持たざるものが実は最も多くを有するとの“逆説的な”幸福論
2021/10/16 10:48
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公の遍歴に、帰るべき故郷を目指す人間の根源的な喜びを痛感した。私なら宇宙を旅しても、やっぱり地球に帰還したい。「浦島効果」が気にならぬ程度の距離で引き返したい。
民間人が宇宙(無重力)体験できる時代が到来したが、極超低温の宇宙空間で放射線に晒される危険を顧慮せず、暢気に宇宙遊泳する気にはなれない。当面は、酸素や防御服、宇宙船の使用料、往復燃料代の数億円を気前よく支払える大金持ち専用の旅行パックに止まるだろう。
姉妹惑星ウラスの地を踏んだアナレスの物理学者シェヴェックは、百七十年振りの「月よりの最初の使者」として歓迎されるが、目で見えるこの距離感が本書の肝だ。通常のSF作品なら異星人との出逢いは、母星を遠く離れた辺境の地で実現する。
二百年前に袂を分かつたオドー主義者たちが惑星アナレスに植民し、何でも分け合う無政府社会を築いた。富が偏在し、資産階級が無産階級を支配するウラスを、アナレス人は所有主義社会、不当利得国家と呼んで惧れ、軽蔑していた。
そんなアナレスで産湯に浸かり、その水で育ったシェヴェックは、ただ理論物理学を究めたい一心で、大人(中年)になって「監獄」社会ウラスに亡命する。
小説は、故郷アナレスで少年期、青年期、壮年期を過ごすシェヴェックとウラスでの現在のシェヴェックを追いながら、時間と場所を交錯しつつ展開するので、読み手は正直戸惑いを感じるだろう。
「ダスト」(砂漠)に侵食され「埃」(ダスト)が労働の難敵と化す不毛のアナレス。これと対照的に動植物が多く、それ以上に魅力的な商品が溢れる豊潤なウラス。
研究に没頭できる恵まれた環境にあって、実際はボーとしているだけの主人公。創造性の泉(学者の閃き)が尽きたのか。いや、ウラス国家が個人の思想や業績、シェヴェック自身をも「所有」した危険な陥穽に気付いたのだ。
「オドー主義者は相互に責任を取り合う。その責任とはわれわれの自由のことだ。それを回避することは自由の喪失につながる」と叫んだかつての青年は、四十歳になって異星に在って異性に惑い、我に返って「自由」への逃走(闘争)を試みる。
本書から、持たざるものが実は最も多くを有するとの“逆説的な”幸福論を得た気がした。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
このお話は、基本的にはSFだと思いますが、政治の世界を書いています。ヒューゴー賞と、ネビュラ賞受賞した作品なので、それなりに、と期待し読みましたが……。個人的には……でした。物理学者シェヴェックが、イマイチ、自分に合わないからか……
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小説とは人間を描くものである、というル・グィンの言葉通りの本。
主人公シュヴェックを語るためにアナレスとウラスという二つの世界があり、本書が存在する。
個人的には彼の親友であるベダップが凄く印象的でした。終始一貫してシュヴェックの視点で語られる物語において、例外的にべダップが語る場面が存在するからでしょうか。
彼が持ち得ない(という言い方はこの本だと不適切ですが)「それ」に対する気持ちにシンクロしてしまってしょうがなかったです。彼の話が読みたい。
あと姉妹短編の「革命前夜」も読み返さなきゃ。
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惑星ウラスの空に浮かぶ大きな月・アナレス。それはウラスよりは小さく貧しいけれど、大気をもったひとつの惑星。
かつてウラスでは、オドーというひとりの人物が提唱した主義にしたがい、やがてオドー主義者たちがあつまり、革命を起こした。ものを所有することをやめ、権力というものを廃し、貨幣による経済を捨てて、すべてのものを分け合う、完全なる共産主義の理想郷。彼らを危険視した当時の政府は、彼らに新たな大地――空に浮かぶ月・アナレスを与え、彼らをそこに隔離することで、ウラスの平和を保とうとした。
以来、交易船に載せられた積荷と、わずかばかりの乗員が、宙港同士を行き来する以外、完全にアナレスは閉ざされてきた。貧しいけれど、安定した社会。アナレスに住む人々は、ウラスに暮らす人たちを所有主義者と呼んで、欲得と戦争の入り混じるその世界を蔑視している。
それでも当然ながら、アナレスには独自の問題もあり、年月がたつにつれて、彼らの中にも自身の所属する社会にうまく適応しきれないものもいれば、自身を批判する目も出てくる。
そうした中、一人の物理学者が自分の研究を完成させるために、アナレスを出てウラスを訪れる、アナレス史上初めての人間になろうとしていた――
『ゲド戦記』『闇の左手』と読んで、ル・グウィン三冊目です。(ゲド戦記は6冊あるけど)
面白かった! やっぱりこの人、ファンタジーよりもSFのほうが、私にはツボに入ってきます。
異なる二つの社会の歴史と抱える問題。権力を放棄したはずの社会の中で、表向きには見えない場所に隠れるひそかな権力の構図。そしてそこに生きる人々の切実な姿。ただ科学的好奇心を満たそうとすることが困難な環境におかれた主人公が、ひたすらに目指した自由に研究ができる環境と、いざそこにたどりついたときに彼をとりまいている、目に見えない陰謀の数々。
