ダンス、介護、コミュニケーション
2024/05/21 19:46
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投稿者:はぐらうり - この投稿者のレビュー一覧を見る
ダンス小説と思って取り掛かったら、介護小説であり、肉体と機械とAIと父親とのコミュニケーションの小説だった。とても重たい。
SFで受賞しているとおり未来の話だが、テーマとしては純文学でもある。すべて読み取れたとは到底思えないものの、読後は立ち上がれないし、なかなかない読書体験だった。
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投稿者:kochimi - この投稿者のレビュー一覧を見る
どんなに技術が進歩していても
その恩恵を受けるには経済力が必要なこと、
老いるということは
今日より成長した明日は迎えられないこと、
そのことを親の介護を通じて実感すること、
他人事ではなく痛感させられた。
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【読者モニターのゲラを読了】
読み始めたときはAI義足とダンサーのコミュニケーションを描いた物語だと単純に思っていたが、想定外の怒涛の展開。コミュニケーションをとることの難しさが描かれていて、胸が苦しくなる場面が多々あるが、それゆえに現実としてあり得そうな話だと感じた。
コンテンポラリーダンスとして、AI義足をつけたダンサーとロボットとの共演が試行錯誤の上でいったいどんなかたちで描かれるのか最後まで気になっていたが、クライマックスのダンスは緊張感があり、最高に惹きつけられるダイナミックな描写で、映像としても観てみたいと思えるダンスだった。
人と人とのコミュニケーションがあまりにも身近に感じる内容で、惹きつけられ、普段SFを読まない人にも薦めたくなる小説だった。
人と機械、人と人。いずれにしても、意思の疎通のためにはコミュニケーションは不可欠だと思う。人間性とは何かを問いかける『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』というタイトルからして秀逸だと思った。
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読了して放心。後半は読むのを止めたくても止められなかった。不穏な予感と、いやそうではないはず、という希求の間で揉みくちゃにされ。AI義肢と身体の表現と伝達、人間の適応する力、肉親という親密な繋がり…とか書くと薄っぺらい、もっと濃厚な言語力が欲しい。
▶︎筋書き
主人公のダンサー護堂恒明はバイク事故で片足を失い、AI搭載の義足をつける事でそこから立ちあがろうとする。そこに、父の運転する車が事故を起こして、同乗していた母親が亡くなり、世界的なダンサーであった父親も大怪我をし、失意と加齢から認知症が進む。遠く離れた兄は家族との関係が薄く、顧みる様子がない。お金もない。恋人もいない。こんなに何もかも負わせなくても?!というくらいキツイ現実。
でも、恒明はひとつひとつにきちんと向き合っていく。そこが、わたしの周りで普通に生きてる人と何も変わらないんだなって感じがした。現実離れした世界や主人公じゃなかったところが、この物語でズシンと重かった部分。
ダンサーとして模索する恒明のプライドや、尊敬してきた父との関係は、自分自身の仕事や、あと数年後にも起こるかもしれない親の介護などを思い起こさせるとても卑近なもので、容赦ない現実描写が迫ってくる。一方で、人と関わる事で起こる予想できない感動にも目が離せなかった。ダンスカンパニーの人間や義肢の技術者、バランスのとれた女性、永遠子との関係。彼が幸福を得るのか、破滅するのか、わたしはどっちを期待しているのか、揺れながら読んでいた。
▶︎パフォーマンスと言葉
コンテンポラリーダンスの映像はいくつか見たけれど、正直わたしにはあんまり理解できなかった。現代音楽や現代絵画もあんまりピンとこないので、自分自身のアンテナが向いてないのだと思う。だけど、この小説で描かれる、恒明や父の護堂森の、文字で、言葉で表現されたダンスは違った。すごく心に響いた。
夜の駅前で3メートル四方の即席ステージでのダンス。ダンサーってあんなに激しい主張を観客に向けているんだ!って。受け取る側にどれだけ伝わるんだろうって。伝える側と受け取る側の距離の開きや近さを想った。
そして、それを読むわたし自身は、言葉で表現されることで、観客の誰よりも近い距離でダンスを感じられているんだろうって思った。
