逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎
著者 井沢元彦
怒濤の「幕末年代史編」堂々完結!『週刊ポスト』誌上で好評連載中の歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。ペリーによる黒船来航から始まった「幕末年代史編」最終章が、満を持して...
逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎
商品説明
怒濤の「幕末年代史編」堂々完結!
『週刊ポスト』誌上で好評連載中の歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。ペリーによる黒船来航から始まった「幕末年代史編」最終章が、満を持して文庫化されました。
長州の高杉晋作が正義派(討幕派)を率いて功山寺で挙兵した1865年から、翌年の薩長同盟成立を経て、大政奉還そして王政の大号令へ。そしてついに明治維新がなった1868年までの激動の4年間を詳説。「高杉晋作は本当に“長州絶対主義者”だったのか?」「“犬猿の仲”であった薩長を接近させた坂本龍馬の“秘策”とは何だったのか?」「“孝明天皇暗殺説”は信じるに足る学説なのか?」「官軍に対する“江戸焦土作戦”とは勝海舟のブラフだったのか?」などなど、歴史の狭間に埋もれがちな数々の謎と疑問を、切れ味鋭い「井沢史観」で解き明かします。
維新から150年。「明治維新とは一体何だったのか?」について、あらためて考え直すための最良の一冊です。
【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
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幕末期のキーマンはみな若い
2018/05/19 23:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
累計500万部突破という人気シリーズの1冊。著者の文章は相変わらず歯切れがよく、とてもわかりやすい。全てが歴史的事実ではないだろうが、内容は説得的である。専門の歴史学者では、こうはいかない。相楽総三の末路や徳川慶喜の処世など、歴史の非情を感じざるを得ない。幕末期のキーマンが、みな若いのにもあらためて驚かされる。
毎度毎度すごい
2018/05/11 21:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:酒井雅楽頭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
井沢氏の『逆説の日本史』大ファンです!!
いつもいつも斬新ながら筋の通っている説に感心するばかりです。
世界史の文庫化もお願いします!
薩長同盟と江戸無血開城
2021/05/29 08:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○1865年 坂本龍馬
福岡藩は薩摩との縁が深く、勤王派の月形は長州藩士とも親しく土佐中岡慎太郎とも交流があった
薩長同盟を最初に考えたのは、月形と思われる
月形が福岡藩佐幕派に処刑されたため、龍馬と中岡が後を引き継ぐ形になった
龍馬は桂に会い、西郷と話し合うべきと説得し、西郷も中岡の説得に応じたが、久光の意向もあり会うことはなかった
龍馬は“亀山社中”を使い、薩摩の名義で武器・軍艦を買い、長州に供給することで友好関係の第一歩にしようと考えた
長州過激派から逃げていた岩倉具視は、朝廷と組むべきは幕府ではなく薩摩・長州と考え、薩摩に自分を売り込んだ
大久保利通の身分では天皇に直接意見を述べることはできず、薩摩の代弁者として朝廷を動かしてくれる人間を必要としていた
○1866年 高杉晋作
慶応2年 薩長同盟が成立
薩摩にとっては長州の力は必要であったが、同盟成立は朝敵とされている長州に有用であった
薩長同盟は軍事同盟ではなく、長州の朝敵汚名を晴らすことの“薩長合意”であった
第二次長州征伐を四境戦争という
長州から見て4つの国境からの攻撃であった(芸州・石州・周防大島・小倉)
大島口、芸州口はミニエー銃の長州軍が勝った
石州口の長州司令官は天才軍司“大村益二郎”
小倉口の司令官は“高杉晋作”であった
晋作はユニオン号の参戦を龍馬に依頼
幕府艦隊は関門海峡を封鎖
晋作は旗艦富士山丸を奇襲し、砲門を破壊したが沈めることはできず一旦引き返した
が、富士山丸が戦線を離脱
将軍家茂が大阪城で亡くなったからである
晋作は肺結核の病状が進行しており、最後の力を振り絞ってこの戦いに望んでいた
幕府は勝海舟を派遣し講和を申し入れたが、二心慶喜は長州朝敵の勅を出した
○1867年 倒幕の密勅
徳川慶喜は、孝明天皇の宣下を受け征夷大将軍に就任した
慶喜は、古い幕府体制を終わらせ“大統領”のような地位を目指していた
このような時、孝明天皇が痘瘡(天然痘)で倒れた
日本の大勢は倒幕であった
穏健派は、土佐藩を中心とするグループ
過激派は、薩摩長州を中心とするグループ
薩摩藩の呼びかけによって朝幕体制を補佐する四候会議が設置した
(松平慶永・山内豊信・伊達宗城・島津久光)
しかし、慶喜は神戸開港問題を優先し、四候会議を潰した
薩長は岩倉と組み“倒幕の密勅”を出させることには成功したが、慶喜が大政奉還したため事実上の効力を失った
王政復古とは、幕府を廃し将軍も無くすという大政奉還に対し、朝廷も廃し関白も無くすという意図が込められていた
天皇が自ら政治を行っていた古代に戻すということである
長崎から大阪に向かう時に“船中八策”を書いた龍馬は、中岡といた近江屋で旗本が母体の見廻組に暗殺された
○1868年 徳川慶喜
王政復古の大号令
岩倉具視・大久保利通・西郷隆盛による大陰謀である
これにより、幕府も朝廷も関白も廃止され、天皇中心の新政府が発足した
倒幕派は古い体制を完全に潰し新しい国を作り上げるためにも、慶喜の思い通りにはさせてはいけなかった
旧幕府軍と“鳥羽・伏見の戦い”で新政府軍に敗れ、錦の御旗が翻った時、慶喜は抵抗を断念し開陽丸で江戸へ逃亡した
徳川征伐の東征軍は京を出発
船中八策を受け継いだ新政府の方向性を決める“五箇条の御誓文”が布告された
勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城に向けた最終的な詰めの協議を実施
英公使パークスの降伏している者を討つのは許されない発言により西郷は江戸城総攻撃を中止し、江戸城無血開城は成立した
幕末明治史の逸本
2018/12/11 14:33
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投稿者:ブッダガヤの旅人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末維新の書は多く読んだが、この本は本当にそうだったあだろうなとの思いが湧き、興奮と感激を覚えた。歴史の繋がりがよくわかる逸本である。