた港は、堺(100万石以上の収益可能)・大津・草津であり、副将軍や管領職には遠く及ばない魅力があった(p85、90)
・信長が堺・大津・草津に代官を置いたことは、東国の大名にとって、西日本からの交易ルート(特に弾薬の原料となる硝石)を完全に押さえられたことを意味する(p94、98)
・戦国時代の8大財閥のうち4つ(山門使節、青蓮院、興福寺、比叡山三塔)は自社関連で、興福寺以外は比叡山関連であった、これらが撰銭令(粗悪品の銭に対する取扱い)の対象になった(p106)
・重要な商品は自社によって牛耳られていた、酒は比叡山、織物は祇園社、麹は北野社、油は南禅寺(p113)
・信長の延暦寺焼き討ちの140年前には、延暦寺(比叡山)は園城寺に因縁をつけて焼き討ちにしたことがあった(p118)
・石山本願寺は頑強な抵抗を続けてついに、徳政令適用除外の特権を得た、これは商人保護であり商人が集まってくることになった、さらに諸公事免除、治安権も取得して、独立国家のようであった(p120)
・本願寺等は門徒を招集することで数万人の兵を動員できた、これは数十万石の大名に匹敵する、また寺院そのものが要塞であった(p126)
・近江は太閤検地のときに78万石であり、陸奥国についで二位であった、面積比から見るとダントツのトップ(p135)
・信長が天下統一目前までいくことができたのは、善政(価格低下により生活が豊かになった等)のおかげ、領民から支持されていないと一揆や反乱により他国へ攻め込むことは不可能(p163)
・明から銅銭が入ってこなくなったため、年貢を銅銭で納めるのは不都合になり、年貢を銅銭で納める貫高制から、1577年以降の越前検地から米で納める石高制に転換した(p169)
・信長は庶民には減税、金持ちから税金をとる方針であり、それが、楽市楽座・京都の地子銭免除・比叡山焼き討ちであった(p171)
2011/8/14作成
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信長について、内政・経済政策の面から語っている本。戦国時代の寺社勢力が現代の財閥的存在であり、信長の政策は富の再配分を目指したものである、という考察が面白かった。自分のやってみたい、戦国経済学で先鞭を取られてしまったかもと、ちょっと悔しく思うけど、良書。
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信長の経済戦略が良く纏まっている。
・寺:比叡山や法華経、一向宗から商業&流通利権を剥奪
・城:税務署、商都&軍都、テーマパーク
・港:軍需物資の掌握、最大の税源
↓
1.枡の統一
2.貨幣流通量の拡大(金の貨幣化)
3.領国内の私設関所の撤廃
4.道路網の整備
5.楽市楽座の導入
6.兵農分離
7.検地(差出ではなく、実測)
8.一円支配の確立(重層的支配の否定)
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さっと読める上に面白い本でした。
信長が行った数々の施策をマネーという角度から捉えます。
資金面から競争力を常に優位にあるために、いかに人の集まるところを抑え、また人を集めることに腐心していたかがわかります。
岐阜城・安土城など、豪華な城を何度も建てたのは領民に安心感を与える象徴を示すため。その上で寺社が持っていた座の権利を奪い取り、楽市楽座を行い、人を集めることで情報とモノが集まってくる。
また、本願寺をはじめとする寺社勢力と対立したのも、彼らがすでにアンタッチャブルな存在になった経済力・軍事力をもつ集団であったがため。
戦国時代を経済の面から捉えた本として大変面白い内容でした。
同時に、これだけの革新的な施策を次々と出すことがなぜできたのか?そこに次の興味が移ります。
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「信長まじすげぇぇぇええ」が読後の感想。
信長といえば桶狭間の戦いで圧倒的少数の戦力でありながらも、「戦略」によって大軍、今川義元を討ち滅ぼしたことからしばしば「戦の天才」にたとえられます。
ほかにも延暦寺などの仏教を迫害したイメージも強いことから、どうしても軍事においては比類なきカリスマ性を備えているけれど独裁的な人物であったと思われがちです。
けれど本書を読めば、そういった間違った(というより浅はかな)信長観が大きく崩れ去って再構築されていきます。
比叡山延暦寺、石山本願寺などの「寺社」を攻撃した理由。
安土城は日本初のテーマパークだったという話。
いずれも、新鮮で興味深いものばかりでした。
また、この本は「あとがき」にとても良いことが書いてありました。
(普通、あとがきというのは出版に至った経緯、謝辞などで読者はあまり楽しめないものなのですが、この本は違います。)
信長は軍事に限らずに成し遂げたその数々の偉業から「天才」だと表現されますが、実は信長がやったことは「ほかのだれもがやろうとしていたこと、やりたいと思っていたこと」だったのです。
思ってはいたけれど、誰も実際には手を出せなかった鉄砲の大掛かりな導入や、港(商業の中心)をおさえることや、寺社の解体、貨幣の統一、関所の撤廃など、さまざまな妨げる要因を振り切ってきちんとやったのが、唯一信長だったのです。
【 現状の問題点を直視し、”前例にこだわらず”に解決策を探り出し、粘り強く実行する。それが、信長のやり方だった。
「事業を成す」とは、つまりそういうことなのだろう。】
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■信長経済
A.当時(信長の時代)寺社というのは、経済社会の中で非常に大きな利権を持っていた。
