すべてが「ロック」していた時代の話
2017/07/04 23:15
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
雑誌『ロッキング・オン』(違うなあ、やっぱり"rockin' on"と書かないと雰囲気が出ない)と言えば、今や超メジャーな洋楽雑誌なのだろう。もっとも、洋楽そのものがマイナーと化してしまっているので、それを扱っている雑誌もかつてほど勢いがないのかもしれない。
それでも、おそらく私くらいの世代にとってはロックをメインとした洋楽をいろいろな意味で教えてくれた雑誌ではないだろうか。私も70年代後半には近所の本屋で探しまくって買い求めたし、80年代には毎月購入して隅から隅まで読んでいたものだ。
その『ロッキング・オン』の創刊時の製作側の人間がその当時のことを書いた本書は、かつての愛読者として読まずにはいられなかった。
言わずと知れたところではあるが、『ロッキング・オン』は渋谷陽一なくしてはこの世に現われなかったので、本書の著者・橘川幸夫は当事者ではあるものの少し距離があるところで行動していたのだろうとは思っていたけれど、これを読むとそのあたりがよくわかる。
それでもやはり、渋谷陽一のみでは作り上げることはできなかったのであり、そこに橘川幸夫、岩谷宏、松村雄策がいたから『ロッキング・オン』が陽の目を見たのであり、雑誌の特徴である読者が投稿者となり、雑誌作りに関わる人が増えたからこそメジャーな雑誌になったのだということが本書を読み進めていくとわかってくる。
結局、著者・橘川幸夫は雑誌が全国展開されてメジャーになっていくところで離れていき、自分の道を歩み出すわけで、そこに至るところも著されており、そういった意味では本書は著者の青春記とも言える(と言うより、本来はそうした意図で書かれたのではないかと思われる)。
そして、著者を始めとして渋谷陽一ら1970年代初頭に若者だった人たちにとって、ロックというものが単に音楽のジャンルであったというだけでなく、ある種の生き方として存在していたのだというのがわかる。本書にも、
「ロックは鑑賞したりなごませたりするものではなく、自分を圧倒させるものだ」(p.14)
「ロックとは、<さけび>でありそれ以外の事態では決してない」(p.202)
「ロックとは、アプリオリに与えられた日常に対しての脱出行動である」(p.230)
と、何度も書かれている。
橘川幸夫は後に雑誌『ポンプ』を創刊させたりして、メディアを通じての活動を続けていくことになり、そのあたりのことを本書では「ロックからのテイクオフ」という章を立てて書いているが、こうした行動も実は「ロック」していることに違いないように思える。
そうやって本書のタイトルを改めて見てみると、これは単に雑誌『ロッキング・オン』の創刊当時の話を書いたものというわけでなく、著者が一番「ロッキング・オン」していた時代の話ということなのではないかと思えてくる。
ロッキン・オン版『血風録』
2017/02/28 13:52
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投稿者:ymzw - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロッキン・オンを読み始めたのは80年代半ばだったと思うから70年代の創刊記の雰囲気は判らない。ただ一時期結構しっかり読んでいたので伝説的創刊メンバーの手記に興味あったが、「本の雑誌血風録」みたいなミニコミブームからメジャー誌となった記録といったような、一定の距離感保った平熱の文体で期待していた内幕物ではなかったけれど、ある種松村雄策さんの文体に通じる普遍性があって、作者の青春記としても読める爽やかな読後感だった。
カリスマ的ロック雑誌はこうして生まれた!
