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ホッブスの、自由で絶対的な権利のもとにある自然状態は 、実はなにもできなくてみじめという考えは当たり前だけど新鮮。
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それまで、国家と個人の適切な関係を根拠付けるものとして論じられた社会契約を、今の時代に即して資本主義社会・国際環境と個人の文脈で理解しようとする。
普段、社会契約論が私たちの胸に響くほどの理解を及ぼさないのはそれがあくまでも思考実験の産物だからであり、実際に私たちも私たちの祖先も社会契約を結んでいないためである。
社会が社会として成り立つ建前を突き詰めた先に、社会契約があるのだと思う。社会成立の建前を守るのであれば、社会契約も守る必要があるのだろう。
しかし、社会が社会としての正当性や自明性や根拠づけを失えば失うほどに社会契約の理解は薄くなる。
今の私にとっては、やはり社会契約はあとがきの文章の通り、「前時代の遺物」感が半端ない。
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ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズの4人の思想を通して、社会契約論を再評価する。
ロールズ以外は、名前は聞いたことあるけど何をやった人なのかは教科書以上のことは知らないもんね。
国家はどのように成立したのか、何を理想とするべく考えればいいのか。
ルソーの「一般意志」を、ロールズの理論で説明するのが面白かった。
でも、難しいな。やっぱり打倒絶対王政や、諸国家間で戦争が長く続いた時代の思想だもんなぁ。
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「社会契約」というヨーロッパ社会の基礎となった(今もなお、なっている)概念をホッブズ、ルソー、ヒュームなどを通して考察する。著者が問題にするのはこの概念が含む本質的な矛盾で、「何も失わずに新しく何かを得る」という特質である。この特質を著者は「わからない」と言い切る。しかし論理思考ではわからないということで、そこに含意されている宗教性みたいなものをまったく無視しているのが気になった。特にルソーにおいては福音書の影響というのがまぎれもなくあって、ルソーをプロテスタントの代表としてみる見方は当時からオーソドックであったはず。「宗教」を「自己啓発系マジシャン」と同定してためらわない著者の態度を潔いととるか、物足りないととるか。
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【読書その53】ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズから社会契約論を説明した本。社会契約論という難しいテーマでありながらも、著者のユーモア溢れる文章にときにクスっとなる。すごく面白かった。また読み返したい哲学書。
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学生時代に文字面だけで覚えていて、実感湧かなかった概念が、改めて腑に落ちた。
そうかリバイアサンってそういうことだったか!とか、一般性ってそうだよねーとか。
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社会契約論の系譜を辿り直し、
現代社会の原則をそこに見出すことによって、
現代社会の批判とはいかなるものでありうるのかを示そうとする。
最近の研究者には珍しく、
単なるテクスト読解を離れて、「思想」として一貫して読むという姿が見られる。
しかし、ルソーやその次のロールズに至って、
「一般」ということが問題になるやいなや、
一気に雲行きが怪しくなる。
個の中に一般という視点はいかに現れるか
という重要な問題をロールズで解くのは困難かもしれないなと思う。
おしい!
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社会はどのように生まれたか?
社会の秩序はどのように維持されるか?
