いざ直面したら、どうなのか
2018/06/04 20:01
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投稿者:端ノ上ぬりこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
校長先生をしていた父は、認知症。妻と三人の娘たちが、父を看取るまでの物語。アメリカでは認知症の事を、長いお別れという。少しずつ壊れていく父と、母の介護の様子。現実のものとして身につまされる。色々考えさせられた。一晩に三回も洗濯機を回さねばならないとか、自分が病気になったら誰が面倒を見るとか、辛いね。当事者は物語のように客観的に暮らせないし、終わりがいつなのか疲弊してくると思う。三人の娘がいるのは心強い。いない人はどうするの?
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
人が長生きするようになったことで、認知症を発症してしまう人が多くなっています。この話は決して人ごとではなく、自分のこととして読ませてもらいました。介護する方もされる方も大変だと思います。
認知症が進んでいく父親と、それを支える家族の話。
2018/07/15 20:51
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投稿者:トモ - この投稿者のレビュー一覧を見る
身近に認知症の家族がいた身としては、とりたてて新鮮味がある内容ではなかったが、老親の将来に不安のある方には、参考になるかも。
最後まで自宅で面倒を見ようとする献身的な妻、それぞれに事情があにも関わらず、協力的な三人の娘達には、頭の下がる思いだった。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知症を患った父親と家族の物語です。自分の大切な記憶を忘れていくというのは、怖いなと心の底から思いました。
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【映画化決定! 中央公論文芸賞、日本医療小説大賞のW受賞作】認知症を患う東昇平。遊園地で迷子になり、入れ歯は次々消える。ときにユーモラスな事態を起こしながら、病気は少しずつ進んでいく。
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認知症のお父さんと、その妻、3人の娘を中心とした話でした。わたしの父親も認知症患者なので、わかるわかる、とうなづいたり、時にとても切ない気持ちで読む進めました。
ただ、ところどころにユーモアや愛情が散りばめられており、あまり悲惨な読後感ではなかったです。
父親とも、こんな風に接したい、わたしもユーモアと愛を大事にしたい、そんな風に思えた一冊でした。
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認知症になった元中学校長の夫と、寄り添う妻。家を出て暮らしそれぞれに父母と関わる3人の娘。
認知症を暗くならずに描く、とあって確かにそういうタッチで描かれているのだけれど、私には認知症はどう書いたって悲惨な状況だ。
ユーモラスに描かれているけど、作ったばかりの入れ歯をすぐに壊されたり失くしたりされたらとか、紙パンツの中のうんこを取り出して自分のベッドに並べられていたらとか、夜中に3回も洗濯機を回す羽目になったらとか、こういうのが物語の中の話でなく我が身に起こったらと思うと、亡くなった父の病気も思い出し、とても気楽に苦笑いしながら読めないな。
私のような歳になると、誕生日には「これまで何年生きてきた」ではなく「これから後どれくらい生きるだろう」ということを思わされ、こういう本を読むと、自分はどのような死に方をするのだろうと恐ろしくなる。
終章、QOLの観点から人工呼吸器や胃瘻の話も出てくるが、父の時に問われたことを思い出し、自分や自分の身内がそういう状況になった時、どのようになるのか、するのかと思いが巡る。
物語の中では、体中にチューブをつけて意識なく生き続けたいと、夫は、父は望まないだろうと家族は結論付けるけど、自分もそうした生き様と家族を得れただろうか。
妻は、この人が何かを忘れてしまったからと言ってこの人以外の何者かに変わってしまったわけではないと喝破するが、確かに、言葉も記憶も知性の大部分も失われたとしても、長い結婚生活の中で二人の間に常に、確かに存在した何かをもって、夫婦のコミュニケーションは保てるものだと、それは本当にそう思いたい。
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認知症が背景にある小説で暗くなりがちなテーマなのに、導入章ともなる『全地球測位システム』の章が明るく巧みに誘ってもらった。老々介護家族の見本のような中で妻の曜子が陽気。それぞれ3人の娘が居る。長女〈茉莉〉は米西海岸に住む。次女〈菜奈〉は近くに住んでいるが妊娠中。末っ子の芙美〉は独身。3人の孫も登場する。それぞれが「うるせぇな」とぶつぶつ言いつつも父の東昇平を愛していることが分かる。
家族って何だろうと自問してしまう。
遠住みの90歳母を想いながら介護真っ最中の私。幸いにまだ母は『長いお別れ』と呼ばれる認知症ではないが迫っている。
昇平を囲む家族が自分がやれる範囲で係わっているのを参考にできる。
最終章『QOL』でアメリカの学校に通う孫・崇が不登校になり、校長先生と話す会話で閉じられる。