2018/01/11 03:12
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投稿者:シオ・コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仲間うちで作り始めた雑誌が、経済的なピンチと隣り合わせで急成長していく姿を、創刊メンバーのひとりである著者が生々しく語っています。
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高校生の時、その発売がとても楽しみだったロッキングオンの創刊秘話、既にRO紙上などで断片的に読んだエピソートもありますが、改めてその歴史を振り返ることで感慨深く読みました。また、渋谷さんが出版ビジネスの限界を見通してイベントビジネスを立ち上げたり、橘川さんがインターネットがまだ無い時代にポンプというCGMを立ち上げるなど、お二人の先見性にも驚かされますが、これがロッキングオンの原動力であったのかと改めて思いました。それにしても、サブマリンのチョークは懐かしすぎです♪
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熱い時代の熱い話です。
1972年と言えば私も洋楽を聴き出して2年目、土曜日のFM東京ブリジストンハッピーロードを愛聴して徐々に洋楽の知識を深めていた頃でした。
中学生はロッキングオンなんて勿論知りません。
平凡や明星にヒッソリと載っていたアイドル扱いのロックスターの記事を読んで自らを慰めていました。その後、独学でプログレにハマりレコードコレクターズにハマり現在に至ります。
この時代に中学生であるか大学生であるかの差は大きいですね。ロックに熱くなる事もなく歳を重ねてしまった感が有ります。熱い時代の熱い男達の話でした。
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雑誌「ロッキング・オン」と渋谷陽一の若いこだま、ヤングジョッキーは、自分の10代後半から20代前半、頭の中のほとんどがロックに占められていた時代を大きく彩る事柄だ。こんな本が出たんだというのは日経の書評欄に「あとがきのあと」と題して橘川氏の写真入りで載ったので知った。
さっそく読んでみると、創刊当時のエピソードが満載で、店頭に並んだ裏側ではこんなことがあったのかととてもおもしろく、渋谷氏、橘川氏、岩谷宏、松村雄策とそれぞれの個性が集まるべくして集まったのだなあと感じる。渋谷氏からみればまた別の見方もあるはずだが、主に印刷を担当した橘川氏の視点もおもしろい。
雑誌は72年8月号が創刊。初めて「ロッキング・オン」を買ったのは77年12月号・通巻32号。79年、80年、81年あたりは毎月買っていて全部今もとってある。79年あたりからは背表紙を順に並べるとアーティストの顔になった(と思う。納戸に行くのが大変なので推定)
「ロッキング・オン」の存在を初めて知ったのはいつか?たぶん75年か76年あたりだったと思う。77年12月号には毎月1日発行とあるが、その前は隔月刊だった。当時「ロッキンf」というやはり洋楽系の雑誌もあり、”f”の方は「ミュージックライフ」みたいな写真とかたくさん載ってる雑誌だった記憶だが、そちらはたぶん毎月で、隔月だと当然店頭に無い月もあるわけで”オン”の方は潰れてしまったのか?などと思ったりした。
「ロッキング・オンの時代」では10号まで表紙と目次が紹介され、その時点での発刊にまつわるエピソードが書かれている。4号から全国で販売されるようになったとあり、7号で1年続いた、とある。手元にある77年12月号の巻末には、バンドメンバー募集や文通相手募集があり実際同学年の女子と数年間文通した。またバックナンバーから全部持ってる人が10人位載っていて、「見たい人は往復ハガキで連絡を」などとありこちらも創刊号を見せてもらったことがある。なにより渋谷氏、橘川氏ら編集者の自宅の住所が載っていて、「執筆者に対する連絡はそれぞれの自宅に手紙でして下さい」などとある。渋谷氏の住所を見ると下宿と近いではないか! その新宿区下落合は同じ落合出身の泉麻人とともに氏も語るところであるが、なるほど遠回りをして行ってみるとちゃんと「渋谷」の表札があった。
77年12月号の編集後記では、六本木に新編集室が移ったこと、また就職やアルバイト募集者には「現在手は足りている」、事務所はヤケに立派な所になりましたが、あれは編集長のミエで、会社としての実質が整うのはもう少し先になりそうです。などとあり、こう手作り感、ミニコミ誌感が漂う。
また渋谷氏が「若いこだま」に出るいきさつも書いてあった。NHKが若者向け番組を作ることになり、DJを関係者からの推薦で募集し、淡々としたDJが採用になったということだ。採用される時は編集メンバーみんなに相談があって、皆の「NHKは全国放送だし、ロッキング・オンの宣伝だと思って受けてみたら?」ということだったとある。ロッキング・オンが全国配布になってからとあるので73年頃のことだろう。高校の頃から聴いていた気がするので始まってすぐ聴���始めたのではないかと思う。2,3年すると「今度FMでやることになった」と言って「ヤングジョッキー」が始まり、「若いこだま」は大貫憲章氏が後を継いだのだった。
