長く読まれるべき一冊
2021/05/27 20:49
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投稿者:わらび - この投稿者のレビュー一覧を見る
10年経つので読んでいた。地震~津波発生までの時間、職場で(一人だったので)仕事サボって読み進めた。この本の素晴らしさは、もう翻訳者の方が余すところ無く書いているので、これ以上書くことないけども。ちょうど水俣病の話を同時並行で読んでいたので、村社会で被害者が非難されてしまう構造というのが、昔から変わってないのだなあと思った。震災関連の本を立て続けに三つ読んだのだけれど、やはりこれはピカイチでした。
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は日本に長年滞在している外国人記者。東日本大震災時の惨事例は枚挙にいとまが無いが、裁判でも争われたものとして、石巻市の大川小学校の事件は特異だ。同じ宮城県の内陸部栗原市で僧侶をしている金田住職と心霊現象に関する現場ルポの話も大川小学校に関連して収められている。
大川小学校で起こった悲しむべき出来事について多くの著作が発表され、マスコミでも報じられることが多い。マスコミ等の報道からは教育委員会や元校長、あるいは唯一生存した教師の言動に問題があるのではないかと感じていた。保身に懸命な姿が透かされて見える。
大川小学校で子供を失った親たちに寄り添った取材を続けながら、人の心のゆれ動く様を引き込むような文章で表現する。著者は日本人論や現代日本の状況を的確に論じている。原著もさることながら訳文も優れていると思う。味わい深い文章が続いていく。
もう一つの話題の心霊現象について大川小学校の関係者とも絡ませながら、被災地で起こった心霊現象、霊が憑依した人への対応に活動する金田僧侶を描いている。心霊現象や宗教界の被災地での活動はよく知られている。金田僧侶と著者とでは仏教とキリスト教、東洋と西洋など文化的な背景が異なり、金田僧侶の説明には著者は納得できないものの、金田僧侶の人間性には好感を持つという。
大川小学校は大震災の悲劇の象徴的事例と言えるのかどうか。判断の遅れや迷いが生死を分けた事例は多い。そのような事例を調査検討し、災害時の避難行動に関する教訓としてまとめられることもある。
被災者が判断と責任を持つ大人であれば大川小学校のような問題に発展してはいかないだろう。意思決定権を大人である教師に委ねられていた子どもたちの場合、教師には自らの生死と共に子どもたちの生死に対する重大な責任が生ずる。事前にも事後にも大人がこの責任を果たしていないからこそ遺族の親は憤りは消えないし、問題はいつまでも残るのだろう。
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在日20年の英国人ジャーナリストは、東日本大震災発生直後から被災地に通い続け、宮城県石巻市立大川小学校の事故の遺族たちと出会う。取材は相次ぐ「幽霊」の目撃情報と重なり-。「黒い迷宮」の著者による迫真のルポ。
まだ読めない。
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今年で10年。もう10年も経ってしまったのかと驚いているけど、それでも戦い続けてる人がいるのを忘れてはいけないと改めて気付かされた。
イギリス出身のジャーナリスト、リチャードロイドパリー氏が書いた本だけど、とてもきちんと丁寧に調べていて
この方じゃないとここまで詳細に書けなかったなと思う。
昨年、石巻に住んでいる友人に半日被災地を案内してもらった。
当たり前けど、テレビとかネットで見るよりも衝撃的で言葉にならないとしか言えない。
海沿いまで家があって、そこで普通に暮らしてたのだという記憶とか
各場所に設置してある、写真で見る今と災害前とか。
大川小学校にももちろん行ってきた
本に書かれている、全くその通りのことを友人も私に話してくれた。
沢山の人が亡くなり沢山の行方不明の方を今でも探していると。
偽善や利権、地位とかお役所仕事に振り回されている遺族の方々がいると。
目の前で知人や友人が波に瓦礫に攫われて戻らなくなるのを見たと。
生き残った方々が口を揃えて言う至る所で霊を見ますというのは、間違っていないと私は思う。
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時が経つのを忘れて読んだ
津波から九死に一生を得た人達から聞いた生死のかかった状況下の人々の様子や大川小学校の当事者から聞き取った内容
どれも表現する事ができない複雑な感情になった、、、
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いつか読まなければ…と思いつつ先延ばしにしていた本。今年の3月であれから10年。あの日自分がどこで誰と何をしていたか…そのあと続く余震の日々をどんな気持ちで過ごしていたか。今でもありありと思い出す。直接の被害を受けたわけではない私ですらこうなのに、当時東北地方に暮らしていた方にとって
