阿弥衆
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新著紹介
2023/01/14 15:11
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桜井 哲夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
裏表紙の解説文
柳田國男「毛坊主考」「俗聖沿革史」は、平素生業を別に持ちながら死者を弔う導師となる有髪の人々の存在に注目した。時宗教団で「客僚」とされ、東国で「鉦打」と呼ばれるこの者たちは、西国で「鉢叩」と呼ばれる存在と結びつく。「〜阿弥」の名を持ち、僧とは別の職掌に携わるそのあり方は、武士に従って戦陣におもむき、弔いのみならず、情報伝達など戦略的役割をも担った陣僧、芸能によって経済上の働きをもって足利幕府に従った法体の人々同朋衆の存在を問題の俎上に据える。京都時衆では、「阿弥」の名をもつ塔頭が、近世料理文化史上に巨大な位置を占めてもいる。「阿弥衆」とは何か?―明らかにされてきた諸分野での知見を総合し、その全体像に迫る試み。
概要
毛坊主:関東の鉦(かね)打ち(カンカンと鉦をならす毛坊主)なる集団は、一遍上人遊行の際に随従して、手伝いをする俗聖。随従したあと、各地に散らばり、有髪妻帯で根付いた。上人遊行のとき以外は、雑業に従事し、子孫に相続している。彼らを「客僚」と呼ぶ。近畿圏では、「鉢叩(はちたた)き」と呼ばれる集団がある。彼らは、空也上人系の念仏聖である。
客僚:主君におわれたり、親族からおわれた者が遊行上人のもとに逃げ込んで、最下級の沙弥として白袈裟を与えられ、にわかに出家したものを「客僚」と呼ぶ。中世の避難所(アジール)だった。客僚は、各地で根付き、さまざまな職業に従事するようになった。
陣僧:戦国期に、時衆は、最後の十念を唱え、遺族に遺言と遺品を届け、遺体を埋葬した。戦場往来が自由だった時衆の僧(軍勢に相伴う時衆)をきっかけとして、各宗の僧侶にも広がった。時衆の場合、遊行上人による戦の調停という役割もあった。有名な事例としては、二十四代不外上人が、武田信虎(信玄の父)を説得して、駿河今川衆三千名の命を助け、無事帰国させた事実がある。
同朋衆: 陣僧として戦場に出陣した時衆のなかで、多芸多才の人物たちが、武将たちに気に入られ、「同朋」として受け入れられた。同朋衆は、のちに幕府の職制となるが、それ以前は、将軍のそば近くに使える高位の遁世者だった。世阿弥の生きていた時代には、幕府職制としての同朋衆は、存在せず、公方近くに仕えた身分のある時衆の遁世者しかいなかった。義満が与えた名前は、「世阿」であって「世阿弥」ではない。職制としての同朋衆は「○阿弥」と名乗ったが、世阿弥の頃にはその慣習はない。だから存命中に世阿弥は、世阿弥という名前を用いていない。
京都東山文化:京都の四条道場は、近畿圏で独自の文化活動の中心地となり、近隣に発展拡大をしていた。四条時衆は、多方面で活動していた。兼好法師とならぶ和歌四天王の1人「頓阿」も四条道場で活躍していた。京都円山の安養寺の六つの塔頭(たっちゅう)。有髪妻帯の僧が、料理を接待←日本料亭のルーツの1つ