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タイトルに惹かれて買った本
内容にはそれほど期待はしていなかったのだが、意外と面白かった
ある意味幸福論的な内容で、大半の部分が著者の生涯を書いたものとなっている。
結論としては好きなことをしろってことでしょうか
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役に立つか立たないかではなく、その経験を生かせるか生かせないかは本人次第。これは何でも同じだと思う。
哲学そのものではなくてもそれにかかわってきたことが著者にとっては生きるための役にたち、そのように生きてきたことを楽しめている。
自分もそのように思えるように生きたい。
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最初と最後だけ読んでみた。中身は本当にbrowse。
『したいことをしたい』著者に共感したこの言葉。
そして、回り道なんて結構と。
もともとは『哲学って何?』って想いを持って買った本だったけど、そんな想いには答えてくれず、全く別の問題に答えてくれた。
ただ、哲学を取ったことによって、著者がどんな人生を送ることになったのかは垣間見えた。
まぁ、ただ誤算と言えばこの著者がかなりのボンボンだったってことだけどw
ただ、進路に悩んでいる生徒、学生は気晴らし程度に読んでみたら良いのかな、と感じた。
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筆者の人生経験を踏まえて哲学が役立つかを解説。哲学というよりも筆者の体験談がメイン。親が本を読んでいれば子供も本を読むようになる。人生、回り道ばっかりしていたけど結局はよかった。回り道していても回りじゃない。
哲学は本当に人生に役立つのか、と言ったら私の人生には役立っている。人生=哲学のようなものです。
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第4回(09.02.18)田原
タイトルに釣られて選びました。
「カントは〜」「デカルトは〜」みたいなものを期待しておりましたが、
実際の中身は、著者のエッセイのようなものでした。
その中にあった気になった表現がこれ。
親がなんでも与えてしまうので、なにかを好きになるという意欲が育たないの
です。飢餓感があって、子どものほうから「あれがしたい」「これがしたい」
という気持ちにならないと、なんでも長続きしないものです。子供が自分から
夢中になれるものを見つけるまで、親はなにも言わずに見ていればいいのです。
1歳の子供を持つ身として、ちょっと考えさせられました。
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2011年、初めて読了した1冊!
著者の木田氏はハイデガーの専門家だとか。
本書は同氏の半生と、代表的な思想家の表層的な紹介のみ。
哲学者とは、過去の思想家の実績を研究するだけなのか、自身がその成果を持って新たな思想を展開しなくても良いのかという疑問だけがのこった作品。そもそも、本書内で参照されている思想書の類を理解していることが前提だと言うことを理解した。"無知の知"を理解したということか?
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戦前~終戦直後(サンフランシスコ講和条約あたりまで)の生き方・価値観は現代と全く違っている。理性的な語り口でこのあたりを描ける著者は貴重だ。
著者らは13歳~16歳くらいでもう一人前に仕事をする。現代からみると「しっかりした大人」という印象がある。したがって、単純に年齢で人物を推し量るのは無意味であることがわかる。すなわち「もう二十歳なんだからしっかりしなさい!」という叱咤は無効である。人々が社会に適応するスピード・傾向・強さはビックリするほど相対的だ。
本の大部分は怒涛の生い立ち(この部分はスゴイ)と哲学史。まえがきにあるような現代人の疑問についてはもう少し書いて欲しかった。何気なく書いてある語学学習のコツは興味深い。
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ご自身の幼少から、哲学に没頭していった大学時代、そして現在に至るまでを書かれた本。
タイトルの「哲学は人生の役に立つのか」という問いについて、ご本人は「おわりに」の中で以下のように答えられています。
はじめにも言いましたように、「人生の役に立つ」ということが、世のため人のためになるという意味なら、やはり私には哲学が役に立つものだとはとうてい思われません。しかし、もしそれが私自身の人生において救いになったか、ということなら、確かに私は哲学に出会うことによって救われた、と言っていいところがあります。ですから、哲学は役に立ったと認めざるを得ないでしょう。」
これは、本当に素直に書かれたことなんだろうなぁと感じました。
少なくとも、「~は絶対だ」と言われるよりは、よほど「あぁ、哲学をしてみたいなぁ」と思えます。
*
哲学とは、「学ぶもの」なのだろうか、「するもの」なのだろうか、という疑問が、この本を読んでいて湧き上がってきました。
そこで別の本を開いてみると、一番最初にカントの言葉が目に飛び込んできました。
「哲学を学ぶことはできない。哲学をすることを学びうるだけである」
あぁ、やっぱりそうなんだなぁ。哲学は「する」もので、学ぶものではないんだなぁ。
では、「哲学する」とはどこから始めればいいんだろう・・・?
