シネクラブ「映画侠区」エッセイシリーズVo.1:海辺のポーリーヌ

シネクラブ「映画侠区」エッセイシリーズVo.1:海辺のポーリーヌ

一九六三年の三月、東京でおこなわれたユニフランス・フィルム主催のフランス映画祭に、アラン・ドロンやマリー・ラフォレやアルベール・ラモリス監督やセルジュ・ブールギニョン監督といっしょに、フランソワ・トリュフォー監督が来日した。当時、私はまだ学生だったが、トリュフォーの通訳をやることになり、まる一週間顔をつきあわせることになった。本格的にフランス人とフランス語をしゃべるのは初めてのことだったから、なにをしゃべっても、しどろもどろだ。あるとき、ひとりのジャーナリストがトリュフォーにインタビューに来た。フランス語に堪能なジャーナリストで、私のへたくそな、ぐずぐずした通訳にがまんならず、ついにみずからフランス語でトリュフォーに質問し始めた。ところが、トリュフォーはそのジャーナリストのしゃべるフランス語がひとこともわからないふりをしてみせたのである。そして、かたわらで情けない顔をしていた私に、「あいつ、なにを言っているんだ?ちゃんと日本語で言ってもらって、きみがちゃんと通訳してくれ」とわざと聞こえよがしに言った。それでも、そのジャーナリストがフランス語で得意になってしゃべりかけると、トリュフォーは、いちいち、私にむかって、「なにを言おうとしているかわからないから、きみが日本語で聞いてやってくれ」というのだった。トリュフォーが、そのジャーナリストに対してかくも意地悪な態度に出たのは、そのジャーナリストに心ならずも軽蔑されて茫然自失していたあわれな通訳の立場を救おうとしての思いやりにほかならぬことは明らかだったし、その思いやりの屈折ぶりに私は感動した。そのときから、私はフランソワ・トリュフォーという人間と作品に、トコトンつきあおうと決心したのである。


これは1985年12月10日に「話の特集」から出版された山田宏一著「新版 友よ 映画よ<わがヌーヴェル・ヴァーグ誌>」の244頁を書き写したものです。「新版」である理由は、1984年10月21日にフランソワ・トリュフォー監督が亡くなったことを受けた加筆が行われたからです。山田宏一さんは、1963年から1967年の期間、パリに住み、「カイエ・デュ・シネマ」誌の同人でした。「カイエ・デュ・シネマ」で映画批評を書いていたエリック・ロメールジャック・リヴェットジャン=リュック・ゴダールクロード・シャブロルフランソワ・トリュフォーらが始めたのが「ヌーヴェル・ヴァーグ」という映画の刷新運動であり、山田さんは、その「ヌーヴェル・ヴァーグ」の中にあって「ヌーヴェル・ヴァーグ」を見た、貴重な証言者です。なによりも山田さんはフランソワ・トリュフォーの親友でしたから、トリュフォーの著作の『映画の夢 夢の批評』(たざわ書房)、『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社) などの翻訳を行い、伝記『トリュフォー、ある映画的人生』(平凡社)を執筆する等、トリュフォーに関する日本の書籍のほとんどが氏によるものなのです。


1963年4月1日から10日にかけて、「第3回フランス映画祭」が東京都千代田区の東商ホールで開催された。映画祭に参加するため来日したフランソワ・トリュフォー、マリー・ラフォレ、アラン・ドロン、フランソワーズ・ブリオンら。



私は2006年8月以来、シネクラブ「映画侠区(しゃしん・きょうく)」というものを大阪で運営していました。これは国籍、年代、ジャンル構わずで、日本で公開されたことがないか、長く公開されていないため、誰も観たことがないような映画を、海賊版含め、VHS、DVD、時には16mmのフィルムプリントを使って観るという会です。「映画」を「しゃしん」と読ませるのは、昔から「映画」を「活動写真」と呼び、撮影所で働く人たちは、「映画」自体を「シャシン」と呼んだからです。「侠区」というのは、映画に造詣が深い小説家の金井美恵子さんが参加されていた文学系同人誌「凶区」を採用したものですが、その際、「凶」の字を「侠客」の「侠」の字に改めました。これによって、「日本語字幕無し」でも外国映画が観たいというような「ヤクザ」なシネフィル(映画狂)が集まっている場所という意味になります。当初は大阪市・中崎町のフィルムアーカイヴの「PLANET studyo plus one」が運営していたレンタル用のスペースを使って上映会を開催していました。「PLANET studyo plus one」は、「cafe太陽ノ塔」が一階に入っているビルの二階に上映室を持っています。そして当時は、三階がレンタル用のスペースだったのです。この場所で、飲んだり食べたりしながら、映画を観ていました。大体が三本立てで、すべての作品を観終わると、経費のすべてを参加者全員でワリカンしていました。だから私の利益というものは、全くありません。その後、さらに宴会をするために、阪急梅田駅近くの居酒屋へ移動していました。



