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第一楽章さんのレビュー一覧

投稿者:第一楽章

41 件中 1 件~ 15 件を表示
暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

2021/09/19 22:23

ロジスティックスの重要性

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「暁部隊」と呼ばれた広島県・宇品の陸軍船舶司令部に焦点を当てることで、太平洋戦争の知られざる歴史を明らかにした1冊。膨大な史料を紐解き、存命の関係者にインタビューをした大変な労作です。
海軍の非協力ゆえ、陸軍は自身で船舶輸送を行わねばならず、そのために設けられたのが陸軍船舶司令部です。その船舶輸送体制の近代化を担った田尻中将がこの本の物語の前半の主人公。船舶の近代化のための開発からそれを操る人材の育成まで、「船舶の神」と呼ばれたのも納得の田尻の活躍でしたが、日米開戦を目前にした昭和15年、いち軍人としての所掌を超えた意見具申を行います。データに基づき、輸送の合理化とそのための規制緩和などを各省に求めた意見具申は握りつぶされ、このために田尻は司令官の職を罷免されます。国家という大きな装置が誤った方向に進もうとしていることは、兵站と補給のプロフェッショナルである田尻には明らかであり、何とかそれを修正しようとする勇気と責任感ある決断だったのでしょうが、大きな歯車の動きは止められませんでした。
物語の後半は田尻が見越したような、ロジスティックスの崩壊とそれによって引き起こされた悲劇、地獄絵図です。国内で国民から供出された物資を運ぶ船もなければ、南方で得たガソリンや砂糖、米などの資源を日本に運ぶ船もなく港で腐らせる。ガダルカナル島への物資の輸送も民間から徴用した船と船員に担わせ、陸揚げから部隊への輸送も彼らに行わせる。丸腰の船員は、飢えた日本兵からも狙われることになります。そうした未来が見えていたのに耳を傾けてもらえなかった田尻や司令部の後輩たちの悔しさと無念は、いかばかりかと思います。「だから言ったじゃないですか」では済まない悲劇を引き起こした責任は、誰がどう負うべきなのか。
物語の最後は、昭和20年8月6日の船舶司令部の活動です。原子爆弾が投下されたこの日、宇品にあった船舶司令部は幸運にも大きな被害を免れます。その時、司令官だった佐伯が選んだ行動は、デルタ地帯である広島市の特徴を活かした、海そして川からの救助舞台の派遣と災害対応でした。筆者が当初「後年美化した記録を残したのでは?」と疑いを抱くほど論理的で的確な佐伯の対応でしたが、命令を発した電報の控えで裏付けられました。佐伯は関東大震災の際も陸軍の参謀として災害対応にあたった経験があり、それが存分に活かされていたようです。
筆者はあとがきで以下のように綴っています。
「万全の自衛策は練らなくてはならない。同時に私たちは過去にも学ばねばならない。狭窄的な軍事的視点でのみ正論を掲げ、全力を投じて闘っても、戦そのものには勝利することはできなかった。島国日本にとって船舶の重要性と脆弱性は、いくら強調してもし過ぎることのない永遠の課題である。その危うい現実を顧みることなく、国家の針路のかじ取りを誤るようなことは二度とあってはならない。」(P.381-382)
太平洋戦争の開戦から75年であり、当時を知る人はどんどん少なくなりますが、こうした本が世に出ることで、記憶のバトンがリレーされていくことを願います。

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恐れのない組織 「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす

