期待が大きすぎた
2020/09/07 16:49
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投稿者:のりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
天正8年の条に信長の行動が不明な期間が130日もあるなんて一体なんだろうととても期待したが、躁鬱病を患って引き込んでいたのではという見立てにはがっかりした。
躁鬱だって生きていたには変わりないのだから「信長公記」に書けることは幾らでもあるはずではないのか。
歴史研究は進んでいるけど当時はなかった精神医学の光を当てるのはいいけど、なんでもそれにしてしまうのはどうかと思う。
お金と時間の無駄です
2020/09/03 09:34
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投稿者:ハマさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに惹かれて店頭で衝動買いしましたが、「ハズレ」でした。信長を精神疾患者(双極性障害)とみて、その行動を分析しようとするのが、本書のテーマかなと思いますが、参考にしているのが、「こころの医学入門」って文字通り入門書でないの?本文中にも”精神医学詳しい人物”から「切り取られたエピソードのみから判断するのは、最も避けるべき行動」だといわれてるじゃない。この時点でこのテーマで本を出すのはあきらめるべきなんじゃないかと思ってしまします。
第九章も「本能寺の変の首謀者は明智光秀ではない」って、結構センセーショナルな章題のわりに中身は「明知光秀でなくて惟任光秀だ」みたいな内容で、これって『羊頭狗肉』っていうんでないかいと突っ込みたくなります。
お勧めしません。金と時間の無駄 ★はありません。
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信長という人物を多方面から観る。
興味深く、楽しかったですね。
彼がメンタルの病ではなかったか、という推理小説を読んだ事がありますので、そういう意味でも興味深く、楽しめました。
戦国時代を生き延びるというのは、簡単な事ではなかったでしょうし、細川忠興やガラシャ夫婦のような血塗れな関係もありますからね。(忠興はガラシャに色目を使ったと家臣を36人斬殺。あと植木職人と目があったと職人を斬り殺し、その血をガラシャの着物で拭い、彼女は忠興が懇願するまで、その着物を着続けた(^◇^;)という)
どこかに壊れてしまう所かあったのだと思うと、平和が、一番です。
そんな生き方をしなくてはならなかった信長も可哀想かも知れないですね。
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著者木下昌輝氏は『宇喜多の捨て嫁』以来、最も注目している歴史小説家ですが、新書『信長 空白の百三十日』は小説家としては当然かもしれませんが分かりやすく、また『信長公記』を丁寧に分析し、フロイス『日本史』、『本城惣右衛門覚書』他適切な引用、『倭国伝』からの発見など『惟日』フリークの私も大満足です。
小説家としての活躍とは別に、今後は発見の無い歴史専門家の著書とは別のアプローチで新書を発刊してほしいと思える一冊でした。
但し、一向一揆が「群集心理」で信長に恐怖を覚えて行動したとありますが、どうでしょうか?一向宗は信長の時代では上意下達の武装組織で、法主の命令が絶対だったようです。
※以下は本書の感想とは離れ蛇足となりますので、スルーして頂ければ。
一向宗でも中興の祖と言われる蓮如は
『王法為本』あるいは
『外には王法をもはらにし、内心には仏法を本とすべきあいだの事』とし、
明確に現世権力(守護・地頭)に対する一揆を禁止していました。
次の法主実如は王法と本願寺のかかわりを一転し、河内・和泉の門徒に畠山義豊と河内で戦っていた細川政元に味方するように指令を出しますが、門徒が
『開山上人(親鸞)以来左様の事、当宗になき御事に候。 』と拒否します。その後門徒への統制が進み、
次の法主証如は本書にもあるように細川晴元に味方して摂河泉三万の門徒を率い晴元方の河内飯盛山城を包囲していた畠山義宣を破り、堺の三好元長を法華宗の顕本寺で自害させます。
その翌月、一揆は大和の興福寺を焼き討ち、この勢いを恐れた細川晴元は逆に洛中に勢力を誇った法華一揆と組んで同年八月に山科本願寺を焼き討ちします。そのため、証如は大坂に本拠を移します。
また詳細は不明ですが、証如は天文七年(1538)二月、北近江で家来(内衆)の下間頼秀を『前代未聞の緩怠』があったとして暗殺しています。
