肉の万世。
古くから秋葉原近くに存在する老舗で、名前通り肉が売りの店です。戦後の不景気の中「精肉とコロッケで行くぞ!」と宣言して秋葉原に現れた異色の店。しかしこれが大正解。現在の成功へとつながっています。
今回はそんな肉の万世の話。
なんというか...
若き日の悪魔と万世の話みたいな感じでしょうか。
肉の万世が生まれた時代を考えるとちょっとものすごくて。
当時の秋葉原は今とは全然違う風景。
電気街といえるほど大きな街でもないしそもそも青果市場ががっつり根を張ってた時代です。
創業は1949年というからすごい。
本店は変わらず万世橋のたもと。水面にその姿を映しています。
名物はだれしも「万かつサンド」と答えるでしょう。
wikiにも書かれているこの名物のサンドイッチは確かにうまいです。
正直そこらの店が出すサンドイッチとは肉の質が違いすぎる。
この価格でこれが食えるからこそ万世だなと思っちゃうぐらいです。
ですが私にとっての肉の万世は...パーコー麺の万世です。
かつて...私が20代になったばかりの頃。
当時も変わらず秋葉原をうろついていたわけですが、今よりも時間はたっぷりあって...体力もあって...しかし金はまったくなかった。
友人たちと買い物に行くにしたっていつもカツカツで。
都営駐車場の30分250円の駐車料金がきつかった。そんな時代。
(今のUDXビルの場所が一面駐車場だった。元々は青果市場のなごり。ずいぶん昔の話です)
ガソリン代も割り勘で。
でもその経費も重荷になりつつあり。
とはいえ毎週末恒例のように秋葉原に出向いてしまうみんなの足。
そうなるとともかく経費を抑える考えになって...食事代を削ろうと思うわけですが、当時の秋葉原で飯と言ったら...選択肢はそんなになくて。
そもそも我々は当時も今も「ガッツリ系」でして(苦笑)
ここを削るのはとてもきつかった。
当時まともにがっつりと言ったら...キッチンジローがランドマーク。後は昭和通りまで出るか。中央通り沿いに並ぶ電気街で飯を食おうと思ったら結構辛かった。秋葉原デパートの1Fだけが癒やし。そんな時代でしたし(苦笑)
その頃我々にとって救世主だったのは肉の万世。
ともかく2人ぐらいで食事さえすれば1時間ほど車を止めておけた。
(買い物・食事合わせて2000円以上で1時間、5000円以上で2時間駐車場が使えます。当時からだいたいこんな感じ)
で、がっつり食えてボリュームがある食事といえば...なによりパーコー麺だった。
それ以外の食事でがっつりというと...当時は「かんだ食堂」か「キッチンジロー」(3品盛り合わせの時代)に行くぐらいで...後は秋葉原デパートの一階でラーメンを食うかお好み焼きでも食うかというぐらい。
今と違って選択肢は乏しかった。
ともかくうまくてボリュームがあって駐車場代も浮かせられるとあっては、たちまちのうちに我々の間で「土日の昼飯は万世」という共通認識が出来てしまったのはもう仕方ないことだったかもしれない。
(足を伸ばせば上野あたりで安くがっつりは食えたのその時間を惜しんでもいたわけで。わがままな欲求と財布の残金が私達の足を万世へと運ばせていました(笑))
ただ、どうしたって駐車時間が足りない。きっちり食ったら買い物出来るのはせいぜい石丸か駅の近辺。だが我々の行きたい店は裏通りも含めてかなりの距離に散らばっている。
しかし長居するだけの食事代金はないし店に迷惑もかけたくない。
早食いするか?しかしそれでは万世橋のトイレにお世話になりっぱなしになる確率が...どうしたらいいのか...