社会契約論は、「社会は神や自然ではなく人間が作るものである」という前提に立ち、既存の秩序や慣習によらずにこれらの問いに答えようとする理論である。
ホッブズが想定した「万人の万人に対する闘争」という自然状態では、各人は何をしても誰からもとがめられないという絶対的な自由を享受するとともに、自分が他人から何をされるかわからないという恐怖が常につきまとう。この自然状態を脱するために人々は社会契約を結び、国家に全てをゆだねる。だが、自然状態において「私は武器を捨てて国家に全てをゆだねます」と最初に名乗りを上げる人物が登場する保証はない。そうなると社会契約はいつまでたっても結ばれない(ホッブズ問題)。
ホッブズ問題の解釈として、理性のはたらきを重視するシュトラウス、神の命令である自然法を重視するウォレンダー、前二者のいずれにも反対しホッブズ問題には解がないとしたオークショットに代表される3つの立場が紹介される。が、著者はいずれもホッブズ問題の根本的な解決にはなっていないという。
代替案として著者は、ホッブズを読み解きながら、自然状態でなされる「約束」の力を重視する立場をとる。無秩序の自然状態においても、個人と個人が結ぶ約束には、互いの権利を侵害することなく互いを拘束するという強い力がはたらく。バラバラの状態にあった各人が互いに結ぶ関係こそが、リヴァイアサンに強力な力を与えているのだという。
ヒュームは社会契約論の批判者として紹介される。歴史的事実として社会契約を結んだことのある人間など存在しないとするヒュームの主張は、素朴で現実的でわかりやすい。
ヒュームはホッブズのような自然状態を想定するのではなく、人間社会がある程度(商取引が交わされる程度)成立しているという段階から思考をスタートする。いわく、社会で同じように生活する人間は、法を制定して秩序を得ることによる「共通の利益」を確認すること(コンヴェンション=合意)によって社会を構築する。
現実の秩序がもたらす利益の肯定、無限の多様性よりも同質性のほうを重視する姿勢など、ヒュームが保守主義の源流とされるのもうなずける。
第3章ではルソーを扱う。
まず、経済が発達した文明社会を肯定的に見ていたヒュームと、文明は人間を腐敗させるとしたルソーの対立が描かれる。著者は、ヒュームの現実主義的な鋭い洞察力を認める一方、富や奢侈がもたらすものが「単なる虚飾であってろくなものではないと喝破した」としてルソーを一定評価している。
ルソーが持ち出した「一般意思」の概念は、中世の神学に由来するものであった。神の一般意思は全ての者を救済しようとするものであるが、それに背く人間の自由意志が、ある種の人間を救済しないという神の特殊意思を生み出した。ルソーはこれとは反対に、人間の自由意志こそが一般意思を生み出すとした。
「一般意思」の概念は全体主義の根源のように見られがちである。しかし著者は「いつでも、誰にでも、何にでも、同じように適用される」一般意思の(あるいは法の)一般性によって、各���の多様性が尊重され自由が守られる(むしろこれが社会契約の目的)として前述のようなルソー解釈を斥けている。
では、人はどのようにして「一般意思」を発見するのか?その問題に解答を与えたのが、ロールズに他ならない。ロールズを理解することはルソーの理解に役立ち、ルソーを理解することはロールズを理解することにつながる。
ロールズは、道徳の源泉としてヒュームが取り上げた「共感」の概念を批判する。人が他者に抱く共感には限界がある。他者に自分を重ね合わせるという一種の「特殊意思」からは道徳は生まれないとする。
この問題を克服し「一般意思」から道徳を生み出すためにロールズが想定したのが有名な「無知のヴェール」と正義の二原理である。
※第一原理……自由の保障
第二原理……機会均等原理(みんなに平等にチャンスを与える)及び格差原理(最も不遇な人々の境遇を改善する)
ロールズは、無知のヴェールをかけられた人間は、自分が尊重されたいから他者も尊重しなければならないと思考し、一般的な視点にたった選択(全員のための選択)をせざるをえないという。
ただ、個人的にこの説はちょっと疑問だ。ロールズは、各人がもつ多様な価値観を尊重する。ならば、無知のヴェールをかけられてなお、千載一遇の賭けに出ることを厭わないギャンブラー的価値観をもった個人がいてもいいはずではないか?この論点はいつか『正義論』を読むときに注意しておこうと思う。
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…変な本。
新書という形式ゆえに大苦戦して失敗してしまった感じ。
「わかりやすく書く」
「意味のあることを書く」
「誠実に書く」
…この三つの並立は、社会契約論をテーマにして達成しようとすべきではないことが分かった(笑)。
ホッブズのところは、頑張って意味のあることを書こうとしてるのに、煩雑さを避けようとする結果、途中の考察をバッサリと切ってしまっている。それゆえ、せっかく打ち出した「約束の力」という概念にまったくリアリテや重みが感じられない。そして、後のヒューム・ルソー・ロールズはストーリーとしてしっかりつながっているのに、ホッブズだけ浮いている。ホッブズだけ別の論考として出すべきだったのでは。。
