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テクノロジーが直線的な時間によって因果を司る物語を無効化し、新たな人間哲学として共時の物語に突入しつつある今を描いた一冊。分量が20万字と厚めですが、文学から映画まで幅広く渉猟されており、サラりと読める。
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時間の概念は無くなる、物語は機械によって作られる、今までの法則が使えなくなる。。テクノロジーの発達によって・・今からの時代に、人間は如何あるべきかを考えされられる一冊でした✋
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本年の読了1冊目は、佐々木さん久々の新作。
プロローグで示された「未来は自分の前にあるか、後ろにあるか?」という問いから、グッと引き込まれた。
本編に入って、物語に関する変遷を過去から現在に示しつつ、テクノロジーの進歩により過去の位置づけが変わってくるという考えに、そうだよなと思わずにいられなかった。
そして、それを踏まえてどう生きるかという結論も納得感があった。新年1冊目にこれを読めて良かった。
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見た目にはしっかり分厚い本で,中身もぎっしり詰まっている。読むのはちょっと骨が折れるところがあるけれど,同時にどんどんページをめくりたくなって,知的興味がそそられる。
人工知能などの科学の話から社会・文化の話まで論じられている領域の広さに驚かされ,しかも各章のなかに散りばめられていて,全体としても美しい。
それでいて何よりも個人的に前々から気になっていたトピックが華麗に論じられていて,そうだったのかと腑に落ちるとともに,感動した。
一言で言えば,過去でも未来でもない,「今を生きる」っていうことに尽きるけれど,特に感じたことは次のとおり。
◆自由と婚活
正直,恋愛感情を抱けていないで生きてきている。友達で話す好きな子の話とかもあまり好きではなかった。まさに恋愛ができない自分にとっては,恋愛は抑圧でしかなかった。なかなか言い出せなかったんだけどそれを書いてくれていて,そのとおりと嬉しく感じた。
そんな僕も婚活を始めた。といっても,数年やっていて正直上手くいってない。相手の方を自分からお断りすることもあるけれど,多くは断れれている。結婚は必須ではない時代だけれども,しようと思ってできないのが続くと,周りで上手くいっているという話を聞けば聞くほど,自分が人間的に欠陥があるのではないかと思ってしまう。だけどそれは,「因果の物語」に縛られている考え方。「確率の物語」「べき乗の物語」という考え方は楽というか救いになる。
自分のことを棚に上げていてば,婚活は何らかの方法で紹介された人と恋愛しないとゴールできないと思い込んでいる(最初ゲームと書こうと思ったけど訂正した)。
そして問題は結婚相談所や婚活アプリといったネットワークが広がり,ガチャのように,新たな人が紹介される(または見つけられる)ので,目の前の人が果たして理想の人なのかの判断が難しくなってしまった。先に,「確率の物語」「べき乗の物語」という考え方は救いと書いたけれど,一方で次にもっといい人と会えるかもしれない,という誘惑も拭えない。実際,結婚相談所のアドバイザーの人にどうすればいいかと聞いたら,もっとたくさんの人に会うことを薦められた。それが結婚相談所のビジネスモデルだから仕方ない部分もあるけれど。それはさておき,そう思っているうちに目の前のそこそこの人を断り,時間ばかりが経っていき,泥沼にはまっていく。
ちなみに,恋愛が「べき乗の物語」という前提に立ったとき,恋愛と結婚を切り離すと,そこには猛烈な恋愛格差が生まれることになる。つまり,子どもは増えるかもしれないが,父親の数は間違いなく減るだろう。それは結婚を放棄しない恋愛弱者からすると地獄絵図でしかない(経済格差には敏感な人にこの発想が多いことに驚く)。
ちょっと婚活疲れしている自分には,「確率の物語」「べき乗の物語」から脱して,AIが選んだ人と関係を気づきあげていく方が合っているような気がする。と思っていたら,参加したとあるセミナーで,理想という正解を無意識に叩き込めば,どうやって叶うかは考えなくていいというと教えてくれた。まさに「機械の物語」的な発想だった。
◆物語<ストーリー>ゲームの発展と没落
以前,ゲームが与える影響に対しては,登場人物の性格とプレイヤーの性格の差異がヒントになるのではないか,と思っていた(大学の卒論のテーマもこれで書いた)。
本書の表現を借りれば,「持続させるためには、自分ごと化が必要」(p415)ということなんだけど,そのためのツールが物語の中で語られた内容から読み取れる性格という要素であったということだ。
いわゆるJRPGの可能性を考えていたんだけど,ゲームが備えているインタラクティブ性から多重プロット(p367)やナラティブ(p415)の方向性も模索しながら,
