峰形 五介さんのレビュー一覧
投稿者:峰形 五介
ノブナガン 1 (EARTH STAR COMICS)
2012/05/29 00:32
偉人たちとの夏
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「信長」と「銃(ガン)」で「ノブナガン」……ふざけたタイトルだが、中身は熱い。
少年漫画やライトノベルでおなじみの異能バトルものである。E遺伝子ホルダーと呼ばれる者たちがAUウェポンというアイテムを手にして怪獣と戦うというストーリー。E遺伝子ホルダーは歴史に名を残した偉人の生まれ変わりであり、AUウェポンもその偉人の特質に合った形状や能力を持っている(おそらく「E遺伝子(Eジーン)」は「偉人」、「AU」は「英雄」とひっかけているのだろう)。たとえば、切り裂きジャックのAUウェポンは獲物を両断する刃、ガリレオ・ガリレイのAUウェポンはピサの斜塔のような形の観測装置、ベーブ・ルースのAUウェポンは敵弾を打ち返すバット……といった具合。
永楽通宝の旗印が刻まれた巨大な銃型のAUウェポンを使う主人公のノブナガンこと小椋しおは織田信長のE遺伝子ホルダー。軍事オタクの女子高生であり、クラスの中でも「ウイている」(本人談)存在なのだが、ねじくれたところのない素直で多感な少女。そんな彼女が戦いの中で青春して恋愛して友情して成長していくという王道的な展開が待っているのだろう。なにせ、この作品は「直球正統派バトルアクション」(裏表紙より)なのだから。
設定やストーリーだけでなく、作画も魅力的。アメコミ的な絵柄(作者のインタビューによると、『シン・シティ』に影響を受けたとのこと)は癖があるが、癖になる。AUウェポンや怪獣たちのデザインも面白い。ただ、ページの余白が狭く、綴じ目に近い位置の絵や台詞が読み辛いのが難点。
ちなみに掲載誌『コミック アース・スター』の公式サイトでは本作の第一話が試し読みできる。興味のある方は目を通してみては?
プランク・ダイヴ
2012/05/29 00:27
イーガンの宇宙
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
SFは好きでも理系(に限ったことじゃないけど)の知識は皆無な私のような読者からすれば、グレッグ・イーガンは「面白いけど難しい」という作家だ。五冊目の日本オリジナル短編集である本書もあいかわらず難しい(『グローリー』の最初の数ページなんかもう……)。ただ、巻末の解説では「五冊中もっともハードSF色が強い」とあるが、前作『ひとりっ子』に比べると、判りやすい話が多いような気がする。
七本の収録作の中で一番のお勧めは『ワンの絨毯』。もっとも、これは長編『ディアスポラ』に組み込まれているので、オチを知っている人も多いだろう。
次点は表題作の『プランク・ダイヴ』。自分のコピーをブラックホールに突入させるという実験を描いた作品。コピーはブラックホールを内部から観察して様々な発見をするかもしれないが、最終的には押し潰されてしまう。もちろん、ブラックホールの中で発見したことを外側に伝えることもできない。自分しか知り得ず、他者には決して伝えられないこと――そんなものを求める行為に意味はあるのか? 舞台や道具立てはSFならではのものだが、このテーマは普遍的なものかもしれない。
イーガン版『フェッセンデンの宇宙』とも言える『クリスタルの夜』も良かった。人工知能を扱うことの倫理的問題についての作品だ。イーガンはロジカルな思考をする作家だが(いや、ロジカルな思考をするからこそ、か?)、人工知能の「命」をもてあそぶことは倫理に反すると考えているらしい。ちょっと意外だった。
ブラックサッド凍える少女
2012/05/29 00:24
けだものの記録
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
すべての登場人物を動物に置き換えたフランス産(原作者と作画者はスペイン出身)ハードボイルド・コミックの第二弾。KKKのような白人至上主義集団が幅をきかせている町――そこで起きた黒人少女の誘拐事件を黒猫の私立探偵ブラックサッドが追う。
擬人化した動物を使って人種差別の問題を風刺するというのはいささか陳腐だが(終盤では象徴的にシマウマの少女が出てきたりする)、美麗で説得力のある絵のおかげでそのあたりのことは気にならない。
絵に救われているものは他にもある。雰囲気だけを重視した、厚みのないストーリーだ。いや、決してつまらないわけではない。ただ、読者に強い印象を残すだけの力を持った物語だとは思えない(この点は前作も同じ)。登場人物が普通の人間であり、なおかつ絵がこんなに上手くなかったら、評価は星二つになっていただろう。
それと、これは日本の出版社の問題だが、擬音にまで和訳のルビを振るのは興醒め(「THOOM!」が「バッシーン!」、「BANG! BANG!」が「バンバン!」ってな具合)。子供向けのコミックじゃないんだから、そのままでいいじゃん。
なお、本編を読み終えた後は見返しにも眼を通すこと。ブラックサッドがある人物(動物)と交わした約束を果たしているところが描かれているのだ。
ネバーウェア
2012/05/29 00:23
映画化されるって本当ですか?
