1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いろいろな人が生きやすくなるとよいと思う。
診断がつくことで自分を肯定でき、前向きになれるというメリットがある人もいる。
最近「発達障害かも」とよく聴く
2020/07/28 19:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りり茶 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近「私って発達障害かも」「あの子って発達障害かも」という言葉をよく聴く。
そういう自分も、「あれ、私も?」と部屋が散らかっていたりすると思うので、ポピュラーな言葉になっているのは事実。
確かに、なんだか生きづらさは感じるときはある。夢が叶わなかったなあとか、普通だったなあと思うときに「発達障害かも?」と感じている気もする。
自分はもっと特別でいたかったのかな?そういう気持ちが発達障害という言葉に向かわせたのかな?など考えながら読みました。
そもそも一体なぜこの本を買ったのかというと、「発達障害かも」と自分も思ったし、他人に思ったこともあるので興味がわいたから。
一読して腑に落ちる答えがあるわけではないです。
読後にすっきりわかることはなかったけれど、発達障害という言葉はバブル状態であること、日常会話のなかで簡単に使うのはやめようというブレーキにはなりました。
投稿元:
レビューを見る
近年自分自身を発達障害ではないかと疑い始めていることもあり読んでみた。
・発達障害を取り巻く環境、これまでの経緯などが易しく書かれていて読みやすい。
・発達障害の概念が精神科医でさえ難解だと感じるほど複雑なものであり、定量的に「あなたは発達障害だ/ではない」と決定できるようなものではないらしい。当事者にとっては不安かもしれないが、今後この概念の研究がどのように進むのかに着目しようと思う
以下の記述は少し納得できない点があった。
・4章p.110~p.114のあたりに「人との直接的なコミュニケーションを重視しない人(本文中でASD型人間などと記述、要はグレーゾーンの人を指していると思われる)が増えると、日本の少子化問題の解決が遠のく」と読み取れる記述がある。
少子化云々の話はこの本の趣旨から逸れていると思うし、その問題の原因を発達障害の人のみに押し付けているように感じられて私は不快だった。
投稿元:
レビューを見る
確かに、最近大人も含めて、発達障害という人が
多くなった気がします。
昔息子が、そうであるといわれたときには、ショック
だったし、嘘だろうと思ったのはよく覚えています。
最近は、大人の中に自分の個性やアイデンティティとして
発達障害であることを望む人がいるというのは
非常にショックです。
投稿元:
レビューを見る
「もしかして私は発達障害ではないでしょうか」
と言って、診察を受けに来る患者さんが増えている
そうです。
ところが現代医学においても、実は発達障害の定義
は定まっていないそうです。
前半はそうした発達障害に関わる問題点を説きます。
後半は、この書名に対する著者の回答が述べられて
います。
非常に大まかですが、理由は二つあります。
一つは、薬を売るために病名が宣伝されたことです。
一昔前に「プチうつ病」なる薬が開発されて、これを
売らんかごとく製薬会社が「あなたはプチうつ病の
疑いがあるのでは?」
と大きく世に問いたことがありました。
今なら薄毛対策のAGAでしょうかね。
もう一つの理由はズバリ「自分探し」です。
どいういう事かと言うと、最近は発達障害を克服した
有名人や芸能人をテレビで観たことがありませんか?
スティーブジョブスやアインシュタインなどの、
ある方面で天才と言われる人も発達障害だったと
言われています。
そこで、ちょっとした周りの人たちとのトラブルが
あった時は「もしかして自分は他方面ではすごい
才能があるが、発達障害のために、通常では他人との
軋轢が生じてしまうのでは?
だとしたら自分がいる場所はここではない」
と思いたがるとか。
単なるコミュニケーションが下手なのを
「発達障害のせい」
自分のやる気や性格のせいを「障害」と
言い切る輩がその類とか。
実に厳しい意見です。
でも、あなたの周りにもいませんか?
