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確かに『侍女の物語』の派生作品と言える。前半は、なんなのこの男どもは…とカッカしながら読んだが、自分はフェミニストと思っている男性が自覚も疑問もないままセクハラや女性差別発言をボロリボロリ出すこの国となんら変わらないではないか、と更にカッカする。
軽快なのは救い。
後半からラストは私は今ひとつ。
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アメリカの女性だけ、発音する単語数が100語/日に限定されるというディストピアSF。その世界は聖書の文書をそのまま再現しようとしているので、同性愛者は矯正され、中絶は厳禁。男女の教育は別々で教わる内容も異なる。発音する単語数を限定するツールはSF的なものだが、中絶=違法、という州の法律が通ったりしている現代からこの本の世界観まではあと一歩しかない。また、教育によってそのツールがなくなったとしても、女の子が話そうとしなくなっている、という描写もとてもリアルだなと感じた。
一方で、チームで開発している薬と”毒”の設定にはかなり無理がある。薬の方の構造が分かったからといって、その逆の効果を持つような分子はそんなに急に合成できません…いや、未来ではできるようになっているということなのか…?
主人公の夫が意外といい味出しているのに注目。
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現代版・『侍女の物語』と言われていたディストピアSF。
確かに比較するなら『侍女の物語』なんだろうけども、そこまで『似ている』という感じはしない。『侍女』は割と突き放しているというか、作中世界にのめり込むことを拒む壁のようなものがあったが、本書は読者を作品世界に引き込もうとするエネルギーがあったように思う(※これはどちらが良い、優れている、という話ではない)。
ところで、巻末の解説に著者本人が『侍女の物語』と『ステップフォードの妻たち』を挙げているとか。なんかちょっと倉橋由美子っぽいな。倉橋由美子も自作の元ネタになった作品を挙げて自作を解説していた。
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ディストピアが始まる数十年前からその予兆があり、それを敏感に嗅ぎ取ってデモなどの行動を取り、主人公にもアクションをするよう勧めていた親友。そんな彼女を鼻で笑って相手にせず、選挙にすら行かなかった当時の主人公。何度も当時の親友を思い出し、後悔の念に駆られる現在の主人公の描写を読むと、月並みな意見だが政治に関心を寄せ、せめて選挙くらいは必ず行かなくてはと身が引き締まる。それにしても、主人公の夫が可愛そうでならないと思ったのは私だけではあるまい…笑
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「イタリアの女たちは両手と全身と魂を使って話し、しかも歌を歌うのだ。」
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※この感想には一部性的表現が含まれます。ご注意ください。
SFが好きだ。
小学生の頃は星新一を、
中〜高校ではラノベやミステリーに浮気しつつも
大学では米文学のSFを専攻した。
SFの、きたるべき未来を先読みしているような
絶望感と、リアルさが好きだ。
SFでは、目的を見失い、軽率に人を愛し、運命に抗おうとする。そんな人間の弱さが好きだ。
その中にかすかに光る、生き残るための希望や、合理的な機械が必要としないこと(愛や、歌や、冗談や、表現)が好きだ。
どんな病原菌や武器よりも、
言葉を封じることは人間にとってつらいことかもしれない。
感情は心の泉が枯れない限り、
溢れ続けるものだから。
あらすじはこうだ。
アメリカのすべての女性に1日100語以上を喋ると
強い電流が流れるワードカウンターがつけられる。
少女は学校でお裁縫、料理、ガーデニングを学び
男性を支える"良い女性"であることを強いられる。
ゲイやレズビアンは強制収容所へ。
喋りすぎた女性、レイプされた女性も、髪を刈られひどい環境で強制労働をさせられる。
そこでは、許された言葉は0語。
そんな中でも、ある程度財力のある男性は
秘密のクラブで女性に対して精液とストレスを発散できる。コンドームなんてものは存在しない。
読んでいて、いろんな感情が渦巻いた。
人権=言葉である
と、強く感じた作品。
言語の違いがどう、
理解し合えるからどう、
という話ではない。
