事件や犯罪を引き起こす人間とその周囲にあるものを理解するために
2004/08/22 10:06
14人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多磨似読六 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人格障害は3つの群と10のタイプに分けられているが,この本を読んで考えてみると誰もが10タイプのどれかに当てはまるように思えてくる。この中に事件の時によく出てくる統合失調症というタイプである。これは昔,精神分裂病と呼んでいたような気がする。
精神病とか精神分裂病と言っていたものを,名称を変え人格障害と呼ぶようになったことが果たしていいことなのだろうか。著者は更に「人格障害」の呼び名も誤解を生むので変更すべきと述べているが,五日市や神戸,新潟,佐賀,池田,長崎,佐世保等々で起きた事件や,自分の親や子供への虐待や殺人など精神異常者による事件が多発している昨今,人格障害という病気だから罪にならないことをどう考えるのだろうか。
日本人は何かにつけ名称を変更してごまかそうとする。差別的だとか異なる意味に取られるとかで言葉や用語を変えることは,特殊法人が名前を変えて存続したり,明治以前に事あるごとに年号を変えたりしたことと同じで何も解決しないと思う。人格障害者は加害者にも被害者にもなるので一概に全てが犯罪者はとは言えないが,何にでも病名を付けたがるご時世,精神異常の犯罪者には,誰にもはっきり分かる病名を付けて社会から永久に隔離して治療してみるのはどうか。
資本主義社会が人格障害を生む背景にあるということは恐ろしいことで,今後も精神的に病んだ人間が増え続け,異常事件や猟奇的犯罪が増加していくことを暗示している。家庭での躾や学校教育により,子供の時から人格障害にならないように育てていくことを著者は述べているが,その前に莫大な費用と時間,人手をかけて精神異常の犯罪者を治療し,再び社会に野放しにしている状況が良いのかを考えるべきであろう。
世代間伝播はかなり顕著に現れているのではないだろうか。最近の事件や不祥事を起こした人間の年令を大雑把に考えると10才おきの周期があるように思う。生まれた年が1944年±2年,から10年おきに1954年±2年…1984年±2年(20才±2),1994年±2年(10才±2)の人間が犯人としてマスコミによく登場しているように感じる。これは親から子,子から孫へ人格障害が世代間で繋がっていることの現れではないだろうか。特に元来論理的思考に乏しく,自己中心的になり易い女性(母親)の影響は子供には大きく現れてしまうだろう。昔はそれを是正するために父親やじいさんが小言を言っていたが,高度成長期以降は「亭主元気で留守がいい」ではないが,男の存在感が薄れると共に,女に媚びる軟弱な男が増え,家庭で子供の躾や教育がおろそかになり,新たな人格障害者を生んでいるのではないか。
【注意】フィックス型です
2015/01/28 12:11
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投稿者:reader225 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本の内容は★×5です。
しかし、リフロー型ではなくフィックス型だったため、★×1としました。
マイページで「リフロー型は非表示にする」という設定ができるようにして頂ければと思います。
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人格障害」という名前に問題があるのでは……だって、これって病気ですよね? 人格障害というと、本人の自己責任のような感じになってしまう。
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私は自分の問題としてこの本を手に取った。具体例から社会論まで書ききっている、なかなかの著作だった。
人格障害とは、ボーダーライン(境界性人格障害)に代表されるような、精神病未満、神経症以上の、自己愛や自己否定を伴うこころの障害である。うつや依存症をひきおこす根本原因である場合もあるとも説明されている。
人格障害には10のタイプが定義されており、程度の重いものから順に、
A群 妄想性人格障害、統合失調質人格障害、統合失調症型人格障害
B群 境界性人格障害、反社会性人格障害、自己愛製人格障害、演技性人格障害
C群 回避性人格障害、強迫性人格障害、依存性人格障害
となっている。それぞれのケースが具体例を伴って示されており、わかりやすい。例えば演技性人格障害の項では性的欲望の対象を演じ続けるマドンナを挙げている。
激しい自己愛と、それが受け入れられない場合の自傷・自殺企図を特長とする境界性人格障害(境界例)という診断が医療の現場では増えており、人格障害という概念は浸透しているらしい。
治療には長い年月がかかる、ということで、まずは患者の主訴、おそらく現実におこっているうつの症状などに対処していくところから始め、いきなり「人格障害」そのものをターゲットにして治療することはないという。そして治療者や周囲の適度な受容と、治療者と患者の関係があいまいにならないようなルール・枠組みの設定とその厳守、本人の現実対応能力の向上と改善が必要としている。