投稿元:
レビューを見る
発達障害も色々な症状や程度があり、本当に生きづらさを感じ困っている人がいる一方で
発達障害と診断されたい人や、発達障害と診断されてそれに依存したり
性格なのか、発達障害なのか、他の病気なのか、二次障害なのか、、
発達障害が原因で仕事や生活に困る人もいれば、それを強みにして仕事できて活躍できる人もいる
心の病気は数値で判断できないのが難しい
科学的に診断できるバイオマーカーがもっと進化すればいいと思うし
周りもちゃんと理解していないと互いに影響がある。
投稿元:
レビューを見る
発達障害という免罪符を得たいがために半年もの予約待ちでも診察してもらいたいのか。「心」ではなくて「脳」の問題だとすれば治る見込みなんかあるんだろうか。
投稿元:
レビューを見る
【健常ってなに?】
珍しく妻から「その本を読んでみたい」といわれた一冊。
↓
『発達障害』と言いたがる人たち 香山リカ
発達障害。
最近よく耳にするワード。
妻はママ友たちとの会話のなかで、発達障害についてよく耳にしていたらしく、そのためこの本に興味をもったようだった。
僕はというと、昨年『障害ってなに?』という内容の話を聞く機会があり、その影響で発達障害についてもう少し知りたいと思っていたところ、この本に出会い興味をもった。
本書は『発達障害とは何ぞや』という発達障害の入門書的なことではなく、『発達障害を取り巻く医療と世間の問題』を取り上げている。
そして作中で何度も強調されているが、障害で苦しんでいる当事者やそれを支援している人たちを批判する内容ではない。
ただ、人によって読後の感想は、ずいぶん違うのだろうなとも感じた。
重度なものは別として、骨折や糖尿病のように診断を確定させる目印(レントゲンや血液検査)がないとも言われる発達障害。
『過剰診断』、『平凡恐怖』、『製薬会社のキャンペーン』
これらの内容については驚いたけれど、納得はできた。
けれど、この納得は自分が当事者ではないからかもしれない。
障がい=『生活に差し障りがある』
おそらく今、健常者だと判断されている人でも、国と時代が違えば、障がい者と判断されるのではなかろうか。
たとえば、現代当たり前とされている考え方や行動を江戸時代に実行すれば、確実に差し障りがある気がする。
そう考えると健常ってなんだろうと考えてしまう。
そして以前『障害なんてものはなくて、あるのは心の中で自分と相手との間に引いている線だ』とある人が言っていたことを思い出す。
とりあえず、妻の読了を待って、感想を聞いてみたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
発達障害そのものについて述べたものでなく、近年の発達障害ブームともいえる社会的現象について論じた本。
著者の香山リカ氏の指摘によると、発達障害の診断したがる人たちが増える要素としては、①発達障害の診断基準の問題(胃がんや脳梗塞のように腫瘍マーカーやレントゲンで変異が客観的に判定できるものではないので、医師による恣意的な判断によらざるを得ない。そもそのもDSM-5の判断基準が改定の度に基準や範囲が変わる)、②性格の問題ではなく脳神経系の「障害」と判断されたがる人々の心理的ニーズ(努力不足のせいではなく機能障害という言い逃れたい心理)、③製薬業界側のニーズ(発達障害の受診促進によって処方薬発行を増やし利益を拡大する。以前はうつ病がこのターゲットだったが、専売期間の20年があと数年で切れるので売り上げ増が望めなくなったため、次のターゲットとしてうつ病から発達障害にシフト)。
投稿元:
レビューを見る
タイトルからすると、精神科医の香山リカさんが、この診断名を求める人を批判的に書いている物かと思うが、そうではなかった。
'大人の発達障害'が注目されるようになったのは、ここ数年の事だが、それに伴って増えている受診者とそれらを取り巻く世間の風潮などについて、医師の目で興味深く語られている。
アスペルガー症候群という言葉は割とよく耳にし、'アスペ'などと略語で呼ばれるほどだが、そのアスペルガー症候群という言葉は、最新の精神科医のガイドラインからは消えて、自閉症スペクトラムという言い方に変わったそうだ。この事からも分かるように、まだカテゴライズが流動的なのである。
また、外科や内科の病気と違い、かなり研究が進んではいるものの、まだ診断基準も'この染色体異常による'だとか、'この伝達系統が原因'などという風には確立されていない。特に、いわゆるグレーゾーンにあたる症状について、問診で診断名をつけるのは非常に難しいそうだ。