物理的に発言権があるのかないのか。
そこに、生きる
ということが大きく関わっている気がした。
今の日本でも、
女性の価値観については
特に40代後半男性と全く会話ができないことがある。
50代独身でも、結婚相手は子供を産める20〜30歳でしか考えられないと平然と言う人もいる。
そういった狂気を、
手軽に摂取できる形にしたのが、この本である。
心の底ではある意味男性が望んでいる世界、そう錯覚できそうなほど
毒々しくて、
狂った世界で闘う人々が魅力的な物語。
ディストピアは、すぐそこにある。
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トンデモなディストピア。そんなアホな、と笑い飛ばせない。。今の日本も遠からずディストピアが待っている。読んで良かった。傍観してちゃダメだ。
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近未来のアメリカ。
サム・マイヤーズ大統領のブレーンであるカール・コービン牧師の進める「ピュア・ムーヴメント」によって、アメリカの昔ながらの良き家庭、良き男女を取り戻すため、女性は発言を1日百語までに制限され、あらゆる社会進出の場を奪われてしまい、更に発言した語数をカウントする腕輪をはめられ、語数がオーバーすると電気ショックを受ける。
そういう変化は徐々に起こり、アメリカを席巻していった。
ジーン・マクラレンも優れた認知言語学者だった。人の脳のウェルニッケ野という言語を理解する部分の研究をしていたが、今は主婦として腕にカウンターを付け暮らさざるを得なくなっている。
そんなとき、突然、ピュア・ムーブメントの指導者カール・コービンがジーンを訪ねて自宅にやって来る。大統領の兄がスキー事故で怪我をし、ウェルニッケ野が損傷を受け、言葉を話せなくなってしまっていた。その治療を彼女に依頼してきたのだ・・・。
いわゆる悪夢の未来、ディストピアを描いた小説。極端な世界を描いているように見えるが、性による差別、性的指向に対する差別が法として、あるときは信仰として認められ、実際に行われていたのは架空ではなく、ほんの少し前の過去の事実だ。
それを近未来のアメリカの姿として、キリスト教の後ろ盾を得た大統領の政策として行われているものとして描くのは決して荒唐無稽な話ではない。
主人公のジーンは、かつての恋人や、研究者仲間、そして地下抵抗勢力の人々とも出会いながら、この軛から抜け出すべく奮闘している。それを読みながら応援したくなるのは尤もだが、一方で焦燥感のような焦り、この姿はいつか遠くない、自分たちの姿なのではないかという気持ちにさせられるのはなぜだろうか。
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【選挙とSFサスペンス】
この本に描かれたディストピア。技術的には可能だし、かの国の潮流的にはありえそうだと感じてしまったのは自分だけでしょうか。
《声の物語 クリスティーナ・ダルチャー著》
舞台は近未来のアメリカ。泡沫候補と思われた人物が大統領に就任。ある政策がとられた。その政策とは、女性の言語を強制的に制限するといったもの。アメリカで生活するすべての女性に、100語以上喋ると強力な電流が流れるブレスレットが装着される。『あらゆる男の頭はキリスト。あらゆる女の頭は男である』、『男が働き、女は慎ましく家を守るもの』。聖書にともにあった古き良き生活に戻ろうではないかという思想のもと、政策は実行される。主人公は失語症の研究をしていた学者の女性ジーン。あるとき、事故で脳に損傷を負い、失語症になってしまった大統領の兄の治療をジーンは依頼される。そして、治療の見返りにある条件を提示されるのだが…。
女性の一日発語量は約1万6千語とされるなかで100語の制限。
LGBT、不倫(女性のみ)、未成年の不純異性交遊(女性のみ)は異端とされ、強制収容所へとおくられる。
息苦しくて陰鬱な怖さを感じました。
ところどころで頭に浮かぶ既視感が、その怖さを倍増させます。
作中、主人公ジーンの『わたしは彼に投票しなかった。そもそも投票に行かなかった。わたしにとっては今度の試験の方が大切だったのだ。そして、わたしたちにとって、その日が終わりの始まりになった』といった回想が深い。
ひとりの声の影響なんてたかが知れているのかもしれないけれど、やはり『投票』という声は放棄してはならないと思いました。