周囲が過度に甘やかすと、依存が深まったりするので、本人が自ら治ろう、改善しようという意思を持ち、現実対応のためのコミュニケーション能力などを自ら磨いていくことが結局必要になる。激しい自己愛は思春期の状態をそのまま引きずっていることの現われなので、結局は本人の成長を待つしかない側面があるということである。ひきこもりがちで、対人関係を恐れ避ける回避性人格障害ではないだろうか、と思っている私は、身をつまされる感じを受ける。少しずつ改善していければと思う。
また、人格は社会を構成しており、社会は人格の集合として成り立っており、人格の病は社会の鏡であることも言っている。そこではニーチェからサルトルへの実存主義の流れ(私が大事、自分に正直にという超個人主義)やドルゥーズ・ガタリの資本主義が分裂症を生み出したという主張と絡んでいるという。
最近内田樹の「死と身体」で、現代は奴隷道徳というニーチェ的世界観が大衆社会で浸透したという論旨を読んだが、人格障害というキーワードもそれに似ているのかもしれない。万人がニーチェを読もうが読むまいが、実存的世界観は実現してしまったのだと思う。
人格障害はそれを生み出す家庭環境や親自身も人格障害的である。そう考えると、みんなが未成熟な人格障害者であり、それらがまた子どもを生み育ててしまうという恐ろしい循環がある。
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最近は心を病んでる人が多いし、妙な人間も増えてきている。それを具体例をあげつつ、医学的見地から説明。まぁまぁおもしろい。
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著者は、小説家としても活躍しているそうで、どうりで、他のこういった系統の本に比べて、読みやすく且つしっかりとしていた。
自分の性格や、障害に苦しみを見出している人には、一読することをお勧めしたい本だ。
読んだ中で、いくつか、興味深かった部分を自分なりにまとめて、紹介させてもらってもいいかしらん。
・自我が未発達であると、「妄想・分裂ポジション」という幼い子どもに見られる特徴が出現する。これは、一人の人間にたいして、全く別人のような態度をとる。相手を、自分にとって都合がいいか悪いかの一部分だけで、判断し、良い悪いを含めた全体としての相手という観点を持たない。こうした一部分だけで対象と繋がる関係を「部分対象関係」と呼び、人格障害の特徴でもある、1か10か、全か無か、という二分法的な思考ともつながっている。
自我が強化され、自分の都合の悪い部分も受け入れられるようになるという、よい対象への同一化が進むと、より統合された「全体対象関係」へと移行する。
・障害へ立ち向かう者に援助しようと思うものがとるべき態度は、相手の都合や要求に対して、ある枠組みを超えることには、はっきりと「ノー」と言える、そうしたびくともしない一貫性である。「ノー」の領域、枠組みを持たずに、ただ、要求を次々と受け入れている状態では、人格障害の人は、どんどん不安定になっていくことが多い。明確な枠組み、頑丈でしっかりとした存在が、人格障害の人を落ち着かせ、信頼関係を築き上げていく。
・援助者は、受容と枠組みの中で、障害者が自分の内面や過去を紐解き、自分の問題に向かい合い、ごまかしや責任転化によってではなく、より適応的な生き方を手伝うことになる。
その作業は、最初は、根気強く、同じことの繰り返しであっても、何度も話し、輪郭をなぞっていく。そうした中で、障害者は徐々にその堂堂巡りから脱してくる。だんだんと、過去の自分の過去が断片的に明らかになっていき、断片的であったものが、繋がっていき、ついには、過去と現在が繋がり、自分のこれまでの人生を俯瞰できるようになっていく。自分の人生を外から見る客観性を身につけるわけである。
すると、現在抱える諸所の問題と、自分の過去の人生体験が、密接に絡みあったものであることに気づいていく。たとえば、親が原因だとわかった場合、そこで始めて親への反撥、憎しみといったものが芽生えてくる(これがいわば反抗期で多くの人が経験する自我の発露)。たとえば依存性障害者は始めて自分の意思で親の頼みごとを拒んだりする。だから、この反発という経緯は自我を形成する重要な要素である。
・人格障害を克服する最後の段階は、最終段階は、親を求めたり、誰かのせいにする気持ちから脱し、諦めと悟りの中で、自分自身で責任を引き受けることである。過去との和解。本来の自分との再会。
「十代の間に、こうした問題に向かい合う人もいれば、五十を過ぎてから、ようやく自分に向かい合える人もいる。それは早いとか遅いとかの問題ではない。人それぞれの人生があり、人それぞれの時期があるのだと思う。その人が変われるかどうかは、その人自身が自分に向かい合えるかどうかなのである。」
・・・最後にあげた括弧の言葉に、痛く感銘した僕であった。
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人格障害という症例が増えてるのは確かかもしれないけど、原因は書かれているよりもっと難しいし、対処も難しい。素人が判断するのは危険だろう。こういう類の本はもっと慎重に書かれるべきかも。
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[ 内容 ]
短絡的な殺人など、不可解な事件がなぜ起こるのか。
アルコール依存や拒食症はなぜ止まらないのか。
児童虐待、家庭内暴力がなぜ多くなっているのか。
欲望をコントロールできない人がなぜ増えているのか…。
これらは「人格障害」という病理から発しているのだ。
現代人の誰もが感じ、直面している不安に、治療の最前線に立つ精神科医が答えを示す。
[ 目次 ]
第1章 おかしいのは、子供だけか?