恐れのない組織 「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす

2021/05/22 21:26

VUCAな時代のマネジメント

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「こんな指摘をしたら気分を害するのではないか」「こんなことを尋ねたら愚かだと思われるのではないか」など、そんな組織の中の人間関係・コミュニケーションにある心理的障壁が理由で「言おうと思ったけど言えなかった」経験はだれしもあるでしょう。
そうした”恐れ”がなく、誰もが率直に意見を言え、それに耳を傾ける心理的安全性のある組織こそが、今のVUCA(Volatile (変わりやすく), Uncertain (不確実で), Complex (複雑で), Ambiguous (あいまいな))な社会で伸びるという話です。なぜなら、リーダーが全てを知っているわけではなく、むしろみんなの知恵を出し合わないとそうしたVUCAな環境に対応することが難しくなっているから。
村木厚子さんも中竹竜二さんも、このタイプのリーダーだと思っていて、「このスタイルでもいいのかな」「このスタイルが今の時代に向いているのかな」なんて勇気づけられました。
また『宇宙兄弟』の話になって恐縮ですが、主人公のムッタの長所も、チームに心理的安全性をもたらせる点だと思っています。
バリバリのエリートが世界中から集う宇宙飛行士だからこそ、また極限状態におかれる職業だからこそ、個別に見れば能力的に一番でなくてもムッタがもたらす心理的安全性が重要なのでしょう。

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「利他」とは何か

「利他」とは何か

2021/05/22 21:09

民藝と利他

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あなたのためを思ってしてあげたのに(言ってあげたのに)!」、「わたしは〇〇してあげたのだから、あなたは感謝して(喜んで)しかるべき」と、初めは他者を思ってのことだったはずなのに、いつのまにかその他者に刃が向いてしまうこともある「利他」的な行い。そうならない本当の「利他」とは何か、伊藤 亜紗、中島 岳志、若松 英輔、國分 功一郎、磯崎 憲一郎の5名がそれぞれの観点から論じています。
ひとつの到達点が、「利他」とは「うつわ」である、という結論。それは、様々な料理を受け止めその可能性を引き出す余白を持つ器(うつわ)のように、特定の用途や作り手の意志に固執せず、相手(使い手)の踏み込む余地、余白を持っていることが肝要なのではないか、という考えです。これは若松が本書で指摘しているように、柳宗悦の提唱した”民藝”に通ずるものです。
作り手の意志がひしひしと伝わってくるような、名のある作家による凝った器は、実用するのではなく飾って観る分には大変美しく素晴らしいものかもしれない。でも使ってみるととても使い勝手が悪い、あるいは実用に耐えない。それは使い手のことを考えた「利他」的な器ではない。逆に、生活の中の様々な場面で使われてきた品物の美を見出したのが”民藝”であり、作り手の意志から離れ使われてこその価値がある。そこに「利他」と共通するものが宿っているという考えは、すっと胸に落ちてきました。

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自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く

自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く

2021/05/22 21:31

発見の種はどこにでもある

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あのさぁ、自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」という、臨床発達心理士の妻の一言に、大学で特別支援教育を教え障害児心理を専門とする筆者は反発します。自閉スペクトラム症(ASD)の独特の音声的特徴ゆえに津軽弁に聞こえないだけではないか、安易なレッテル貼り・診断につながりかねないのではないか、と。ここは研究者らしく、調べて白黒つけようじゃないか、と。
そこから10年余り、夫婦喧嘩に端を発した研究は、津軽地方だけではなく全国的な調査へ、そして方言の持つ社会的役割を考察し、ASDとそうではない子どもの言葉の学習の仕方の違いといったところまで、拡大・飛躍し、ひとつの推論にたどり着きます。
子どもは、相手の意図を読み意図を理解すると言った社会・認知的スキルを通して、周囲で交わされている自然言語(方言が使われている地域ではその方言)からことばを学習していく。そのスキルに困難を抱えるASDの子どもは自然言語の学習が難しく、代わりにテレビやビデオといった繰り返される決まり文句やセリフなどを利用して言葉を学習しているのではないか。そして成長した後も、方言が持つ帰属意識や連帯意識の表明といった社会的機能を捉えることができず、方言と共通語の使い分けに困難があるのではないか。
結論も興味深いのですが、むしろそこに至る調査や考察を追体験できる内容で、学術的な研究の醍醐味を筆者と共有できるという点が、この本の魅力だと思います。
そう、結論を行ってしまえば、夫婦喧嘩は妻の勝ちでした。「この夫婦喧嘩は、私の完敗。妻は、ホタテを肴に勝利の美酒に酔っている。地酒の田酒だ。『したはんで、言ったべさ』」(P.274 おわりに)