ともかく出来るだけ短時間で食し、買い物をし、規定時間を決めて早い時間で撤収したい。
様々な手法や思考を巡らせた結果...買い物情報をある程度事前に手に入れる分析力を磨き買い物の分担を決める。そして前半と後半で買い物するメンバーをわけるなどの手法がとられることになった。
なんのことはないコミケの買い物の方法の応用で(笑)
そうして出来たのが前半組と後半組の分担。
当時行動していたメンバーは4人。
これを2人ずつに分けて行動することに。
まず先行する2名が飯を食わずに情報収集し、特売で押さえられるものはとっとと押さえてしまう。その間に私ともう一人がパーコー麺に舌をなごませる。30分程度で先行していた部隊が店前にくる。われわれが喰う前から巡回しているので当然早い。ここで交代し、労をねぎらい、万かつサンドをプレゼントする。
食費との引き替えの労力だけど。それはそれで楽しくておいしくて。
そして、彼らがカツサンドにむせび泣く中で情報を交換し、後発隊として私達が出る。
彼らは戦果物と共に橋の側にある例のトイレ近くに待機。
必要であれば(たとえばお一人様1個限定のCD-R10枚セットなど。当時一枚100円は貴重だった)後発隊が人数分の戦果調整を行う。また、高額品は必ず後半組で買うことにしていた。
日中の値下げが常態化していた頃だったからというのもあるけれど、当時もわりと物騒で下手に高額なもの持ち歩いているとナイフで脅されて取られましたなんて話はざらにあったからだった。
後に体を鍛えてそこらのバカなら蹴散らせるようにしたのもいい思い出。当時からカツアゲのメッカだったしね。
先発隊が欲しかったがいったん見送ったものなどもメモに従い購入することもあった。
携帯電話なんてないから情報収集と伝達にはいつも気を使った。
こうして駐車場を活用させてもらいつつ、うまいものを喰い、買い物もきっちり済ませて貧乏なやつらは活動していたという(笑)
PCケースやら重いモノは購入だけしておいて店頭に置いてもらい、車を移動させてから積ませてもらっていたりした。
あの時万世がなかったら買い物に注げる資金はより逼迫してたと思う。
毎週行ってるとバカにならない経費だったし。
前半と後半の組は交互に順番で交代していたので、今週はパーコー麺。来週は無料で万かつサンド(結局翌週おごるからあんまり意味ないんだけど)という...妙なヘヴィローテーションが完成。
それゆえに重度の「パーコー麺中毒者」と「万かつサンド無しでは生きていけぬ者」を生み出してしまうという喜劇もあったりなかったり。
なかなかに楽しい時代でした。
本当にあの当時の秋葉原の食糧事情からすると万世の存在はありがたかった。
とはいえパーコー麺と万かつサンド以外に手を出したことはなく。
いつも上の階を見上げながら一度は食べたいと笑っていた
まぁ、車でいかない時はキッチンジローやかんだ食堂、あるいは秋葉原デパートで舌鼓をうつこともあったわけですが...もっと金ないと昼飯抜きで(笑)
あれから15年以上が経ちました。
昨年...再びおっさん化した4人が集って秋葉原に集まる機会がありました。
もうそれなりに稼いでいるしUDXに駐車する資金ぐらいは余裕がある。
妻帯者だって混じってるこの4人。
顔を合わせてリーダー格(当時唯一の車所有者)が開口一番。
「万世はまだあるかよ。パーコー麺喰いにいこうぜ」
多少万世が駅から遠かろうが...がっつり安く喰いたかった我々にとっては「遠くもないわ!」でした。
あの当時あった店もだいぶなくなっています。
もう秋葉原駅に懐かしい店はなく。
今はオシャレな建物に変わってしまい。
街にはメイドだかJKだかわかりませんが、キャッチまがいの呼び込みが増えて...いくつもの店が消えてはまた現れ。
たくさん増えた食事処はまるで観光地のよう。
けれど万世はいまだ健在。
これからも頑張ってほしいと思ってます。
いつか上の階でがっつり食ってやる。
最上階に行ってみせると笑いながら。
またみんなが集まれば...パーコー麺や万かつサンドにかぶりつくのでしょう。
最近は夜のランチ(言葉としてどうなんだとは思いますが)も開始してますます頑張っているようです。
原発の風評被害で損害もすごかったと報道でみました。
いろいろとあるのでしょう。
けれど私にとっては...万世橋のたもとにいつまでもその姿を残して欲しい...そんな店のひとつです。
最近では池袋なんかにもパーコー麺を出す万世が出来たりして嬉しかったりします。(サンシャイン地下にありました)
けれど...やっぱり万世といえば秋葉原。
もし行ったことがなくて。がっつり肉が食べたい...肉が好きだ!という人なせ...是非一度行ってみて欲しい店です。
ハンバーグなんかも絶品ですよ(^^)
※噂どおり上の階に行くほどいい肉で高いメニューに変わって行きますが、一階の喫茶店や地下の飲み屋(昼間はランチ)、1Fの立ち飲みなどはリーズナブルです。パーコー麺も1Fの立ち飲み屋で夜も楽しめます。...立ち食いだけど(笑)