剣鬼たちの狂気が乗り移る
2013/08/14 23:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
徳川家光の兄でありながら将軍職に遠ざけられた、駿河大納言忠長、巷間の噂のように彼の狂気が歴史にそうさせたのか、状況が人を変えたのか、史実は知らないのだが、彼の御前で剣術試合が催されたというのがこの話。それは狂気の人らしく真剣による、しかもそれが十一番もあった。
江戸幕府下の世は泰平に向かいつつあるが、戦国時代に剣の道を究めた武芸者やその弟子筋にあたる武士たちはまだ無数にたむろしていて、活躍のしどころを失って空虚を抱えたままに爆発の場を探し求めていた。大納言はそういった剣士たちを集めてお抱えにしているのだが、それが武家の正統としての自負のためか、謀反の企てのためか、その内心は誰にも分からない。仕官先を失って彷徨している武芸者は、まず新しい官僚機構の中に身を埋められない、異能の者ばかりである。江戸からも当然に怪しんで隠密が送り込まれており、それもまた柳生だったり服部だったりの有象無象。この駿河城下に蠢く力学の錯綜は、つまり戦国のエネルギーの燃え残りである。
普通に剣の腕だけで、何やらの師範としてでも十分に世を渡っていける実力を持ちながら、真剣の立ち会いに臨もうという激情の持ち主たちは、際立った個性ばかりである。それが一つ城下に集って来るのだから、もう幕府への謀反など影が薄くなるほどに歪んだ空間と化している。
その中でも、最近も山口貴由「シグルイ」として漫画化された「無明逆流れ」が際立って異様だ。虎眼流道場の二人の天才剣士が、師の後継者の地位とひとり娘を争い、幾度もの暗闘の末に片方は盲目、もう片方は隻腕となる。それでも互いに相手を打ち負かすことに執念を燃やし、ハンディをカバーする技術を編み出し、とうとう御前試合で決着を付けることになる。一度は半ばの死を経験した者達が、亡霊のような執念で妖鬼のような剣術を育てあげる、まったく畢生の怪作である。
「無惨卜伝流」は、塚原卜伝以来の名門流派でのこれも後継者争いが発端だが、剣技よりは詐術話術という新種の人間が一門を引っ掻き回す。そしてその野心のために一門の優れた武芸者たちは次々に倒れていき、この流派の衰退の原因になったという、まことうさん臭い話だ。
いずれの試合も、それぞれ腕に甲乙付け難い名人同士が、真剣で、しかも怨念の挙げ句に必殺の意気込みで対するのだから、血を見るのは必至だ。異能の剣士たちの技はアクロバティックなところもあるにせよ、切れば血が出る。勝者も敗者も血まみれになり、時には相打ちにもなる。白砂も白幕もどす黒く染まるのはグロテスクでもあろう。そして都度命が失われていく。こんな試合が朝から夕方まで続いていく狂気。
対戦者自身には、たしかに力への欲求、女への欲求、そして権力への欲求があり、主君への忠誠や忍耐といった新しい時代の求める道徳との葛藤の中に育つ狂気があるのは仕方ない。そしてもちろんその狂気は、この物語を読む現代の我々自身ものものだ。
絵柄が本当の「劇画」
2024/05/02 09:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵柄が本当の「劇画」であり、殺伐とした凄惨なストーリー展開と不気味なほどよくマッチしている。江戸時代は太平な時代であった という先入観があったが、江戸時代初期はこのように戦国の気風が色濃く残っていたのだなということを実感させられた。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は南条範夫氏で1993年に刊行されたものの新装版ということです。
世にいう寛永御前試合は三代将軍家光は日光参詣中で江戸にいなかったので江戸城にての御前試合は史実あらざることは明白とのことである。
この著書は駿河大納言徳川忠長の面前で行われた駿府城内の大試合で、駿河大納言秘記の写本から寛永六年九月二十四日駿河城内に於いて忠長の面前で行われた真剣御前試合に関する資料を題材に描かれています。
当日十一番の試合に於いて、二十二名の対戦者の中、十四名が敗北により、または相打ちによって即死、他の二名が試合直後に殺され、生き残ったのはわずかに六名、しかもその中の二名は重症を負ったという。
この著書で十一番勝負がそれぞれ描かれていますがノンフィクションであれば凄いと思いますが、現実とどれだけ相違があったのか知るすべはありません。
投稿元:
レビューを見る
祝!復刊!!