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レストラン「ドイツ亭」

レストラン「ドイツ亭」

2021/05/22 21:13

パンドラの箱

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1963年、ドイツ・フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が開廷します。これは、ドイツの司法がドイツ人を裁いた法廷であり、ドイツ人を初めてアウシュヴィッツに向き合わせた裁判とも言われます。「ドイツは歴史に向き合ってきた国」というイメージを持っていましたが、それはここ半世紀のことだったのですね。
物語の主人公は、そのフランクフルトにあるレストランを営む家族の次女エーファ。通信販売会社の御曹司である恋人との結婚を夢見る、平凡な若い女性です。商取引などでのポーランド語の通訳をしていた彼女が、好奇心と義務感からアウシュヴィッツ裁判の通訳を務めることになり、パンドラの箱が開きます。ごくごくありふれた平和な家庭だったのが、裁判が進むにつれて大きくその運命を変えていきます。
舞台やテレビの脚本も手がける(むしろそちらが本職か)筆者だからか、テンポよく場面と視点が変わるところは海外ドラマを見ているようで、とてもスリリングで緊迫感を感じます。長編ですがページを繰る手が止まりません。
この小説は、ドイツ市民が、そしてそれぞれの登場人物が、自身の過去とそこでの過ち、弱さ、心の闇に向き合う姿を描いています。国あるいは家族が犯した罪にどう向き合うべきなのか、そして赦しを得るとはどういうことなのかという、普遍的ではありながら容易ではない問いが提示されます。

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ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機

ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機

2021/12/19 16:00

ジョブ型雇用に対照させて見えるもの

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

雇用契約に労働者が遂行すべき職務(ジョブ)が明確に規定されている「ジョブ型」(日本以外ではこれが普通)と、雇用契約の中身はその都度遂行すべき職務が書き込まれる空白の石板で、むしろ雇用の本質が成員(メンバーシップ)になることという日本独自の「メンバーシップ型」を対比させ、それぞれの特徴と、日本の労働が抱える固有の問題をその歴史と合わせて簡潔に解説してくれています。「ジョブ型雇用」についての解説というよりも、むしろそれを鏡として、日本の「メンバーシップ型雇用」の持つ課題と矛盾を描き出しているところが、本書のポイントと言えます。

筆者がこの本を執筆するモチベーションとなったのが、マスコミも含めて、あまりに「ジョブ型雇用」の本質を外した言説がはびこっている現状で、それを軌道修正したいという思いからだそうです。「ジョブ型雇用とは何か」については本書をお読みいただきたいのですが、「ジョブ型雇用とは何ではないのか(どう誤解されているのか)」を挙げてみますと以下のようにいえます。
・職務遂行”能力”はジョブ型では関係ない
・ジョブ型が成果主義ではない
・ジョブ型は解雇しやすいわけでもない
・ジョブ型は新しくない
え?と思われたら是非本書を読みいただければと思います。

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目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

