シネクラブ「映画侠区」エッセイシリーズVo.3:取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境

シネクラブ「映画侠区」エッセイシリーズVo.3:取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境

この映画が始まって、直ぐに、私というか、「私たち」と敢えて言ってしまうことにしますが、映画制作者、特に撮影監督にとって非常にショックを受ける画面が現れます。それは最初にインタビューに応じているシングルマザーの顔がぼかされている画面です。レンズを選び、キャメラをセットし、同時に照明が配置される。このような職人的な作業によって撮影された「画」などと呼ばれるものに、字幕すら入れたくはないという人が多い世界。それが映画制作の世界。まあ、それはかつて「活動屋」と呼ばれた映画製作者たちの古臭い心情かもしれないとは思います。映像は、今ではパソコンのデスクトップ上で編集が行われ、加工も思うがまま。それに慣れてしまっているのであろう世界中の撮影監督のほとんどが、そんな画面の加工に、いちいち心を痛めたりはしないのかもしれません。けれども私は何度も「画が汚れる」という言葉をフィルムメーカーたちから聴きました。例えばユニバーサル上映の一環として聾唖の方向けに日本語字幕を入れるという提案をしても「二つ返事で」とは行かず、説得を要するのです。ですから「ぼかし」の入った画面に、私の心は騒ぎました。

しかし、今、私はそのようなぼかされた画面が現れたことについて、批判しているのではないのです。つまり、ぼかさなければならないという事情があって、それでも可能な限りは証言したいというそのシングルマザーの覚悟が「ぼかし」として表れていることにとても胸が痛むのです。キャメラは、実は武器であり凶器であるということに無自覚な映画作家はいないと信じたいのですが、それ故に映画作家、殊にドキュメンタリー映画の作家たちは概ね冷酷な存在です。凶器を向けるのだから、撮る許可は非常に一所懸命になって取るはずです。しかし許可さえ取れば、なんでもかんでも、どこまでも果てしなく、相手がどのように苦しもうが追い詰め、すべてを撮ってしまおうとするものなのです。武器を被写体に構えているのだから、相手が傷付いて当然だし、そんなことは知ったことではない。そのことに胸が痛むならば、それはもう、映画作家としての資質を著しく欠いていると言えるかもしれない。その点で、現代映画で最も冷酷な映画作家は、恐らくは『チチカット・フォーリーズ』『臨死』『DV―ドメスティック・バイオレンス―』『DV2』などのフレデリック・ワイズマン監督あるいは『鉄西区』『三姉妹 雲南の子』などの王兵監督あたりなのでしょう。

そのようなわけだから、キャメラは武器であり凶器であるということを理解しているはずのライオーン・マカヴォイ監督と撮影されるシングルマザーとの間での一つの覚悟を持った合意が形成されていることを私は知るのです。恐らくは躊躇いもあったろうと思われる彼女が、「この映画は撮られる必要があるし、そして私はこれに出演し、証言する必要があるから、出演するのだ」という強い決心、覚悟をここで知るのです。そのシングルマザーの覚悟の前には、「画が汚れる」などという伝統的な「活動屋」に見られた欲望などは粉砕されるべきものだったということです。

被写体であるシングルマザーの側はそうですが、一方で撮る側の覚悟とはなんでしょうか?つまり、「良質な映画を制作しよう」などという動機を完全に捨てるということだったでしょう。ただ日本の貧困問題、殊にシングルマザーたちの困窮に対して何か自分に出来ることがあればやりたいし、やるしかないというライオーン・マカヴォイ監督の強烈な覚悟が見える瞬間が、この「ぼかし」の画面だと感じるのです。

世間が知っていたのは「藤原ライオン」と呼ばれている彼です。彼は80年代に私たちの世代が熱狂したようなサブミッションホールドのねちっこい攻防に惹かれたプロレスラーです。神様カール・ゴッチから燃える闘魂・アントニオ猪木に引き継がれ、組長・藤原喜明から格闘王・前田日明に、そして船木誠勝らに受け継がれたようなテクニックを、21世紀になって引き継ごうとして来たのが彼です。そんな反時代的なオタク気質の人がキャメラを手にしようと覚悟したのです。

