佐渡裕さんは大好きな指揮者の一人です
2023/08/29 23:13
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投稿者:ぼちゅ - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐渡裕の人となりを垣間見た思いです。
人はそれぞれにいろいろな人生を送っています。この本を読んで、相当の苦労人だなと思いました。
クラシックを聞いたことのない人にも読んでいただけたらなと思いました。
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指揮者、音楽監督の佐渡裕さんの音楽、音と向き合う姿勢を通して佐渡裕さんがもつ価値観や、音楽を奏でるための考え、受け継がれてきたことが書かれている。
一部は自分自身がちょっとだけ音楽を学んでいたときに、先輩たちから言われたことや先生から聴かされた事と同じような事が述べられているいて、セオリーなんだなぁと感じた。
中盤には楽曲をとおした話が多いので、興味がでたらコンサートに足を運んでみるのも楽しいと思う。
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頓智のきいたタイトルに思わず買ってしまった…
帯の惹句「音楽が持つ本質的な力とは―異なる価値観を持つ人々がともに生きる世界を肯定すること」にもひかれる。
副題「指揮者は時間を彫刻する」は恩師バーンスタインの言葉の引用。本文のあちこちにも、これまで佐渡さんが直接間接に学んだ巨匠たちの含蓄深い言葉が引かれていて、音楽への愛と情熱、音楽への信頼と使命感がこれでもかこれでもかとつたわってくる。
前半は「音を出さない指揮者ってなんのためにいるの?」という疑問に答えるべく、楽譜をどう読み、それにもとづいて演奏者とどうコミュニケーションするのか、といった具体的なエピソードを重ねる。
ベルリン・フィルを振った経験を軸に指揮者に対するオーケストラとうはどういうものかを紐解く章を挟んで、後半は、40歳で出した前著から十数年、その後取り組み始めた「一万人の第九」「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」「スーパーキッズ・オーケストラ」、そして「題名のない音楽会」の司会や兵庫芸術文化センターでの活動などを通して体感した音楽の力の話。より多くの人に音楽の喜びを届けたいという思いがつまっている。
日本と欧米での「第九」の立ち位置の違いや、楽器の演奏にはお国柄が出るという話など、はじめて知ることも多く、楽しく読了。第九全曲聞き直しながらもう一度読みたい。
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『鶴瓶の家族に乾杯』で佐渡裕さんの縦笛によるタイガーマスクの曲(しろいぃーマァットのぉージャァーングゥルゥにぃー♪)を聴いて感動。中学生の教室が舞台だったらクラスのヒーローになって当然だと思いました。師匠のバーンスタインの指導のシーンが印象に残ります。後任を育てる人としても一流の技能を持っていたことが良く分かりました。
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20150507読了
2014年10月発行。「はじめに」によると、単著三冊目。指揮者活動30年の現在における指揮者論、音楽論。2015年秋、ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督就任を目前に控えての思いも綴られている。●一冊目「僕はいかにして指揮者になったのか」34歳で書いた自伝、二冊目「僕が大人になったら」1997年から2001年の連載をもとにしたヨーロッパでの奮闘記。●1万人の第九にいつか参加してみたい。どんな声でも受け入れるというのが素敵。専門的に勉強した人だけの世界ではなく、歌いたい世間一般の人たちに開かれている第九だから続くんだろう。