パフォーマンスだけで他人に何がどれだけ伝わるかは測れない。でも、単なる解説ではない言葉が添えられると、言葉という表現の、それこそ共通したプロトコルを通して、伝わる分量や意味が増えるんだ。
本を読む楽しみってそんなところにもあったんだな。他人のパフォーマンスを、言葉を通して感じられているんだ。あたりまえっていえばそうなのだけど、あんまり意識してこなかったから。
でも、言葉だって、書いた人間の心を正確に伝えるわけじゃない。正確っていうのは距離がゼロってことで、それは気持ち悪い。
ひとりひとりが違う世界を生きていて、その距離を近づけたり、遠ざけたり、近づきあったり、離れあったり、あたりまえの日常なのかもしれないけど、そういうのが、人間らしさの手順、プロトコルオブヒューマニティーなのかなぁって。
▶︎わたしはなんで泣いたのかな
物語の中で、恒明の、父である護堂森に対する、一流のダンサーとして、また親としての尊敬がとても素敵だな、そういう親を持てた恒明と、恒明を持てた森は幸福だなと思った。
認知症が進む父の介護に疲れ果てた恒明に、手を差し伸べる永遠子の存在があったのも幸福だ。
恒明と父の最後のダンスは、それまで読んできた葛藤と生活感に満ちたふたりの日常の延長にある姿として、心に迫ってきた。肉体的な親子の繋がり、ダンサー同士としての理解、限りなく近しい距離。恒明の心や動きを描写する言葉に感謝と思い遣りに満ちていて、それが大きいほど、いつか訪れる別離の確信につながって、それでたぶんわたし、泣いたんだと思う。自分自身にも重なったんだろうね。その部分を読み返してまた泣いたから、泣かせにくる確信的な文章でもあるんだろう。
▶︎帯の「AI義肢とのファーストコンタクト」って煽りにはちょっと疑問
正直言うと、父の介護の描写が迫真してきたせいで、AI義肢の存在は薄かった。
恒明の右脚はAI実装の共生義足で、彼がダンスを踊るために作られた。楽しかった場面は、足が、周りの人をダンスの共演者と勘違いして、中年男性とすれ違いざまにくるりと回転しちゃったところ。その動きに、恒明の心も楽しくなる、という部分。こういうのがAI機器との共生だなぁって。
AIの予想外の動きはAIと人との距離だよね。人が人との距離を測ることが人間性なんだとするなら、AIとの距離を測っていく恒明や義肢技術者たちのしている事は、プロトコルオブヒューマニティーってことか!
AIダンスロボットとのステージとなるクライマックスからは、わたし、前に読んだ「あなたのための物語」の容赦なさにめためたにされたから、悪い事ばっかり考えてた。でも、希望もあった。うん、その予感が当たったか外れたかは、ネタバレになるな。
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共生義足、ダンスロボット、振付AIなど
難しいことは半分もわからなかったけど
ダンスを言葉で表現することに挑戦し
その苦難と熱がひしひしと伝わってきた。
最後に描かれる人間とロボットのコラボを
実際に観てみたいと思った。
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舞台は2050年代の近未来。コンテンポラリーダンサーである護堂恒明は事故によって片足を失ってしまう。新たな可能性を求めてAIロボットとのダンスを模索するが、その先には過酷な現実が待っていた…。
ダンスという身体表現がなぜ精神に届く熱を帯びるのか。身体が発するプロトコルが「人間性」を作りだす喜びと、ままならなさ。そこに愛が生じる瞬間。その切実さを言葉で、物語で伝えようとする熱が、痛いほど伝わってきました。
ここより若干ネタバレ。
身体が人間性を帯びるからこそ、父親の介護にあたって恒明は苦悩します。そして同時に生じる愛情と受容の過程が実に見事でした。
父親とのダンスシーン、そして最後の公演は身体性が言葉を超える瞬間を描いており「情景が見える」という以上に、「実際に体験している」と感じるほど迫真の筆致です。また、心と身体がいかにチグハグで脆弱なものになり得るのかを、父親の介護を通して描くことで、栄光と衰退の物語を同時に進行させています。
『あなたのための物語』『BEATLESS』『My Humanity』の文脈も踏まえつつ、自身の介護経験や、コンテンポラリーダンスの企画参加といった、作者のこれまでのあらゆる体験が注ぎ込まれた、まさしく「10年ぶりの最高傑作」です。
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軽快な藤井太洋に比べると重すぎて、娯楽としての読書的には満点にはせず。
ただ、「文学」としてのインパクトはこちらの方が上ではある。
泉鏡花文学賞とか、あるかな?