ヒューム→ルソー→ロールズの流れはとてもいい。とくに一般意志を無知のベールに繋げたのにはハッとさせられた。(で、ホッブズ論のところで張った伏線をぜんぜん回収してないので、やっぱりホッブズいらなかったと思う)。
「おわりに」のところにある、「どうしようもない違いと隔たり」による「直接関わることの不可能性」という概念にはとても興味をそそられるので、むしろこれを導入にして話を展開してくれたら筋が通った気もするな……と妄想する。
「社会契約論が拓き、そこにそれがあることをはじめて名指した一般生の次元は、人が他者との隔たりの前に立ち尽くす時、いつも意識する次元なのだ」…とてもかっこいい。最高にクールな言葉。
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なのだ調で書かれているけど、女性らしい靭やかでユーモアのある文体になっていて、硬い内容もわりと読みやすく感じる。
ルソーが知りたくて読んでみたけど、ルソーの部分は少ないし難しかった。漠然と論説を追うことはできても意図まではなかなか。けど、有名な割には他の思想家に比べて無鉄砲で粗野な印象。やっぱりたまたま時代にマッチしたのかな。
一方でホッブズの物体論はちょっと面白い。自然科学の論法をいち早く政治の世界に持ち込んだってことらしいけど。個人を捉える際、精神は物体と同じように個別の反作用の積み重ねによるもので、個々の反応は恐怖などの根源的な感情に基づく反射と、経験・記憶との比較による判断とに分けられる、という解釈で。言葉は少し違っても最新の認知心理学の理解するところと一致する。
ちょっと哲学に興味が出てきた。
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ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズの思想を読み解きながら、社会契約論の思想とその意義について考察をおこなっています。
ホッブズに関しては、自然状態から社会契約に至るプロセスにまつわる「ホッブズ問題」が取り上げられ、続くヒュームの章では、「コンヴェンション」によって社会契約論を批判したヒュームの思想のうちに、原理と史実との間を往復することで、秩序の危うさを顕わにする「ホッブズ問題」を消し去っていたことが確かめられます。
また、ルソーの章では、彼の「一般意志」を理解することの難しさが語られ、続くロールズの賞で「無知のヴェール」に関する議論を参照しながら、そこにルソーの「一般意志」の思想が引き継がれていることを指摘し、ロールズの正義論ををヨーロッパの伝統的な政治思想史の中に位置づけることが試みられています。
大学の授業などで、ルソーの一般意志は単なる全体の意志とは異なると聞かされて、何となく理解したような気になっていましたが、一般意志という概念を理解することの難しさが率直に語られるとともに、その内実について深い考察が展開されていることに興味を覚えました。
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やっぱりルソーは難しいんだ。しかも非常識なおっさんだったんだ。作者も理解できない、と言いながら一生懸命その後の学者の説明など引用して読み解こうとして頑張ってついて行こうと思ったけど、途中で図書館に返してしまった。古典独特の重厚感、当時の常識を破壊した迫力を垣間見れる入門書。
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ロールズの考えを知りたくて読了。まずは社会契約論についての論告から、その思想的系譜として、ホッブズ、ヒューム、ルソーについて論考。ルソーの考えはきちんと理解しようとすると難しい。そして、そのルソーを理解できていないとロールズの理解も難しい。入門書なので理解しやすいはずだが、それでも理解しにくかった。印象に残ったのは、「一般性の次元は、人が他者との隔たりの前に立ち尽くすとき、いつも意識する次元なのだ」「関わりたいのに関われない具体的かつ圧倒的な他者を前にして、その人も自分もそこに生きる社会の次元、一般性の場に立たざるを得なくなる」そして、「そこから出発して、何をどう変えなければならないのか、みなが納得できる社会的ルールとは何かが問われることになる」
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ロックを除外するという暴挙?に出ており、良くも悪くも著者の個性が出すぎている。よって、教科書的とは言えないし、入門書とも言えない。多少は勉強した事ある人が違った考えにも触れてみたいならという感じ。
ルソーとロールズの接続については一般的な思想史の本ではあまり見かけないので興味深い部分はある。
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解釈としてまずいところもあるのかもしれないけど、哲学系中上級読みものとして完成されていると思った。引用が豊富で手探りで哲学書読んでく感じがありありと示されていて、ルソーのとこで挫折してしまうのもいい。