確かに彼は空手に関して、19歳でオーストラリアのチャンピオンになるほどの実力を持っていて、その頃はアクション俳優を志してもいたということです。2000年に初来日して8週間滞在し、この国を気に入り、大学の交換留学やワーキングホリデーを経て、2005年からは日本に住んでいます。最初は英語の教師でした。2009年には短編映画で俳優デビューしていますが、夢だったはずの演技は向いていないことに彼は気付きました。2012年から「WNC(Wrestling New Classic)」という今はもうない団体に所属し、2013年2月28日に本名でプロレスデビューを果たしました。そして直後に「ヤンキー・ライオン」と改名したのですが、同年の10月31日のWNC後楽園ホール大会にて藤原喜明組長と対戦し、試合後に藤原組長の承諾を得て「藤原ライオン」へと更なる改名を行いました。そして彼はWNCのカメラマンも務めるようになりました。

彼は従って、以前から撮ることの魅力に惹かれた「キャメラ中毒者」の一面を持っていたのでしょう。先日もYouTubeチャンネル『Top Rank Boxing』にアップされる動画のために、サム・グッドマンとのタイトルマッチを控えた井上尚弥選手の公開練習を撮影していました。とは申せ、彼は「取り残された人々」としての日本のシングルマザーたちを撮って、この社会問題を世界に伝え、解決の一助になりたいと望むような人だったのでしょうか?彼はもしかしたら、武闘を通した身体運動の美を、只管に撮っていたい類の「キャメラ中毒者」であったかもしれないのです。

けれども彼は一本のドキュメンタリー映画を撮ったのです。撮られた以上、映画は公開されなければなりませんが、各国の映画祭や映画館での自分の映画の公開の場に立ち会い、メディアの取材に応じて質問に答え、批評を目にするようなことは、もしかしたら彼は決して自分向きではなく、むしろやりたくはなかった、本当は他の誰かがやるべきだとすら感じているのかもしれません。現代の日本で、彼が、『格闘技世界一 四角いジャングル』というような梶原一騎好みの題名ではなく、『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』という題名の映画を撮ることになった。そのことが異常なことなのです。けれどもやるしかないと彼は覚悟を決め、武器であるキャメラを手にしてやってみることにした。私たち日本人の苦境に黙ってはいられず…。それを冒頭に見せられた私は、これより、居ずまいを正して映画を観なければなりません。


このようにしてライオーン・マカヴォイ監督作品『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』は始まりました。

インタビューを受けている女性たちは、様々なシングルマザーとなった理由を持っていますし、彼女たちの子供の年齢も、幼子もいれば青年となった男性もいて、様々です。契約社員の方がいて、浄土真宗大谷派の尼僧の方いて、坂東妻三郎以来のニッポンの剣戟アクションを体得しようとしている俳優の方もいます。離婚をしたのだというシングルマザーがいれば、思いがけず妊娠していたことが分かり、熟慮の結果、自ら望んでシングルマザーを貫いている方もいます。お住いの地域も様々です。共通しているのは、テーマ上、当然ですが、経済的に裕福ではないということです。

ところで映画の一つの方法としては、彼女らの姿を只管、映し続けるということも可能だったはずです。私たちの国には、かつて小川紳介土本典昭佐藤真などのドキュメンタリー映画の大作家がいました。羽田澄子は御年98歳であり、彼女ももう新作は観られないかとは思いますが、国際的に知られたドキュメンタリー映画の大作家です。彼らは社会的問題を扱うことに関して躊躇することはありませんでしたが、その際、どうしてこの問題が生じたのかというようなことを識者に説明して貰うという手法は、基本的に採らなかったように思います。ただ彼らと彼らのチームが撮った画面を繋ぎに繋いで、暗闇の中の白い壁に映写したのです。