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設定はシンプルで恐ろしい――アメリカで、「女性」のみ、一日の発語数が100語に制限されてしまう。100語を超過すると、手首に装着したブレスレット状のカウンターが、強力な電流を発する。突飛に思える設定も、「アメリカ」の大統領が行った政策と聞くと、にわかにリアリティを帯びる。
かつて日本にも、女性蔑視は確実に存在した。むろん、現在の日本でも、その不公平性は完全に払拭されたわけではない。むしろ男女間の性差に基づく差別以外に、永田町に蠢く者共が、次々と繰り出す数多くの「差別」が日々噴出するために、相対的に男女差別だけがことさらにクローズアップされなくなっただけだろう。うまい汁を吸えるのは権力者だけ、というのは、いつだって世の習いであるが、権力が一極に集中するアメリカが舞台であれば、読者の誰もが完全に「フィクション」とは思えないまま読み進めていくのではなかろうか。そしてまた、その大国に尻尾を振ることこそが国のまつりごとと考えている我が国の権力者たちも、いつそのようなことをしでかすか、分かったものではない。
だから『声の物語』は、「いま、この時代に読むべきディストピアSF」と評されるのだろう。たしかに女性から、言葉を封じる政策という設定はディストピアそのもののである。上野千鶴子が読んだら卒倒するかもしれない。
しかし、女性から言葉を奪う、という設定は確かにセンセーショナルではあるけれども、医大入試では「女性一律減点」を当たり前のように行い、それに対して本来声を上げるべき国の権力者がダンマリを決め込む国もあるのだ。最高学府の入学式の挨拶で、国のトップクラスのフェミニストが、女性に「強くあれ」と呼びかけなければならない国もある。物語の設定はいささか極端であるがゆえに、本作はディストピア小説と評されるが、似たような出来事は身近なところに転がっている。
ディストピアから抜けだすプロセスは、医学界の専門用語も出てきて少しばかり難解だが、そもそも「ある偶然」が起きなかったら、このプロセスもなく、ディストピアな世界も解消しなかった(と思われる)。この物語の大きな筋を、「偶然性」に依拠してしまったことのみが残念である。やはりこの手の物語は、悪は“絶対に”成敗される展開でこそカタルシスを得られると思うのであるが……。
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侍女の物語よりは最後少し光が見える。ただ、こっちの方が子供の描写が丁寧な分、読むのは辛い。
特にすんなり洗脳されていく多感な年頃の長男、言語を奪われていることをゲーム感覚で受け入れてしまう幼い娘。自分が言語を奪われる以上の苦しみだろうな。
言語を自由に使うということは、自由に思考すると言うこと。
我が子の自由な思考を守ることは親の務めで、それは案外、子供を直接的にケアするよりも、自分たちを取り巻く環境を健全に保つことに真摯であることなのかも。
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ディストピア小説の多くは、おおよそ近未来を舞台に「すでに成り立ってしまっている」架空の国家や社会が描かれることがポピュラーですが、この『声の物語』では、何と現代のアメリカで、超保守政党が政権を掌握したことで(執筆&刊行当時の、かの大統領政権よりもはるかに!)悪夢的な管理社会が立ち上がっていき、じわじわと人びとの暮らしや価値観が変質していくさまが、かつて認知言語学者だったマクレラン家の妻にして三児の母親である、ジーンの目線から語られます。
先導的な牧師であるカール・コービンが唱える思想「ピュア・ムーブメント」。キリスト教原理主義的で女性蔑視を正当化するその思想は、バイブル・ベルトと呼ばれるアメリカ中西部から南東部を中心として、徐々にアメリカ全体へ広がっていき、推し進められる政策とともに強制力を持つようになっていった。やがて、すべての女性は手首に「ワードカウンター」と呼ばれる、一日に百語以上のワードを発すると強い電流が流れるブレスレットを取りつけられることで、言葉を使う自由を取り上げられ、意見を言うことはおろか、そもそも読み書きすら教えられず、学問や仕事、参政の自由までも奪われて、家庭に押し込められることを強いられていく。
ジーンはこの暗鬱な状況が成立するまで、友人から幾度も抵抗や運動への参加を誘われても、すげなく断ってきた過去を悔いながら、変わってしまった生活を淡々と過ごしていた。すでに長男は「女にある仕事をさせて、男にほかの仕事をさせるほうが生物学的に理にかなっている」と、悪びれもせず言い放つほどに「ピュア」の思想に毒されていて、最も幼いソニアはカウンターのせいで、その日学校であったことを母に話すこともできないでいる。心には不満や澱が積み重なっていくも、そんな状況に何の批判的態度や気遣いの言葉も表さない夫へのイライラもまた、ただただ募るばかり。
