古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで
著者 小林登志子 著
人類初の文明は5500年前のメソポタミアに生まれた。灌漑農業、都市、文字など、現代でも必須な文明の要素は全てこのときにシュメル人が発明した。その後、「目には目を」で名高い...
古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで
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商品説明
人類初の文明は5500年前のメソポタミアに生まれた。灌漑農業、都市、文字など、現代でも必須な文明の要素は全てこのときにシュメル人が発明した。その後、「目には目を」で名高いハンムラビ王、初の世界帝国を築いた新アッシリアのアッシュル・バニパル王、「バビロン捕囚」で悪名高いネブカドネザル二世など数々の王たちが現れ、様々な民族の王朝が抗争を繰り広げる。イスラームの登場まで、4000年の興亡を巨細に描く。
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時代の流れが把握できる
2023/09/23 23:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
「紀元前三五〇〇年の都市文明のはじまりから、前三九年の新バビロニア王国の滅亡までの約三〇〇〇年の歴史」(「はじめに」より)を描く。膨大な固有名詞が登場するので一読して理解するというより手許において繰り返し参照したい。この時代の流れが把握できる貴重な入門書である。
メソポタミア文明の起源からイスラームの登場までの4000年の歴史を描いた貴重な一冊です!
2021/03/02 11:10
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国でも数少ない「シュメル学」を専門に研究され、『シュメル―人類最古の文明』、『シュメル神話の世界』、『文明の誕生』、『古代メソポタミアの神々』、『5000年前の日常―シュメル人たちの物語』などの興味深い著作を発表されている小林登志子氏の作品です。人類初の文明は今から5000年前のメソポタミアに生まれました。灌漑農業、都市、文字など、現代の私たちにも必須な文明の要素は、すべてこのときにシュメル人が発明したものです。その後、「目には目を」で名高いハンムラビ王のバビロン第一王朝、初の世界帝国となった新アッシリアなど、数々の王朝が興亡を繰り広げます。同書は、そうした文明の起源からイスラームの登場まで、古代メソポタミア文明4000年の歴史を描いた貴重な一冊です!
よくぞまとめた!
2022/02/10 17:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いて座O型 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう、なんて表現していいかわからない、感動の一冊。
あの古代メソポタミアを、ここまできちんと、でもすごく集約して、ちゃんとまとめて歴史が概観できるようにしたという、その事実に驚倒するしかない。
概説書なんだけど、きちんと史料にも依拠しながら、信頼性の高い内容レベルを最後まで保って、かつ読者の興味も失わせないように描き切った、その構成力、文章力は、ほんとに素晴らしいと思う。
歴史好きなら、本棚に置いておくべき。
聖書を読むには
2022/12/31 10:53
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
聖書を読むと色々と出てくる物語や事柄、「異教」の神々などを知るには当時の事を知らないと分からないものだ。19世紀初頭くらいまではユダヤ教徒が記したものやギリシャ・ローマの古典、イスラーム圏の書物しか補足するものはないだろう。
有史以前から続く古代の豊穣神信仰は聖書のバアルやアシュタルテ、前イスラーム期の「アッラーの三柱の娘」アッラート、アル・ウッザー、マナートまでつながる。聖書のアシェラと前イスラーム期のアル・ウッザーは樹木を形代にした女神という共通点がある。
発掘されても未だに読解されていない楔形文字の粘土版が数多あるという。バビロンで発掘されてから第三帝国時代のドイツで公表されたイェホヤキン王などに支給された油の文書は最低20年は読解されていないはずだし。ひょっとしたら聖書に出てくる人々について言及されている粘土版が発掘されていても眠ったままのものがあるかもしれない。
メソポタポタの色々な都市が滅亡した哀歌と聖書の哀歌は連続性はあるだろう。
楔形文字はヘレニズム期まで生きていたのに使われなくなったのはアッシリア期から文章語としてアラム語が使われた事に加えてギリシャ語が使われるようになったのが関係あるのだろうか。考えようによっては支配者の言葉ではないアラム語をアッシリアが使用するようになったのは珍しいと思う。