ムーンフォール - レビュー

数々の名作を作り出してきた監督による、退屈な大災害映画

ローランド・エメリッヒ監督最新作『ムーンフォール』レビュー:非凡なアイデアをきわめて凡庸に描いたディザスタームービー
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本稿はAmazon Prime Videoで配信中の映画『ムーンフォール』のネタバレなしレビューです。


災害映画の巨匠ローランド・エメリッヒ監督の最新作『ムーンフォール』では、注目に値するアイデアがどれも注目に値しないやり方で描かれている。感情面のドラマも芸術性も、これまでのエメリッヒのどの作品と比べてもいまひとつで、独創性に欠けるスタイルを機械的につぎはぎした焼き直しのような作品となっているのだ。

『ムーンフォール』には、『インデペンデンス・デイ』や『デイ・アフター・トゥモロー』の監督に期待するものがすべて含まれている。軌道を外れた月が、地球に大惨事をもたらす。ユニークなエイリアンがそこに関与している可能性もある。その災害から人類を救えるのは、元宇宙飛行士の2人と孤独な陰謀論者だけだ(エメリッヒは陰謀論に関連した歴史映画『もうひとりのシェイクスピア』も監督している)。月が地球の大気圏に近づいてくると、重力も完全に狂ってくる。しかしながら、予告編やあらすじから想像させられた『ムーンフォール』のほうが、実際に観る映画『ムーンフォール』よりもずっと楽しく、魅力的で、荘厳な感じがしてしまうのだ。

進行していくできごとの設定に対して2時間という時間はじゅうぶんのように思えるが、前半の1時間は導入に費やされ、何度か大きく時間が飛んだかと思うと、その後、再び導入が挟まれる。感情面の中心となる数々のもつれた人間関係の設定を、ゆっくりと、きめ細やかに説明することにほとんどの時間が使われている。

元宇宙飛行士のブライアン・ハーパー(パトリック・ウィルソン)は、乗っていた宇宙船が月の表面に向かう前、万華鏡のような物質によって軌道からはじき飛ばされたと主張したためにNASAを追い出されている。妻のブレンダ(カロリーナ・バルトチャック)とは離婚することになり、ティーンエイジャーの息子ソニー(チャーリー・プラマー)は荒れている。元妻の再婚した夫トム(マイケル・ペーニャ)はレクサスのセールスマンなのだが、彼は色々なバージョンのレクサスのロゴを画面に映し出すためだけに登場しているようなものだ。ハーパーの解雇の一因は、彼とぶつかっていた元同僚のジョー・ファウラー(ハル・ベリー)にもある。彼女も離婚しており、元夫で軍の高官であるダグ(エミ・イクワコール)は常に苦痛でゆがんだような顔をしている。ジョーは現在、息子のジミー(ゼイン・マロニー)と中国人の留学生ミシェル(ケリー・ユー)と一緒に住んでいる。

パトリック・ウィルソンとハル・ベリーはまぎれもなく映画スターだ。彼らがお涙ちょうだいの会話を確信犯のようにあれこれくり広げるのを見るのは楽しいものがある。『ムーンフォール』はこの2人のスターが出ているから観る価値があるようなものだ。同じぐらいのレベルでそう思える人物はほかにはほぼいない(例外は1人いる)。ストーリーは中心となるミッションから逸脱することも多い。どこか別のところで家族の誰かが危険な目に遭ったりし、そのたびに毎回、興味を引くための大きな脅威が襲いかかるようになっている。

先ほど例外が1人いるといったが、それは、このウィルソンとベリーの和解のドラマで3人目のメインキャストとなる不器用なコミックリリーフ、かつ、この映画の裏の主役でもあるKC・ハウスマン(ジョン・ブラッドリー)だ。彼は言葉巧みなインターネット陰謀論者で、世界を救済するためのこのお祭り騒ぎに即参加する。自分を疑う人々のほうが間違っていることを証明し、病弱な母親に誇らしく思ってもらうためだ。ハウスマンは、Qアノンや地球平面説の時代にはみょうにぴったりなアクションヒーローといえる。彼の信じる説もそれらと同じくらい主流から離れたものではあるのだが。演じるブラッドリーのおかげで、ハウスマンは人を魅きつける素晴らしい魅力あるキャラクターとなっている。

