「日本に性教育はなかった」と言う前に
著者 堀川修平
今度こそ、あらゆる子どもに性教育を、性の多様性に関する教育を届けるために!【本書の内容】2015年にはじまる「LGBTブーム」。そして2018年にはじまる「おうち性教育ブ...
「日本に性教育はなかった」と言う前に
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
商品説明
今度こそ、あらゆる子どもに性教育を、
性の多様性に関する教育を届けるために!
【本書の内容】
2015年にはじまる「LGBTブーム」。そして2018年にはじまる「おうち性教育ブーム」。そうした流れの中で、性と性の多様性に関する教育の必要性が、改めて叫ばれている。
しかし歴史を見れば、権利保障が前に進もうとするとき、それを揺り戻そうとする動きも前後して起こってきた。そんなバッシングがまかり通ってしまったために、性教育の機会が、性的マイノリティの居場所が、奪われてしまったこともある。
そう、戦後の日本には、性教育をめぐって三度のバッシングがあった。そのとき、教員に限らない社会の人々は、何をして、何をしなかったのだろうか?
気鋭の教育学者がその歴史をひもときながら、バッシングを目の前にしたとき、私たち一人ひとりにできること、すべきでないことを考える一冊。
【本書の見取図】
三度にわたるバッシングの歴史をひもとく!
◆80年代――萌芽期
「性教協」という団体で、性の多様性に関する教育がすでに練り上げられ、実践されていた。
◆90年代――スルーされたバッシング
「官製性教育元年」が興るも、旧統一協会が「新純潔教育」を掲げ、性教協に対する批判キャンペーンを展開。
◆00年代――燃え盛ったバッシング
「七生養護学校」の性教育実践に対し保守派が批判を展開。裁判で教師側が勝利するも、以後、性教育はハレモノ扱いに……。
◆10年代――失敗したバッシング
「足立区立中学」の性教育実践に対し保守派が批判を展開。結果的に、いまに続く「おうち性教育ブーム」につながる。
目次
- はじめに
- 第一章 性教育の原風景
- 第二章 「性教育」とはどのような教育か?
- 第三章 性教育バッシング、その実態
- 第四章 バッシングの炎が燃え盛るとき、そうでないとき
- 第五章 「性の多様性」を教育の場でどう取り扱うか?
- 第六章 トランスフォビアのなかで生き延びるために
- 終章 ブームとバッシングのあいだで考える
- おわりに
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
バッシングを跳ね返す「希望」がもらえる1冊
2023/08/14 21:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:y0sh1_Y - この投稿者のレビュー一覧を見る
敗戦後日本の性教育を巡るバッシングとブームについての歴史を取り扱っている。
歴史と言っても、堅苦しさは一切感じない。それは、研究のための歴史ではなく、この社会を生き延びるための歴史という明確な目的に沿って書かれた一冊だからだろうか。
大学生に向けた授業テキストとして、あるいは、この分野を初めて学ぶ研究者の研究会や、性教育に従事する教育者らが自分たちの実践を振り返るための読書会でも使えそうなデータと考察が良い。
最終章で書かれている性的マイノリティの居場所に関わる鼎談は、デマに基づいたトランスジェンダー排除が巻き起こる今日だからこそ知っておかねばならない事実なのにもかかわらず、理解が深められていない点である。まずこの事実から知っておきたい。
バッシングに関するテーマの書籍は数あれど、ここまで前向きに「希望」を描き出せた書籍は少ないだろう。ここで描かれた「希望」は、「絶望」の中から見つけだした希望だ。ジェンダー・セクシュアリティに関する悲惨な現状を作り出したバッシングから前向きな「希望」が見出せるなど、なんだか矛盾している感じがするが、読めばその意味は一発でわかる。
既に来ているトランスジェンダー排除、そして来るべき性教育バッシングに備えて、いまこそ読むべき良書である。