たくさんのメッセージ
2021/11/20 23:04
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知症の人への偏見はないつもりだったけど、自分が認知症になったら人にはもう会いたくないとか、人生終わりだな、などと、考えていた。
認知症医療の第一人者、長谷川和夫さんの言葉の数々を、本書で読んで、そうした考えのおかしさに気付かされた。
認知症になったからといって、急にその人が変わるわけではないし、人生は続いているのだ。
認知症とは、治らない恐ろしい病気、何も分からなくなる病気と思っている人は多いと思う。
認知症でない人間が勝手にステレオタイプに受け止めているだけ。
実際には、できるところとできないところ、調子の良いとき悪い時がグラデーションみたいにあり、みんな同じでもない。考えてみたら当たり前のことだ。
自身も認知症になった長谷川さんが、
認知症になると周囲はこれまでと違った人に接するかのように叱ったり子供扱いしたりしがちです。だけど本人にしたら自分は別に変わっていないし自分が住んでいる世界は昔も今も連続している(略)途端に人格が失われたように扱われるのはひどく傷つきますし、不当なことです。
とつづっている部分は、胸が締め付けられた。
長谷川さん、たくさんの言葉を残してくださり、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
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投稿者:いのぜい - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知症の専門家が自分の「認知症」について書いている、本当に身につまされることだ。
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投稿者:ぼちゅ - この投稿者のレビュー一覧を見る
アルツハイマー型認知症になりました。以前、伯母が座敷牢に入れられていました。今で言う認知症だと思います。
自分がアルツハイマー型認知症にかかって入院していました。かなり経ちますが、入院していました。薬とかでどうにか一人で外出できています。
長谷川式テストを受けました。
医師が百から七を引いてと言うのもやったし、五つぐらいの品物を見て、記憶したら思い出してと言うのもやりました。
この本はわかりりやすくて、よいと思います。
言葉が心に響きました。学びになりました。
2021/04/11 18:36
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投稿者:ミモレ - この投稿者のレビュー一覧を見る
先生のひとつひとつの言葉が、こころに響きました。先生の優しさや温かさが感じられました。認知症になっても「心は生きています。」の言葉がとくに心に響きました。ケアにあたって大切にしたい言葉です。
日本人全員に宛てた遺書
2021/12/19 00:54
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投稿者:ピコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
長谷川式認知症スケールの開発者であり、痴呆症たいう言い方から認知症へと変えられた方。長きに亘り認知症と向き合ってこられた方だけに、ご自身がそれとわかった時の思いはいかほどであったろうと思う。まさしく我々日本人全員に宛てた遺書。
心は生きている……その通りですね
2021/12/11 01:15
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は、自分の回りでは親族をはじめ、たくさん、認知症の人、いるんです。もちろん、亡くなった人もいますけど……。でも、この本を読んでおくと、なんとなく、ほっとしたーというか……。
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認知症当人が、どんなふうに感じているか、どんなことを考えているか、の発信として、とても考えさせられる。認知症になっても、自分でものも考えられるし、日々を改善させられる、ということ。
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認知症診断に使われている「長谷川式スケール」の開発者、長谷川和夫氏が2017年に自ら認知症であることを公表しました。
まだ認知症には「なったらおしまい」という意識が残っているかもしれませんが、著者は
認知症になってもいろいろな世界が見られるということを伝えたかったようです。
本書は、自らが患者となり認知症になって感じること、周囲の人々との関り、隔離、拘束の歴史、長谷川式スケール開発秘話に加えて、今後認知症患者が増えていく社会に対して医療は何ができるか、最終章では「日本人に伝えたい遺言」が述べられています。
専門医の当事者のお言葉であるだけに、とても心にしみます。
どうぞご覧ください。