すべての人々がお互いの軌道の外側を旋回しているような状態ではあるが、彼らはそれぞれ死ぬまでに人間関係を修復し、月が地球に衝突するよりも速いスピードで集まらなければならない。このプロット自体は、ぼんやりとしてはいるものの、まったくだめなわけではないだろう。しかしながら、制作面で非常に不可解な判断をしていることからそれが実現できていない。ドラマを強調するためのショットはどれも間違っているような感じがするし、どのカットも、人間が操作していないコンピューターが勝手に決めたように感じられるのだ。速すぎたかと思えば、今度はゆっくりすぎる。せかせかと飛ばす一方で、人々の感情(のようなもの)に関連した部分には延々と時間がかけられ、ストーリーに緊急性が欠けてくる(ただしブラッドリーは別だ。彼のシーンはどれも良い)。トーマス・ワンダーによる音楽と、プロデューサー兼共同脚本のハラルド・クローサーはひらめきをほのかに感じさせているが、たいていは爆発音によってあいまいになり、あまり役に立っていない。

もしメインのアトラクションが半分でも機能していれば、こういったことは大きな問題にはならないだろう。しかし、スペクタクルもみな同じように退屈で、本当に大災害が起きているのだという感じがしない。死者数に関してもそうだ。すべてがどこか遠くで起きていることのようで、差し迫っている感じがしない。空虚なCGIの大混乱は、ぎりぎりに急いでまとめられた感がある。もしそうだとすれば、ハリウッドで馬車馬のように働かされるヴィジュアルエフェクトアーティストこそが真のヒーローだということになってしまう。結果として、ぐにゃぐにゃしたねんどのミニチュアを思わせる大都市の崩壊をとらえるワイドショットは、どのシーンでも入れ替え可能であるかのようになっており、ひとつひとつ作られたという魅力に欠けている。

ヒーローたちが宇宙に旅立つと、ようやくヴィジュアルとストーリーの焦点が洗練されてくる(『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』で使われなかったアイデアを活用しているような感もあるが)。しかしそれも、地球上でくり広げられている大災害にたびたび引き戻され続け、その災害は夜の霧に隠されてほとんどはっきりとは見えない。そこに登場する脇役たちにもリアルな人間だと感じられる機微はなく、また彼らは、この手の映画のパロディとして成立するほど自覚的なキャラクターというわけでもない。

この映画には斬新な勝利のように見えて、密かに恐ろしい結末も用意されている。しかし、それを解説するには、まず第三幕でなされるすべての説明を並べなければならない。衝撃的なまでに退屈な環境で語られ、さまざまな20世紀の陰謀論の文献から引用されている説明を。確かに、『ムーンフォール』にはこれらの考えを真剣に受け取るシーンはない。どちらかというと、陰謀論へのアプローチは驚くほどに適当だ。その結果、少なくともブラッドリーに関連したストーリーの部分だけは、現実世界の醜さに傾いたこの映画の危険からは離れたところに置かれ、うまくいっている。それは救いだといえるだろう。残念ながらそのほかは、感情面の描写から巨大スケールの大混乱まで、『ムーンフォール』でリアルに感じられるところはほとんどなかった。これまでにエメリッヒが見事に、そして、堂々と行ってきたはずのことが、ここではすべて生ぬるく、不完全に感じられる。その結果、エメリッヒ自身の作品も含む、もっとよくできた数々の映画の影に隠れてしまうような作品になっているのだ。

総評

ローランド・エメリッヒ監督の『ムーンフォール』では、大きな発想が独創性に欠ける決まりきった表現方法で描かれており、幅広い感情によって支えられた壮大なスペクタクルだと感じられるはずの大災害は、エメリッヒ自身の作品も含む、もっとよくできた映画を機械的に再現したかのようになってしまっている。

※本記事はIGNの英語記事にもとづいて作成されています。

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ムーンフォール

2022年7月29日

ローランド・エメリッヒ監督最新作『ムーンフォール』レビュー:非凡なアイデアをきわめて凡庸に描いたディザスタームービー

5
Mediocre
ローランド・エメリッヒ監督の『ムーンフォール』は、大きな発想を小さく、あまり重要でないように感じさせるものになってしまっている。
ムーンフォール
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