2021/12/14 22:36

垣根を越えるアート鑑賞

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

全盲の視覚障害者であり美術鑑賞者でもある白鳥さんと美術館をめぐるノンフィクション。「見えないのに鑑賞って?」と思いますよね。美術館に一緒に行って、どんな作品かや、それから感じたことを自由に語り合い、白鳥さんはそれを聴きながら質問して、またそこで鑑賞が深まって…
そうやって言葉に出しているうちに、晴眼者にも自分に”見えていなかった”ものに気がついたり、自身の内面に視線が向かったりと、相互に実りの多い鑑賞会の様子やそれに付随する旅などが、生き生きと描かれています。本は、筆者が初めて白鳥さんと鑑賞に行くところから始まるので、驚き・戸惑い・気づきを一緒に追体験するかのような読書体験となりました。
こうした美術鑑賞の仕方があるということは、伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の中で、”ソーシャルビュー”として紹介されていて、いつか参加したいと思っていましたがCOVID-19のせいで叶わず、まずはこの本で疑似体験することとなりました。
で、読み終わって感じたことは、もしかすると特別なことではなく、特別なことにしているのは自分の中の”垣根”のせいかもしれないな、ということです。展覧会に誰かと行く、そしたら「あそこに蛙が描かれているの気がついた?」「え、どこ?」「最後の審判の様子、グロかったね」「わたし、絶対地獄行きだけどあれは嫌」みたいな話しますよね。その輪の中に目の不自由な人がいても、それは美術鑑賞の楽しみ方として変わらないんじゃないかな、と思いました。むしろ、何が表現されているかお伝えするステップは必要でそれが言語化されるので、「この人はどこをどう見ているのか」がわかって、かえって面白そう!(これって晴眼者だけでも、オンラインでもできますよね。)
「磐梯山が見える道中で、白鳥さんは何気なくつぶやいた。
 「俺さあ、思ったんだけどさ、障害ってさあ、社会の関わりの中で生まれるんだよね。本人にとっては障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者や行政が『障害者』を作り上げるだけなんだよね」」(P.187)
白鳥さんにとっては美術館が、社会が作り上げる枠から自由になれるところなのでしょう。白鳥さんの考えに異論がある人もあると思いますが、こちら側で”垣根”を作ってしまっていないかは、時々振り返ってみる必要がありそうです。

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聖母の美術全史 信仰を育んだイメージ

聖母の美術全史 信仰を育んだイメージ

2021/07/25 21:23

聖母からみた美術史と信仰

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ビザンチンのイコン、地母神信仰と集合した”黒い聖母”から、中世以降の美術史と聖母子像、そしてインド・中国・日本へのキリスト教の布教と聖母子像に展開し、二十世紀以降の現代アートにおける位置付けまで、聖母子という観点から美術史とキリスト教史を外観した野心的な一冊。
新書とはいえ500ページ近い大著でしたが、1年間の在欧期間と日本国内でみた様々な絵画や史跡にひとつの縦糸が通ったようで、改めてこれまでに見てきたものを反芻しています。
ステンドグラスは、光が通っても変質しないガラスの素材が聖母の処女性を、また形を持たない光がステンドグラスを通ることで像を結ぶことがキリストの受肉を象徴し、そしてそれはロマネスクからゴシックへと建築様式が変化することで壁のスペースが広がりステンドグラスを入れる余地が増えたことも反映、というのはなるほどと思いました。(P.104)
日本国内の聖母子像もその信仰の歴史と合わせて紹介されています。2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界遺産に登録された一方で、そこには生月島が含まれませんでした。江戸時代の禁教中も信仰を守り、その後正統なキリスト教に復帰したのが「潜伏キリシタン」で、独自の信仰を守り通したものが「かくれキリシタン」と分類され、後者は世界遺産登録から排除されてしまいました。筆者は「かつて日本で普及したキリスト教が、長らく弾圧されたにもかかわらず、劇的によみがえったという西洋怪奇のハッピーエンド物語に沿うものだけが選別されたのである」と批判しますが(P.366)、わたしも同感です。みんなが大好きな世界遺産、何を顕彰するものなのか、考えさせられます。

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社会心理学講義 〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉

社会心理学講義 〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉

2021/05/22 21:18

矛盾に向き合う勇気

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「本書は社会心理学を俯瞰する教科書ではありません。人間を理解するためには、どのような角度からアプローチすべきか。それを示唆するのが本書の目的です。(中略)問いの立て方や答えの見つけ方。特に矛盾の解き方について私が格闘した軌跡をなぞり、読者と一緒に考えたい。人間をどう捉えるか。願いはそれだけです。」(P.19)
なるほど、読み進めていくと、人間の心理や認知がいかに社会という環境に左右されやすいものか、これでもかというほど豊富な論拠とともに示されます。
驚くべきことに、そして多くの人にとっては抵抗を感じるでしょうが、筆者は文化や血縁といったものの連続性、同一性は錯覚だ、と断じます。
「文化も血縁も実際には断絶があります。しかしそれが見えずに、さも民族が連続しているかのように錯覚する。この心理メカニズムについて考えましょう。(中略)
 変化が極めて小さければ、同一性が維持されていると我々は認識します。もし人間の感覚に探知されない程度の変化が徐々に生じるならば、時間が経過して変化の総量がかなりの程度に達しても、同一性が中断された事実に我々は気づかない。
 対象の異なる状態を観察者が不断に同一化する。これが同一性の正体です。時間の経過を超越して継続する本質が対象の同一性を保証するものではない。対象の不変を信じる外部の観察者が対象の同一性錯視を生むのです。同一性の根拠は対象の内在的状態にではなく、同一化という運動に求めなければなりません。」(P.317〜320)
歴史や進化はあとから振り返ってみればあたかも一貫した何かがあるように見えるがそうではなく、その瞬間瞬間の変化の積み重ねであり、仮に過去のある一点から歴史をやり直せば違ったものに収束するだろうと論じます。
圧巻は第13講の「日本の西洋化」に関する論考です。なぜ日本は欧州などに比べて「閉ざされた社会」なのに、西洋の勝ちを取り入れる「開かれた文化」たり得たのか。この、一見して矛盾に見える点を粘り強く考察し、ある結論に辿り着きます。それはぜひ本書を読んでください。
この矛盾を説明すべく、フランスという異文化の中で研究を行なってきたことを振り返り、小坂井氏はこう述べています。
「しかし矛盾に陥った時に、安易なごまかしをしてはいけないと私が言うのは倫理的意味からではありません。矛盾が想像を生む泉だからです。知識とは常識を破壊する運動です。常識や従来の理論ではうまく説明ができないから、矛盾が起きる。」(P.341)
「慣れ親しんだ思考枠から脱するためには、研究対象だけ見ていても駄目です。対象を見つめる人間の世界観や生き方が変わる必要がある。」(P.350)
「自然科学は新しい発見がどんどん生まれる世界です。(中略)しかし人文・社会科学の世界では、新しい発見など、そうはありません。世界中を見回しても一世紀にいくつと数えられるほどでしょう。自然科学と同じ意味で学問の役割を評価するならば、人文・社会科学は何の役にも立ちません。
 しかしそれでもよいではありませんか。時間が許す限り、力のある限り、自分自身の疑問につき合ってゆけばよい。文化系の学問は己を知るための手段です。あなたを取り巻く社会の仕組み、あなたがどのように生きているのかを知る行為にすぎません。」(P.392)
若い研究者に、さらには日々さまざまな矛盾を抱えて生きている我々に、なんと勇気を与える言葉ではありませんか。

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不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学

不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学

2021/06/27 12:41

2020年を象徴するかのような1冊

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

未知のウィルス、政治の選択などでさまざまな分断、軋轢が表に出た2020年をある意味で象徴するようなタイトルですね。
そもそも寛容さを示す対象はキライなもの(好きなものには寛容になり得ない(なる必要もない))というところからしてなるほどと思わされたのですが、ピューリタンが国を作り上げるというアメリカの建国の過程で顕在化した不寛容さに争った(あらがった)ロジャー・ウィリアムズという、現代から見れば極めて先見的な、当時から見れば異端の、一人の人物の悪戦苦闘から、「不愉快な隣人」と共存するための哲学を読み解く1冊です。
同氏の『反知性主義』も愛読しているのですが、歴史、特にあまり焦点の当たらない(”歴史がない”とまで言われてしまう)アメリカ史から、現代にも通ずる多くのヒントを汲み取れるのはとても興味深いです。