2007年6月、私は「映画侠区」で上映したコンスタンチン・ユージンというソビエトの監督の喜劇『Сердца четырёх』を、高名な映画批評家のどなたかにご覧頂きたいと考えていました。英語題名『Four Hearts』と、その物語の内容から『四人の思惑』と名付けたこの映画は、エルンスト・ルビッチハワード・ホークスジョージ・キューカープレストン・スタージェスレオ・マッケリーフランク・キャプラなどが30年代に撮っていたアメリカのロマンチック・コメディあるいはスクリューボール・コメディそのもので、ソ連の大都会が映っているのも珍しく、ソビエト映画のイメージを完全に崩してくれる、興味深いものだったのです。

ソビエトのコンスタンチン・ユージン監督の1941年作品の『四人の思惑』。


ではどなたにご覧頂くか?

三大映画批評家のうち、山根貞男さんは基本的に日本映画のご専門。蓮實重彦先生は東京大学の総長を退任なさったため、DVDの送り先が分からない。では、山田宏一さんは…?当時、山田さんは学習院大学で映画史講義をされていたのです。あー、学習院大学に送ればいいんだ…。


とは言え、山田宏一さんには、お怒りになると絶縁状が送られて来るという恐ろしい噂がありました。蓮實さんと山根さんは、トークショーを通じて、なんとなく人となりのイメージを持っていたのですが、山田さんは人前に出られないので、謎だらけの方だったのです。そもそも、学習院大学で講義をされていたこと自体に驚いたくらいでした。後になって、病気療養後のリハビリを兼ねて引き受けられたと判明したのですが。


私はフランソワ・トリュフォーの親友の山田宏一さんの逆鱗に触れないように手紙を書くという、恐ろしいことを始めました。誤解を招かないように丁寧に、丁寧過ぎるほどに丁寧に手紙を書くのですが、まず、WORDで文章を作ってから万年筆で清書したわけです。その下書き、「季語」以外のすべてを書き上げてから、私は「季語」をどうするか?を悩み始めました。「季語」というのは、日本において比較的丁寧な礼儀正しい手紙を書く場合に、冒頭に書く、その季節をイメージさせる言葉あるいは文のことです。従って、読み手は「季語」を最初に目にします。私は「季語」で成功を収める必要があると考えました。相手は大物であり、返事を期待するのも異常なことですから、返事が欲しいわけではないけれども、とにかく、『四人の思惑』をご覧頂きたいので、「季語」を、スペシャルなものにしなければと、三日間、考えて出した6月の「季語」が以下です。



『海辺のポーリーヌ』の冒頭に咲き誇るような紫陽花の季節になりました。




『海辺のポーリーヌ』ポーリーヌ(アマンダ・ラングレ)とマリオン(アリエル・ドンバール)


海辺のポーリーヌ』というのは、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家の一人・エリック・ロメールの1983年作品で、初めて日本にやって来たロメールの映画でした。




さて、三ヶ月後、期待していたわけでもない山田宏一先生からの書簡が届きました。私は胸が高鳴りましたが、お怒りの書簡であるかもしれないわけです。私は恐る恐る封を切り、折られた便箋を広げて読み始めました。冒頭にはこのように書かれていました。



まさに、『海辺のポーリーヌ』の冒頭に咲き誇る紫陽花の季節から三ヶ月も経ってしまいました。申し訳ありません。




こうして、私は山田宏一さんと往復書簡を交わして、映画史に関すること、いや、「映画」そのものについての多くを学ぶことになったのです。フランソワ・トリュフォー監督の1959年作品『大人は判ってくれない』の、映画を観ることだけが楽しみだという12歳の少年・アントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)は、『理由なき反抗』のジム・スターク(ジェームズ・ディーン)とともに、いじめられっ子だった私の数少ない友でした。その作者の親友と往復書簡を交わすという奇跡を経験した。私は実に幸福者です。


Thank you for your fascinating share dear Mitsuhiro TODA 🤍 I will translate it tonight and read it with a pleasure 🙏🏻

Miyako Nakamura

Miyako Nakamura - サイエンスCG(アカデミック、バイオロジー、メディカルCGの画像、映像)のクリエーター

3ヶ月前

昔エリックロメールの三本だてを神戸の新開地だったか、大阪のシネヌーヴォーだったか、映画館で見ました。どっちだったか忘れちゃいました! その三本立てのなかでも、緑の光線は、今でも 日がが沈むとき太陽を見ると緑の光線見えないかな思い出す時があります。 25年以上前なので、もう一回みたいです。

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