ただ、普通はどのような場合も、治療するほど大した怪我や病気ではなかったと分かるとホッとするものだが、発達障害に関しては'違う'と診断されると落胆する人も少なくないそうだ。診断名が付き、自分の生きづらさの原因をそこに当てはめることで、ある種の解放を得られるのかもしれない。
SNSなどの媒体の進化により、一般人でも突然注目を集めてしまうことのある昨今、「何者かでいたい」願望は特に若い世代に多いのだろうか。
その時代の空気感が巡り巡って、生きづらいと感じる人が自分は発達障害なのではと考える方向付けをしてしまっているのではないか?という問いかけも試みられている。
また、製薬業界の資本主義的思惑が患者を増やす一因になっているのでは…という投げ掛けにはハッとさせられた。飛躍するかもしれないが、グレタ・トゥーンベリさんの'資本主義が環境悪化を加速させている'という、あのスピーチを思い出した。
自然環境も社会環境も、一部の誰かが経済的恩恵を受ける影に多くの犠牲が払われているという、この恐ろしい構図を我々は常に意識しなければならない時期にきたのだろう。2019.11.4
投稿元:
レビューを見る
「広汎性発達障害」の診断を受けた息子がいます。
最近NHKなどで「発達障害」について取り上げられることが多く、世間的な認知度、理解度がアップすることは喜ばしい、と思っていました。
が、医者の立場から見ると、おしゃれアイテムの一つみたいに「発達障害」の診断を欲しがる人が増えているんですね。
もちろん困りごとを抱えているのは間違いないからこそ、受診に至るってことなんでしょうが、身辺周囲の困難を自分の内面から解決するのを回避しているだけ?と思ってしまいます。
「発達障害」とわかってホッとする人はもちろんいますが、障害を持って生まれたことに苦しんでいる人の方が圧倒的に多いし、そもそも生きづらさてんこ盛りだからこそ発達障害なのに、診断がつかずにがっかりする人の存在は、ビックリと言うよりあきれる気持ちになります。
発達障害を持つ親の会に所属しているので、本当にすごく困っている大変な状況の話をたくさん聞きます。
小さいうちに診断がつくことで(たいてい特性が顕著)、療育などサポートを受けられる話は聞きますが、軽度な障害のままおとなになって、環境が変わることで「発達障害」の診断がついた場合、そのサポート体制はまだ十分でなく、うつや引きこもりなどの二次障害に突入してしまう例も多くあります。
逆に、引きこもりや精神疾患のベースに発達障害があることを実感しています。
香山リカさんは医者の立場として、他の医者にも製薬会社にもたいへん気を使って本書を書かれているご様子ですが、一時の流行みたいな発達障害ブームに、専門家側から釘を刺した(ほどではないかも)点は評価できると思います。
投稿元:
レビューを見る
全般的にハッとする事が書かれているような本ではなかった。タイトル通りです。
大人はいい、自分で発達障害がある事を公言すればいいと思う。
けど子どもが標的になるのはかわいそうすぎる。
発達の遅れが認められた1〜6歳の子どもに治療を行っても、学校の成績、運動技術、メンタルヘルス、生活の質、生存率、成人時の機能のどれかが改善したという報告はない、さらには本当は発達の遅れがないのに検査で発達の遅れありと判定されてしまう割合は検査方法によって16〜22%にもなるという報告。
親を含めた大人が楽になりたいだけなのでは?と思う事もある。
やっぱり子どもをむやみに医療機関に連れて行ってはいけないのだろうなと思います。
投稿元:
レビューを見る
読み終わってからネットの評価を見て驚いた。
問題に近しい人ほど厳しい評価になるのは仕方ない。
世間に流されやすい自分には、ためになるお話でした。
基本病院は最終手段にしておくべきところ。
投稿元:
レビューを見る
「発達障害」という観点から、現代社会を見るのに役立つ本という印象。本書の最後に著者も述べているが、岩波明氏や本田秀夫氏の著書を読んでみるともっと深く「発達障害」について知ることができるであろう。
投稿元:
レビューを見る
そもそも医学的に発達障害は
まだ明確に定義がされておらず
(正確に言えば定義が更新されていない)
まだ未知の部分があるということを知りました。
「発達障害」というラベル付けをすることで
自分自身が劣っているわけではないと安心し、
すんなりと対処行動に移していくという点は
「うつ病」と診断されることで
肩の荷が降りて仕事を休むことができる
といった心理構造に似ているかな、と。
誰かに言ってもらって、はじめて行動ができる
という点は何か私たちの世代起きている変化なのかな...