ゲームは「因果の物語」を捨てなガチャ的なゲーム(まさに「確率の物語」)が結局主流になっていく。そうなってくると,最後に残るのは海外で主流のMMORPGということになるのか。
まあ,これは人生の話であって,物語そのものが無くなるというわけではないはず。小説や映画は無くならないのだろうけれど,JRPGはMDのように無くなってしまいそうな気も。
最近はゲームをする時間を確保できていないし。ここは過去は色褪せなくなるというところを信じたい。
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音楽や映画に触れる機会がレコードや映画館に限られていた昔と比べ、現代はあらゆる方法でそれらの文化に触れられるようになり、接触機会がものすごく多くなりました。そうすると、たまに耳にするから郷愁を感じるはずだった古い文化が、もはや飽き飽きするほどまでに現在進行形で共有されるようになってしまっているのです。
日本の1980年代に流行った都会的なポップミュージックは異なる。この通称シティポップと呼ばれる音楽はアメリカではほとんどしられていなかった。当時のアメリカ音楽から強い影響をうけて音楽性を受け継いでいたにもかかわらず、アメリカ人には手つかずのままだった。それでかれらがそれを聞くと、新鮮であるのに、同時に郷愁も呼び起こさえる
私達はつねに過去を抽象化し、同時にそれを美化する。でもインターネットのアーカイブは決して美化してくれない
過去は色褪せなくなり、いつまでも鮮明なままで保存され続ける。しかし、過去は、いつ改変されるか誰にも予測できず、つねにデジタルコラージュの寄せ集めでしかないという不安定な状態に置かれている。
そういう過去が世界に溢れかえり、私達は郷愁を感じることができなくなっている。それどころか、ときに強制的に押し付けがましく配信されてくる過去によって、私たちは忘れることさえできなくなっている。過去はそういう厄介なものへと変わりつつあるのです
忘却が高度の思考をつくる
忘却ができなくなってから、私達はようやく忘却の美徳に気づくのかもしれません
忘却は郷愁の感情を呼び起こすだけではなく、もっと重要な役割をもっているのです。人の脳は過去に起きたことを正確に記憶するのではなく、様々な出来事のなかから印象深いものだけを選んで記憶し、その中身も時間が経つにつれて変化していくようなメカニズムになっています。記憶を変化させ、捏造してしまうことで、過去の体験を私達は抽象化し、生きていくためのスキルとして蓄積できるようになるのです。だから、実は過去は鮮明にキオウされ内容がよいのです。
彼によると、進化論的に下等な生物ほど、厳密な記憶の割合が多いといいます。忘却し、曖昧な記憶をもつというのは、進化した生物の特権でもあるのです。
細かい部分を忘れてしまうからこそ、抽象化できる。つまり高度な思考のためには忘れることが必要なのです。
人間が忘却して抽象化しているのに対して、AIは忘却せずに抽象化ができるようになったのです。これは人間の思考とはまったく異なるアプローチです。
記憶 手続き記憶、プライミング記憶、意味記憶、エピソード記憶
エソード記憶 最も高度に進化した記憶 意識と関係あり
1972 エピソード記憶という概念を始めて提示したのはカナダの心理学者 エンデルタルヴィング
意味記憶は心の中の類義語 自分の経験についてのautonoetic consciousness(自分が経験したことだと自己意識で理解していること、日本語では想起記憶とも訳される)
自分が体験し、近くした出来事だから、エピソードは自分ごととして記憶できる
エピソード記憶の時間軸はあくまでも自分自身の時間
アマゾン奥地にすむ少数民族ピダハンは過去も未来も考えない
ハーバード大学 マイケルヴィツェル 世界の神話をゴンドワナ神話とローラシア神話の2つに分類している
共通する要素を抜きだした パンガイア神話
ゴンドワナ 時系列はっきりしない
ローラシア 時系列あり
心理学者 ジュリアンジェインズ 神々の沈黙 1976
人類が言葉を獲得した当初、私達は意識をもっていなかった。そのころの人類は、頭の中に神の声が響いており、この声を常に会話することで思考を成り立たせていた。しかし紀元前2000年頃になると神の声はだんだん聞こえなくなり、その代替として意識を生み出した。神の声は人間の頭脳から消滅したが、現代では統合失調症にその痕跡を留めている
人は複雑な作業を記憶するため、ひとつらなりのできごとをまとめて覚えておいて物語にするという方法を身につけることで、自分ごとにすることができました。
1970年代に活躍した同時代の研究者であるダルヴィングとジェインズの論を仮にまとめてしまえば、人はまず神の声に命じられることで仕事をこなすようになり、しかし社会が複雑になると神の声が聞こえなくなり、その代わりに意識がうまれて、エピソード記憶が急速に発達し、神の声がなくても複雑な仕事をこなせるようになった。
神の声が聞こえなくなったことで、意識と物語が連携しながら急速に発達していったのかもしれません。
エピソード記憶によって私達は物語を生み出すことが可能となり、そして物語を編むためには私達には自己意識が必要で、自己意識があるからこそ、記憶はさらに強化されていくのです。三者がぐるぐると回っていく流れの中で、私達は世界を獲得しているのです。