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
その昔、クリストファー・ファウラーの『ルーフワールド』という作品があった(残念ながら、現在は在庫切れで注文できない)。ロンドンの「空」で生きる者たちの戦いに巻き込まれた青年の物語だ。
一方、この『ネバーウェア』はロンドンの「地下」で生きる者たちの戦いに巻き込まれた青年の物語である。地下で生きると言っても、遊民や浮浪者の類ではない(まあ、そういうのも含まれているのだが)。扉を自由に開閉する能力を持った少女ドア。彼女の味方でありながら、どこか信用できないカラバス侯爵。ネズミに仕えるネズミ語りたち。凶悪だが、どこか憎めない二人組の殺し屋クループ氏とヴァンデマール氏。地下鉄を己が宮殿としている隻眼の伯爵。ある場所へと通じる鍵を守る修道士たち。そして、本物の天使であるイズリントンなど、個性的とか魅力的とかいった言葉では表現しきれない面々なのだ。
そんな異形の民に翻弄される不幸な主人公の名はリチャード・メイヒュー。やたらと上昇志向の強い美女との結婚を目前に控えた青年。証券会社に勤務。趣味はトロル人形の収集。
ゲイマンの他の作品『アナンシの血脈』や『スターダスト』の主人公がそうであるように、我らがメイヒュー君もちょっと頼りなく、なにかにつけて要領が悪い。しかも、それら二作の主人公たちと違って、特殊な生い立ちもなければ、不思議な力を秘めているわけでもない。もちろん、物語の途中で御都合主義的にヒーローとして覚醒することもない。だからこそ、彼の最後の選択に読者は共感し、羨望を抱くことができるのだろう。
ちなみに『スターダスト』と同様、本作も映画化が決まったというニュースが流れたが、実は既に映像化されている。いや、正確に言うと、本作は映像作品のノベライズなのである。まず、テレビドラマとして制作されて → 脚本を担当したゲイマンがそれを小説化して → 今度は映画になる……という流れらしい。オリジナルのドラマ版のDVDは日本でも発売されているが、ちょっとチープな出来なので、万人にはお勧めできない。しかし、『サンドマン』でおなじみのデイヴ・マッキーンがオープニングを担当していたりするので、ゲイマンのファンはそれなりに楽しめるかもしれない。
蜂の巣にキス
2012/05/19 00:15
「こんにちは、読者さん!」
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「かわいくって、死ぬような子に見えない」
〈蜂の巣〉の写真を見て、サムの娘はそう呟く。
〈蜂の巣〉とは、サムの故郷クレインズ・ヴューに住んでいた少女の渾名。本名はポーリン・オストローヴァ。町一番の優等生にして問題児。そして、殺人事件の被害者。死体の第一発見者はサムだ。
サム曰く「ポーリンの死後、クレインズ・ヴューでは奇妙なことがいくつか起きた」。そのうちの一つが落書き事件。ポーリンの死体が発見された翌日、何者かが町のあちこちに書いて回ったのだ。「こんにちは、ポーリン!」と……。
三度目の離婚と人生最大のスランプのせいで作家としての行き詰まりを感じていたサムは〈蜂の巣〉の殺人事件に関する本を書き始める。一応、犯人は捕まっている。〈蜂の巣〉とつきあっていたエドワードだ。彼は終身刑になり、刑務所で自殺した。しかし、サムの少年時代の悪友で現在は警察署長を勤めているフラニーは真犯人が別にいると考えていた。
やがて、フラニーの推測が正しいことを証明するかのように何者かがサムにメッセージを送ってくる。「こんにちは、サム!」と……。
……というような具合にあらすじだけを書くと、推理小説のように思えるかもしれないが、これは推理小説ではないし、サイコホラーの類でもない。
なぜなら、物語の紡ぎ手がジョナサン・キャロルだから。
キャロルは焦らし上手だ。ゴングが鳴っても華麗なフットワークを披露するだけでジャブさえ打ってこない。初めてキャロルと対峙した人は焦らされていることに気付かず、ただフットワークに魅せられるだけだろう。弘兼憲史ほど脂っこくなく、わたせせいぞうほど作り物くさくもない、小洒落た大人の小洒落た恋愛ものを読んでいると錯覚するかもしれない。