大筋をいえば、閉鎖されて停滞しつつあるアナレスに、一種の新しい価値観を持ち込もうという試みの物語。でも、ストーリーそのものがどうこうというよりも、アナレスに住む彼ら所有せざる人々の親子関係、婚姻、社会制度、文化、そうしたものが丁寧に描き出されていて、読み応えばつぐんの一冊です。
『闇の左手』もそうですが、このシリーズと世界観を共有する作品群が何作も出版されているので、そちらも追々入手しようと思います。
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ハヤカワ文庫SFシリーズで「ヒューゴー賞 ネビュラ賞」受賞とあるのだから [SF]に分類してもいいのだが・・・・
未来の宇宙空間にある「所有のない共同体」の詳細が読み取れる。
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SFを舞台にした政治と権力の物語。科学者である主人公が魅力的。哲学的なやりとりが多く示唆に富んでいて非常に面白かった。
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リバタリアンとコミュニタリアンについて、
マイケル・サンデルの授業のような思考を試される。
ユートピアとディストピアの境界、狭間で二律背反に陥る。
深いところにズシンとくる。
1974 年 ネビュラ賞長篇小説部門受賞作品。
1975 年 ヒューゴー賞長編小説部門受賞作品。
1975 年 ローカス賞長篇部門受賞作品。
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後半になると意味がわからなくてついていけなかった。
2016.7再読というかリベンジ
前に読んだ時と比べると大分内容は頭に入ってきやすかったのだけど、「所有する人」と「所有しない人」の違いが具体的に実感できず。違う星で育ったもの同士の価値観の違いは、日本でも東と西が違うのだから、想像を超える隔たりがあるのだろうと思う。
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ジョン・レノンが『イマジン』の歌詞の三番で「少し難しいかもしれないが想像してほしい」と歌った"所有のない世界”を実現した惑星アナレスから、資本主義と社会主義が対立しながらも美しい繁栄を謳歌する惑星ウラスに降り立った孤独な物理学者の物語。
無政府主義を現実のものとしたアナレスでも、最後の障害は「人々の慣習にすがる態度」だった、というのが衝撃的だった。
しかし、ほんの小さな希望が、長い、長い旅を終えて、アナレスに帰還する宇宙船の中、遠く離れた、古い歴史を持つ恒星系セインから来たひとりの下士官によってもたらされる。
彼は命の危険があり、二度と戻ることができないかもしれないアナレスへの同行を願い出たのだ。
シェヴェックはかすかな皮肉かあきらめを込めて、
「良かった。われわれの特権を享受したがる人間はあまりいないからね!」
と言ったが、ハイン人は即座にこう答える。
「おそらく、あなたがお考えになっているより大勢いると思いますよ」
ハインは、すでに何百万年もの歴史を有し、その間にはアナーキズムも共産主義も、あらゆることを試してきた人々。しかし、その下士官は言う。
「しかし、わたしはまだ試みていません」
だから、アナレスが見たいのだと。
以下、印象に残ったシェヴェックの演説。引用メモの字数を超えていたので、こちらにメモ。
P436「われわれを結束させるものは、われわれの苦悩であります。愛ではありません。愛は心に従うことなく、追いつめられると憎しみに転ずることがあります。われわれを結ぶ絆は選択を越えたところにある。(中略)与えていないものを人からもらうことはできません。だから、あなたがたはあなたがた自身を人に与えなくてはなりません。<革命>を買い取ることはできません。<革命>を作ることもできません。あなたがたにできる唯一のことは、あなたがたが<革命>になることです。それはあなたがたの魂の中に存在します。それ以外のどこにもありません。」
それから、アナレスのアナーキズムはオドーという女性の思想に基づいているが、シェヴェックがその女性の墓をウラスで訪ねたシーン。その墓に刻まれた言葉がまたいい。
「真の旅は、帰還である」
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40年近く前に描かれたユートピア。SF界の女王、ル・グィンの古びない傑作。
物語は、主人公シェヴェックが自らの画期的な物理理論を発展、完成させるために、故郷の星アナレスを離れ、惑星ウラスに向かうところから始まる。
物語の舞台は、アナレスとウラスという二重惑星。アナレスは、乾燥し、あまり人が住むには適さない環境の星。ウラスは緑と水が豊富な地球に似た星。
荒涼としたアナレスには、元々は人が住んでいなかった。アナレスに住む人々は、オドー主義者と呼ばれる政治的亡命者、革命主義者たちの子孫だ。
およそ2世紀前。ウラスの資本主義、自由主義経済国ア=イオから、オドー主義者たちが、自らが理想とする共産主義的社会を実現とするべく、新天地アナレスへと移住した。アナレスには権力機構が(少なくとも形式的には)存在せず、所有することが否定されており、貨幣も存在しない。人々は自由意思に基づく協力と分かち合いにより社会を営んでおり、貧しくはあるが、一見ユートピア的な社会が実現しているかのように見える。