AE 自己符号化器
深層学習が生み出す機械の物語は、人の知能とはまったく異なる知能の姿です
2017 行動経済学者 シカゴ大学 リチャード・セイラー
ナッジ 注意や合図のために、人の横腹を肘でやさしく押したり、軽くつついたりすること
これをやれというような強圧的な命令でなく、実はごくささやかな誘導だけで、人々の行動は意外と簡単にかわるものなのだ
判断疲れ
空間認識力は、未開発である人間の潜在的な能力のなかでも、最大の者でないか
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自分には哲学的でちょっと難しかった。
佐々木さんの集大成ともいえる本なんだろうけれど、
気合も入っている分、難解で中々、全体感が入ってこない。
でも、部分部分では理解できるところもあり、
中にはとても興味深い記述もあった。
中でも、基本的なテクノロジーのロジックの説明(機械の物語)と
自由についても著者の考えについては、
とても興味深かった。
もう少し、テクノロジーに対する感度を上げていけば、
佐々木さんの主張も理解できるのかもしれないなぁ。。
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哲学と科学の間という感じだろうか。
「未来は前方にあり、過去は後方にある」は絶対的な真理ではない。
過去は既に終わったことだから目に見えるが、未来はまだ起きてないから見えない。
だから過去は顔を向けている前方にあり、未来は背中にある。
すなわち、Back to the Future。
上手いし、なるほどなだし。
序盤の掴みから、テクノロジーと文化を行き来しながら、因果と共時を論じる。
ちょっと個人的に咀嚼できないというか、難解な部分もあるので、何回か読んで理解していきたい一冊。
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21世紀の世代にとって音楽はコレクションではなく、
全ての楽曲が目の前に存在している。
第一世代プラットフォーム
インターネット上での水平統合
第二世代プラットフォーム
サービスとしての流体、ストリーミング
過去:失われていくものから、押しつけがましいものへ
「確率」の物語 大数の法則
「べき」の物語 自己組織化臨界 かろうじて維持されている安定
「機械」の物語 パーセプトロン
誤差逆伝搬法:結果から逆算、重みの数値を変えていく
自己符号化器
「物語」が優先される時代、脱真実、脱「因果」の物語
同化型→対面型(スクリーン、マイク)→
ゼロUI 指示しなくても最適な状態を作る フォグをクラウドの下に
判断疲れ
「アーキテクチャ」見えずに行動を物理的に支配
「ナッジ」ささやかな誘導に従う
社会は臨界状態、単純な選択肢では進まない
自由の価値
未来への期待、過去との関係における相対的なもの
ピュアなデータの周りにある空気感と、そこから生じる「摩擦」
三次元触感
カーナビは平面的な案内。
スマホの設定は記述的。直感的でない。
「空間」のすべてがUIへ、空間コンピューティング
機器は見えなくなる
空間認識能力
時系列tでなく、xyz軸での世の中と自分との関わり
小説家ではなく、脚本家
仮想と現実の区別は意味がない、そこにあるもの
同期と非同期 ;メール
「偏在」(ユビキタス);華僑
マインドフルネス
「摩擦」「空間」「偏在」の重なった感覚が深化
「ライバルとの闘い」=因果の物語
孤独なフリースタイルスポーツ=瞬間
多重プロット =多視点 中心がない 映画「バベル」
因果からこの瞬間へ『共時の物語』
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世界の理解を根本から覆す本である。
マインドフルネスにも通じる「私たちは生きているからこそ生きているのであって、そこには過去も未来も現在もなく、「生きよう」と思った瞬間に「生」はただ立ち上がるのだという直感的な認識なのではないだろうか。」がこの本のハイライト。
ユークリッド幾何学やニュートン力学において時間の存在は疑いようがなく因果としてそれを理解している。一方、量子物理学は確率で示され因果が成り立たない。(例えば「シュレーディンガーの猫」)
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因果性、ストーリーから共時性へという主張はそうだろうね。という感じでしかも様々な僕の知らないエピソードなどが語られて、ベクトルは本当に同じ方向を向いていると感じた。そして、ベクトルが本当に同じ方向を向いているから細かい大筋では関係のないような詳細部分での食い違いが大変に気になってしまう。
例えば、機械学習は微積分の話だから一般の人に理解がし難いのでは?というところ。微積分が機械学習の本質だと言うとそれは全く違うと思う。もちろん、バックプロバゲーションの計算とか、まあ一般に計算機にやらせようとすると微分は必要になるけどミスリーティングでは?