もちろん、錯覚が錯覚のままで終わるわけがない。やがて、魔法の瞬間が訪れる。視界の隅に見え隠れしていた不気味なものが登場人物(と読者)の眼前に飛び出しくる瞬間だ。そして、夢のように甘かったはずの現実は例えようもない悪夢に変わる。あがいても無駄。あとは落ちるだけ。それがキャロル。
本作は『月の骨』から『天使の牙から』に続く一連のシリーズとは関係がなく、他の長編と世界観を共有しているわけでもない。そのためか、物語の中に超自然的な要素は一つも含まれていない。天使も悪魔も死神も出てこないし、犬や猫が喋ることもないし、死人が生き返ることもない。ダークファンタジーでありながら、現実世界のルール(モラルではなく、法則という意味でのルール)に則った出来事しか起きないのだ。そういう意味ではキャロルらしくない作品だと言えるだろう。
しかしながら、前述した「魔法の瞬間」は出てくる。それも、かなり強烈なやつが。何度も、何度も、何度も。舐めてかかると、痛い目を見る。
巻末の解説で豊崎由美が「羨ましくてたまらないのは、これからジョナサン・キャロルの小説を読む人」と述べているが、まったく同感だ。キャロル未体験という人はまず本作から読んでみるといい。気に入ったのなら、他の長編に挑戦することをお勧めする。本作で味わった衝撃はまだまだ序の口だったということを思い知るだろう。
ダメな人のための名言集
2012/05/17 21:28
ポケットに迷言を
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
アフォリズムというのは一種のジョークだ。いわゆる「あるあるネタ」と同じようなもの。口にすることで小さな賛意と笑いを得ることはできるが、人生の道標として頼ることはできない。
しかし、本書に収録されている名言(珍言?)は違う。道標とまではいかないが、偉人や賢人が残したきれいごとよりもは実用的だ。
その「実用的」な名言をいくつか抜粋してみると――
人はその敵を許すべきである。ただし、その敵が縛り首になってからだ。 (ハイネ)
バレなきゃイカサマじゃあないんだぜ。 (空条承太郎)
大抵の人間は、大抵の場合、だませる。 (P・T・バーナム)
立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから、女に貢がせろ。それもできなかったら……泥棒しろ。 (立川談志)
確かに盗作した。だが俺の書いたもののほうが面白い。 (大デュマ)
――こんな感じだ。また、各項の末尾には編者・唐沢俊一の言葉も載っている。
ただし、世の中には、才能もなく善人でもないというやっかいな一団もまた、存在する。そして、世の中は、ただ悪人であるというだけで、彼らを才能ある者とカン違いしがちなのである。 (唐沢俊一)
本書の初刊時のタイトルは『壁際の名言』。文庫化する際に『ダメな人のための名言集』に改題されたという。唐沢は良い意味でも悪い意味でも「ダメな人」というカテゴリーに属する人物のような気がするのだが、同胞たちに対する彼の眼差しは冷たい。本人は冷たいとは思っていないかもしれないが、なんというか……そう、上から目線なのである。ダメな人の代弁者となることよりも保護者や観察者や研究者となることを選んだのであろう。その種の人間は裸の王様になってしまいがちだが、それを諌めるような警句は残念ながら本書には収録されていない。
血で描く
2012/05/17 21:26
極度に退化したバードウォッチャーは鳥と区別がつかない
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
しかしながら、私も私で自分のトークへの対し方を、間違ってい
るとは思わない。主体を自分の内部に置くか、観客に置くかは、
演芸の仕事に携わったことがあるかないかの違いだと思う。花見
客にとって、いきなり余興で談志が『芝浜』をやりだしたら、そ
れはそれで迷惑なことなのである。
(唐沢俊一の裏モノ日記より)
