「音楽の都」ウィーンの誕生
ウィーンはいかにして「音楽の都」になったのか.十八世紀後半のウィーンでは,宮廷や教会などによる支援,劇場の発展,音楽教育の普及と聴衆の拡大,演奏会や舞踏会の展開など,多彩...
「音楽の都」ウィーンの誕生
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ウィーンはいかにして「音楽の都」になったのか.十八世紀後半のウィーンでは,宮廷や教会などによる支援,劇場の発展,音楽教育の普及と聴衆の拡大,演奏会や舞踏会の展開など,多彩な要素が相互に作用しながら,音楽文化が重層的かつ豊かに形成されていった.膨大な同時代の史資料を駆使して描かれる「音楽の都」の実像.
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「ウィーン万歳」に終始しない内容が面白い
2023/06/01 11:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ウィーンという都市だからこそ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらの傑作が誕生したのではなく、ウィーンの好ましからざる実態があったのにもかかわらず生まれたという面もあると著者はいう、「ウィーン万歳」に終始しない研究家の著作、面白い、一気に読めた
「音楽の都」が名曲を生み出す原動力は何だったのか?
2023/06/28 22:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
ウィーンと言えば、まず浮かんでくるイメージが「音楽の都」である。日本では常に「音楽の都」として紹介されるし、観光案内でも前面に出している。しかしヨーロッパの他の主要な都市には、世界的なオーケストラや有名な演奏家はいるし、劇場・演奏会場・音楽学校・音楽出版社などの音楽インフラもあり、「音楽の都市」なのだが、何故か「音楽の都」はウィーンの専売特許となっているのである。
著者によれば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらが活躍していた18世紀央から19世紀初めには「音楽の都」と呼ばれなかった。19世紀以降人口に膾炙するようになる。しかも内実は誇大広告で、ロンドン、パリ、ドイツやイタリアの主要都市に後れを取っていた。その時期オーストリアは、ドイツが次第に力を付け、ドイツ語圏におけるかつての政治的・経済的地位から滑り落ち、かつての勢いを失っていた。過剰ともいえるウィーンの音楽文化の自己礼賛は、衰えていくかつての威信を何とか取り繕おうとする政治的な意図から生まれたものだとする。そして19世紀後半の観光案内では「音楽の都ウィーン」の称賛が流布していくのである。
本書は、この「音楽の都」誕生の歴史を見ていくのだが、観光ガイド的なウィーン礼賛ではない。十八世紀後半のウィーンで、宮廷や教会などによる支援、劇場の発展、音楽教育の普及と聴衆の拡大、演奏会や舞踏会の展開など、多彩な要素が相互に作用しながら、音楽文化が重層的かつ豊かに形成されていく。そして宮廷は庶民の音楽も楽しんだし、劇場・音楽会場では、分け隔てなく平等に振舞うことができる土壌も形成されていく。
と、これが「音楽の都」の礎となった、で終わると、それこそ観光ガイドブック的礼賛論となってしまう。そして筆者は「音楽の都」の原動力は、作曲家と都市との緊張関係にあった、というのである。
すなわち、過去の傑作は、もっぱら音楽インフラの充実という「都市の美点」からのみ誕生したわけではなく、むしろウィーンの「好ましからざる実態」があったにもかかわらず生まれたという面もあると考える。したがって、彼らの作品の多くも単にウィーンの肯定的状況を反映したものではなく、ウィーンの歴史と現状にたいする鋭い批判もそこには込められていた、そしてこれらの過去の傑作は、このような二面性を秘めていたからこそ、他の場所と時に会っても多くの聴衆を感動させる力を持ち続けており、これが「音楽の都」を独占できる源泉と考えるのである。
そのウィーンの「好ましからざる実態」とは、封建社会が資本主義的生産様式と商品市場に支配される過程では、表向き住民が平等に高度な文化を享受できることが期待された。しかし貴族中心の岩盤身分社会の存在と市場主義に基づく市民社会の勃興に挟まれた制約と矛盾によって、それはなかなか満たされなかった。ウィーン会議の頃のウィーン社会は、この制約と矛盾がもたらした停滞期にあったが、多くの作曲家・演奏家・聴衆はこの停滞に溺れることなく自らをそこから遮断して芸術に没頭し、ひたすら音楽の新しい創造を追求し続けた。しかし外の世界からある程度絶縁した芸術的な作品作りのための空間は、それ自体過去にウィーン社会にもたらされた産物であった。言い換えれば、ウィーンの社会は音楽文化に及ぼす多大の悪影響の源泉である一方で、音楽芸術をその悪影響から距離を置き、新たな創造活動を促す力の源泉でもあったのである。
同時代の史資料を駆使して新書にしては驚くほど重厚に論じていく。日本の音楽愛好家層への批判・皮肉もあり、著者の米墺日の経歴ならでは、である。