あちらこちらに荘園を持っていたし、港を抑えて大きな関税収入を上げたり、市や座を取り仕切って、多くの地代を得ていた。
だから信長は、既存の市とは別の市をつくり、寺社や公家の影響力を排除したのである。
B.比叡山は戦国時代、日本最大級の財閥だった。
C.戦国時代、権威が分散しているので、農民としては、だれに年貢を納めていいかわからなかった。
D.信長の城下町錬金術
1.築城とともに城下町、楽市楽座を建設する。
2.周辺の人や富が集まってくる。
3.税収が増える。
4.また新たに築城する。
E.日本の南蛮貿易を取り仕切っていたのは、イエズス会の宣教師たちだった。
彼らは、日本でのキリスト教の布教と引きかえに、貿易を行ったのである。
だからこそ西国の大名はこぞってキリスト教を受け入れた。
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天下人を目前に本能寺で死んじゃったご存知織田信長 そんな彼はただの戦争名人なだけではなく経済の面でも一流で色々画期的な事をやってたのだ、って感じで信長の行いを経済観点から考えてみましたって一冊
まずちょっと考証弱すぎと言うか薄すぎじゃね?と思ってしまった そもそも信長の経済的観点からの功績も、過大評価ぎみだったり「きっとこんな事をしたのだ!考えていたのだ!」と言ってみたり
基本的に信長最高!アイラブ信長!って姿勢で書かれているからなんだか説得力も薄く感じてしまう
信長が不出世の大人物であったことはわかるし、戦争は金がかかるから経済も色々やったではあろうけど、なんか信長最高感がどうしてもダメだった
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「織田信長」という人物を経済政策で再定義した一冊。桶狭間の戦いでの今川義元討伐から「天才軍師」と見られることもあるが、以後の戦法は主に物量作戦だったことから考えると近代的戦略家且つ超有能政治家と考えるのが正しいだろう。
関所撤廃や比叡山延暦寺焼き討ちでの利権構造解消は比較的有名で目新しさには欠け、論理の強引さと史実検証の甘さは否めない。しかしながら金銀の流通、升の統一など一見すると地味な実績に着目して仮説を立て、一般史料から読み解く姿勢が意欲的な作品である。
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織田信長の先見性のある経済政策、公平性の政策について残された書物より明らかにしている。
あとがきにあるように、「だれもがやろうとしていたこと、やりたいとおもっていたことを、きっちりやり遂げたもの」と述べている。また、「現状の問題点を直視し、前例にこだわらずに解決策を探り出し、粘り強く実行する。それが、信長のやり方だった。」とある。
先の読めない現代を生きる者として、信長のやり方、考え方を参考にさせていただきたいと思う。
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信長や経済について詳しくなくても読みやすい内容です。著者の解釈が多く書かれているのも面白いです。「既得権益を恐れない為政者」、格好いい。ただ、終盤に述べられている「一般民に優しかった」というのは少し結果論すぎる気がします。
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経済から見た信長礼讃書。
但し天才では無くシンプルに誰もが考えていても実践に移せないことをやり遂げた実行力を評価しているのには同感。
権威を上手く利用して他の人が創ったシステムを徹底改良しているのもあるがやはり飛び抜けた人物ではあると思う。
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戦国武将の経済的視点ぽい内容だったのでKindleセールで購入。戦国というとどうしても槍や鉄砲のドンパチを想定するが対寺、築城、港と軍資金を得る施策を実にリーズナブルに考えて実行してきた信長の考え方が面白かったです。比叡山焼き討ちなどどうしても悪逆非道の面も見える彼ですがやり遂げる心の強さがないと寺社が勢力をはびこって鬱屈した次世を変えられなかったのだと。
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2011年刊。著者は元大蔵官僚。◆織田信長の成功は圧倒的な経済力を有するに至ったからという観点で、彼の政策・軍略を解読。◇経済力獲得要因は①寺の経済力を剥奪、②港の支配、③治安維持を中核とする築城、それに伴うデベロッパ的な都市形成。しかも、金を対価とする「名物狩り」を例示に、市中に撒いた大量の金で貨幣の地位を確立した意義を強調。また、金の流通増が遠隔地交易を促進したとも。◆なお楽市楽座下でも冥加金は徴収したのは非公知か。◆さて個人的には中世寺社勢力の経済分析が課題。寺社寄進は信長でも止め得なかった。
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概ねタイトル通りの内容ではあるのだが、新書らしく内容も薄い。題材は『堺と琵琶湖周辺という経済拠点を抑えていたから金があった』『長篠の戦いは戦術ではなく、経済力の差による勝利だった』『寺は金と権力持ってたから敵対した』『交通の便のいいところに城を作って城下町を発展させた』『税の取り方を一本化したから農民ウケは良かったはず』などなど。わかりやすくはあるのだが、単純化しすぎてるせいで信憑性に欠ける。
また、出典の多くが信長公記とされているが、その正確性が検証されないまま全て事実として引用されているのも気になる。
本書の内容の全てを鵜呑みにしないよう気をつけさえすれば、軽く楽しむことはできる一冊。