唐沢俊一や岡田斗司夫に対して「オタクのくせにウスい! ヌルい!」と噛みつくオタクは少なくないが、そういう人も上に引用した文章を読めば納得するだろう。唐沢俊一はウスいのではなく、TPOというものを考えて喋っているのだ。空気が読めるオタクなのだ。
だが、その納得は新たな疑問に繋がる。「では、唐沢はどこで『芝浜』を披露するのか?」という疑問だ(「談志の『芝浜』に相当するものが唐沢にあるのか?」という疑問にはあえて触れないでおこう)。
たとえばテレビ番組などにゲストとして参加するのであれば、『芝浜』レベルのことをやる必要はないだろう。相手は不特定多数の視聴者だし、時間も限られているのだから。しかし、上の引用文での「トーク」というのはSF大会でのトークなのである。SF大会ならば、それなりに濃ゆい人が集まっていると思うのだが、唐沢はその客たちを「花見客」と見做したらしい。
トークだけでなく、著書においても唐沢の姿勢は変わらない。たとえ、その著書が自身にとって初の長編小説でも……。
本作は呪いの貸本漫画が巻き起こす恐怖を描いた怪奇小説である。貸本漫画というのは(本人の言を信じるなら)唐沢にとって得意分野のはずなのだが、貸本漫画に関するディープな知識などは作中に盛り込まれていない。もちろん、なんでもかんでも盛り込めばいいというものではないが、本作の場合は必要なものまでもが削ぎ落とされているような気がする。ぶっちゃけ、ディテールが粗いのだ。それに物語の整合性にも難がある。また、後半にはメタフィクショナルな仕掛けが施されているのだが、たいした効果は挙げていない(実験的な手法を得意とする弟に教えを請うたほうがよかったのでは?)。
もしかしたら、それらの欠点は意図的なものなのかもしれない。古き良き時代の貸本漫画やB級ホラー映画のチープな雰囲気を再現したかったのかもしれない。だが、チープなものをチープなまま模倣するのは誰にでもできる。本作には貸本漫画等に対する愛が感じられなかったし、センスも感じられなかった。唐沢俊一(や、と学会の面々)が斬り捨ててきた作品群と同じように。
非常に残念だ。
モンスター 完全版
2012/03/18 19:51
蝿とダイヤモンド
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ユーゴスラヴィアが分裂し、崩壊へと向かっていた時代。サラエヴォのコシェヴォ病院に三人の赤ん坊がいた。セルビア人狙撃手の遺児であるアミール、後にイスラエル外相の養女となるレイラ、そして、戦場で拾われたナイキ。
生後18日の赤ん坊であるにもかかわらず、ナイキは知っていた。この町が戦火にさらされていることを。自分が孤児であることを。両隣にいるアミールとレイラもまた無力な孤児であることを。
砲撃によって穿たれた穴から星空を見上げて、ナイキは誓う。血の繋がらない弟妹――アミールとレイラを永遠に守る、と。
しかし、病院が破壊され、三人は離れ離れになってしまう。
それから三十三年後、かつての誓いを思い出したナイキは「弟妹」たちを探し始めるが、反啓蒙主義を奉じるテロ組織の闘争に巻き込まれていく。
その闘争の裏には「モンスター」とでも呼ぶべき怪人物の影があった。
「日本初のヨーロッパ漫画誌!」を標榜する『ユーロマンガ』がリニューアルし、雑誌形式から単行本に変わった(創刊時に「Vol.6に達する前に廃刊になるのでは?」なんて失礼なことを書いたけど、きっちり6号まで続きました。ごめんなさい)。
リニューアル後の第一弾がこの『モンスター 完全版』である。著者は、バンド・デシネの第一人者にして映像作家でもあるエンキ・ビラル。完全版ということで、第一巻『モンスターの眠り』(過去に邦訳されたことがあるらしい)、第二巻『12月32日』、最終巻(第三巻と第四巻の合本)『パリのランデブー/4人?』までのすべてのエピソードが収録されている他、巻末には用語解説やユーゴスラヴィア紛争の歴史やビラルと貞本義行との対談なども付いている。