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オーケストラは、指揮者の能力や人格を即座に見抜く 僕はただ、後ろ盾もマニュアルもなく、一人で屋台を引っ張るようにしてやってきた そのとき僕は「世界最高峰のオーケストラ」の意味を知った。彼らは音楽に仕える人間であり、そのことに誇りを持つ人たちだった 僕は迷ったときは頭の中で楽譜を開く 勇気は誰でも持とうと願えば持てる。そして、勇気を出せたものが夢をつかんでいく
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裕らしい音楽に対する温かい心、またシロートにクラシックの良さを伝えようとする情熱が感じられる。今までのマエストロとは違ったタイプの指揮者である。
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指揮者朝比奈隆の最後の舞台の話に感動。指揮者も大切だけど、オーケストラはまずオーケストラありきだと思いました。
全編を通して、オーケストラと指揮者と観客の三者が音楽を作っており、どれが欠けても本当の音楽は作れないと語られていました。この1冊を読むと、コンサートホールに足を運んでみようかという気持ちになります。
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副題「指揮者は時間を彫刻する」~§1楽譜という宇宙・指揮者は何のためにいるのか・楽譜は建築で言えば“設計図”・オペラの音の作り方に潜むメッセージ・光に憧れたヨーロッパの芸術家達・「ウェストサイドストーリー」という革命・「キャンディード」のドミソに込めた世界観・子どものころから読譜に夢中だった・巨匠だけが浴びる特別な光・夢で気付かされたこと・指揮棒5センチの動きだけで音を出す・指揮者は料理長のようなもの・秘訣は早く楽団の主を見つけ出すこと・自分のものにするまでには相当な時間がかかる・「ボレロ」を最後のほうから逆に演奏した「ロレボ」・指揮者は作曲家の召使い§2指揮者の時間・その音がほしければ,指揮台の上で何をしてもいい・独学で身につけた指揮法・音に酔ってしまうといい音はつくれない・自分の音を言葉にして伝える・「レモンのしぶきがパーッとかかるくらいの強さに」・演奏会はサーカスの綱渡りに似ている・身体が反応を起こす演奏をしたい・客席から指揮を通して譜面が見える・会場全体の“気の塊”を動かす・対照的なカラヤンとバーンスタイン・ライバルを楽しむ二人の巨匠・ウィーンのアメリカ人指揮者・マーラー作品をより深く,より強烈に表現する・“巨匠”と神格化する時代は終わった・新しい時代の指揮者に必要なこと・地道に音を組み立てていく職人§3オーケストラの輝き・ヨーロッパと日本のオーケストラの音の違い・音から色彩感や空間意識を受け取る感性・「大きくなったらベルリン・フィルの指揮者になる」・指揮者が奏者に試される場・「ハ長調ほど美しいものはない」・抜きんでた反射神経を持つベルリン・フィル・文化が壊された中で市民が守ったベルリン・フィル・音に集中できる理想的なホール・オーケストラは指揮者が心を開くのを待っている・今日の演奏が客席にいる少年佐渡裕に誇れるか・可能性がゼロでなければあきらめない・音楽に仕える世界最高峰のオーケストラ・音楽のよろこびの絶対基準§4「第九」の風景・音楽は何のためにあるのか・世界遺産のような存在の「第九」・ベートーヴェンの自筆譜から読み取れること・群衆の心にサプライズを起こす天才・ベートーヴェンを驚かせる音を出したい・第一楽章-混沌から試練へ・第二楽章-肉体的な快楽・第三楽章-恋愛,隣人愛,人類愛・第四楽章-単純な旋律に乗せたメッセージ・一人ひとりが主人公になってほしい・一万通りの人生を響かせる・「音を楽しみたい」という欲求に火をつける・すべての人に向けてつくられた曲・「デュッセルドルフで第九を指揮してほしい」・拍手の代わりに捧げられた2000人の黙禱§5音楽という贈り物・バーンスタインから受け継いだもの・大人が一生懸命やっていることを見せる・子供たちは何に心を躍らせるのかを考える・京都の路地で遊んだ経験・偶然を超えた巡り合わせ・美しく振動する空間にみんなを連れて行きたい・神々しい世界が音楽にはある・子どもたちだけの弦楽オーケストラ・音楽は共に生きることを肯定する・東北の海に向けた鎮魂の演奏・「私はやっと涙が出た」・オーディションを受ける勇気