地域じゃない。隣近所だ。
2022/04/22 21:08
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hachiroeto - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに引いたのは、「青い芝の会」で障害者運動を牽引した横田さんの言葉。地域共生社会?地域包括ケア?笑わせるな。問題はいつも「隣近所」なのだ。お仕着せの言葉じゃなく、憎悪や分断の言葉じゃなく、簡単に要約できる言葉じゃなく。そうやって集めた「まとまらない」言葉たちから見えてくる光景とは。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はらみ79 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本来、社会問題として論じられるべきことが、どんどん自己責任として押しつけられる時代、言葉をぞんざいに扱ったり、言葉の持つ力を軽んじてはいけないと思った。
また筆者は文学者でありながら、障害者運動をライフワークとしており、随所に障害者の話が出てくるが、そこで起こる問題は、健常者にも決して無関係ではないと知る。
大切なことは、決して「一言でズバッと」など語れないのではないか、という疑惑が確信に変わる一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
【目次】
まえがき:「言葉の壊れ」を悔しがる
第一話 正常に「狂う」こと
第二話 励ますことを諦めない
第三話 「希待」という態度
第四話 「負の感情」の処理費用
第五話 「地域」で生きたいわけじゃない
第六話 「相模原事件」が壊したもの
第七話 「お国の役」に立たなかった人
第八話 責任には「層」がある
第九話 「ムード」に消される声
第一〇話 一線を守る言葉
第一一話 「心の病」の「そもそも論」
第一二話 「生きた心地」が削られる
第一三話 「生きるに遠慮が要るものか」
第一四話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ
第一五話 「評価されようと思うなよ」
第一六話 「川の字に寝るって言うんだね」
第一七話 言葉が「文学」になるとき
終話 言葉に救われる,ということ
あとがき 「まとまらない」を愛おしむ
投稿元:
レビューを見る
☑︎心を病むのは抑圧に対する反逆として正常
☑︎「私」という小さな主語で考える
☑ ︎孤立しない・孤立させない
☑ 刻まれたおでんは、おでんじゃない
☑︎「正しい」「立派」「役に立つ」を疑う
たくさんの素敵な言葉に出会えました!
投稿元:
レビューを見る
私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはありません。社会に対してそれを論証しなければならない義務も負っていません。
「言葉」には「受け止める人」が必要だ。「声を上げる人」にも「耳を傾ける人」が必要だ。
死だけが不可逆なのである。生きて肌に温もりが残るあいだは改善可能性が、希望が残り続けている。
世の中には「一端を示す」ことでしか表現できないものがある。〜伝え手側の言葉の技術ではもうどうしようもなくなって、とにかく受け手側の感受性や想像力を信じて託すしかない。そんな祈りに近い言葉でしか表現できないことがある。
投稿元:
レビューを見る
言葉ってなんだろう。
人と話すことが多い仕事柄、色んな言葉に合う。
丁寧な言葉、乱暴な言葉、稚拙な言葉。
でも一つひとつが言葉なんだって思うと、良い言葉でなんだろうって思う。
筆者が、「言葉が壊れてきたと思う」と主張しているが、同感だ。
若者言葉等、色んな言葉が溢れ、時には目を背けたくなる事もある。
また、盛んに言われているコミュニケーション能力という言葉も誤って理解してるのではないかとも思う。
情報や言葉を発信することだけが、コミュニケーションではない。
情報や言葉を過不足なく受け取れることがコミュニケーションの第一歩だと感じる。
なかなか、発信する事だけに囚われている人が多い?現在で、言葉やコミニュケーションをどう理解し、どう使っていくのか、考えていきたい。
まとまらない文章になってしまった。
投稿元:
レビューを見る
障害者差別の研究をする著書の視点から、現代において言葉が壊されていたり、むやみに簡略化されたりすることへの危惧を書いている。
