世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
著者 岡田芳郎 (著)
酒田、雄大な庄内平野の最上川河口に位置する街には、世界に誇れるものがあった。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館(グリーン・ハウス)。そして開高健や丸谷才一、土門拳が愛し...
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
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商品説明
酒田、雄大な庄内平野の最上川河口に位置する街には、世界に誇れるものがあった。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館(グリーン・ハウス)。そして開高健や丸谷才一、土門拳が愛したという料理店(ル・ポットフー)。なんとそれらは1人の男――佐藤久一がつくったものだった。酒田大火の火元となった映画館が彼の波乱に富んだ人生を象徴する。(講談社文庫)
目次
- プロローグ 酒田大火
- 第1章 グリーン・ハウス その1 1950~55年
- 若き映画館支配人・佐藤久一
- 「おしゃれをして行かないとね」
- イベントの先進性
- 佐藤家と酒田の歴史
- 久一の生い立ち
- 第2章 グリーン・ハウス その2 1955~64年
- 久ちゃんとセールスマンとの丁々発止
- 淀川長治、荻昌弘らの応援
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地方発の文化発信を実践した、希有な「文化プロデューサー」の生涯とその時代
2010/09/17 13:35
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
つい先日、今年(2010年)の9月の初めのことだが、生まれて初めて酒田市にいっていきた。47都道府県のほとんどに足を運んでいる私だが、山形県が数少ない未踏地帯となっていた私は意を決して庄内平野と出羽三山への旅にでかけたのだが、庄内平野を代表する二つの地方都市である酒田と鶴岡を訪れたのはいうまでもない。
この旅から帰宅して数日たった頃、文庫本の新刊でこの本が出版されたことを知った。まさにセレンディピティというべきか。『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』・・・おお、そんな映画館とフランス料理店が戦後の酒田にあったとは知らなかった。そんなことをやり遂げた経営者がいたとはまったく知らなかった。これは読まなければと思ってさっそく読み出した。熱中して一気に読んでしまった。旅の前に読んでいたら、おそらく酒田にはまた違った印象をもったことだろう。
酒田は東北の地方都市というよりも、日本海側の地方都市というのがふさわしい。江戸時代に河村瑞賢が開設した西回り廻船の繁栄によって、「西の堺、東の酒田」と並び称された湊町。裏日本と蔑称された日本海側こそが、本来はオモテ日本だったのだ。交通物流体系が抜本的に変化したいまは、その面影はイマジネーションで再現してみるしかないのだが。
現在では発展から取り残された、レトロ感漂う、落ち着いた地方都市といった印象が強い酒田であるが、往事の繁栄はそれはすごいものだったのだろう。その痕跡は市内の随所に残っている。アカデミー賞受賞の映画『おくりびと』のロケ地に選択されたのもむべなるかなと思わされる。私が生まれた、同じく日本海側の地方都市・舞鶴にも似たものを感じるのだ。
食材の豊富さは、とくに庄内平野と出羽三山を背後にもつ酒田は、日本海の海の幸だけでなく、山の幸もともに供給できる素晴らしい土地なのである。こんな土地柄の地方都市で、名家の長男として生まれたのが本書の主人公・佐藤久一であった。遊び好きで、金に糸目をつけず感性を大事にする酒田っ子、「結構人」の系譜に連なる男であった。
酒田の地で取り組んだ事業である「世界一の映画館」と「日本一のフランス料理店」。これらは戦前ではなく、戦後の酒田に存在したのだ。現在でこそ、「地方発の文化発信」は当たり前のものとなっているが、行政の働きかけではなく、経営者としての感性、こころざしによって、自らの意思に基づいて「文化事業」を実行し、成し遂げた男がいたのである。