そんなある日、ジーンのもとを突然、大統領の側近たちが訪れた。彼らはジーンに、大統領の兄が事故で脳に損傷を負ってしまったことを告げ、そしてその兄を治療するための研究チームに参加してほしいと、ある条件と引き換えに持ちかける――損傷部である「ウェルニッケ野」と呼ばれる言語機能を司る部位について、ジーンはまさにその治療研究の第一人者だった。
治療法確立までに与えられるタイトな条件と期限、日々差別的思想と発言を強めていく息子、娘のソニアを守るための葛藤、頼りない夫に冷えていく心、不倫相手だった研究者との再会、レジスタンスの存在、そしてプロジェクトの裏に仄見える不穏な動き……と、さまざまな障害や信じがたい出来事に阻まれ、心にも体にもダメージを受けながらもジーンが立ち向かわざるを得ない戦いは、ひたすらに不利で過酷なもの。けれども、だからこそ描かれる寓話的社会のありようが、決していまわれわれの目前で進行しつつある変化や状況と彼岸の火事ではない、ということを強く実感させられます(特にジーンが、とある黒人女性と交わす会話で示唆されるさらに恐るべき未来のくだりは、何度読んでも鳥肌が立ちます)。
後半に入ると展開する、ひたすら針に糸を通していくような研究プ���ジェクトの顛末、そしてスリリングな脱出劇まで――何度もガツンと殴られて胃や臓腑をかき回されるような嫌悪感を覚えながら、薄氷の上を歩くような息が詰まる思いで胸苦しくなりつつも、一度読み始めたら止まらなくなること必至の、いま読まれてほしい作品だと思います。
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久しぶりの途中で断念した作品。女は話すことをできない、という設定の話なのだが、その説明が長いし、展開が遅く、
じっくり読めば面白いのだろうが、如何せん何も起こらない。
その時間があったら、別の本を読みたいと思い、強制終了。
半分くらいまで読んで思ったのは女性蔑視、差別のような内容。
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近未来のアメリカが舞台。女性たちはある人物が大統領となり、そのブレーンによって、文字を読むこと、言葉を発することを禁止される。言葉を発していいのは、1日たったの100語。それを超えると、腕にはめたカウンターがビリビリ。
恐いなと思ったのは、17歳の青年は、学校での講義を通して、その価値観にどっぷり浸かってしまうということ。そして、激しく後悔することになることをやってしまう。幼い少女ソニアは、1日100語しか話せないことをゲームとして受け入れていく。学校では、発した言葉が少ない女の子にご褒美が与えられており、その「ご褒美」を喜んでいる。
大きなとりかえしのつかない選択をしないようにするためには、小さな声、小さな勇気がたくさん必要なのだろう。誰かが自己犠牲を払って異論を唱えたり、「過ち」を正すということを尊いこと、偉大なこととしてはいけない。ひとりひとりが、「自分はこう思う」「よくわからないけど、何か違う気がする」というような言葉を発することができること。発しようとすることが大事なのではないか。
私は、この物語の問題の解決の仕方以外の方法を見つけたい。というより、この解決方法しか選択肢はないという前に踏みとどまれる社会でありたいと思った。
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2020-10-09
こんなに恐ろしい事態はありえない、というかもしれない。
だが、ありえないことが起こるのが現実。フィクションはいつも坑道のカナリアを担って来たのだ。
物語的には、後半ちょっとご都合主義な部分が、目につく。ま、それが救いなのかもだが。
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オーケイ、これは所詮SFの話だ。こんな荒唐無稽なことは到底起こるとは思えない。あまりに極端な設定だし、そもそも人も焼いてしまう腕輪の電源とかどうなってんだよ(笑)、とか。いや、本当にそうなのか?
政治家は自らの無能を隠すように平気で嘘をつき、単純化した二元論で選択を迫る。Show me your flag. 人々はネットの情報の海に溺れて思考停止になり、自分が心地よい情報だけを盲目的に信じる。その結果は気に入らない奴はすべて攻撃する、炎上だらけの人と人の信頼のない世の中だ。何がダイバーシティだ。
そんな世界で、明日こんなことにならないと誰が断言できるんだ?