しかしライオーン・マカヴォイ監督は、そうはしませんでした。問題を分かって貰う必要があるし、その上で、この映画を観た観客たちが何かのアクションを起こすことを求めているので、彼はそうはしないのです。素晴らしい映画を撮ること、記録すること、このようなことよりも優先すべきことが彼にはあるのです。だからこの映画は、多くの日本の貧困の実態に関する専門的知識を持った外国語を話す方々の説明によって、非常に資料性が高いものとなっているのです。

正確に申せば、日本人の識者として家族人口学の研究者で明治大学政治経済学部教授の加藤彰彦氏や銀座にある春日法律事務所春日秀文弁護士も登場します。しかし、私たち日本人が、なぜ貧困の問題を解決するための有効な一歩を踏み出せずにいるのかを他の社会からの来訪者の眼差しで説明して下さる『菊とバット―プロ野球にみるニッポンスタイル―』等の著者であるロバート・ホワイトニング氏や、「アロハシャツ」あるいは「かりゆしウェア」を着用してこの映画に登場するテンプル大学ジャパンアジア研究学および歴史学の教授であるジェフ・キングストン氏や、デール・カーネギー・トレーニング・ジャパン株式会社の代表取締役社長で国際政治学博士のグレッグ・ストーリー氏や、『貧困専業主婦(新潮選書)』の著書を持つ日本女子大学人間社会学部教授の周燕飛氏ら、以上四人の方々の言葉は、私の胸をより一層突いたのです。この国は30年前から壊され続けているということが能登半島地震から東京都都知事選挙、衆議院議員選挙等を通じて大っぴらに語られるようになったのが2024年という年だと思いますが、そのことに日本在住の外国の方々は、ずっと以前から気付いていて、私たちに警句を発し続けていたのだと思い知らされます。

恐らく、外国人の識者たちの声は、非常に多くの日本人の観客たちの記憶に残るでしょう。映画館の暗闇の中、スクリーンから反射する光を頼りに数字などをメモする人すらいるかもしれないと感じます。多くの資料性を持った数字とそうなった理由が明かされます。それは、極めて乱暴に要約するならば、こういうことです。


日本人は何もかもすべてを自分の責任と捉え、責任を果たせないことを恥と捉え、自分自身を強く責めてしまう。そのために困窮者たちは隠れてしまい、他者に助けを求めることをしない。できない。また助けを求め難いシステムになっており、既に根を張っている差別意識をさらに強化すらしている。もちろん、他人に助けを求めることが極めて苦手な国民性は、最近、そうなったわけではないけれども、共同体が機能しているうちは、誰かが勝手に気付いてくれたものだった。けれども、戦後から高度成長期を経てバブル崩壊から失われた30年と通過する中で共同体は崩壊の一途を辿り、人々はバラバラになってしまったから、今や他人の貧困に気付いてくれる人は、限りなく少なくなった。今や日本の貧困は他国と比べても極めて深刻な状況にありながら、まったく無きものとされていて、解決の兆しは見えない…。


私はシネフィル(映画狂)の一人だから、画面を頼りとする以外に能がありません。画面に私たち現代日本人の孤独の傷痕を探すのですが、私たちが、誰にも頼れなくなって行った様を、まざまざと見せられた瞬間は、確かにありました。この映画では、共同体の崩壊プロセスを見せるために、戦後から朝鮮戦争後の高度成長期へと順を追って、各年代のニュース映像と思われるものをふんだんに見せてくれます。その中で一際印象に残ったのが、紙芝居を楽しむ子供たちのスタンダードサイズの画面でした。スタンダードサイズというのは縦1に対する横の比率が1.33であるものを言います。かつての映画がこれに当たり、そしてアナログテレビがそういう画面でした。子供たちは何かを食べながら紙芝居を見ています。食べているのは所謂「御煎にキャラメル」なのでしょう。その時、子供たちの肩がぶつかり合っているのです。触れ合っていると言っても良いのですが、押し合いながら見ているように思われるので、私は「ぶつかり合っている」あるいは「ぶつけ合っている」と申し上げます。肩をぶつけ合っている子供たちで画面が埋まっているのです。