この本で紹介された人たちの声は、どんな記憶を呼び起こすだろう。津波が襲って来る前から私たちの社会はどうだったか?大川小学校では、何があったのか。読むのも辛い場面も多かったが、残された家族が生きていくため、
せめて同じ時代を生きている私たちは見てきたこと、聞いてきたことを語り継がなければならないと強く思った。#八蔵の会
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東日本大震災から十年、当時のニュース報道動画が頭の中で甦る。
9月1日から読み始め10月10日に読了した。
併読していた本は読めるのに、この本は一向に進まない。でも、嫌なら止めればいいとは思わなかった。
著者は《ダ・タイムズ》の東京支局長ジャーナリストとして日本に住む英国人が、大震災という現実に遭遇した。読み始める前に英国の人に、日本の心情的な部分が理解できるのかという懐疑的な思いもあった。宮城県石巻市釜谷地区の大川小学校とその周辺を重点的に取材して、その場所に初めて訪れたのは2011年9月、震災から半年後だったが、彼は根気よく取材を重ね、予想は見事に裏切られたというのがこの本を読み終えた正直な感想です。
津波は、河口から約5㎞の距離にあった学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、校内にいた教職員11名のうち10名が死亡した。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も死亡した。
教職員の間では、裏山へ逃げるという意見と、校庭にとどまるという意見が対立した。しかし、当校自体が地域の避難場所に指定されており、すでに避難してきた老人がいた。
最高責任者である校長が、午後から年休を取って不在であった。当初の津波予報は波の高さが6mだったが10mに修正された。
小学校で避難場所について意見の対立が口論となり、最早収拾がつかない状態になっていた。最終的に三角地帯(新北上大橋のたもと河川)へ避難することになり、教職員と児童らは地震発生から40分以上たってから移動を開始した。しかし防災無線は、「海岸線や河川には近づかないで下さい」と呼びかけていた。津波確認から、15時36分つまり50分経って押し寄せた。
唯一、生き残ったE教諭は、避難の引率の最後尾にいて押し寄せてくる波を見て引き返し裏山に逃げたが、既に津波が押し寄せてきて身体が黒い水に浮いた状態で押し上げられ裏山の木に掴まって、九死に一生を得たと説明している。仮に引率が裏山へ避難したとしても、当日は降雪が凍結により滑って登れないという情報もあった。
当時の自治体の現状では、大川小学校の大惨事は避けられなかったのではないかと思わざるを得ない。
この小説は、東日本大震災の大惨事で甚大な被害状況を克明に伝えている。これは人の命の問題だと言うことはわかっています。しかしながら悪質なネット民は、この著書を参考にブログ等にて当事者の個人批判と裁判結果の批判、厳しすぎる政治批判まで展開しています。
この本を政治批判や誹謗中傷の道具に使うなよ
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令和3年9月5日読了
大川小学校の児童と教師が、津波に襲われ亡くなったのは何故か。遺族同士の葛藤のなか、教育委員会、市県との裁判での戦い。生き残った大川小学校教員との真実を巡る戦い。
そして、震災後頻発した心霊現象。
何故、死ななければならなかったのか。何故、生き残ったのか。生と死の境界を挟んで生き残った人間は、苦しみ続ける。
東日本大地震は、まだ終わっていない。
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おいそれと感想が言えるものではない。
本作品は著者が感情的にならずに、俯瞰で物事を捉えている為読み手による解釈は様々なのではないだろうか。
知らない事実を知れた事に感謝すると同時に無知を恥じる。
読み進むのがこれ程怖いと思った作品はないだろう。
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生半可な気持ちで読む本ではない。
だが、被災した人たちと同じ国で暮らす人間として、知っておくべき。
津波は一瞬で多くの人の命を奪うだけでなく、生き残った人たちの関係性も破壊してしまう。
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小川糸さんの本を読んで、この本の存在を知りました
先日のNHKでは南海トラフが起きたらという番組もしていました。たまたまこの時期に読み終わることになりました。
仙台空港にも行ったことがあるし、松島や福島にも行った
テレビで津波のニュースを見た時、信じられなかった。大川小学校のドキュメンタリーも見た
人災だと思った
さらにこの本。
外国人目線からの道北、事実、生き残った人たちの苦悩、真実を知りたいだけなのに何年もかかること、震災の後の人間関係、霊の存在