第2章 人格障害とは
第3章 人格障害のタイプその特徴と注意点
第4章 生きづらさを生む人格障害
第5章 人格障害を手当てする
第6章 社会を蝕む人格障害
第7章 浸透する人格障害の背景
第8章 人格障害から子供と社会を守る
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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人格障害について、それぞれのタイプの解説が詳しく、また否定的な面だけでなく才能を伸ばしうる分野についても言及している点がとても興味深かった。読んでいて人間誰しもいずれかの人格障害的な側面を持ち合わせているだろうなと思った。例えば自分は軽度の回避性人格障害?と思う。そういった意味でも他人事とは言えないトピックだと思う。人格障害を生み出す原因となっている現代社会の諸特徴とそれらを是正するための方法についても書かれているが、私個人としては全面的に肯定できる内容。年少者の犯罪の凶悪化について取りざたされることが多くなっていたが、変質したのは子ども自身であるはずがなく、周囲の大人たちであるのは間違いない。他人の子どもと無関係を決め込んでいる事態ではないと思う。社会および良識・良心の在り方について、考えるべき段階に日本は入っていると思う。
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不可解な事件が起こるたびにその犯人の人間性の不気味さが毎回のように語られます。犯罪者の心理は全く理解できない、遠い世界の人物のように感じさせられるのですが、実は「人格障害」は誰にも萌芽があり、バランスを崩している状態であるということが精神科医の説明で良く分かります。人格障害のパターン(妄想性、統合失調症型、演技性、境界性、依存性、強迫性・・・)を多く紹介していますが、私たちの周りにもそのような状態の人は多くいるわけで、その不気味さが分析されることによって自己愛を求めている人格であり、配慮するべき人であることを痛感します。幼少時代からの影の大きさを感じます。しかしながら、実際に接する方は大変だろうな、と思います。資本主義が人格障害を産み出しているとか、実存主義的な価値観の功罪を論じるなど、心理学に留まらず、広い領域に関心のある著者の書いた本で充実した本だと思います。
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人格障害の定義
「人格障害は日常生活や社会生活に支障をきたすほどに「著しく偏った、内的体験および行動」を持続的に示す状態」と定義されていた
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非現実的な妄想をしたり、人目を惹きつけるための特異な行動をしたり、あるいは人を過度に避けるような人たちについて、そのタイプや原因、治療法などについて書かれたもの。
人格障害というと精神科に通わないといけないような特定の人たちのことだけをいう、ということではなく、社会全体が人格障害的な傾向を生みやすい装置として機能してしまっており、身近にもこういう人がいるかもしれないし、もしかするとおれにもこういう傾向があるのではないか、とか思ってしまう。
特に印象的だった部分は、「回避性人格障害」で説明されている「最近の若者全般に広がっている回避傾向」(pp.100-1の部分で、「新しいことに取り組むことが、積極的な喜びよりも、負担が増える事としか受け留められない」とか、「現実の中での体験不足から、傷つくことに耐性が培われていない」と書かれており、また、pp.128-9にも「現実の中で生き抜く筋力が培われず、社会的な耐性が獲得できていない」と書かれており、いかに教育や社会が「健全に」機能していないかということが強調されている。昨今の「新型うつ」とはどういう関係にあるんだろう、と思った。若者というか色んな人が多かれ少なかれこういう傾向はあるんじゃないかと思った。さらに、「虐待されたものは子どもを虐待してしまうということが一時盛んにいわれたが、当てはまらないケースも多いことがわかってきている」(p.131)という部分も興味深いと思った。また、おれが感心のあるニーチェやサルトルの「実存主義」の思想だったが、「自分」の主体性を前面に押し出し、積極的な周囲への変化を求めることから、それが負の形で転用されやすい、という実存主義と人格障害の親和性についての記述があり、少なからずショックだった。主体的に生きることと、社会とのつながりを軽視することは同一視されるものなのか。直観的に反論したくなったが、さらに実存主義について勉強しようと思わされた。
「虐待の連鎖」という単純な問題ではない、と書かれているが(p.131)、直接的には不適切な育児によって人格障害が生み出されるケースが多い訳で、子育てする人がこの本を読めばいいんじゃないかとか思った。(14/12/02)
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いわば社会全体が人格障害であると言っても過言でないこの
時代。多かれ少なかれ、誰でもこの本にあげられている人格
障害の症状に当てはまる自分を見つけることができるのでは
ないだろうか。自覚があるだけでかなり違うと思う。現代人
は一度はこの手の本を読んでおくべきだろう。
実存主義と現代の人格障害に共通する所が多くあるとの示唆
は今までに出会ったことのない切り口で新鮮であった。神が
死んでしまった今、人は昔以上に強くあらねばならないので
ある。