私は「ぶつけ合っている肩」に驚きました。私は1971年2月19日生まれですが、私の年代では、まだ紙芝居屋さんはいたはずです。しかし我が家の近所には公園がなく、『ドラえもん』などで見たような下水管が積まれた空き地もありませんでしたから、空き地に紙芝居屋さんがやって来たので煎餅を食べながら見たという記憶がないのです。ロバが実際に曳いている「ロバのパン屋」さえ一度は見たことがあるのに、紙芝居屋さんを見たことがないのです。学校の教室や講堂で、整列して座って、静かに見るものが紙芝居でした。紙芝居は、その形式ではよく見ました。紙芝居は授業の一部でしかありませんでした。そのようなわけで、紙芝居とは、こんなにひしめき合い、肩をぶつけ合って見るものだったのかと驚いてその画面を観ていました。よく考えると、例えば清水宏監督の1951年作品『桃の花の咲く下で』のような諸々の日本映画で、それに類するものを観たことがないわけではないのですが、ライオーン・マカヴォイ監督が撮った画面を観ている最中に突如として現れたが故に、その紙芝居の映像に私はショックを受けたのでしょう。

その時、私はその画面に驚きながら、ジャン・ルノワール監督の例えば1953年作品の『黄金の馬車』、あるいは1956年作品の『恋多き女』、もっと年代を遡って1932年作品の『素晴らしき放浪者』などの画面いっぱいに膨れ上がったようにひしめき合う人々を思い出していました。『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』に出現したその画面は、それらとはまったく異なるものです。あのジャン・ルノワールの画面は、ジャック・ベッケルロベルト・ロッセリーニなどの、ごく例外的な映画作家だけが撮ることが出来た映画史の「謎」です。だから私は同時に「謎」ではない、別の映画、ジャン・ルノワールと比較するのに最適な同じフランスのマルセル・カルネ監督の1945年 作品『天井桟敷の人々』の群衆を思い出してもいました。あの映画のパリは美術監督のアレクサンドル・トローネルが作った珠玉のセットでした。そしてセットに相応しく、あの映画の群衆は、人の数としては圧倒されるほど多いのですが、にも関わらず整然としているのです。規則性が見られるのです。けれどもルノワールのパリの群衆は、いつも距離感とかサイズとかを無視したというよりは、そんなものは無いというような異様な生生しさで観るものに迫って来て、触れてさえ来るようなものなのです。だからジャン・ルノワールのパリには、パリの人々そのものである「親密さ」があるのです。

私はジャン・ルノワールにいささかも似てはいない『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』に差し込まれたニュース映像の中の子供たちに「親密さ」を感じ取っていたのです。そしてショックを受けたのです。

ライオーン・マカヴォイ監督が撮った画面では、人々が綺麗に構図におさまり、そして人と人の間に、ぽっかりと空いた場があるのです。インタビューを受けているシングルマザーたちは、それぞれに一人で映っていますから、その固定ショットが見事に構図におさまっているのは当然です。外国人の識者たちも同じなのです。しかしインタビューだけの映画ではないのですから、複数の人が画面に映っていることは度々あります。例えば所謂「子ども食堂」のスタッフの方たちが小さな子供に食事を提供しています。そのようなシーンでも、大人と子供、子供と子供、大人と大人の間に「適切な」とでも言うしかない距離があるため、空間があります。この人と人の間の距離は、言うまでもなく孤独さを表象する距離です。いいえ。批判しているのではありません。それは私たちが周囲の人を慮って取っている自然な距離なのです。けれども私はショックを受けたのです。