12年経つ今も、苦しんでいる人がたくさんいる
本当に起きたことだと知っている事と、現実は違いすぎて、本当の理解はできないと思う
だからこそ、忘れないようにだけはしたいと思った
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12年前の震災で児童74人が津波の犠牲になった大川小の悲劇と、遺族による県・市を相手取った訴訟の行方を、外国人ならではの視点で追ったルポ。特徴的なのは、幽霊目撃、憑依など被災地に頻発したという心霊現象にも着目している点。地元住職が主宰する移動傾聴喫茶「Cafe de Monk」の活動を初めて知ったが、最後に語られる除霊のエピソードには心が痛んだ。
どれだけ時が経っても、当事者にとってあの悲劇の幕が閉じることはない。遺族の中にも忘れたいと願う人と、忘れてはいけないと思う人がいて、そこに葛藤が生じ、一つの結論で片付けられなくなる。誰かの是は誰かの否でもある。一枚岩に見えるグループの中でさえ、個々の目標はバラバラで方向性が食い違っていたりする。子どもの遺体捜索や、逃げ遅れの真相を求める活動の現実を知るにつけ、物事を一面だけで判断してはいけない、という思いも改めて強くした。そもそも海外向けらしいので、できるだけ多くの国の人に読んでもらいたい良書。
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英国出身で東京在住のジャーナリストが著した東日本大震災に関する渾身のルポルタージュ。
ルポの核になっているのが、74人の児童が津波に呑み込まれた大川小学校の一件。裏山に逃げられる時間的余裕があったのに、学校側は運動場で約50分、生徒を待機させた。そして、避難を始めた1分後に津波に襲われた。その避難も川沿いの津波の来る方向へ誘導したものだった。
著者は、この事件について、実に綿密な取材を行い、死亡した家族の苦しみや葛藤など、生々しい証言を集めている。 かけがえのない我が子を失った親たちが、納得のいかない説明ばかりする学校側や教育委員会にぶつける怒りが強く伝わった。また、助かった子どもの親族、子どもの遺体が見つかった親族、見つからない親族おのおの違う立場から生じる機微や憎しみ、諍いも、十分な取材で鋭く分析されており、読んでいて、いたたまれない気持ちになった。
この本で著者がもう一つ強く伝えたかったのが、震災後、頻繁に起きた心霊現象。多くの人が幽霊を見たと訴え、交霊や除霊を行ったりしたという。遠野物語やイタコに象徴される東北地方の民族性や東北人特有の忍耐強さにも触れ、外国人の視点から、再三、津波に襲われてきた彼の地の特性をスピリチュアルな側面も含め、表現したかったのではないだろうか。
それにしても、最高裁の判決で、市、県から14億円以上の賠償を勝ち取りながら、大川小学校長の行動や問題となった教諭の証言の真偽、説明責任について言及がなかった点はふに落ちず、勝利感を味わえなかった原告団に対し同情の思いを持った。
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わたしは、実は日本列島は数多くの自然災害の歴史的事実と脅威を考えれば、世界でも有数の過酷な自然環境の国土ではないのかなとも思います。
さらに湿度の高い暑さなども含めまして。
この本はイギリス人ジャーナリストの方の本です。
妙な話かもしれませんが、例えば戦国時代以前の色々な日本人の権力者、支配者、庶民、人々の暮らし、生活、習慣、文化、風習などを一番正しく知ることができるのは古代中国や宣教師たちが残した記録の文献がかなり信憑性が高いそうです。
江戸時代以前もそうだった部分もあるでしょうが、江戸時代以降に残されている記録はそのほとんどが改竄されたりしている可能性が高いそうです。
自然災害の話をするとき、予想される犠牲者の数があまりに多いと、現実感を薄めてしまうことがある。
すべての学者たち全員が、そう遠くない将来、東京ではかなりの高確率で大地震、地震による広範囲に破壊は不可避であり、町の広い範囲を破壊し、何万人も命を奪う、火災や津波を惹き起こす地震が発生することは不可避であり、地質学的に見てもその時期は差し迫っているという結論を導き出している。
南海トラフ地震も同様の予測で、地震と津波で太平洋沿岸で32万3000人が死亡し 62万3000人が負傷する恐れがあるという。
いつ起きてもおかしくはない南海トラフ巨大地震によって原子爆弾 4つ分以上の死者が出るかもしれないというのだ。
3.11の震災による死者は、100人を除く、ほぼすべて 残りの全員99%以上が津波に呑み込まれた溺死によって亡くなった。
人々はあらゆる種類の不満、要求、苦情を抱えていました。 でも苦情が口から出てくることはなかった。我慢と忍耐力によって人々はそういったことをすべて内に抱え込んでんでしまった。それは正しいこととは言えません。
私は時々、なぜ日本ではもっと単純な結論に至らないのだろうと不思議に思うことがあった。ある程度の不正不満の吐露、混乱などもう少し多めに見てもいいのではないか?