身近で考えると、インスタの情報系投稿とか、tiktokなど、短時間で気軽に「何も考えずに」楽しめるコンテンツが増えていることに対する違和感と似ていると思った。(もちろん、それらが悪いとかの話ではないけど)
何でもかんでも手っ取り早く分かることなど、本当の意味ではできないと思う。分かるためには、それにいかに深く向き合えたかという視点も忘れてはいけないと思った。
投稿元:
レビューを見る
私が辛い立場にたったとき、
自分を苦しめない言葉を
社会に積もらせたい。
誰かのため以上に自分のために。
投稿元:
レビューを見る
僕らはどこまでも言葉の内側で生きている。自らが発する言葉、浴びせられる言葉、その無限の総体が社会そのものであったり、自意識を再帰的に構成していく。見て見ぬフリをしている(したい)社会のあれこれに、言葉を持ってして正面から向かっていく著者の冒険の書。
投稿元:
レビューを見る
「言葉が壊れてきた」
こんなショッキングな出だしで始まるこの本は、何とまとめることがとてもできない。
文学者たる著者が令和の日本を生きていくなかで感じる、違和感というか、嫌悪というか、不安やその他のざわざわ、もやもやする言葉について語っていく。
本当に言葉が壊れている。生き難くする言葉が溢れている。そう思う。
言葉は"降り積もる"から、そんな言葉だらけにしてはいけない、という警鐘を鳴らす。
でも、じゃあ降り積もらせたい"よい"?言葉とはなんだ?
そんなものはない。(なんたって純粋な励まし言葉すら、日本語にはない)
でも、じゃあ。
言葉にすがって生きていると思う。
そんな自分はどう言葉と暮していこう。
投稿元:
レビューを見る
障害者に寄り添って言葉を紡いでいる。何気ない言葉、善意からの言葉であっても、よく考えてみる。励ましの言葉の難しさ、自己責任の怖さなどエピソードを交えながらわかりやすく、考えさせられた。
投稿元:
レビューを見る
障害者、ハンセン病や公害患者、女性、生活保護受給者などのマイノリティへの差別について社会学的文学的な立場から書かれた本。
事実から統計を取り出したりはほぼしておらず、エッセイに近い印象。
著者も『まとまらない』言葉たちをなんとか章に分けて書いていたが、全体を通してメインテーマは『壊されていく言葉』だ。
若者言葉で言葉が崩れる〜という壊れるじゃない。意図的に"壊されていく"言葉のことだ。
生きることを少しでも楽にしてくれるために使われるべき言葉が、圧力や批判として使われることにより現代社会は生きづらさが飽和している。
相模原事件について言及していた箇所では、
"障害者は生きる意味がないときう言葉の批判になると、『障害者の生きる意味』の立証責任があるように錯覚してしまう。"
間違いなく理不尽にも程がある。第三者が生きる意味など決められない。でも私たちはSNS上で同じようなやりとりを何度も目にしたことがあるだろう。
また、安倍元総理のような発言も見かけることが多い。
朝ごはんは何を食べましたか?
ご飯は食べていない。パンは食べたけど。
という、意図的に論点をずらす態度。
想像力を欠き、誰かを社会から排除するような言葉の使い方を見かけることが多くなってきた。
そんな風な日々のもやもややイライラの根本にある想像力の乏しい言葉たちについて、著者は書いている。
例えば、私の場合はどうだろう。
先日Twitter上でカフェで知らない男性に酷い言葉をかけられた女性がいて、もう怖くてお店にいけないと書かれていた。
きっとものすごく怖かったろう。
しかしリプライを見ると、『○○(カフェの名前)に罪はないんじゃないですか?』『○○が悪いわけじゃない』と書いている人がいた。
私からしたらこの発言は相当想像力が欠けているおめでたい人物だ。言いたいのはそこじゃないだろう。勝手に腹立たしくなった。
また、私が以前勤めていた会社では生産性のある人間、ない人間と分けられていた。そして、どうすれば生産性があがるのか議論されていた。
でも今となっては、生産性などと言っていた自分に対して思うのだ。生産性が高い人間と評価されたら安心していた自分に。『そもそも生産性ってなんだよ?』と。
私は育児がスタートして世に言う生産性のある国民ではなくなった。稼いでいない主婦だ。
生産性がないという刻印を押された時にやっと、見えてくる世界がある。
この世は、自分で食い扶持を稼げない人間にとっては、生きた心地がしないほど惨めだ。
でもそれは、自己責任なのだろうか?あなたが選んだんでしょ?と言われることなのだろうか?