ではなぜ、シェヴェックは故郷アナレスを離れ、ウラスに向かう事となったのか。アナレスとウラスの間には、物資の交換を除いて、基本的にはほぼ交流が無かった。シェヴェックは、半ば叛逆者としてアナレスを去り、ウラスでは、月からの最初の訪問者として、丁重にもてなされることとなる。豊かなウラスでの新たな生活と、アナレスにおける過去の生活と、場面を行き来し、対比させつつ、物語は進んでいき、次第に両社会の問題点が描き出されていく。
この小説は1974年に書かれたものであるが、古い小説という印象はしなかった。共産主義的なユートピア世界という舞台装置に少々埃臭さを感じないでもないが、全体的な作品の魅力をあせさせるほどではない。
ユートピアには、一歩間違えると、いや、間違えなくとも見方を変えると、ディストピアとなる可能性が常に付きまとう。極端なディストピアものとは違い、本小説で描かれる世界は、そのあたりの塩梅がとてもリアルだ。人々の自由な選択から始まったものが、いつしか、システムとして独り歩きを始め、人々を縛り、逸脱に対して不寛容になっていく。手段が目的化していき、組織が硬直化していくことは、私たちが普段よく目にする光景だ。
資本主義、自由主義経済社会について懐疑的な見方もある昨今。世間では新しい「所有せざる」暮らしに注目する人々が増えつつあるように感じる。脱市場経済、脱貨幣経済という考え方は、アイデアとしては面白く、比較的小さな試みではうまくいっていることもあるようだ。しかし、その世界が広がり、成熟したに何が起こるのか。まだまだ見えていない問題点があるように思う。
そんなことを考えるヒントに、今、改めて読んでみても良い作品ではないだろうか。
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共産主義社会を思わせる世界の荒涼とした惑星アナレスと、現代の資本主義社会や地球環境をほとんど写したかのような惑星ウラス。
この二つの惑星を舞台に、アナレス出身の科学者、主人公シェヴェックという個人の人生と社会、人々との関わりを重厚なスケールで描いた一冊。この本そのものが膨大な思考実験であり、なおかつ一人の男の物語としても一級品で読みごたえ抜群。
所有せざる人々の住むアナレスと、所有主義者(プロバタリアン)の住むウラス。
アナレスに生まれたシェヴェックがウラスに出発するに至るまでと、ウラスに到着後の人生が交互に描かれていくが、どちらの惑星でも個人というよりも社会そのものがシェヴェックに苦難の道を歩ませる。爽快感のある小説ではない。SFであってどこか他の惑星の物語なのに、ひたすら現実の重さみたいなのがふりかかってくる。
作品の基礎となっているだろう思想部分にはまったく自分の知識がないのだけど、確かにこれはいろいろと語ることができる内容らしい。
後半、ある惑星から来た人物の描写を皮切りに、第三の視点がはさまれ、シェヴェックの意志の強烈さが輝く場面が個人的ハイライト。
解説の作者の言葉を読むまで、本作がユートピアについて語っていたことに気づかなかった。
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ル・グウィンのSFを少しずつ読もうと思い、「闇の左手」に続き購入。異文化との交流は「左手」と共通。情景描写は「左手」の方が壮大でファンタジックで好きだったかも。
お堅いイメージがあって構えてしまうが、特段難解な訳ではなく、集中すれば普通に楽しんで読める。社会体制については、ウラスはともかく、アナレスの体制が歪んでいく経緯は読み応えがあった。確かに、合理性を追求した社会では表現の自由は弱点だよな。それに、社会内部の運用はうまくいっても、外敵や自然環境は思い通りにはいかないというのも考えてみればそうだ。そのへんの、制御不可能な要素への対応からトラブルが生じるというのは考えてみれば当たり前か。
これに乗じて理想の社会体制とか一応考えてみたけれど、結局はないんではないかなというのが結論。理想を模索しつついろんな体制を試して、トラブルが起きたらその場その場で変えていけばいいのではないかと。まあ、これも当たり前ではあるけれど。
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誰もが何も所有しない社会を築く星アナレスと、地球に良く似た物質社会の星ウラス。アナレスに生まれたシェヴェックという物理学者が成長していく過程と、ウラスに何らかの理由で辿りついてからの様子が交互に語られる。派手さはないけれど、じわじわとした面白さがあった。アナレスの成り立ちが非常に興味深かった。
『闇の左手』を読んだ時にも思った、異文化コミュニケーションのあり方について考えさせられた。
所有することは何かに固執すること。何も所有しないことは自由なのか。何にも執着せずに生きることは出来るのか…等々色々なことを考えさせられた。
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SFガジェットを用いながら、イデオロギーの対立と相互理解を描いた長編小説。
未来を描いているように見えて、その実、人間そのものを描き出そうという試みは、『闇の左手』と同様に本作でも見られるアプローチ。読んで行くにあたって、SF的な道具立てはそこまで重要ではないように思う。
取り敢えず新刊書店で入手可能なハヤカワ文庫はこれでおしまい……かな?
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ル・グィンらしい名作
表紙 8点辰巳 四郎
展開 8点1974年著作
文章 9点
内容 830点
合計 855点