佐藤久一が成し遂げたことは、ほぼすべてが時代を突き抜けて先駆けていた。進みすぎてはいたが、けっして地に足がついていなかったのではない。地方都市・酒田において、地域住民のニーズを先取りし、むしろ一歩進んだものを提供することで教育し、需要を作り出していったのである。
私は、この佐藤久一という人物に多大な関心を抱いただけでなく、この本は「ビジネス書ではないビジネス書」として、多くの人に薦めたいと思った。サービス産業の生きた事例として、いやホスピタリティ産業の生きた事例として、大いに研究し、大いに学ぶべきものがこの一冊には凝縮して詰まっているからである。
著者の岡田芳郎氏は電通でイベントやCIを推進したビジネスマンであったとともに、自らの詩集も出版している詩人だという。主人公の佐藤久一と同年生まれだが、サラーリマンとして満ち足りたビジネス人生を送った著者は、自らしゃしゃり出ずに、佐藤久一という類い希な文化プロデューサーの人物を描き出すことに専念している。そしてそれは十二分に成功しているといっていいだろう。
「世界一の映画館」の経営者ではあったが映画製作者ではなく、「日本一のフランス料理店」を経営したが料理人ではない。つまりクリエーターではないが、プロデューサーとして、またバツグンの目利きとして、海外の映画を、その土地に根付いたフランス料理を、地域住民を中心に提供することをつうじて、日本全国から集客することも可能にした男。映画館では満たされなかった夢を、舞台としての料理店、ライブとしての料理ともてなしで実現した男。
経営は、夢と数字とのバランスを両立させることにあるのだが、佐藤久一の場合は、やや前者が勝りがちであったようだ。現実的だが、理想化肌の人だった。現実的なだけでは面白くない、理想を実現するためには現実の数字は無視できない。まさにバランスであるのだが、経営とは難しいものだ。パトロンとしてのオーナーがいたからこそ成り立った「日本一のフランス料理店」だったが、積もり積もった累積赤字のため、ついに引導を渡され、その後は燃え尽きるように消えて行く。
子供の頃から最高の文化を享受し、ホンモノに触れて育った男が実現した夢。やりたいことをやり抜き、走り抜け、見果てぬ夢を抱きながらついに燃え尽き、倒れた一人の男。こんな人がいたのだということを知るためにも、ぜひ一読を薦めたい本である。
よくぞ掘り起こしてくれました
2010/12/28 13:04
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
1976年10月に発生した酒田市の大火災から本書ははじまる。負傷者1003名、死者1名を出したその火事の原因は、本書の題材のうちいっぽうである世界一の映画館「グリーンハウス」の漏電と推定されている。輝かしい姿と人々の思い出は炎になめつくされ、結果として佐藤久一という人物を懐かしく語ることに、ある種の封印をする一因となった。
本書は、輝いていた映画館と一流のフランス料理店を手がけた男性、佐藤久一の物語だ。
グリーンハウスは佐藤久一が大学を中退してすぐに支配人を務めた映画館で、もともとはダンスホールであった場所を父親が買収したものだ。なんの変哲もない場所だったが、彼は次々と斬新なアイディアを出して一流の社交場に変え、市内や近郊の人々はお洒落をして出かけたいと思う場所に育てあげた。
上映作品の選び方や実際の配給も東京の有楽町と遜色なく、映画館の雰囲気や機材のすばらしさもあって、淀川長治や荻昌弘にも知られた存在だった。
いったんは坂田を去り、東京で劇場に勤めた佐藤だったが、ふとしたことから食材の仕入れ部署をまかされる。そのとき、どの映画作品を自分の映画館に買い付けるかを考えていた時期の楽しみとそれがまったく重なることに気づいた。同時に、食材を集めても最後までの責任(調理や給仕)に関与できないことに物足りなさも感じていた。
そんなとき、坂田にいる父親からフランス料理店を出さないかと声をかけられ、周囲に声をかけて(人材を引き抜いて)故郷にもどる。そこで彼はまず「欅(けやき)」、そしてのちに、本書の題材のもういっぽうである「ル・ポットフー」に心身を捧げることとなる。
…ひと息に読んだ。
何と愛すべき人物像だろう。関係者や直近の人間にとっては、ときとして困る状況になったことは想像に難くないが、天才と呼ばれる人、後世に名を残した人の何割かは、そうしたものだろうと思う。
あとがきによると、著者は定年後に姉の知人(佐藤久一の妹)から話を聞かされ、数年かけて取材活動をおこなった。よくぞ掘り起こしてくれたと、お礼を言いたい。