"がんばろう"という言葉にも私はいつも違和感を覚えた。「彼の辛い経験も、長期的には糧になる」という 言外の意味によって苦しむ人たちとの共感が逆に薄まる気がしてならなかった。
被災者の紫桃さよみさんは「子供達は見えない魔物に殺された」「表面的なものにしか目を向けることができない、日本人特有の何か」と言った。
ご主人様の隆洋さんは 全国各地から招待を受け 大川小学校の悲劇を語り継ぐ、講演活動を行ってきた。しかし 正直ショックを受けられた。参加者の意識はあまりに低かったことに。
「参加者にとっては将来また起こるようなこととは考えていませんでした。別の誰かの問題でしかなかった。まさか自分に起きるなどとは思っていなかったんです。誰もが危険性を見くびっていた。大川小学校でも教師たちはすべてを見くびり、何も真剣には考えていなかった」
「この機会を逃せば、多くの人が亡くなった今というタイミングを逃してしまえば、考え方や行動は変わることはないと思います。だから私たちは悲劇に本当の原因を突き止め���うとしている。この災害について考えつつ その学習に迫ることを拒否すれば同じ悲劇が繰り返されるでしょう。けれどそういうふうに日本は機能している。それを変えることはできないんです」
日本人の美徳とされる、礼儀正しさは、自主性のない礼儀正しさではないのか。
私は日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた。
大川小学校の児童の死は、宇宙の本質にあらたな洞察をもたらすものなのだろう。ところがそのレベルよりもずっと前の地点ー生物が呼吸し生活するー世界では児童たちの死は他の何かを象徴するものでもあった。人間や組織の失敗、臆病な心、油断、優柔不断を表すものだった。 宇宙についての真理を認識し、その中に人間のための小さな場所を見いだすのは重要なことに違いない。しかし問題はこの国を長い間抑圧してきた"静寂主義の崇拝"に屈することなく、それをどう成し遂げるかということだった。 日本に今必要なのは怒りに満ち、批判的で、決然とした人々、死の真相を求める戦いが負け戦になろうとも、自らの地位や立場に関係なく立ち上がって戦う人々だった。
世界中の多くの読者が疑問に感じることの一つが 2011年の震災から何が変わったのかという点だ。 どんな教訓が学ばれ、どのような新しい措置が取られたのか?似たような災害が再び起きたらーいつか必ず来るそのときが訪れるからーこれまで何が違うのか?
大川小学校での出来事は全体的な効率の悪さと準備不足が招いた悲劇的な例外だった。そこで起きた事例は日本全国の教師たちと地方自治体への注意喚起 となり マニュアルと避難計画の見直しや修正を促したはずだ。
震災の教訓から学び、変わっていかなくてはいけません。
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海外の方が書かれたとは思えないほど、正確かつ詳細な取材に基づく作品だと思いました。被災者それぞれが置かれた立場に起因する感情の機微にまで触れられており、震災がもたらした二次的な被害についても具体的に理解することが出来ました。