この作品はとにかくヴィジュアルが凄い。日本の漫画のような躍動感には欠けるが、一コマ一コマの完成度が高く、ちょっとした画集のような趣がある。砂漠から天空に伸びる軌道エレベーター、白い部屋で繰り広げられる血の惨劇、虚空に浮かぶゲートから放出される黒い雲、水槽の中の生首とその周囲を漂う魚たち、眉間に弾痕がある巨人の頭蓋骨、甲板にサッカーコートが設置された空飛ぶ空母、物語の随所で重要な役割を果たす蝿――冷たく湿った悪夢のようなイメージの奔流にただただ圧倒されるばかり。
ヴィジュアルだけでなく、ストーリーも濃密。過去と現在が交錯する第一話が特におもしろい。物語が進行すると同時に主人公ナイキの記憶は過去にさかのぼり、生後18日から17日に、16日に、15日に……そして、この世に生まれ出た日(サラエヴォが無差別砲撃された日)に至るのだ。
第二話からは怪人物ウォーホールが主人公を食うほどの活躍を見せる(第一話にも登場しているのだが、その時点ではただの悪役の域を出ていない)。死と復活を繰り返し、幾度も名を変え、姿を変え、生きる目的を変え、物語内でのポジションを変え、ナイキや読者を翻弄していく様はまさに「モンスター」だ。ラストで明かされるその正体もブッ飛んでいる。
『ユーロマンガ Vol.6』に掲載されていた記事によると、本書は「記憶をめぐる物語」なのだという。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなかに生まれたナイキたちの記憶、本人曰く「常に狂ったようにジグザグ」に歩んできたというウォーホールの記憶、旧ユーゴスラヴィア出身である作者自身の記憶――それらが塗り込まれた物語は読者の記憶にも強く刻まれ、忘れ難いものになるだろう。
リアル・スティール
2012/02/01 16:53
もう一つのリアル・スティール
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
映画『リアル・スティール』の原作となった作品を含むリチャード・マシスンの短編集。早川書房から同じタイトルの短編集が出ているが、収録作のなかで被っているのは表題作だけなので、早川版を読んだ人でも問題なく楽しめるはず。ただ、早川版と違って各作品の解説がないのはいかがなものか? せめて初出くらいは記載してほしかった。
収録されている作品は十五本。編者(*)の意図によるものなのかどうかは判らないが、苦い読後感を残す作品が多い。それらの中でも特に印象に残ったのは、SFやホラーの要素のないウェスタン小説『征服者』、終末の世界に一人残された男の物語『時代が終わるとき』、緊張感に満ちた『サンタクロースをたずねて』、そして本邦初訳の『時の窓』。
『時の窓』は『闇の王国』(正直、この長編はいまいちだったけど)と同様に自伝小説の側面を持つ作品であり、過ぎ去りし時代への老人の郷愁が描かれている。「苦い読後感を残す作品が多い」と書いたが、この作品がトリを飾っているため、本全体の印象も苦いというか物悲しいものになっているような気がする。
*:編者は不明。ちなみに早川版は日本独自の編集だったが、本作は米国で編まれた短編集を翻訳したものである。
山風短 4 (ヤンマガKCDX)
2012/01/31 20:11
うれし愉しの同行二人旅
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
せがわまさきが山田風太郎の短編をコミカライズするシリーズの第四弾。
前回は『青春探偵団』という変化球を放ってきたが、今回は初心に戻って(?)忍法小説の短編を原作としている。ちなみにこの原作『忍者枯葉搭九郎』は水木しげるの手でコミカライズされたこともある(『野ざらし忍法帖』収録の『大いなる幻術』)ので、読み比べてみるのも一興かと。
過去の三作と同様、せがわまさきは本作でもアレンジを少しばかり加えている。筧隼人と枯葉搭九郎の「談合」のシーンだ。原作と違い、二人のやりとりをお圭が陰から見ているのである。これによって、お圭の後の行動に説得力が増したように思える。また、彼女が「夫が手にかけた方の亡骸です……(中略)……香華でも置いて参りましょう」という言葉を発した際の心理も原作とは異なってくるだろう。
とはいえ、作品から受ける印象は原作のそれとさほど変わらなかった。だからというわけでもないが、今回はちょっともの足りなかった。次回に期待……と言いたいところだが、『山風短』はこれで終了らしい。うーん、残念。