三代将軍徳川家光の実弟忠長が執り行った真剣勝負による「御前試合」の顛末だが、これが実に面白い。対戦者間にわだかまる情念、執念、怨嗟、等等を過不足なく綴り、刹那の勝負に全ての因果を収斂させる構成なのだが、これが十一篇続いても、まったく飽きさせることが無い。
相対する剣士をそれぞれに、ある意味追い詰めている武家の論理は前近代的なものであるが、その根底に流れるさまざまな感情は普遍の原初的なものであり、今日読んでもあまり古びた感じはしない。。。。。のは、やはり俺が時代劇が好きだからかも知れない。
むしろ今日的と言えるのは、その残酷描写であろう。腕が飛び、脚が飛び、体が両断される剣の破壊力は対峙する双方を無傷では終わらせない。『キル・ビル』や『シスの復讐』などが剣豪小説の映画化作品へのリスペクトとして残酷描写を描いており、そういうものと呼応している「愉しみ」であることは否定しない。が、今日的とはそうした表層的な意味合いのみを指すものではない。
駿河城南庭の白砂の上に繰り広げられる凄惨な殺し合いは、生き残った者の魂を更に深く傷つける。酸鼻を極める試合の描写は、達人ゆえの凄みと業を漂わせながら、「無情」の二文字を読む者の心にも刻み込むのだ。だがこれは、血で血を購う事の空しさを説教臭く語り、半端な悟りを錯覚させるものでは断じて無い。むしろ生の業苦とも言える、足掻いて足掻いて生き続ける様を、十一の試合は描いている。だが、十二編目では、いともあっさりと終焉を迎える生の空しさを突きつけるのだ。
「命は等しく無価値」というテーゼが今日的なのか?そうかもしれない。だが、その結論に至る醜いまでのバイタリティがあるから、ニヒリズムは「破滅の美学」に昇華するのである。
投稿元:
レビューを見る
シグルイの原作、といっても漫画とは別物で割とまともな小説。虎眼先生がボケ老人だったり、右手の指が常よりも一指多かったり、牛股の口が耳まで裂けてたり、いくが乳首ちぎられてたり、そのちぎれた乳首を牛股がチューインガムみたいにプギュプギュ噛んでたり、虎眼流の門弟にセルフフェラをたしなむヤツがいたり、かじきという全長2メートルくらいある素振り用の木剣があったり、舟木一伝斎の息子にホモの双子がいたり、藤木と伊良子の決闘をガマがうんこしながら見ていたり、は全然しないのでそういうのを期待してはいけない
投稿元:
レビューを見る
シグルイの原作。シグルイのエグイほどの濃さはないが、普通に面白い。11試合あるが、全部面白かった。ただラストが全部同じ様な結末だったのが残念。最後も無理矢理まとめてる感じだった。でも漫画の方が大好きなんで、星5つ。
投稿元:
レビューを見る
言わずと知れた「シグルイ」原作です。
表紙も伊良子と藤木だね!ドオンドオン!
より変態なほうが負けて死ぬんだな…
と、気付いてしまってもおもしろい!
