考えることが好きな人が読むべき。
2020/05/03 12:25
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投稿者:びずん - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんなに色んなことを事細かに考えられる思考力とずば抜けた記憶力や知識を持ち合わせていても、母親に捨てられた経験に代わるものはないのだ。主人公の言っていることこそ、どこかの誰かの哲学を都合よく組み合わせて作り上げた自分の生きることに対する言い草でしかないと思った。人間は時に、行ったり来たりなことを考えて矛盾したことを言ってしまうことがある生き物だ。発言は取り消せないのが事実。だけれど、その時はそう考えていたのもまた事実だ。人の感情や思考については、どこにも正しさはないし、どこにでも正しさはある。
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年末年始の怒涛の読書から一転、通常営業モードが戻ってきたのとがっつり低下したメンタルで、読了に1ヶ月弱かかってしまった…
さらにクズ気味の主人公にさほど共感できず、でもきっとわたしはこういう人が目の前に現れたら惚れるんだろうな、なんて思いながらたらたらと読む。
読み進めていくと、主人公がなぜ孤独や寂しさを抱えているのかが、じわじわと描かれる。でも彼の表現の仕方、相手への伝え方がすんんんごい下手くそで。でもたぶん、触れてほしくないところに入って来てほしくないからこそ、こういう表現しかできないんだろうな、とも思う。だけど、相手を大切にしていない物言いや自己中な人付き合いが、一緒にいたらすごく大変な人なんだろうな。
そんな主人公と上手な距離感で近くにいるのが、彼女の枝里子だ。すごくいい女で、でもこういういい女と一緒にいるのがしんどくなる主人公の気持ちもよくわかる。だけど、やっぱり主人公が枝里子を大切にしていなさすぎる。
そして、家の近くに住んでいるスナックのママ・朋美とも交際し、セフレの大西夫人とはびっくりするくらい激しいセックスをし、基本的には、家に鍵を閉めずに日々を過ごしている。やばすぎる。
窪美澄さんの解説がすごくいい。
窪さん同様、というかみんなもそうだと思うんだけど、「僕の中の壊れていない部分てどこなんだろう」と、思いながら読み進めるはずだ。
複雑な生い立ちから、自分は無価値で生きている意味なんてない、と思いながら生きている主人公。話も偏屈で長い。だけど、彼が昔懐いていた真知子さんや、朋美の息子の拓也のことになると、突然ハスっている感じがなくなる。きっと、彼の壊れていない部分は、そこにあるんじゃないかと思うんだ。
とはいえ、この作品は著者の白石一文さんが20代の頃に描いたものだそう(帯より)。きっとその頃に「生きるとは何か」ってことに全力で向き合って描ききったものなんだろうなと思う。偉人の作品の引用部分も含め、当時の白石さんが「生きるということ」に全力で向き合って、必死に自分なりの答えを見出そうとしているように感じた。
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【三人の女性と関係を持つ「僕」の絶望――名著再刊!】東大卒の秀才・出版社勤務の「僕」はどんな女性とも深い繋がりを結ばない。驚異的な記憶力に秘められた理由とは。ロングセラー長編。
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なんてつまらない人生なのだろう、と思う。
自ら楽しもうともせず、
理屈ばかり捏ねて、
差し伸べられる手を拒絶してばかりで。
けれど、何故か彼の生き方を完全に否定することはできないし、
他人事には思えないでもいる。
ただ一つの自分の居場所、
たった一人の運命の人、
ただ一度きりの自分の人生。
それらを探し続ける白石一文の冒険は、
きっとここから始まったのだろう。
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久々に「白石一文の世界」にどっぷり浸る。のっけから主人公が繰り出す思索開陳のビッグウェーブ。良い意味で相も変わらず濃厚な展開で、ページを繰る途中に何度も本を閉じ、深呼吸するほど。まぁ、これが白石一文ワールドというか真骨頂。ファンとしては、しばしその世界に浸れる安堵と喜びを抱きつつも、脳髄は痺れるというアンビバレンツな読書タイムを味わえる稀有な作家。まぁ、とにかく圧倒的な情報量を包含した骨太の小説を編まれます。
さて、本書。主人公は東大法学部出身、大手出版社勤務、高収入の30代独身男性。境遇のまったく異なる三人の女性と関わりを持ちながら、いずれも一定の距離を置いた関係を続けている。彼女らに向ける言葉は終始理屈っぽく他虐的で粘着性が強い。また、このエリートが語る仕事感・恋愛感・死生観は高慢で鼻持ちならず、正直言って感情移入しずらく、到底好きにはなれないタイプ。
にもかかわらず、徐々に当初より抱いていた嫌悪感は薄らぎ、主人公の思考・思索・振る舞いに同調とまでにはいかないが関心を寄せるようになっていくから不思議。この“やな奴”の「僕の中の壊れていない部分」が、はたしてどこなのかを見つけたくて一途にページを繰ってしまう。もう、その段階で著者の術中にまんまとはまってしまってるわけですな。
本書の後半に、その核心となる「なぜ自分がこんな人間になったのか」を坦懐するシーンがある。人は大なり小なり何かしらの「マグマ」を抱えている。コンプレックスや出自に根差すやり場のない燻り続けている感情、憤怒や復讐といった高熱を放っているものまで、それは様々。
そのマグマが、時に人を攻撃的に、冷徹に、シニカルに、またその一方で路傍の名も無い花を愛でる繊細な優しさや死をも厭わない犠牲心や包容力を有していたりする。
「落語は人間の業の肯定である」と喝破したのは談志。いうまでもなく文学も然り。太宰なんてその権化。
業をカルマと呼ぶが、「カルマ」と「マグマ」。
いずれも沈潜し、脈動し、得体の知れない不気味さを保有しつつ、存在の在り処をちらつかせる。理性は万能ではない。理性が制御する範囲は一部分である。人間は不条理で不合理な生き物であるってことをあらためて思わされ、またそれを自覚すべきであることを思いしらされた一冊。