次の法主顕如は門徒が従わない場合は破門(勘気)、さらに法主の意志に背いた一揆は生害(死刑)とします。顕如は宗門を護るため、宗教組織を上意下達で血の犠牲を伴う武装組織に変貌させたと言えます。
本書にある群集心理が本願寺を動かしたのか?それより法主の意志が大きいように思いますが、不明の点が多く、『石山合戦』から450年、また調べて見ようと思います。
先程、『石山合戦』450年を機縁とした北御堂での講談『石山合戦』2回目(全8回)を拝聴しました。石山は蓮如が見いだした聖地の意味を含めた方が良さそうです。そこに難攻不落の城郭寺院、富を生む寺内町、雑賀の千丁を超えた鉄砲隊。複合的要因で勝ち目ありと信長包囲網に加わり、十年に及ぶ戦となったかと。法主顕如についてはまだ良く分かりません。
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【信長はまだまだ謎だらけ】戦国を嵐のように駆け抜けた織田信長。その生涯には知られざる空白期間があった!その秘密を気鋭の歴史小説家が大胆に読み解く。
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『信長公記』を読み解き、天正八年八月から十二月では空白の意味を推測する。織田信長のパーソナリティに迫る作家の炯眼。
気鋭の歴史小説家の珍しい新書。織田信長に関する一級資料『信長公記』を基に知られざる信長のパーソナリティを考察する。
強すぎる完璧主義とアンガーマネジメントの欠如、信長公記の記載から信長の人物像をジグゾーパズルのようにあてはめて全貌を明かしていく。この部分、小説と同様であろう構成が見事である。
筆者は空白の時期を境にした信長の変化について見逃さない。そこに織田家古参の家臣佐久間信盛の存在を軸に信長と佐久間信盛の衝突と行き違い、信賞必罰の基準の変化を発見する。
本能寺の変についても明智と惟任の記載から変の動機を推察する。
信長公記を深く読み込んだらこその織田信長論。目の付け所も素晴らしければ構成もさすが。一冊の新書としての面白さもあるが、作家の創作の秘密に迫れた感がある。
筆者には従前の人物のステレオタイプを覆した作品が多いように思う。執筆の動機、ネタ元には資料を読み解く力が大いに貢献しているようだ。
今後の作品または本書のような歴史解釈、双方で筆者の今後のさらなる活躍が楽しみです。
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小説家は,ここまで人物を掘り下げて考えているのかと,感銘を受けてしまった。
筆者が特に主張したかったのは,信長のパーソナリティに関することと,本能寺の変の首謀者は明智光秀なのか? の 2 点。筆者の主張と,それを支持する証拠を次々と挙げていくが,結局のところ,筆者の主張は仮説の域を脱することはできなかった。でも,これだけ証拠を集めたというギリギリのところを正直に書いているところに,この筆者らしさを感じた。
新書なので上記の書き方になったが,小説なら,仮説のすき間は想像力で補える。ここまで人物を掘り下げる筆者の小説が,またまた楽しみになった。
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本当は自分で「信長公記」を読めば一番いいんだろうが。そこまでの知力・体力はないので、この作品の登場である。「信長公記」の記載をベースに信長のパーソナリティを分析、空白の天正八年の後半4か月の記述の少なさと前後関係から、双極性障害の気がある信長の躁鬱の鬱期間だったのではと類推を進める。本書で特筆して面白かったのは、佐久間信盛との関係性とそれが信長の極端な信賞必罰に与えた影響を論じた箇所、それと信長のストーカーと言えるぐらいの記述を残した太田牛一にも論考を進めているところも見逃せない。(ファッションには興味はあっても食にはそれほどでもなかったというような)。信長の人生をある程度わかった上で読むととても興味深い一冊。
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信長公記やその他の資料の記述を元に、織田信長の人となりを推測する、織田信長の小説を書くための、小説家の資料ノートを見せてもらっているような新書となっている。タイトルの空白の130日に何か重大な秘密めいたことが起こっているわけではなかったのは拍子抜けだけど、信長の行動からその性格や心理を想像力豊かに推察しているのは、興味深くはある。