・恥ずかしいほど“僕の音”がするオーケストラ・人にとって音楽とは何なのか・劇場へ足を運ぶ���とが生活の楽しみになる・「うちのオーケストラ」と言えるような関係・音楽に何ができるのか・音楽は神様からの贈り物§新たな挑戦・世界一音響のすばらしいホール・客演とはオーディションを受けているようなもの・州の支援を受けるトーンキュンストラー管弦楽団・責任は重いが,そのぶん可能性を秘めている・ウィーンのオーケストラを任されるということ・深いクラシック音楽のよろこびを知るために・一回しか振らなかったところからのオファー・ウィーンがなぜ「音楽の都」と呼ばれているか・自然の美と人工の美が調和した美しい場所・誰もがよろこびを味わえる音楽を届ける~1961年京都生まれ。子どもの頃はブースカやサンダーバードに熱中し,小学校ではタイガーマスクのテーマを縦笛で吹いて一体感を感じた。京都市立芸術大学でフルートを専攻したが,バーンスタインや小澤征爾に師事し,1989年にフランスのコンクールで優勝。1993年から17年間,パリのコンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者を務める。神戸の震災を機に作られた芸文ホールで芸術監督を務め,SKOで日本人に可能性を感じる。2008年からは題名のない音楽会の司会も務めている。…らしいが,世界的指揮者と聞いたのは,ようこそ先輩だったか・鶴瓶の家族に乾杯だったか,その後で題名の司会者だと知るが,本当に世界を飛び回っている忙しい人なんだなぁ。人生を棒に振った人ではなく,棒を振る人生を選んだ人だ
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感動に次ぐ感動!指揮を巡る逸話の数々。ベートーベンピアノ協奏曲第4番第2楽章を振りながら、中学時代の友を思い出し、「神がそこにいる」と感じた途端の止まらない涙の指揮。それを評する河合隼雄氏の絶句。ラムルー管弦楽団と「ボレロ」の逆演奏をした際の、オケの一体感。そして全員涙のアンコールでの「ボレロ」。ブラームス4番を開始する際の、オケへのイメージの伝達の言葉が凄すぎる!「一人の貴婦人を舞踏会にエスコートするといに、差し伸べた手の上にそっと女性の手が重なってくる。その瞬間に音を鳴らしたい」またショスタコ第5番の第3楽章のチェロへのメッセージ「この楽章は寒く冷たいモノクロの世界です。チェロだけが色を持っているかのようにメロディを奏でてください。」まさに哀切な旋律が聴こえてくるようだ。師バーンスタインから聞いたカラヤンとの確執も音楽性についての違いの本質を感じさせ、深い意味で楽しい。
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著者の音楽に対する熱い思いに満ち溢れた本。音楽の持つ力を思う存分に語ってくれている。クラシック音楽を聞く人も、聞かない人も楽しめる。世界の第一人者ともいえる指揮者たちが、音楽を広めることよりも、子どもたちへの教育に力を注いでいたと言うことに重みを感じた。東日本大震災での演奏会の話には、「頑張れ」とかそういう安易な言葉を超えた元気づける思いがビンビンに伝わってくる。教育、子育て、復興、ビジネスなど色々な分野にもつながる内容だったと感じた。
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「音楽は体で求めていないといけない」など、多くの示唆を得た是非読み継がれたい一冊。
2001年名古屋で行われた、余命2ヶ月(当時93歳)の朝比奈隆氏と大フィルによるチャイコフスキー交響曲五番。指揮者は譜面台に手をついたまま動けなかったが大フィルの演奏は一糸みだれず、団員は皆涙を流して演奏を続行した。
本書はこれが指揮者の究極の姿だとして紹介している。私の涙も流れていた。
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ヨーロッパで特に高い評価を受け、今秋からウィーン楽友協会大ホール(通称「黄金のホール」)を本拠とするトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任した佐渡裕氏が、自らの指揮者論・音楽論を綴ったもの。