構成が良いと思う。実は昇平も校長だった。
人の死は皆が生きていく場所場所でつながっていけると信じさせてもらえた。
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認知症で徐々に自分(としての生活能力、思考能力)を失っていく父を取り巻く家族の物語。
介護の現実を突きつけられて静かにぞっとしたり、、、
ただ、夫や父を強く強く想うあまりの家族の姿にユーモアが含まれていて、その軽やかさが救いを感じさせてくれる。それこそがこの作品の魅力だと想う。
「私、とにかく1日も早く網膜をくっつけて家に帰る。
とにかく、一日も無駄にせずに、うつぶせを頑張り抜くわ。この目にガスがある限り、うつぶせて、うつぶせて、うつぶせぬくわよ。」
「この人が何かを忘れてしまったからと言って、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない。ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。それが何か?」
将来、私もそんな気持ちで親や夫を守る強さを持つぞと思えた。
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アメリカでは、認知症のことを「長いお別れ」というらしい。
そう語ることによって、病気というイメージから「詩的」イメージへと昇華する。いかにもアメリカらしい言い方か。
本作も、妻や娘の目を通して、認知症の夫(父親)の行状が語られているが、決して暗くならず、ユーモアさえ感じられる。
妻の介護は自らも網膜剥離に罹るなど困難の極みだし、三人の娘たちもそれぞれ事情を抱えて余裕などなく、深刻で大変な状況であるが、悲惨な状況には描かれておらず、読後感も悪くない。
長寿高齢社会の現代にあって、認知症は、本人家族あるいは近親者など、誰でもが避けては通れない問題かもしれない。
しかし、せめてこの小説世界ぐらいの気持ちの持ち様で、対処したいと思うが。
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認知症が少しづつ進む父親
その父親が引き起こす数々のアクシデントを、妻と3人の娘の視点から描かれる。
認知症の父親が何を思っていたかは、描かれない。
認知症は、外部への表現が壊れているため、その人の中で何を考え、思っているかをうかがい知ることが難しい。
そのむず痒く、困惑するところは、認知症の方を介護している家族がいつも抱えているジレンマなのだろう。
この本では、妻が「この人が何かを忘れてしまったからと言ってこの人以外の何者かに変わってしまったわけではない」と言い、認知症の夫に寄り添う。
そんな風に思える夫婦になっているだろうか?相手に心をどれだけ向けてきただろうか?改めて、目の前の相手に心を向けた言動をしようと思う。
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認知症を患った父と、自宅で介護を行う母とそれぞれに暮らす3人の娘、孫たちとのやりとりがコミカルに進行する前半。それでも少しづつ状態が悪化していく後半に、妻(母)が自分の名前を忘れても、二人で育てた娘たちを忘れても、帰る場所(家)を忘れてもそれが何だというのだ、というくだりが印象的。それでも自分たちは理解しあえてる、言葉を忘れても嫌なことをはきっぱり否定する意思表示が生きてる証。と懸命に介護する姿勢は実際に直面しないとわからない気持ちが沢山あるのだと思う。ある日訪れる日まできっと何もわからない。
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認知症になった夫(あるいは娘視点からの父)の介護の日常と悪化していく認知症への対応に苦しむ家族の姿が描かれた作品(いやマジで)。
これ、読んでて心が苦しくなるだけじゃないんですかね…
長いお別れ(ロング・グッドバイ)なんて介護疲れするだけで美談になんてならないですよー。
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認知症の父をもつ家族のお話。リアリティでユーモア溢れるライトな書きっぷりがとても読みやすく、くすっと笑ってしまう。共感できるところばかりで、わざとらしい名台詞もなく、心にすっと届く言葉や日常が、「幸せ」や「愛情」をゆるーく考えさせてくれた。素敵な1冊。
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中学の校長まで努めて定年を迎えた父が、同窓会が開催された日にそこに辿り着けず帰宅した。
おかしいと思った妻は病院に連れて行き、そこで認知症だと診断された。
それからは、妻が殆ど自宅で介護をした。
デイサービスに行かせたり、妻なりに夫の性格を考慮しているのが良くわかる場面も多く見られる。
夫婦には3人の娘がいて、長女は夫の転勤でサンフランシスコに行っている。次女は結婚して子供もいるが、一番母が頼りにしている。三女は独身だが、仕事が忙しいといつも素っ気ない。
たけど、娘たちも父の状況を気にかけている。
たまに実家に顔を出したり、母の用事がある時には父を看たり。
しかし、そんな母が網膜剥離で入院することになると、今までの母の負担や今後の二人の生活について真剣に考えざるを得なくなる。
誰しもが他人事では済まされない問題だけに、話に引き込まれる。
2019.11.24