リアル・スティール
2011/11/13 22:36
マシスンは健在なり
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
リチャード・マシスンの短編集である。『運命のボタン』と同様、映画に便乗した日本独自の短編集だが、既訳作品をテキトーに集めてきたようなものではない。なんと十本の収録作のうち、半分の五本が本邦初訳。
お勧めは表題作の『リアル・スティール』(『運命のボタン』にも収録されてたけどね)。映画のほうはお涙頂戴の感動物語になっているらしいが、原作は負け犬の狂気混じりの矜持を描いた実に男臭いハードな作品。もし、ヘミングウェイがSFを書いたら、こんな作品が出来上がるかもしれない(そうか?)。
倫理観が大きく変わってしまった未来社会での椿事を描いた『おま★★』も良かった。ちなみに「この邦題は“おまんま(食べ物)”の略である。くれぐれも誤解のないように」(解説より)とのこと。
逆にいまいちだったのはラストの『最後の仕上げ』。雰囲気は実に良かったのだけれど、オチにもう一ひねりほしかった。
マルドゥック・フラグメンツ
2011/06/06 20:20
マルドゥック・スケッチズ
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
冲方丁のマルドゥック・シリーズの短編集である。収録内容は以下の通り。
1 マルドゥック・スクランブル“104”
2 マルドゥック・スクランブル“-200”
3 Preface of マルドゥック・スクランブル
4 マルドゥック・ヴェロシティ Prologue & Epilogue
5 マルドゥック・アノニマス“ウォーバード”
6 Preface of マルドゥック・アノニマス
7 古典化を阻止するための試み
8 事件屋稼業(抜粋)
1と2はウフコックとボイルドがまだコンビを組んでいた頃のエピソード。つまり、『マルドゥック・ヴェロシティ』の時代の物語ということになるのだが、ウフコックとボイルドの関係は『ヴェロシティ』本編のそれとは違って少しばかり険悪なものになっている(どちらの短編も『ヴェロシティ』の構想が固まる前に書かれたからだろう)。番外編や外伝ではなく、パラレル・ワールドの物語として読むべきなのかもしれない。
3は『マルドゥック・スクランブル』の前日譚。『スクランブル』や『ヴェロシティ』では見られなかったウフコックの単独行動(ターン能力を活かした潜入捜査)が描かれている。
4は『ヴェロシティ』の台詞や情景を切り張りしたコラージュめいた予告編。本編より先に書かれたものなので、実際の内容とは少しばかり異なるところがある(シザーズが09に加わっていたり、あるキャラの死に際の台詞が違っていたり……)。
5は本書唯一の書き下ろし。次回作『マルドゥック・アノニマス』に繋がる短編。
6は『アノニマス』の予告編。ウフコックによる『アノニマス』の登場人物紹介といったところ。もっとも、『アノニマス』はまだ完成していないだろうから、4と同様に実際の内容とは少し異なるところが出てくるかもしれない。
7は冲方のインタヴュー。本気か冗談かは判らないが、冲方は「次の改訂はまた十年後にやりましょう」と発言している。しかし、個人的には改訂はこれっきりにしてほしい。作品が古典化してしまうことを危惧する気持ちは判らなくもないが、定期的な改訂というものに対して、どうしても不安を抱いてしまうのだ。次の改定が今回の改稿のように成功に終わるとは限らないから。
8は『スクランブル』の初期原稿の抜粋。これは収録する必要があったのだろうか? なんだか、水増し感が……。
短編集ではあるものの、純粋に短編小説と呼べるのは1と2と3と5の四本だけなので、いまいち食い足りないというのが正直なところ。各作品に解説等が付いていなかったのも残念。
5と6には『アノニマス』のネタバレ……とまではいかないが、09の新メンバーの能力や敵の顔ぶれなどの情報が記されているので、真っ白な状態で『アノニマス』に挑みたい人は読まないほうがいいかもしれない。
墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活
2011/05/19 22:16
“Bod”と呼ばれた子
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ある夜、一家が殺害された。
たったひとり、生き残ったよちよち歩きの
赤ん坊が迷い込んだのは、真夜中の墓地。
この日から、墓地の幽霊たちの愛情溢れる、
世にも奇妙な子育てが始まった……。
(カバー折り返しより)
角川書店のサイトで近日刊行作として本書が紹介されていた時は『グレイヴヤード・ブック』という邦題だった(原題も“The Graveyard Book”である)。それが何故に『墓場の少年』になってしまったのかは判らないが、やはり『グレイヴヤード・ブック』のほうが良かったような気がする。『墓場の少年』というタイトルでは、元ネタが『ジャングル・ブック』であることが判りづらい。
児童文学の定番とも言える作品を下敷きにしているだけあって、本書は実にストレートな児童文学である。ホラーやダークファンタジーの要素で彩られているものの、主人公のノーボディ(通称ボッド)が体験する出来事(同年代の少女と出会って共に冒険したり、大人の言いつけを守らなかったために危機に陥ったり、学校のいじめっ子と対決したり……)はこの種の成長譚ではおなじみのものだし、読者の少年少女たちにとっても他人事ではないだろう。できれば、子供の頃にこの作品を読みたかった(まあ、大人が読んでも充分に楽しめる作品なんだけどね)。
本書は長編ではあるが、各章が独立とまではいかないものの、一話完結に近い形になっているので、長編小説を読み慣れていないような子供でも読み易いかもしれない。
全八章の中でお勧めのエピソードは、ボッドが魔女の幽霊のために奮闘する第四章『魔女の墓石』。「魔女」であるところのライザが実に魅力的だ。あとがきによると、作者のニール・ゲイマンは本書をこの第四章から書き始めたという。
第三章『神の猟犬』も良い。上に挙げた「大人の言いつけを守らなかったために危機に陥ったり」にあたる、ボーイ・ミーツ・ガールならぬボーイ・ミーツ・グールなお話だ。「バースとウェルズの主教」「アメリカの第三十三代大統領」「有名作家のヴィクトル・ユゴー」などと名乗るグールたちが登場するのだが、その名前の由来が傑作。たとえ子供向けの作品でも、こういうブラックな味付けを忘れないところがゲイマンらしい。
キック・アス 1
2011/05/09 20:51
これからの「正義の味方」の話をしよう
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ある日、「つまらない日常を送る、取り得なんかないごく普通の高校生」(本人談)であるところのオタク少年デイヴは学校の食堂でオタク仲間とオタク談義をしていた。
デイヴ「けど、なんで誰もスーパーヒーローにならないんだ?」
友人A「さあなァ。不可能だからじゃね?」
デイヴ「マスクを被って人助けをすりゃいいだけだろ? 不可能じゃないよ」
友人B「それじゃただの頭のおかしいヤツだよ。現実じゃムリだな」
いや、ムリじゃない。この時、デイヴは決意した。「頭のおかしいヤツ」になることを……。
かくして、一人のスーパーヒーローが誕生した。その名はキックアス。eBayで購入したコスチュームを身につけ、MySpaceで情報を発信/収集し、YouTubeに雄姿がアップされる、新時代のクライムファイターだ。
かつてサイボーグ009こと島村ジョーは「あとは勇気だけだ」と言ったが、我らがキックアスの場合は最初から勇気だけ。そう、なんの特殊能力も持っていないのだ。もちろん、天才的な頭脳もないし、莫大な財力もないし、高度な戦闘訓練を積んできたわけでもないし、女ヴィランの心をよろめかせて正義の側に寝返らせるような甘いマスクもない。
ないない尽くしの激弱ヒーロー――ある意味、それは他のどんなヒーローよりも真摯だ。ないない尽くしであることを自覚しているにもかかわらず、悪に立ち向かっていくのだから。