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近未来小説。
ダンスに興味がなく、そもそもよく分からないところからダンスにどれだけ迫れるか自分に期待して読んだがダメでした。AIの学習で義足がどれだけ成長するか、というテーマは興味深いものではあったが。
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2022-11-17
ダンスに関しては完全に門外漢で、コンテンポラリーの舞台なんて数える程しか見にいったことがない。そんな自分でもダンス空間には魅せられた。
その小説は、その理由の一端を解き明かしてくれたような気がする。それもスペキュレイティブな描き方で。
さらには、リモートでのコミュニケーションの問題を(間接的に)炙り出しているようにも見える。しかし、永遠子とのやり取りの多くはテキストベースであり、イヤでも最初は直接コンタクトか。そちらの問題はこの小説の範囲ではないね。
そして、森との関係-おそらくもう1つのテーマ-については、自分の経験との重なる部分もあり、どうしても思い出してしまう。そして自分に恥じることも。
この感覚を言語化する能力はわたしにはない。そしてもちろん、ダンス化する能力は微塵もない。
傑作です。ダンス版のprotocol of humanity も観なきゃな。
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180ページほどでギブアップ。
自分にこの本は読めない。
読んでいてネガティブな感情しか湧かない。
読んでいて考えたことをなるべく控えめに言うと、人間の脳の機械化、人間の寿命の短縮、安楽死の容認。
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面白い!という感じではない。読んでいて楽しくはない。けれど、人間の身体から発せられるメッセージ性について考えさせられる小説。映画化したら、ダンスシーンなども分かりやすく、メッセージも伝わりやすく面白い作品になりそうな気がする。
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1人の人間が挫折や困難を乗り越え懸命に生きようとする物語としてとても面白かった。
一方で、「人間性を伝えるプロトコルとは?」といったタイトルにもなっている疑問に対する洞察としては読み終わった今でもなんだかスッキリとせずぼんやりとしたままだ。人がダンスを見て、他の人間を見て、受け取るメッセージや情動が生じるメカニズムは、おそらく端的な言葉で説明可能だろう。そういった説明可能な分かりやすい言語化、洞察をこの小説はしようとしない。それがあえてなのかどうかは分からないけれど。
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ダンスは踊れなかったが、プロトコルはつながった
ダンスのイメージが理解できずかなり苦戦。速度とか距離とか理解できない。ダンスロボットも理解できない。振り付けAIなんてさっぱりわからない。
ラスト直前の父との踊りを読んでいるころから、ようやくプロトコルを感じられるようになってきた自分に気づく。
そして対をなすロボットと踊る舞台では(あいかわらずダンスはさっぱりだけれども)、プロトコルがびんびん伝わってくる。つまり圧巻だった。
その公演(?)の終わり方にハッとする。そこで屠るか…。
主人公の母や兄や恋人の存在やそのプロトコルはあまり理解できなかったが、父とのプロトコルはあまりに強烈だ。
きっとそれは、意思疎通が困難になってからの別れを経験したものだけに理解できる「共通言語」なんだろうと思う。父を失った息子たちのプロトコルだね。
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アンディー・ウィアーに触発され、日本のSFを読む。タイトルにある「プロトコル」は「通信の約束」のこと。人と人、人とコンピューターが通信する、つまり意思疎通を図る際には共通のお約束が必要で、それが崩れるとコミュニケーションできなくなる。本書では、近未来を舞台に、足を失ったダンサーとAI義足、ロボットダンサーによる公演が行われる。AI義足がダンサーの意図を読み取り、それを周囲のロボットに共有し、かつてないステージが繰り広げられる。ダンサーは直感で、ロボットはセンサーで観客の様子を把握し、それをダンスに反映させる。プロトコルが正常でコミュニケーションが取れている証。一方、ダンサーの父は、車の運転を誤り、妻(ダンサーの母)を死なせ、自らも認知症を発症する。ダンサーには兄がいるが、遠く離れた場所で働いており、家族には関心がない。父とは、ダンスを通じて理解し合う瞬間があるが、徐々に意思疎通ができなくなる。プロトコルが機能しなくなっているということ。ステージは大成功するが、そこには危うさもある。現実を振り返ると、スマホやPC、SNSでの会話等は得意でも、人間同士の通信(会話)が苦手という人が増えている。人間同士のコミュニケーションのプロトコルが崩れているのかと思うと、ちょっと怖い。
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23/03/13読了
あらすじを述べるならわりと救いのない話。
自らの寄る辺があれば、そこでつながっていれば、生きていけるんだろうか