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主人公の僕のような人は多分この世にいる。彼の一部なら私の中にもあるし、枝里子のような部分も確かに私の中にある。
彼は救われることを望んでいないのかもしれないけど、多分そう言うんだろうけど、それなら、こういう類の人間は、人に近付かない方が良いんじゃないかと常々思う。
交際を続けていたら、相手の両親に挨拶に行くタイミングが訪れることもある。
自分勝手に連絡を途絶えさせたり、相手のことを考えない振る舞いをしたり…相手が枝里子でなかったら続かない。
僕の気持ちは分かる。何を怖れているかも分かるけど…人間をうまくやれないことと、自分の行動で起こした現実の責任を取らないこととは違う。
枝里子以外にも女性と関係を持っておいて、結局社会的な立場が何も脅かされないのは、僕にとっても良くなかったんじゃないかな。
けれど、かあちゃんのことを思って素直に泣くこともできないこの人のことは、やはり哀れに思ったし、彼が生きていく上で、彼が存在を強く求められていると感じるような場面があればいいと思いました。
けれどそんなものは彼でなくても、誰でも欲しているものではないかと思います。
だからこれは特殊な癖や、驚異的な記憶力なんてものを持つ人の特別な物語ではないのだと思います。
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「生きる」こととは「死」とはについて考えさせられる一冊だった。
人間、誰しもが言えない過去を抱えておりどうにかしてそれに対峙し、向き合いながら生きている。
そんな事を気づかせてくれる。
そして何より「一つぐらい壊れててもいいじゃないか」とそれこそが人間であり個性だと教えてくれている気がする
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なんやかんや女性の母性本能を擽っている主人公の癖がすごい、幼少期の環境は後の人生に大きく影響を与えるんだろうなと思った。読みづらい方なのかもしれないが、自分は割と好きかな
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作者は本当に頭のいい、博識な方なんだと素直に尊敬しました。
それを踏まえての個人的感想ですが、
自分が女だからなのか、女性たちの立場で読んでいることもあり、
自分が主人公と付き合っている立場だったら平手うちじゃすまないなぁというレベルの苛立ちを感じました。笑
自分の話していることを理屈でねじ伏せられる感じ、すごく覚えがあります笑
オチもなんとも言えない感じでしたが、主人公が幸せになれるのは、
他人の言っていること、ひいては他人の存在を受け入れられるようになった時なんだろうなと思いました。
自我が芽生えて、多少の知識がついてきた子供のような主人公で、子供のまま大人になってしまった感じがすごく伝わってきて、ここまで極端な人間はいないにしろ、これに近い人はいるなぁと。笑
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ずっともやもやしながら読んだ、彼の「壊れていない部分」って何だろうと。
窪真澄さんの解説文に書いてあるように、自分からはほど遠い人間の話だと思ったけど共感してしまえる部分もあって、衝撃を受けた本だった。
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一貫して癪に障る主人公だったが自分の壊れている部分を肯定してくれている存在のようで、無性に安心した。壊れている部分は誰しもが持っている。持っていていい。
彼には安心して帰れる場所が必要な気がする。幸せになっていいんだよと言ってあげたい。そして幸せになってほしい。主人公の人生を反面教師に、私は壊れている部分を持ちながらも楽しい人生を送りたいと思った。
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りかに買ってもらった本。
主人公の高慢さと自己中心的な態度に辟易とするが、それが彼における自己なのであり、こちらからの見方は一義的なものでしかないということを気付かされる。死生観や他人との関わり方など、興味深い内容が多く再読したい作品である。
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「他人と決定的に違う」と本人が思ってしまった経験がある人間と、真っ直ぐに・真っ当に育ってきた人間が「互いに寄り添い、共感しあう」のはとても難しいと思いました。あと、人が抱えた傷をいくら隠したところで、実際は言動に見て取れるくらいの雑な自己満足なのかもなと。
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本を閉じてから
否定できない部分があったから
少し自分を心配した
この世の中はたしかに歪んでるけど
それでも私は
笑ってまっすぐに生きていきたい
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「私はどんなに探してもこの人しかいないという人がいい。あなたはそうだもの。あなたは心に穴のあいている人よ。(略)でもね、あなたは本当に苦しそうに生きてる。どうして愛しているのか私にもわからないけれど、きっと穴のあいたあなたの心を私は見過ごすことができないのよ。」308頁
「私はどんなに探してもこの人しかいないという人がいい。あなたはそうだもの。あなたは心に穴のあいている人よ。(略)でもね、あなたは本当に苦しそうに生きてる。どうして愛しているのか私にもわからないけれど、きっと穴のあいたあなたの心を私は見過ごすことができないのよ。」308頁
「いくら探してもいない人というのは、この私しかその人のことを見つめてあげる人間はいないって思わせる人のことなのよ。この男しかいないってことは、この私しかいないということなのよ。きっとそうなのよ。私はあなたを忘れることができない。」308頁