しかし、そんな「真摯」なヒーローが無傷で済むわけがない。キックアスは事あるごとに殴られ、蹴られ、歯を折られ、骨を砕かれ、悲鳴を上げ、血反吐を吐く(全八話のうち、彼が痛い目にあわないのは第四話と第六話だけ)。たった一つの武器であるはずの勇気を放り出し、無様に泣き喚いて命乞いをすることもある。
それでも、最終的には狂気と紙一重の勇気を取り戻して立ち上がるのだ。ヒーローは決して裏切ってはいけないから。人々の期待を。そして、自分の信念を。
オタクと呼ばれる人々の多くがそうであるように(まあ、オタクに限ったことじゃないが)デイヴもまた痛い奴だ。もう、どうしようもないほど痛い奴だ。
しかし、本来の意味での「痛み」に耐えながらボロボロになるまで戦った彼を笑うことなど誰にもできないだろう。
トップ10(AMERICA’S BEST C) 2巻セット
2011/05/07 01:07
ヒーローストリート・ブルース
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
一巻の帯にこんな一文があるが――
「『ウォッチメン』とも『キリング・ジョーク』とも『Vフォー・ヴェンデッタ』とも違う、あなたの知らないアラン・ムーアがここにいる!」
――これは嘘だ。ここにいるのは「あなたの知らないアラン・ムーア」ではない。
確かに他のアラン・ムーアの作品と違って、この『トップ10』はシリアス一辺倒な物語ではない。
しかし、名作『ウォッチメン』と同様に『トップ10』もまた現実的な等身大のスーパーヒーローたちを描いている。ただ、『ウォッチメン』のスーパーヒーローたちが(ドクター・マンハッタン以外は)ヒーロー気取りの常人であったのに対して、『トップ10』はほぼすべての登場人物が本物のスーパーヒーローだ。物語の舞台となるネオポリスは、スーパーパワーを持つ超人だけが暮らす都市なのだから。
考えてみてほしい。もし、この世界の全ての人々がスーパーヒーローだとしたら? そう、スーパーヒーローであることになんの優位性もなくなるだろう。ネオポリスの住人たちはアメコミのヒーローのようにジャンプスーツを着て、マントをまとい、マスクをつけ、スーパーパワーを活かして生きているが、その活かし方はスーパーヒーローのそれとは程遠い。ビザ屋の配達員は超音速で移動してピザを届け(一巻P23)、食堂の店員は目から光線を出してホットドックを焼き(同P25)、浮浪者は指先から放射した炎で暖を取る(同P27)……といった按配。
誰もがスーパーヒーローであるが故に、本当の意味でのスーパーヒーローが存在しない――そんな非現実的とも現実的とも言えるヒーロー不在の世界で法と秩序を守るのは誰か?
もちろん、警察だ。
本作はヒーローものであると同時に刑事ものでもある。ベースとなっているのはアメリカの刑事ドラマ。それも『刑事コロンボ』のような名刑事が活躍するドラマでもなければ、『マイアミ・バイス』のようなクールでスタイリッシュなドラマでもなく、『ヒルストリート・ブルース』のようなドラマ――個性豊かな刑事や警官たちの群像劇だ。
そんな群像劇タイプの刑事ドラマの登場人物たちがそうであるように、ネオポリスの第10分署(その通称が「トップ10」である)に所属しているスーパーヒーロー/スーパーヒロインたちも欠点や弱点を持った「普通」の人間である。世界を変えるほどの力もなく、世界を変えようという意思もなく、ある者は認知症の父を抱え、ある者は既婚者の同僚に想いを寄せ、ある者は異人種に差別意識を抱き、ある者は同性愛者であることを隠し、警察の職務をこなして坦々と生きていく。
しかし、それでも『トップ10』はスーパーヒーローの物語である。第10分署の面々は欠点や弱点だけでなく、ヒーローと呼ぶに相応しい美点――ささやかな勇気や正義感や愛もまた持っているのだから。そう、「普通」の人間と同じように。
二巻の帯にこんな一文があるが――
「スリルとサスペンス、ギャグとパロディ、そして…愛。全ての要素が詰まった波乱万丈のポリスストーリー」
――これは本当だ。この物語は「全ての要素が詰まった波乱万丈のポリスストーリー」である。