残酷物ということですが、描写は割とさっぱり目。
最後は無常の風に吹かれることでしょう。
なまくらと申したか
投稿元:
レビューを見る
2010 4/14読了。WonderGooで購入。
『シグルイ』原作・・・と言っていいのか、まぎれもない原作なんだけど山口先生が加筆し過ぎで何がなんやらという。
全11試合は最後の『無残卜伝流』を除いてはそんなに長くもなく、試合展開も非常にサクサク進む。剣士同士の因縁について多くのページを費やし、勝負は2~3ページで決着、と言った感じ。しかしそれがかえって真剣勝負の一瞬で決着がつく感じを的確に表しているのかも。
そして全体を通して見るとやはり『無明逆流れ』は一段吹っ飛んでいる、と言う気もする・・・漫画版は第1試合が終わったらどうするんだろうか・・・(第4試合はきっとやるだろうが)。
投稿元:
レビューを見る
「シグルイ」ではまだ描かれていない死戦の数々と、生き残った者たちのその後。すっきりとはしないが、狂ったものたちの性(さが)を感じる。
投稿元:
レビューを見る
理性的な人々と野蛮な人々は互いに軽蔑を向けあう一方、秘かに劣等感も抱えていて、なおかつそこに男と女の感情的なものが絡むのでたいへん話がこじれておもしろい
しかも、結局は斬りあいで話が決着するという安心感がある
投稿元:
レビューを見る
駿河城で開かれたとされる残酷で
極めて異質な殺し合いのお話です。
まあ、基本的に女性が何かと関わって男側が剣を極める
というストーリーなのですが実はまだ読破してません。
時代物にめっぽう弱いんだなあと
痛感させられつつも、「シグルイ」という漫画の元であることを知ったので、とりあえず原作だけでもなんとなく読んでみようと。
(シグルイは読んでないですが、一時期話題になってた気がしたので)
投稿元:
レビューを見る
漫画「シグルイ」の原作ということで読んだ。15巻くらいあったシグルイと違い、原作の「無明逆流れ」は短編。これを含めて11の御前試合の顛末が描かれるのだが、様々な人物が様々な事情で戦う過程が面白い。ネットで「車大膳」を調べたのは私だけではないはず。
投稿元:
レビューを見る
ぬふぅ!!
知る人ぞ知る、残酷時代劇画「シグルイ」の原作本。原作にあたる「無明逆流れ」では十数ページしかなかったのに漫画では十五巻という長編ぶり。
原作者も推挙しているのでシグルイの方も見ていただけると幸いである。
しかし、この作品でも残酷描写は簡潔ながらもえぐい部分が多々あり、焼肉を食べながら読むのも一興である。
ちなみに朗読verも存在し、若本則夫氏が務めているところにも一聴の価値はあると思える。
投稿元:
レビューを見る
漫画シグルイの原作であるが、十一試合ある真剣勝負のうち漫画は第一試合だけであるが、戦った剣士と関係者が全て死んでしまうのと、ほとんどが痴情にまつわる物語であるところが面白い。全てを漫画で描いていたらあと10年以上かかるだろう。
投稿元:
レビューを見る
江戸時代の講談寛永御前試合の原型になったといわれる、「徳川忠長公秘書」を基に駿河御前試合を描いた作品。
駿河御前試合に出場する11組22人の剣士たちの凄惨な闘いを12の短編で綴る。
江戸時代の初期、駿河の国に冷酷な君主徳川忠長あり。
将軍家の次男でありながら、密かに天下を狙っていた。
天下に号令せん日を望んで名だたる豪傑たちを集めていたが、あるとき余興に真剣での御前試合を思いつく。
様々な遺恨をもった十一組の剣士たちが繰り広げる血の饗宴。
読みどころは、人間離れした剣士たちの卓越した技!
一瞬にして抜く、斬る、鞘に戻すといった目にも止まらぬ技の応酬に慄然となった!
また、十一組の試合が全てに闘うに至った経緯から試合に勝たなければならない理由がはっきりしており、叙情感たっぷりの展開。
特に面白かったのが、どMな剣士が主人公の「被虐の太刀」。
美しい青年・女性に斬られることで快楽が極度に高まるという天才剣士が巻き起こす泥沼劇。
どんな剣の使い手にも勝る腕を持ちながら、美しい男女に斬られことを楽しむあまり、血みどろになりながら斬られ続ける下りは爆笑でした。
全編を通して飽きのこない小説でしたし、笑いと凄惨な描写のコントラストが非常に上手いと思いました。
予想以上に楽しめたのと、南條範夫という作家ともっと早く出会っておけばよかったと、いい意味での後悔をさせてくれた作品でした。
男女の粘着質なドラマとサムライが好きな方にはオススメしたい一冊です。