著者は、
『誰かを社会から排除するためにじゃなく、誰もが社会にいられるように『そもそも〜』と言えた方がいい。』という。
そもそも論は諸刃の剣だ。
表裏一体の言葉をどう使うか。悩んだ時は、少しでも生きることが軽くなる方を選んだ方が良い。
自己責任という言葉を押し付け押し付けられ生きていく辛さ。全ての物事は循環し、関係し合っているシステムの中にいると言うのに。
全てが本当に自己責任なのだろうか?
その言葉が、他人の痛みへの想像力を失わせている。
以前読んだ『差別感情の哲学』という本の内容ともリンクすることがある。
嫉妬、羨望、恐怖、憎悪などから身を守りたいと思う虚しい自尊心から、差別は生まれるのだ。
その時、本当に尊重され、尊重すべきである人としての権利は当然無視される
著者が引用していた日本におけるウーマン・リブの運動家・田中美津さんの言葉を記しておく。
いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの。
"リブという運動は、喩えるなら、『すり減った自尊心を抱きしめて、もうこれ以上「わたし」を失いたくないと叫ぶとこと』かもしれない"
と著者は言っていた。
で、あなたはどうするの?
どう、生きる?
そんな風に考えさせられる良書だった。
ぜひ多くの人に読んで欲しい。
投稿元:
レビューを見る
ニュアンスて使いがちな「地域」とか、最近やたらと目につく「自己責任」とか「生きる価値」とか。これらの言葉の意味や使う人間の感情まで、丁寧に書いてくれている。日々の生活で自分一人ではそこまで考えが及ばないことを掘り下げて書いてくれていて、読んでいて「あーそうだよな」と納得したり、ドキッとさせられたりした。
私も著者と同じように教師を目指し、介護現場の実習をして障害者への偏見をもった。しかし、いろんな経緯があり、今は医療現場で働き、日々障害のある方々と接し、むしろ元気をもらいながら仕事をしている。最終章を読みながら、私が経験したことや日々感じていることと似たようなことが書かれてあり驚いた。こういう経験て、私だけじゃないんだなと。
勝ち組とか負け組とか、健常とか障害とか、白黒つけるのが好きな単純化されがちな社会。でもそんなに簡単なもんじゃないと思う。
ディベートではささっと論理を組み立てて、力強くメッセージが出せたほうが勝ち。でもゆっくり考え、じっくり言葉をつむぐ人がいたっていいと思う。
私はとっさにうまい言葉が全然出てこない。それでも仕方ないこともあると、著者は静かに味方してくれている気がする。言葉は人を癒す力もあるけれど、殺してしまうほどの武器にもなるのだから、簡単にサラリといつも出せるものじゃない。
この本はたしかにまとまってはいないし、読んだ後すっきりするわけでもないけれど、読んで良かったと感じる。
投稿元:
レビューを見る
章立てできなかった理由として、こぼれ落ちるものがあると言っているが、これではただ週刊連載を集めてきただけの本。
内容は普通かな、読み返すことはないと思う。
あと、いきなりガッツリ政治批判が来たのはびっくりした。僕も自民党は全くもって支持しないが、うーん…、題名から期待したものと違った感。
投稿元:
レビューを見る
日常的に使う言葉についてハッとさせられる1冊。
励ましの言葉とか、地域とか、軽率に使っている単語の意味を私はわかっているのだろうか、と考えさせられた。特に主語を大きくしてしまう「私たちは」はもっと慎重に使おう、気をつけよう、と感じた。
内容はすごく良いのだが、作者が言葉に向き合ってなんとか誤解されないようにとまとまらない言葉のままに書いているために、いかんせん読みにくかったので星3つ。