日蓮の思想 ――『御義口伝』を読む
著者 植木雅俊
『御義口伝』は、日蓮が身延山で口述した法華経についての講義を、弟子の日興が筆録したものとされるが、その難解さ故に解説書は少ない。そこに展開されている日蓮の法華経解釈、ひい...
日蓮の思想 ――『御義口伝』を読む
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商品説明
『御義口伝』は、日蓮が身延山で口述した法華経についての講義を、弟子の日興が筆録したものとされるが、その難解さ故に解説書は少ない。そこに展開されている日蓮の法華経解釈、ひいてはその底流にある仏教思想を、NHK「100分de名著」の名講義でも知られる著者が懇切丁寧に解説する。南無妙法蓮華経と唱えるのは、失われた自己を回復し、真の自己に目覚め、人格を完成させるためだと日蓮は説く。そうした日蓮の人間主義の思想を、『御義口伝』をテーマ別に再編成しつつ読み解く。
目次
- はじめに/総論 南無妙法蓮華経とは/“御義口伝”について/帰命について/「無疑曰信」は、「不疑曰信」にあらず/「人と法」について/釈尊における「人法体一」/「人」を強調する宗教の長所と短所/「法」を強調する宗教の長所と短所/日蓮における「人法体一」/人法体一の平等観/不変真如の理と随縁真如の智/色法と心法について/色心不二と依正不二の意味すること/南無妙法蓮華経の言語学的な説明/梵漢共時とは、インターナショナル/薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧について/数法相配釈について/無明法性一体について/因果一体について/「声もて仏事を為す」について/三世常恒について/法界と妙法蓮華経について/まとめ/第一章 自己の探求/自で始まり身で終わるから始終自身/自身の受用を論じたのが自我偈/自受用身とは我等衆生のこと/一念三千とは何か/一念の全体像と心の自由度/“三身如来”の問題点/『維摩経』における法身/「法という身体」の矛盾/「人」と「法」の関係の逸脱/仏教は一神教的絶対者を立てず/“非我”か“無我”か? /“自力”か“他力”かの分類法に違和感/釈尊の説法も“始終自身”であった/自己との対決の必要性/第二章 汝自身を知れ/釈尊入滅後に行なわれた仏典結集/「如是我聞」に込められた三つの意味/インドにおける“聞く”の意味/我が身の上の法門/ソクラテスと釈尊の「汝自身を知れ」/日蓮の「汝自身を知れ」/第三章 日蓮の時間論/寿量品のあらすじ1/十界己己の我ら衆生が無作の仏/成とは開く義/已来の言の中に現在は有る/已も来も無量無辺/現在の瞬間に永遠を開く/無量無辺の一念三千/日蓮等の類いは寿量品の本主/久遠とは働かさず繕わずもとの儘/人間ブッダの神格化/釈尊滅後に始まった教団の堕落/釈尊の神格化と教団の権威主義化/容易に覚っていた初期仏教徒たち/「菩薩」という語による神格化/久遠とは南無妙法蓮華経/弥勒菩薩待望論への皮肉/久遠実成による諸仏の統一/ほか
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散漫な本
2024/06/16 21:35
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
御義口伝は日蓮の真筆や身延曾存、古写本どころか「王仏冥合論」の元になった三大秘法抄の写本より新しいものしかないからか、「はじめに」で暗に「御義口伝偽作説」を触れつつ居直っている感じがする。それは著者の信仰上の立場にしても「御義口伝真筆説」の根拠でも主張した方がよかったのではないか?例えば踰年改元のない日本で末尾の「弘安元年戊寅正月一日」という個所について。
本文も御義口伝の主張より著者が言いたい事ばかりが書かれている感じがする。それも主張が色々と飛ぶので散漫。「架空の仏」批判の中で観音菩薩も含まれていると言わんばかりに観音品を批判しているが、それでいて元々法華経には含まれていないというのが定説の提婆達多品には龍女成仏が記されているからか重宝している。何故鳩摩羅什は法華経だけでなく法然上人が浄土三部経に含めた阿弥陀経を訳したのか?と聞きたくなる。