*
この本を読んで、表層的な面をとらえると、「語学を学習する方法」や「回り道をしてひょっこり出てきたところにまた新たな道ができた」という話などが得られる。
しかし、そんなことをこの本から学んでもそれはそれであって、もっと深いところを学ばなければいけないんじゃないだろうか?
それは果たして、何なのだろうか・・・?
そういう感じを持った本でした。
全然すっきりしないので、★4つ。
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有名な哲学者である木田元氏の自伝的な位置づけの本。戦後の混乱期、闇市で生計を立てていた件など、哲学とは無関係な部分が面白い。
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[ 内容 ]
江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、あてもなく焼け跡の東京へ。
テキ屋の手先や闇屋をしながら、何があっても食べていける術は身につけた。
しかし、いかに生きるべきかという悩みは深まるばかりの青年期。
ドストエフスキー、キルケゴール、やがてハイデガーの『存在と時間』に難問解決の糸口を見出す。
それから半世紀以上を経て、はたして答えは見つかったのだろうか──。
八十歳を迎えた哲学者が、波瀾の運命をふり返りながら、幸福、学問、恋愛、死生観までを縦横に語る。
著者は哲学の勉強をはじめるまで、農林専門学校に通うなど、さんざんまわり道をしてきた。そしてハイデガー思想を理解したいために、カントやヘーゲル、フッサール、メルロ=ポンティという具合に何十年もまわり道をした、と言う。
しかし、まわり道をしたからこそ、新しい道が開けてきたのだと思う、と回想する。
思いきり悩み、迷いながらも、力強く生きることの大切さを教えてくれる好著である。
[ 目次 ]
序章 「幸福」なんて求めない
第1章 混乱の時代を生き抜いてきた
第2章 思いきり悩み、迷えばいい
第3章 頭より体力が基本だ!
第4章 哲学者だって女性に惑った
第5章 人生ずっと、まわり道
第6章 遊びも一所懸命
第7章 好きなことをして生きる道
終章 死ぬための生き方
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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タイトルに期待をしてはいけない。しかし、著者の波瀾万丈な来歴を読み当時の若者と現代の若者の違いを知り、本自体は役に立ったと言える。生きる環境によって普遍的な若者像が構築されるのではないか。横並び主義の日本において、追随する若者が増える。これにより揶揄されている「ゆとり」や「草食系」などの造語が新しく生まれる、すなわち「負?の連鎖」が起きてしまうのだろうか。
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哲学者・木田さんの半生を振り返るエッセイのような本でした。おじいちゃんの話をを聴かせて頂いている感じです。
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哲学やってた私としては語学の学習方法のくだりは、自分も熱中したことなのでものすごく共感しました。7章の「やりたいことは努力して身につける能力だ!という意見はやりたいことがみつからない方にはこういう考えもあるんだと参考になるでしょう。また、親の立場からの考えも述べられているので、子育てにももっと役に立てるんじゃないでしょうか?