師のバーンスタインは若い頃の佐渡氏を、「ジャガイモを見つけた。まだいっぱいついている泥をすごく丁寧に落とさなくてはならない。でも泥を落としたときには、みんなの大事な食べ物になる」と評価したのだというが、その佐渡氏が、自らの人生を振り返りつつ、音楽に対する思いを200ページに亘って語っている。
「指揮者はその設計図を見て、作曲家のつくり上げた建築物を想像し、それを建てるためにどういう職人(演奏者)と、どういう材料(音)が必要で、どの職人と職人がどういうふうに力を合わせれば、優れた建築物が建てられるかを考える」
「最も指揮者にとって大切なのは、「自分の音」を実際にどう鳴らすか」
「オーケストラのメンバーたちが「この指揮者と一緒に音楽をしたい」と思えるかどうかが、指揮者の条件としては、より本質的な要素になる。・・・指揮者に求められるのは、音楽的な求心力と同時に人間的な魅力」
「指揮者にとっては楽譜の勉強も必要だが、感性、感覚を磨くことがより本質的なこと」
「人のいのちだけでなく、音のいのちもまた生まれては消えてゆく。それを繰り返して音楽ができる。だから、音楽をすることは、いのちを扱っているようなものだ。音楽もまた時間の中にある。演奏は一回だけしかなく、奏でられた音はもう消すこともやり直すこともできない。だからこそ、美しくてはかない」
「人によって価値観は違い、生き方も異なるが、一緒に生きること、それをよろこびとすることが人間の本質だと思う。音楽はそのことを体感によって教えてくれるし、それが音楽をする本来の意味だと思う。それぞれが自分らしい音を出しながら、それでいて人の音に耳を傾けることで美しい響きが生まれる。僕たちは音楽をすることによって、人と人との違いやぶつかり合いをポジティブに捉え直すことができるのだ。・・・もし神様がいるとしたら、音楽は神様からの贈り物なのだ」等
私は学生時代に井上道義氏や故・山田一雄氏の指揮で歌った経験があり、仕事でヨーロッパに駐在していたときには現地のオペラハウスに行ったものだが、本書を読んだ後ほど強くクラシック音楽が聴きたいと感じたことはないように思う。事実、本書読了後は、通勤時にYouTubeで本書に載っているベートーヴェンやマーラーを聴く毎日である。
「音楽は人生において最も美しいものだ」と言い切る佐渡氏の熱い思いが詰まった良書と思う。
(2015年10月了)
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大物指揮者たちやオケとのエピソードがとてもよかった。
指揮者の仕事や社会的な役目の話など、指揮者という仕事の想像を超えるような深さを感じた。
また、音楽とは?人間とは?その存在意義とは? といった哲学的なことへの佐渡さんの考えがふんだんに書かれてて有意義な本だった。
第九についての章は、感動に似た感覚を読みながら感じた。
第九をちゃんと聴いたことがないので、聴いてみようと思う。
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音楽家の能力って、単に楽器を自由自在に操って、思い通りの音を出したりすることだけじゃないんだな、と改めて思う。
音楽以前の、人、周りの物事に対するエンパシーとか、音楽を愛し、それにより周りの人を動かしていく心の力とか、そういったところが必要。
佐渡裕さんを見ていると、そんな気持ちがしてくる。
この人の「感染力」と強さは、テレビでも見た。
某公共放送の、某落語家とぶっつけ本番の旅をする番組。
佐渡さんのお膝元、神戸でのロケだったと思う。
突然幼稚園のママさんコーラスの指揮をするシーンがあった。
伸びやかな声を出す合唱団ではあったけれど、佐渡さんが「ビートを感じて」などと、僅か何分かの指揮と指導で、歌に生き生きとした表情が出てくるのだ。
力のある指揮者って、こうなんだ、とわかった。
指揮科出身でないので、「野良育ち」みたいなことが言われてきた人だけど、とんでもない。
少年時代からスコアを読むのが好きだったとある。
やはりこの人は指揮者になるべくしてなった人なんだろう。
音楽の喜びは筋肉の細胞が反応するという、独特な表現があった。
今、ブルックナーの七番がFMから流れている。
何だか、分かるような、違うような。