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信長公記の記述を中心に、信長の行動記録を丹念に読み解きながら、信長の性格を分析。その年その年の行動、まわりの動きなどから、信長が最後に暗殺されるまでの原因をさぐっていく。
アマゾンで書かれている評価はあまりよくないけれど、私は信長の性格とか、当時のさまざまな決まり、周りの家臣団のことなどがよくわかったので、とてもおもしろく最後まで読めました。
信長の最後、本能寺の変でどういう最後だったのか、その後の動きなどもよくわかったのがおもしろかった。ただ、本能寺の変への原因という部分では、本当にそういうことだったのだろうか・・・という、ちょっとした疑問は残ったけれど、でもそういう可能性もあるかもしれないとは思った。
これからの大河ドラマの展開が楽しみにもなった。
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「宇喜多の捨嫁」などの斬新な視点での歴史小説を書かれている木下さんらしく
信長公記やその他の書物も交えて、空白となっている天正8年とその前後の信長の行動に
ついて、論理立てた推理がとても興味深いです。
見出しにもなっている「この空白で信長は変わった!」という表現どおり
このあとの信長が本能寺の変へ繋がる伏線ともいうべき空白。
読んでいるだけで想像が掻き立てられます。
それ以外でも、信長の性格や嗜好など、丁寧に掘り下げて考えられている作品。
歴史好き、戦国好きなら楽しくてたまらない1冊だと思います。
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小説家の木下昌輝が、信長に関する一級資料である太田牛一著『信長公記』を読み込み、信長の真実に迫った労作。
年代順に綴られた『信長公記』には、「空白」の期間が何箇所かあり、その謎を推理する。
さらに、粘着質な信長の気質を読み取り、その行動からは感情コントロールが出来ない信長というパーソナリティーを導き出す。
後半生の記述からは鷹狩りばかりに執着する信長が浮かび上がる。
著者は、ユイス・フロイスの日本史の信長評にもふれる。
「自邸においてきわめて清潔」「自己のあらゆることを丹念に仕上げる」という評から、単なる奇麗好きを通り越した、病的な潔癖症を信長に見、双極性障害の躁状態の行動を指摘する。
そんな信長のパーソナリティーを論じた後、「最期の一年の章」に入る。
ここでは、本能寺の変○○月前、○○月前と、ひと月ごとに綴られ、ドラマチックに緊張が高まる。
本能寺の変にあたり、様々な小説やドラマなどで、光秀が「敵は本能寺にあり」と、中国と京都との分かれ道で檄を飛ばす描写があるが、著者は否定する。
本能寺の変に参加し生き残った某の文献から、光秀の配下たちは信長を討つとは、本能寺に着いてからさえ知らされていなかったとの結論を出す。
読み手にとっても意外な発見だった。
なお、最終章で「本能寺の変の首謀者は明智光秀ではない」との刺激的なタイトルがある。
この変のだいぶ前から、光秀は惟任光秀と名乗っており、当時の文献もみな惟任で記されているとのこと。
変の首謀者を明智光秀としてしまうと、彼を討ったのも羽柴秀吉ではなく木下藤吉郎だということと同じになるという。
昔は、成長に伴いあるいは出世に従い、苗字名前の変更は頻繁にあった故。
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歴史小説作家木下昌輝さんの新書。
『信長公記』の空白130日間に注目。信長のパーソナリティに注目している点が、非常に興味深い。激高したかと思えば次の瞬間には上機嫌になっていたりと、信長のころころと機嫌が変わる様子は、「麒麟が来る」の信長像にも通ずる。
歴史記録の空白を、作家の想像力が埋める。
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信長を主に信長公記から分析した一冊。
信長が躁鬱気質で、何らかの精神疾患があったという分析は、これまでもある程度言われているものの、改めて読むと新鮮だった。
また本能寺の変についての独自の考察を重ねており、面白かった。
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信長の精神分析本。一応史実をベースとし、精神科医の知見も用いながら、小説家である著者の想像力で語るという内容で、読み物としては面白い。
精神科医の「大きなことを成し遂げるのは<変わり者>が多いが、あまりにも異常だと大きなことを成し遂げるのは難しい」というようなコメントが印象的。結局はこの「境界線」が問題なのかと。