終章の旧制度の高等学校や大学にあった戯言「高校に入って哲学書をよまない奴はバカだ。大学に入ってまだ哲学書を読んでいる奴はもっとバカだ」というのは爆笑しました。
やりたいことを追求する人生ってどんなの?ということに興味がある方におすすめです。ちなみに内容は哲学に関してではなくて自伝です。
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木田元の自伝みたいな。さらさらと書いてるけど戦後の混乱のなか哲学を選んだ木田元はやっぱりすごいし、壮絶な人生だとおもう。闇屋、農業学校、からの哲学って。時代の違いだけども、この年代の方の人生というのはわたしにはすごいものに思えてならないし、わたしは自分の人生の物語性の無さに悲しくなってしまう。それは贅沢な、無神経なことでしょうか。でもどうしても、ああこういうひとが哲学とかできるんだなあ、って、ね。内容は自己啓発書とかによくありそうなことを書いてるんだけど、こういうのって筆力よりも作者の人格と実績によって印象が変わるとおもいます。木田元のようなひとに言われると納得、ってかんじ。好きなものに真摯な姿勢が眩しくて羨ましい。
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著者の語学習得のコツを改めて知りたいと思い読みました。でも本書の後半は人生一般(恋愛、仕事、子育て、死)について記してあるので、読んで良かったなと思いました。基本的にこの著者はどの本を買っても(哲学専門書を除けば)、大概書いてあることは一緒なので、もし読むのであればどれか気に入った本一冊を読めば十分かと思います。僕も大学院時代にこの人の本を何冊か読んだことがありますが、やはり内容はあまり変わりませんでした。
僕の勝手な持論ですが、自分が麻雀をすることもあり、作家にしても学者にしても芸能人にしても麻雀をする(していた)人は何となく信用がおける。「何か好きだな」って、特に本を読んでて感じる著者の人は、麻雀をしていた人が多い。僕の指導教員もそうだし、この著者もそうだ。「教授なのに、勉強ばっかりしてないで(麻雀などをする)、遊び(余裕)を知っている人なんだな」という感じがするから。
この著者は高校時の英語はもちろん、大学1年時に独語、2年時にギリシヤ語、3年時にラテン語、大学院1年に仏語を習得した人で、各外国(古典)語を習得する過程が凄まじい。やはり語学は繰り返し、そして短期間集中なんだと改めて思う。それができなきゃ苦労しないけど。
本書の後半が、恋愛、仕事、子育て、死について著者が思うことをエッセイ風に書いている。
・愛について
愛についてギリシャでは「エロス」、「アガペー」、「フィリア」という3つの語があり、特に「エロス」とは「まだ自分のものになっていないものを何とか手に入れようと、どこまでも追い求めていく愛」だそうで、「フィロ(愛)ソフィア(知)」は「知」が自分のものになっていないからこそ、それを何とか自分のものにしようとすることで、知を愛し求める以上、「愛知者」はまだ知を所有していないわけで、それが「無知」を自覚する(有名な「無知の知」です)ことだ、との記載に「なるほど」と、改めて感じました。そして、今まで意味がよくわからなかった『惜しみなく愛は奪ふ』という語句の意味が腑におちた感じがしました。
・仕事について
著者は「働かなくてはいけない」というのは、脅迫観念ではないか、と問う。自分が好きなことをして、最低限食べていけるだけのお金があれば、それで良いじゃないか、と提言する。70歳以上でこういうことを言える人ってほとんどいないんじゃないだろうか。
・子育てについて
親は子供が好きなことを見つけるのを見守り、好きなことを見つけて、その対象に夢中になれば、それを応援するだけで良い。何かを押し付けるものではなく、子供の自発性に任せるべきだという。
・死について
著者は自分が研究してきたハイデガーの考え方より、サルトルやメルロ=ポンティに共感を覚えるという。
ハイデガーは「死とは、現存在(=人間のこと)がこれ以上存在できないという究極の可能性」と言っている一方、サルトルは死は「可能性」なんてものではなく、「私の誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様、私の死、つまり私が死ぬということも、理解したり、それに対処する��となどできない不条理な事実」であると解している。
死についてのハイデガーの分析に僕は影響を受けてるし、唸る。でも人生を考えた時には、僕はサルトルに共感を覚えるのだ。
生も死も不条理であり以上、どうやって生きていったら良いのか、(自殺しないのであれば)存在し続けないといけないという苦しみは20代前半から消えることがない。
・余談
ニーチェと妹の仲について疑問に思っていたが、まさか近親相姦の可能性もあったとは知りませんでした。
ガンを経験した著者が70歳を超え、改めて感じた心境が率直に述べられていて、得ることがありました。
著者は序章で、人類・人間の将来について、かなり悲観的に考えている。将来のことは誰にもわからないが、この本を読んで、「哲学なんて人生の役に立たない」ということがわかるのではないでしょうか。