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

2021/05/22 21:33

物質的充足からの卒業

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

すでに物質的欠乏を補うというビジネスの使命はほぼ果たされ(ほぼ、というのは取り残されている人たちがまだいるから)、市場原理で解決できる問題もほぼ解決し終えている現在を、経済成長という登山の果てに行き着いた「高原社会」と位置づけ、成長や生産性を指向し続けたビジネスモデル、社会モデルからの脱却・転換を強く促す一冊です。
「すでに需要・空間・人口という三つの有限性を抱えている世界において、大きな経済的価値を創出しようとすれば、それは『文化的価値』という方向を置いて他にないというのが私の考えです。文明化がすでに終了した世界にあって、これ以上の過剰な文明化は富を生み出すことはありません。
 一方で『文化的価値の創出』についてはその限りではありません。意味的価値には有限性はありませんから、無限の価値を生み出すことがこれからも可能です。そしてその価値は資源や環境といった有限性の問題から切り離されているのです。
 文明化の終了した世界にあって、人々が人生に求めるのはコンサマトリーな喜びであり、文化的豊かさであると考えれば、これからの価値創出は『文明的な豊かさ』から『文化的な豊かさ』へとシフトせざるを得なくなります。」(P.200〜201)
”コンサマトリー”という概念が本書のキーワードなのですが、人間性に根ざした衝動的欲求、という説明が一番しっくりきました。例えば『聞書 緒方貞子回顧録』の中で緒方さんが語っていた、「まず目の前の命を助けたい」という思いとそこから始まる国連高等難民弁務官としての仕事、これこそコンサマトリーの典型ではないかと思います。
ではそのために何をするか、山口氏は
(1)真にやりたいことを見つけ、取り組む
(2)真に応援したいもの・ことにお金を払う
(3)そのためにユニバーサル・ベーシック・インカムを導入する
という3つのイニシアチブを提案しています。特に(3)についてはさまざまな意見があると思いますが、本書を通して読むと非常に説得力を感じ同意するところ多です。まずは読んでみて欲しいと思った1冊です。

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科学革命の構造

科学革命の構造

2021/05/22 21:15

パラダイムシフトとは

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クーンの定義によれば、”パラダイム”とは「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問いの立て方や答え方のモデルを与えるもの」です。
通常、科学というのはこのパラダイムに沿って進展し深められていく(この過程では迷いもなく説くべき問題も決まっているのでとても効率的に研究が進む)のですが(第2〜5章)、ある時、どうしても既存のパラダイムでは説明できない変則性に突き当たる(第6章)、あるいは、他の専門の中で進展したものを取り入れようとするとうまく説明できない(補章)、ということが生じます。
それをクーンは「危機」と呼び(第6章)、そうすると、既存のパラダイムを微調整しようとする(たいてい別の箇所に矛盾が生じてうまくいかない)だけではなく、まったく別の考え方で説明しようとする説が生まれて百家争鳴に(第8、9章)。
ただ、じきに一つの新しいパラダイムに淘汰・収斂していき(このプロセスが”パラダイム・シフト”、本書では「変革」)(第10〜12章)、また通常通りの科学の営みが再開する。科学の発展の歴史はこの繰り返しだと、クーンは説きます。
こうした変革は長い時間をかけ、それほど目立たずに起こることもありますが、新旧のパラダイムでは、問いの立て方のみならず世界の見方すら変わる、まさに此岸と彼岸といった状況になります(第10、11章)。
まるでルネッサンスのようだなと思いながら読んでいたら、そう読者が感じるのもごもっとも、なぜなら芸術や政治などの人間活動の歴史では一般的な、非累積的で断絶のある歴史観を科学史に持ち込んだのが本書だから、と補章で解説されていました。
また、科学は自然が前もって設定したある目標に常に進める事業と思われがちであるが、何か「真理」のようなものを目指しているのではなくて、原始「から」の進化の過程であってだんだん自然の理解が洗練されてきただけだと、クーンはみなしています(第13章)。この考え方は小坂井敏晶氏の歴史観・文化観に近いものを感じました。振り返れば今日まで続く一本道があるように見え、そこに必然性を感じ取るかもしれないが、全然そうじゃないんだ、ということですね。