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いつも認知症の評価に使わせていただいている長谷川式。それを作られた長谷川和夫先生の書かれた本。認知症というラベルが貼られたとしても、その人はそれまでのその人と連続して存在している。訪問診療で出会う時には、だいぶ進行していることも多いけれど、そのことを日々肝に銘じながら接していかなければなと感じさせられました。
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嗜銀顆粒性認知症 しぎんかりゅうせい
80歳過ぎで発症。緩やかに進む。
長谷川先生の穏やかなお人柄のような一冊でした。
認知症を受け入れて、共に生きていく思いを受け取りました。
皮膚はどんどん入れ替わっていくのに、脳はずーーっと同じ。90年近くもおんなじ。
たしかにそれは凄いこと。
脳のある部分がポンコツになったなら、いろんな方法で補えばいい。そんな風に考えらる社会であればいいなぁ、とそう思いました。
理想論かもしれないけれど。。。
私は認知症になりたくないなぁって思っているけど、
将来そうなったら、受けとめて、豊かな時間を構築したい。
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認知症の研究者が当事者になった。長年研究してきても、当事者になってみないとわからないことがある。とても胸にささった。そして、それを伝えていかなければならないという使命感をお持ちになってお仕事を続けていらっしゃることがとても尊い。
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ともかく認知症の人を関与させずにその人のことを決めないでほしい。認知症と診断されたからって、その人がかわるわけではない。1日のうちでも調子がかわる。朝は頭がよく働く。って、私は今でもそうだけど。東大卒で留学もして海外に客員教授として行ったり、長谷川式スケールを作ったりしたえらい先生で現役のときにはずいぶん厳しかったようだけど、今は妻や子に感謝あるのみという感じの穏やかな人。Person centered careを提唱している。
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長谷川認知症スケールの生みの親が認知症に。
その人の目にはどんな景色が映っているのかな、と思って半ば興味本位で購入してみた。
たとえ認知症になっても、その人の人生は生活はずーっと続いている。その延長線にある出来事であって、その人自身は昔も今もそこにある。なぜ認知症の"患者"という表現をしないのか、本当の意味で理解ができた気がする。
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認知症の第一人者である長谷川先生が、知識と体験から認知症について書いている。「認知症の第一人者が認知症になった」というドキュメンタリーを見て、本書を手にとった(同じ人は多いはず(笑))。
「認知症になったらおしまいだ」と想像する人は少なくないだろう。そしてこれからますます高齢化の進む社会が必然的に直面するこの問題に、アントン(スマホでは変換できない!)たる思いがしてしまう。
けれども、著者は言う。認知症になっても、自分にとっては何も変わらない。それまでと同じような日々が続くのだと。だから、介護にあたっても、尊厳を持って接することがとても大切だと。そして、「何がしたいのか」「何がしたくないのか」という意思を聞いてほしいと。
認知症になると「確かさ」が揺らぐ。例えば、鍵を閉めたかを忘れることは普通の人にもあるが、普通の人は鍵を閉めに戻って安心する。けれども認知症のひとは戻って鍵を閉めたかがまた不確かになる。この不確かさに対する戸惑いと不安のなかで闘っているとも言える。
ともすれば認知症に対するケアは押し付けになることもある。本人の意思を聞かずに、これがいいだろうと決めてしまう。本人は、それで家族の負担が軽くなるのならと受け入れる。上述したドキュメンタリー番組「認知症の第一人者が〜」でも、著者自身そうしてデイサービスに参加するのだけど、戸惑いと悲しさを顕に、車いすに座ったきりの姿が印象的だった。一言、「俺の戦場(書斎)に帰りたい」と漏らしていた。ケアを最前線で推進してきた著者の言葉には、介護の難しさを思い知らされる。
これからの社会はおそらく認知症になることが珍しくない、当たり前になる社会になってゆく。認知症であることが人間として終わりであるというラベリングされないように、認知症であることを誰もが堂々と名乗り、一人ひとりの人生をまっとう出来る時代になってほしいと願わずにはいられない。
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認知症の専門医である著者が自らの認知症を観察して言葉にする。それは「確かさがゆらぐ」ことであるが、自身は過去から連続していて、別の世界に行ってしまったわけではないものの、これまでどおりの暮らしが難しくなる「暮らしの障害」ではあるらしい。ただ、だからこそ、認知症の人を遠ざけるのではなく、家族、地域が当人を中心とした「パーソン・センタード・ケア」を行えば、本人も周囲も困らない生活が継続できるという。
そのほか、認知症の特徴やメカニズム、著者の個人史なども盛り込まれている。
今後ますます高齢化が進展する社会で、増え続ける認知症といかに付き合うかという点からも示唆に富む。