とか。まあ、しかし、同時代の物事を使ってロジックを作ろうとすれば強引になってしまうことってのもあるし、読んだ方がいい。
結論は出ないし、ほのめかしがあるだけだけど、あっちにいくと共時性の世界があるよのガイドブックにはなります。著者はそこまで行きたくはなかったのかな。と思うけど。
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twitterでおもしろいことを語る人だと思って読み始めましたが、理解が追いつきません。自分の背景知識を入れながら読む本。
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私たちを取り巻くテクノロジーの変化によって、私たちの「時間」の捉え方は明らかに変容している、という話。
印象的なエピソードとして挙げられているのは、スピーカーから流れてきた70年台のプログレッシブロックについて父が「当時はこういった音楽も、受け入れられるのに時間がかかったんだ」というと、小さな娘が「ということは、この曲は古いの?」と問いかける一幕。
あるいは、永遠に残り続けるネット空間に残されたデジタルフットプリント。データは古びることなく、その人の思考の変遷や社会的立場、あるいは犯罪歴に至るまで忘却が許されない。
「古い」「過去」という価値観や体験は、すでにある種のあざとさを持ったUI/UXとして提示されないと、気づかれないし体験されない価値になってきた。私たちはノイズ(時代性)の取り除かれたデジタルコンテンツを、まるで池から水をすくいとって飲むように消費するようになったので。
はたして一方向に進んでいく、線形の時間軸のモデルをこれからも持ち続けていくことができるのか?あるいは持ち続けていく必要があるのか?という問いと、時代の連続性が希薄になっていく中で、私たちは自己同一性を、あるいは生きている意味をどうやって担保するのか。あるいはそれを担保する必要があるのか?という問い。
いずれも答えることはとても難しいのだが、変容していく人間の意識と社会を俯瞰して捉えておくことは、単純におもしろい。決して全ては同じ場所にあり続けるわけではない。
禅問答のような本。でも僕はこういう「答えがなくてもいいという答え」にふれることで、結構安心できる。
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「私たちは自分の自己意識をとても大切なものと考えていて、自己意識こそが自分をコントロールし、身体の行動や脳の思考に命令を下しているのだと考えています。しかしオートポイエーシス的な視座で人間の心を捉えると、心のシステムは作動することによって初めて自己意識が生み出されているのです。つまり主体は自己意識ではなく、意識や思考、行動などを生みだしている脳の神経細胞のシステムそのものであるということ。
つまり、私たちの自己意識が主体なのではありません。思考が思考を、思考が行動を、行動が思考を、あるいは思考が自己意識を、行動が自己意識を、とさまざまな要素を生み出し続けるその「過程」のシステムこそが、私たちの主体であり、人間の本質だと言い換えることができるでしょう」p.410
「アニメ『GOHST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編『イノセンス』。この映画の終わり近くで、主人公草薙素子はブッダの言葉を口にします。
「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく、林の中を象のように」
もしよい同伴者が作ることができなかったら、一人で歩いた方がいい。愚かな人を道連れにするくらいなら、森林に歩みを進めているゾウのように孤独に歩く方がいい。しかし彼女はそうやって孤独への決意を口にしながらも、懐かしい同僚バトーにこう伝えるのです。
「バトー、忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたのそばにいる」
森林の中を孤独に歩くゾウであっても、そのゾウは一人ではない。そこには孤独な道を歩くものたちの親密さがあり、ひっそりとともに歩いて行こうという共感があるのです」p.430
時間とテクノロジー
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過去を色褪せさせないテクノロジー、機械の性能が人間を上回る可能性の出現により、時間と因果が支配する物語よりも、今何を組み合わせるかということが人間社会にとって重要になってきている。
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テクノロジーによって、当たり前に考えていた時間の感覚、人との関係や認識、コミュニケーションや空間感覚やビジネス、あらゆる分野で変わっている。
こう書くと陳腐な感じなんだけど、色々勉強になった。
でも、もうちょっと整理されていると良いかな。
個々のエピソード自体は面白いんだけど、各章の本質的なテーマを整理してくれると読みやすくて後に残ったかな。
佐々木さんの恰好付けた感じが裏目に出たかな。
もっと分かり易ければ、売れ行きも違ってきたと思う<余計なお世話ですね。
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テクノロジーの進化に伴い生じる時間と空間の認識における大きなパラダイムシフトを、因果・確率・べき乗則・機械の4つの物語、摩擦・空間・遍在の3つの認知感覚によって解きほぐし、新たな哲学を指し示す。
卑近な具体例と広範な論理的裏付けを多用しながら丁寧に論を積み重ねた上で、オートポイエーシス及びユングのシンクロニシティに思想的な出口を求め、やがてナラティブに哲学的解答を見出していく。著者の知識的守備範囲の広さ、一つ一つの糸を織り込んでいく知性と慧眼に拍手。