中でも私が非常にショックを受けたのは、困窮する子供たちに食事を提供するために調理している女性たちが三人くらい映っている厨房を撮った画面です。当然のことながら彼女たちはマスクをしています。そのうちの一人がニンジンを切っているのですが、その画面に空間がたくさんあることにショックを受けるのです。仕事の効率ということから考えれば、十分なスペースがあるべきだし、それが確保されているが故に、彼女たちは黙々と作業をして、どんどん仕事が完了して行けるのですから、人と人の間に空の場があることに、驚くほうがおかしいと、私自身が思うのです。けれども、かつての日本を映したニュース映像と比較したとき、あの時代ならば、同じ状況でも空間を埋め尽くしてしまうものがあったろうなと思えるのです。こうして私は、助けを求めたいが、行政の効率の悪さとか情報提供方法の不親切さとか、恥の感覚とか、様々な事情で十分に助けを得られずに生きて来たシングルマザーたちだけでなく、「助けなければ」と思って奮闘している人たちもまた、孤独であるかもしれないと感じたのです。「取り残された人々」に寄り添うこと自体が、この国では取り残される理由になっているのかもしれない。包丁でニンジンを切りながら、「ここにもっと人がやって来るべきだ」と強く感じている人たちがここにいて、それはそれで過酷で孤独な戦いなのだろう…。孤独さを表象する距離が、ここにもあるのです。助けるために集った女性たちすら、実は孤独かもしれないと気付かされます。無人の教室をローアングルで撮った画面が出て来ますが、椅子と机の脚がたくさんあるにも関わらず、綺麗に整列して互いに関りがないために孤独に見えるその様子に、現代の人々はとても似ていると感じるのです。

つまり、私たちは戦後の社会の変化によって、「ぶつかって来る肩」を失ってしまった。紙芝居を見詰める子供たちの映像だけではなく、かつての日本を映し出すニュース映像の数々は、単に映っている人間が多いというだけでなく、諸々のアクションの大きさとか速さとか、様々な点によって、明らかに「親密さ」が形成されているのです。それは傍若無人であり、ある点では非常に鬱陶しいものであったかもしれない。私など独りで過ごしたいと思うことが非常に多い性質だから、「やめて欲しい」と、その場にいれば思うかもしれない。けれども、いちいち気にかけてくれる人が何人もいたから飢えずに済んだ。そんな人たちがたくさんいたことの証がそこに映っていたのです。彼らの間の境界線は非常に曖昧で、人と人とに濃密な関りがある。お互いにどんどん肩をぶつけ合って生きていたものだったのです。


ああこれはもう、取り返しがつかない…と、そう思う。そう思った瞬間、しかし、私は「これは映画だ」と気付くのです。そう、これは映画だ。この問題を伝えるために、ライオーン・マカヴォイという人は、映画という方法を採用したことを決して忘れないようにしよう。そして感謝しよう。


かつて映画は物理的に触れることが出来るものでした。8mmでも16mmでも35mmでも構いませんが、フィルムに触れ、その一コマ一コマを目視し、スプライサーという器具を使って裁断し、繋げるという編集作業を行った挙句に完成するのが映画でした。フィルムは24コマで1秒に相当しますから、フィルムを繋いだ距離とかコマの数は、正確に上映時間を表すものでした。基本的にデジタルビデオカメラで撮影される今日、映画はデータでしかありません。だから映画という物質に触れることはできません。しかし、映画は、繋いで完成するものだという特徴は、今日でも失ってはいないのです。一コマ一コマが繋がって一つのショットが成立し、一つ一つのショットを繋がって一つのシーンが成立し、一つ一つのシーンが繋がって映画が完成します。孤独なコマたちが一本の映画に昇華します。


取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』という映画が始まって78分後の終わりの時間が近付いて来ています。


それぞれのシングルマザーたち、そして子供たちも数人、順番に話します。その間には例えば再び俳優としての道も歩み始めたシングルマザーが男性二人を相手にして殺陣の修練を行っていたりします。浄土真宗大谷派の僧侶であるシングルマザーは御堂で祈っていますし、時にはライブハウスでドラムを叩いています。ワンシーンに一人が語り、そして今の彼女たちの様子が映し出されますが、孤独だった彼女たちが映画の方法論によって順番に繋がって行くとき、彼女たちは最早、孤独ではないことを私たちは知ります。映画館やあるいはどこかのイベントホールで彼女たちは完成した映画を観るでしょう。そのときに、自分自身の前後に繋げられた別のシングルマザーが語る姿を彼女たちはそれぞれに必ず見るのです。この時、シングルマザーたちの時空を超えた連帯が起こります。それぞれの場所で力強く生きている彼女たちは、コマの連鎖という映画の方法によって、さらに孤独ではなくなるのです。ライオーン・マカヴォイ監督作品『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』を初めて観た日まで、お互いを認識してはいなかっただろうシングルマザーたちが、彼の編集によって、それぞれの位置に配置された結果、新しい繋がりを得たのです。