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南極の氷に何が起きているか 気候変動と氷床の科学

南極の氷に何が起きているか 気候変動と氷床の科学

2021/12/14 22:30

知られざる南極氷床の今

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

北海道大学低温科学研究所の教授により、南極氷床の研究の最先端が非常にわかりやすく解説されています。一般的な世界地図では下の端に白っぽくあるな、くらいの南極ですが、その氷床は世界最大の氷の塊です。面積は日本の国土の37倍、2番目に大きなグリーンランドの氷床の約8倍。氷の厚さは平均で1940メートルで、氷の体積は琵琶湖の100万倍もしくは日本海の20倍に相当し、これは日本で消費される生活水の200万年分とのこと。そして、途方もないボリュームの氷が全て溶けると、世界全体の海水面は58.3メートル上昇すると見積もられています。地殻変動による『日本沈没』より、南極氷床の融解の方が、よほどあり得る危機です。
南極の氷床に関する科学は日進月歩で、観測・測定技術の進歩に伴い、新しい発見とそれによる知見の更新が今も続いているそうです。2機の人工衛星の距離の伸び縮み(トム&ジェリーという愛称)で氷の質量の変化を測ったりなど、驚きの連続でした。そして人工衛星の観測が進歩しても、やはり現場での観測が欠かせないのです。
そして、こうした最新の科学を、簡単な言葉で解説する筆者の筆力にも脱帽です。氷は水に浮くこと・冷たい水は温かい水より重いこと・塩水(海水)は淡水よりも重いこと、くらいを押させておけば十分に通読できます。たいてい、分かりやすさと科学的な正確性はトレードオフになるのですが、この本は非常に高いレベルで両立させています。

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いい人間関係は「敬語のくずし方」で決まる

いい人間関係は「敬語のくずし方」で決まる

2021/09/19 00:19

一歩人間関係を深めるために

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ビジネスや先輩・後輩といった社会的役割を前提とした(だけの)人間関係から、人間同士のお付き合いへと一歩進むためのヒントが満載した。頭の中で再現ドラマが再生されるような、リアルな具体例が豊富です。ですが、単なる小手先のハウツー集ではなく、論旨の根拠となる論文が示されていたり、本全体としてのメッセージに一貫性があるというのは、これまでの藤田さんのウェブ記事と共通します。
一歩進むことで傷ついたり傷つけたりすることもあるかもで、それが恐ければウツクシイ敬語を使い続ければよい、でも上述の副社長のように嘆くことになるリスクも・・・。
藤田さんのこのご本は、その一歩のための勇気と、むだに傷つかないためにいつ・どこに・どう踏み出せば良いかのアドバイスをくれます。

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旅のつばくろ

旅のつばくろ

2021/06/27 12:39

旅の空への思いを軽やかに

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JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」で連載されているエッセイから選ばれた41編が収められています。「情熱についてのレッスン」と題された1編(永六輔さんのインタビューに関するもの)は、恐らく旅行か出張の折に新幹線で読んだようで、記憶にありました。それがいつの時だったかまでは思い出せないのですが、まるで旅先でのデジャヴのように感じられました。
沢木氏の文章は、無駄が削ぎ落とされ端正で切れ味もあるのにも関わらず、情景がまざまざと目に浮かび、また余韻が長いように感じられます。いや、無駄がないからこそ、なのかもしれません。向田邦子さんの文章にも同じような印象を受けます。
重苦しい、自由に旅に出られない状況がもうしばらくは続きそうです。そういう時こそ、この本の帯にあるように「つばめのように軽やかに」、本を車窓代わりに旅の記憶に思いを巡らしてみるのも良いかと思います。

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「e-hon」は書籍、雑誌、CD、DVD、雑貨といった多岐に渡る商品を取り扱う総合オンライン書店です。130万点以上の取り扱い点数、100万点以上の在庫により、欲しい商品を買い逃しません。honto会員向けにお得なキャンペーンを定期的に実施しています(キャンペーンに参加するにはMy書店をhontoに設定して頂く必要があります)。
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