→渋谷陽一の社長はつらいよ2017.2.19 朝日と日経に同時に書評が載ったこと、ロッキング・オンは常に変なものであり、とても位置づけしにくいものとして扱われてきた、とあった。先に開いたロッキングオン同窓会でもこの本の話題になったら何人かが「勝手なことかいてるよな」と声を揃えて言ったのが笑えた、とある。
→渋谷陽一の社長はつらいよ 2017.2.7 ロッキングオン同窓会を開いた記事。1号の表紙が載っている。
→橘川幸夫ポータル
→橘川幸夫ブログ ロッキング・オンの時代1970-74、として「渋谷陽一との出会い」「リボリューション」が載っている。
パソコンを鍛える (講談社現代新書)
岩谷 宏
講談社
1998.9刊 仕事でパソコンの事があまりよく分からなかった時に図書館でこの背表紙を見つけた。え?岩谷宏?と思ったら正しくロッキングオンの岩谷氏の本だった。パソコンの動く仕組みとか少し分かった気になる本だった。
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時代とエネルギーと才能の混ざり合い。1960年代~70年代の混沌とした空気感が伝わる。私小説のような、詩のような、自分語りの流れで音楽批評する構成に好き嫌いが分かれるが、その後の創作の流れに、大きな影響を与えたことは確かだろう。
中学の頃、背伸びをしたくてロッキング・オンを手にしたが、何が書いているか、訳が分からなかったことを思い出した(笑)
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やはりこの時代の話は面白い。そして、羨ましい。
僕も高校〜大学生の頃に読んでいたロッキングオン(僕はJAPANの方がよく読んでたけど)の創刊時代のお話。
僕が読み始めた頃には橘川さんは既にいなかったから、知らなかったけど、創刊当時のメンバーがつくったメディアや記事は知らないあいだに目を通してそう。
橘川幸夫、岩谷宏の名前は覚えておき、また、調べてみようと思う。
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著者は4人の共同メンバーと共に始めた、雑誌の創刊時代から回顧する。出版の素人たちが、自費で印刷した同人の投稿誌を、自ら書店に持ち込むような黎明期。これは、自分にとっても洋楽と出会った頃の物語。
ヒットチャートの記録を続け、ロックについての理解にも飢えていたあの頃。もちろんネットも動画サイトもない。雑誌の顔とも言える渋谷陽一は、当時のFM番組のクールな語りで、そんな欲求を満たしてくれた。
40年経った今、音楽はいつ、どこでも手のひらの上でも再生可能になった。しかし、あの時代は、間違いなく自分の血肉の一部となっているはずなのだ。
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3月9日。読み終えた。
鎌倉の図書館で借りた。
2016年11月初版なのでまだ最近書籍、David bowieの★にも触れていた。
ロッキングオンは、生涯唯一買い続けている雑誌で、1979年から欠かさず購入しているので、40年以上の付き合い。
渋谷陽一の話しにも興味があったが、
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2016年11月29日。 著者は橘川幸夫。
1972年にロック雑誌「ロッキング・オン」を創刊した4人のうちの1人が、創刊からの10年を中心に書いた本。
ぼくは1994年から2001年くらいまで「ロッキング・オン」をとても熱心に読んでいたので、その歴史が知りたくて読んでみました。
大学生が集まって始めた雑誌なのだが、試行錯誤しながら軌道に乗せていくまでの展開が面白い。 淡々として文章なので盛り上がりに欠けるのだが、それそれはめんどくさくなくていい。 これ映画化したら面白いと思います。
編集長である渋谷陽一が、大卒の銀行家の息子で、目白のお屋敷が実家とか全然ロックじゃないのが笑えた。 ボンボンだったのか。
当時の文章が多めに引用されているのだが、観念そのまんまみたいな訳のわからないのが多くてすごい。 まあそれがロッキング・オンなのだが、今読むとただただかったるかった。 ディスクレビューが一番すごくて、95%くらいは音楽に触れてなくて、自分の日常やら思想を綴っていて、やりたい放題です。 これが受け入れられてたのにも驚いた。
年老いた人が人生を回想する文章は、面白い事が多い。 この人もやりたい事やって生きて、楽しそうです。
当時はロックが今よりもずっと影響力を持っていて、そんな時代を垣間見れて楽しかったです。