あるシングルマザーの息子さんが「行政がバラバラだ」と言いました。私は確かに78分間かけてバラバラになったものを数々見た。けれどもバラバラのものを繋ぎに繋いで出来上がったものである一本の映画を私は観た。私はこの目的のために映画が選ばれ、使われたことに対してライオーン・マカヴォイ監督に感謝したいのです。


これが映画の力です。映画とはバラバラのものを繋ぐ力に他なりません。ただし、この第一章に参加して繋がる最後の人物たちが必要です。映画には観客が必要です。

かつて映画館という場は疑似的ではあったにせよ、共同体として機能していました。すべての観客が白い壁に映し出された光と影が結ぶ像を観るために同じ方向を凝視するということで形成される繋がりがありました。視線の等方向性が連帯を生んだのです。配信の映画を観ているとそれは起こらないわけですが、言葉を交わすことなく視線も交わすことなく同じ方向を見詰めることで館内の全員が繋がって創造されたエネルギーがありました。それは希薄なものではまったくなく、濃密なものでしたし、「親密さ」すらあった。その日、その場に居合わせたものだけが経験したそのエネルギーは、しかし彼らのその後の人生に微妙に影響をおよぼしました。中には、人生の方向を大きく変えた者すらいました。例えば小川紳介監督の三里塚闘争の映画を観て、他の人にも見て貰わねばならぬと決意し、京都の「京一会館」を一晩借り切って、1968年作品『日本解放戦線 三里塚の夏』以来のシリーズ7本を70年代末に上映し、ついには1987年に『1000年刻みの日時計』という彼の映画を上映するためだけに、土と藁と葦と丸太で「千年シアター」という映画館さえ京都に作った人もいました。


ライオーン・マカヴォイ監督作品『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』を観た人たちが、今後とも何もせずにいるに決まっているなどとは、私は絶対に言えません。観客たちは、やっと生きて行く一つの方法を見付けた一人のシングルマザーのその部屋の窓から見える桜の木を観るのですから。窓を開ける。キャメラが少しだけ桜に寄る。明日にはあの桜の傍に行き、彼女に声をかけたいと観客たちは思うかもしれません。そして彼らは走り始める。とうとう歩み始めた『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』のその第二章には、その観客たちが参加しているかもしれないのです。



< 識者たちの参考文献 >


加藤彰彦

ジェフ・キングストン

ロバート・ホワイトニング

周燕飛



取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境


監督:ライオーン・マカヴォイ

プロデュース:及川あゆ里、F.J.フォックス、ショーン・ジョーンズ

配給:ジャパンメディアサービス

制作国:日本(2024)

上映時間:78分



Toshiyuki Warashina

Experienced Representative @ Affordable Finds From Japan LLC | ISO Auditor

6日前

🩷

Mitsuhiro TODA

Screenwriter/A new era of "Le Cinématographe Lumière" (specialty genres: Spiritual, Synchronicity, Forgiveness, Entrustment, Enlightenment, Oneness, Non-duality, A Course In Miracles, A Course Of Love)

1週間前

なお、本映画とは幾分、内容を異にするため、本文には記載しなかった、Dr. Greg Story Leadership-Sales-Presentations-TOKYO, Japan / グレッグ・ストーリーさんのご著書を以下に挙げることにします。『The 営業: 日本通セールスマスターが見た日本流営業術 』のペーパーバック版です。Kindle版もあります。 https://amzn.asia/d/gtJpaHz

Felicia Tarna

Traductrice Français - Roumain / Roumain - Français

1週間前

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